/*/ 星団暦2989年 アトキ戦 二日後 コーラス王朝 王宮裏門 /*/
ハグーダ『共和国』は、コーラス王朝に降伏した。
戦争は終わった。
ハグーダはその行政を、コーラス王朝に一手に委ねることとなる。
百年後、ハグーダ共和国はコーラス王朝ハグーダ領となる。
それは歴史書に、たった数行で記される。
だが、その数行の裏で、王宮は浮かれていた。
酒が出る。
楽が鳴る。
兵が笑う。
騎士が肩を叩き合う。
整備兵が泣きながら工具を掲げる。
医療班は怒りながらも笑っている。
コーラス三世は健在。
ウリクルも生きている。
シューシャも生きている。
ジュノーンは戦場を越えた。
白いベルリンも戻った。
コーラスは勝った。
ならば、王宮が浮かれるのも当然だった。
その浮かれた王宮の裏口を、こそこそと抜けようとしている二つの影があった。
トローラ・ロージン。
そして、シューシャ。
トローラは肩に荷物を担ぎ、いかにも「俺は通りすがりです」という顔をしていた。
シューシャは、その少し後ろを歩いている。
「マスター」
「なんだ」
「あの子を置いていくのですか?」
シューシャが振り返った。
王宮の奥、臨時格納区画の方に、白いベルリンがいる。
王家の楔文字を刻んだ、コーラス王の騎体。
戦場でトローラが駆り、マグロウを引きつけ、前線を支えた白い王騎。
トローラは顔をしかめた。
「置いてく」
「よろしいのですか」
「よろしくなくても置いてく。あんな白い王騎、持って歩けるか」
トローラは肩の荷を担ぎ直した。
「俺は悪党だぞ。王家の看板背負って旅できるか。街道歩いただけで“コーラス王朝の密命ですか”って聞かれる。酒場に入っただけで“王家の使者ですか”って言われる。カツアゲもできねぇ」
「マスター。カツアゲはしないでください」
「例えだよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「マスター」
「分かった、しねぇよ」
シューシャは少しだけ笑った。
その笑みが眩しくて、トローラは視線を逸らす。
「笑うな。逃げにくくなる」
「はい、マスター」
「その返事もまだ慣れねぇ」
その時だった。
「君、面白いね」
背後から声がした。
トローラは、全身を跳ねさせた。
ゆっくり振り返る。
そこに、レディオス・ソープが立っていた。
いつもの軽い顔。
何を考えているのか読めない笑み。
そして、その背後にあるK.O.G.の記憶。
トローラの背筋が冷えた。
「出た」
「またそれ?」
「すみません。心の声が成長しません」
ソープは楽しそうに笑った。
「王宮を抜け出すの?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。正式に誰にも雇われてないゴロツキが、勝手に来て勝手に帰るだけです」
「ベルリンは置いていくんだ」
「持っていったら国際問題でしょうが」
「そうだね」
「そうだね、じゃないんですよ」
ソープはシューシャを見た。
「君は一緒に行くの?」
シューシャは静かに頭を下げた。
「はい。私はマスターのファティマです」
「そう」
ソープは、またトローラを見る。
「うちに来ない?」
トローラは、一瞬理解できなかった。
「うち?」
「うちの騎士団」
沈黙。
トローラの表情が、だんだん引きつっていく。
シューシャも、少しだけ目を見開いた。
ソープは、まるで「今日の晩ご飯どうする?」くらいの軽さで続けた。
「君、面白いし。腕もあるし。K.O.G.に潰されて生き残って、コーラスでベルリンに乗って、ウリクルとシューシャを助けて、まだ自分を悪党騎士って言ってる。そういう人、嫌いじゃないよ」
トローラは両手を前に出した。
「待て待て待て待て」
「うん」
「そんな婚姻届より重い契約を、外泊届のノリで差し出すな」
ソープは首を傾げる。
「重いかな」
「重いわ!」
トローラは本気で叫んだ。
「ミラージュ騎士団入団って、人生どころか来世まで絡みそうな契約だろ! なんで“ちょっとうち来る?”みたいな言い方なんだ!」
「ちょっとうち来る?」
「言い直すな!」
シューシャが小さく言う。
「マスター。ミラージュ騎士団は、非常に名誉ある――」
「分かってる! 分かってるから嫌なんだよ!」
「嫌なのですか」
「俺は騎士だが悪党でゴロツキだぞ。そういう綺麗で重い場所に入ったら、魂が肩こりで死ぬ」
ソープはにこにこしている。
