/*/ カステポー郊外 旧採石路 ジャミング結界内 /*/
プルートは、もう逃げられなかった。
ミハイル・レスターは中年の騎士だった。
若さで無理を押す騎士ではない。
経験もある。
退き際も知っている。
機体の癖も、ファティマの呼吸も、戦場で引いてはならない線も分かっている。
だからこそ、ここまで粘った。
だが、相手が悪すぎた。
メヨーヨ朝廷のアシュラ・テンプル。
異様な副腕を展開し、まるで獲物を捕らえる牙のようにプルートへ絡みついてくる。
その腕が、プルートの両肩を掴んでいた。
逃がさない。
捻じ伏せる。
狩る。
そういう動きだった。
「くっ……!」
レスターは操縦席で歯を食いしばる。
年若い騎士のような派手な焦りはない。
だが、顔には汗が滲んでいた。
パルスェットの声が細く響く。
「マスター、肩部駆動系、拘束。出力が逃げません」
「分かっている……!」
プルートが剣を上げようとする。
だが遅い。
所属不明機の刃が、プルートの装甲へ叩き込まれた。
金属が裂ける。
警報が鳴る。
衝撃でコクピットが跳ねる。
レスターの視界が赤く染まった。
通信越しに、敵騎士の声が聞こえた。
「よく戦ったのである」
それは褒め言葉ではなかった。
処刑宣告だった。
「だが、ここまでだ」
副腕が、さらに強くプルートを締め上げる。
とどめの一撃が来る。
パルスェットが、ほんの一瞬、レスターを見た。
「マスター」
「すまない、パルセット」
レスターは、それしか言えなかった。
その時。
ジャミング結界の外縁が裂けた。
音が来た。
細く、高い。
空気を突き破るような、一点の殺意。
フラッシュニードル。
突きの真空斬りが、横合いから飛び込んだ。
それはプルートを狙っていない。
アシュラ・テンプルの頭部へ、一直線に走った。
「ぐわっ! アナンダ!?」
アシュラ・テンプルが、わずかにのけぞった。
頭部装甲に火花が散る。
直撃ではない。
だが、狩る側だった機体の呼吸を、完全に乱した。
拘束が緩む。
プルートが地面へ崩れ落ちる。
アナンダの声が冷静に響いた。
「割り込まれました。ベルリン系のエンジン音です。外装は不明」
スモークの向こう。
黒鉄色のMHが立っていた。
王家の白ではない。
コーラスの楔文字も見えない。
だが、その骨格、その踏み込み、そのエンジン音は隠しきれない。
ワイマールSR2。
トローラ・ロージンの機体だった。
トローラの声が、通信に割り込む。
「よう、首狩り野郎。中年騎士を狩って悦に入ってるところ悪いな」
黒鉄色の機体が、剣を構える。
「そいつはまだ死んでねぇ。だから俺が来た」
シューシャが続ける。
「マスター、所属不明機。データにありませんが、副腕が展開していました。複数腕による拘束戦闘能力を確認」
「名前は分からねぇか」
「はい。機体照合不能です」
「十分だ。頭を飛ばせなかったのは残念だが、とどめは止めた」
所属不明機の騎士は、少し間を置いた。
「む。これは邪魔が入った」
その声には怒りよりも、計算があった。
ジャミング結界。
首狩りの場。
一対一の狩り。
そこへ、ベルリン系の正体不明機が割り込んだ。
しかも、真空突きで頭部を狙ってくる騎士。
予定と違う。
「一旦引くのである」
敵側のファティマが即座に応じる。
「はい、スモーク炊きます」
黒煙が広がった。
ただの煙ではない。
センサーを潰す粒子。
熱源を散らす偽装。
魔導的な攪乱まで混ぜた逃走用の幕。
シューシャが即座に叫ぶ。
「