「でも、君、コーラスの王騎には乗ったよね」
「あれは流れで!」
「シューシャにも選ばれた」
「それも流れで!」
「ウリクルも戻した」
「心肺蘇生だ!」
「戦場で前線を支えた」
「囲まれたんだよ!」
「つまり、流れに乗るのは得意なんだ」
「最悪のまとめ方をするな!」
トローラは後退した。
ソープは追わない。
ただ笑っている。
それが怖い。
追ってこないのに、逃げ道がなくなる感じがする。
「君なら、面白いと思うけどな」
「俺は面白がられるために生きてるんじゃねぇ」
「じゃあ何のため?」
その問いは軽かった。
だが、少しだけ刺さった。
トローラは、答えかけて止まる。
K.O.G.に敗れた。
死に損なった。
ジャングルを走った。
ファティマを引き上げた。
王を助けた。
王騎に乗った。
勝った。
そして今、王宮を抜け出そうとしている。
何のためか。
そんなもの、まだ決めていない。
だからトローラは、いつものように雑に答えた。
「次に負けねぇためだよ」
ソープの目が、少しだけ細くなった。
「いいね」
「よくねぇ。怖い顔するな」
「顔は変えてないよ」
「変わった気がしたんだよ」
シューシャが静かにトローラの隣へ寄る。
「マスター」
「なんだ」
「私は、マスターがどこへ行かれても従います」
「ミラージュは駄目だぞ」
「まだ何も言っていません」
「言いそうな空気だった」
ソープが笑う。
「残念」
「残念じゃない」
その時、王宮の方から声が聞こえた。
「トローラ!」
コーラス三世の声だった。
トローラは固まった。
「やべ」
シューシャが言う。
「見つかりました」
「そりゃ、こんなところでソープくんと立ち話してたら見つかるわ!」
コーラス三世が、侍従を伴ってこちらへ歩いてくる。
少し急いでいる。
だが、顔は怒っていない。
むしろ、分かっていたような顔をしている。
「やはり出ていくつもりだったのか」
トローラは胸を張った。
「悪党なので」
「悪党は自分でそう名乗らないと思うが」
「俺は名乗るタイプです」
コーラス三世は小さく笑った。
そして、視線を臨時格納区画へ向けた。
「ベルリンは置いていくのだな」
「置いていきます。あれはコーラスの王騎です。俺が持って歩いたら、何もかもが重くなりすぎる」
「なら、白くなければいいのか」
トローラが固まった。
「……王様?」
コーラス三世は本気だった。
その目は、戦場で「私もジュノーンで出よう」と言った時と同じくらい澄んでいた。
「外装は替えよう」
「待て」
「白ではなく、黒鉄色にする。王家の楔文字は削らず、封印板で隠す。必要な時には戻せるように」
「待て待て」
「所有はコーラス王朝に残す。君に譲るわけではない。だが、使用権と運用責任を、君とシューシャに預ける」
「預けるな!」
即答だった。
「王騎だぞ! コーラス王の騎体だぞ! 俺はゴロツキだぞ! 何をどう考えたら、その三つが同じ文章に入るんだ!」
「同じ戦場にいた」
「いたけど!」
「君はベルリンで戦った」
「乗せられたんですぅ!」
「マグロウを引きつけ、前線を支えた」
「囮にされたんです!」
「そのおかげで、ジュノーンは本陣に立てた」
「話を綺麗にするな!」
コーラス三世は静かに言った。
「だから、預ける」
トローラは口を開けたまま固まった。
ソープが、横で楽しそうにそのやり取りを眺めている。
「いいね。すごくコーラスらしい」
「ソープくん、止めろよ!」
「僕は面白い方が好きだから」
「最悪の観客だ!」
コーラス三世は続ける。
「ドーリーも付ける」
「嫁入り道具みたいに王騎と輸送機を付けるな!」
シューシャが静かに言った。
「マスター。MHの運用には輸送手段が必要です」
「必要で殴るな!」
「整備員は最小限にする」
コーラス三世がさらに畳みかける。
「君が嫌がるだろうから、王家の旗は掲げさせない。表向きは、外部任務用貸与機。登録名も変える」
「嫌に決まってるだろ!」
「では、変えよう」
「そうじゃない!」
「登録名は、ワイマールSR2」
トローラは、そこで一度止まった。
「……何?」
「ワイマールSR2」
「もう決まってる!?」
「整備局と相談した」
「相談するなよ!」
シューシャが少しだけ目を輝かせた。
「ワイマールSR2。良い名だと思います」
「お前も乗るな! いや、乗るけど!」
ソープが笑う。
「ベルリンじゃないなら、持っていけるね」
「屁理屈で王騎を押しつけるな!」
コーラス三世は、少しだけ真面目な顔になった。
「トローラ」
「今度は何ですか」
「君はベルリンを置いていくつもりだった。王騎だから、コーラスのものだから、自分が持つには重すぎるから」
「そうだよ」
「その重さを分かっている者にこそ、預けられる」
トローラは黙った。
「君は持ち逃げしない。王家の楔文字を削れとも言わない。隠せと言った。返せるように、と」
「……」
「だから預ける。あの子も連れて行ってほしい」
あの子。
その言い方に、シューシャがわずかに顔を上げた。
トローラも、ベルリンを見た。
王騎。
だが、戦場で一緒に走った機体。
囲まれ、削られ、盾を拾い、三分を耐えた騎体。
あの子。
「……ずるい言い方すんなよ」
トローラは低く言った。
コーラス三世は微笑む。
「王だからな」
「王様ってのは、もっと正々堂々としてるもんじゃねぇのか」
「必要なら、言葉も選ぶ」
「澄んだ目で策を使うな」
トローラは長く息を吐いた。
「俺は本当に悪党だぞ」
「知っている」
「ゴロツキだ」
「知っている」
「そのうち問題を起こすかもしれない」
「その時は叱る」
「軽いな!」
「それでも、預ける」
コーラス三世の声は穏やかだった。
だが、そこには王の決定があった。
「綺麗な騎士に預ければ、綺麗に使われるだけだ。君なら、あの子を戦場で生かす。そして、誰かを死なせないために走る」
トローラは返せなかった。
その言い方は、ずるい。
シューシャが隣で、静かにベルリンの方を見ている。
寂しそうではない。
期待している。
あの白い騎体に、もう一度乗りたいと思っている。
いや。
トローラ自身も、本当は思っている。
乗りたい。
K.O.G.に砕かれた後、もう一度空へ跳ぶための翼が欲しい。
白いベルリンは、それに応えた。
悔しいほどに。
「……分かった」
シューシャの表情が明るくなる。
「マスター」
「ただし、貸与だ。俺の私物じゃねぇ。コーラスが必要だと言えば返す。楔文字は削らない。外装は黒鉄色。王家の旗は出さない。俺が悪さしたら止めろ」
コーラス三世が頷く。
「分かった」
「それと」
「何だ」
「カツアゲはしない」
シューシャがほっとした顔をした。
ソープが噴き出した。
コーラス三世は笑った。
「それも記録しておこう」
「記録するな!」
/*/
その後、白いベルリンは白ではなくなった。
王家の楔文字は封印板の下に隠された。
装甲は黒鉄色に替えられ、遠目には出どころの怪しいベルリン系改修機に見えるようになった。
正式な登録名は、ベルリンではない。
外部任務用貸与機
ワイマールSR2
所有権はコーラス王朝に残る。
使用権と運用責任は、トローラ・ロージンとシューシャに預けられる。
王家の旗は掲げない。
王家の楔文字は見せない。
だが、知る者が見れば分かる。
それはコーラス王朝が、悪党騎士を名乗るゴロツキへ託した王騎の影だった。
ドーリーも用意された。
整備員も、最小限ながら付けられた。
補給部品も積まれた。
トローラはその一式を見て、頭を抱えた。
「……逃げるはずだったのに、荷物が国際問題級に増えた」
シューシャが隣で微笑む。
「はい。ですが、あの子も一緒です」
「嬉しそうだな」
「嬉しいです」
そう言われると、トローラはもう何も言えなかった。
そこへソープが、また軽く手を振った。
「ミラージュの件、考えておいてね」
「考えません!」
「じゃあ、気が向いたら」
「向きません!」
「またね、トローラ」
トローラは一瞬だけ黙った。
それから、顔をしかめながら返す。
「……次は負けねぇからな、ソープくん」
ソープは楽しそうに笑った。
「楽しみにしてる」
トローラは背筋をぞくりとさせた。
「言質取られた気がする」
シューシャが静かに言った。
「マスター。出発しましょう」
「ああ。これ以上いると、今度こそ変な契約書にサインさせられる」
「はい」
コーラス三世は、王宮の門からそれを見送った。
「また会おう、トローラ」
トローラは振り返らず、片手を上げた。
「できれば戦場以外でな、王様!」
シューシャが隣で静かに言う。
「マスター。たぶん、また戦場です」
「言うな」
ドーリーが動き出す。
黒鉄色のワイマールSR2を載せて。
王家の楔文字を胸の奥に隠して。
トローラとシューシャは、コーラスを後にした。
空は広い。
次はどこへ行くのか、まだ決めていない。
だが、今度は歩きではない。
翼は、もう一度手に入った。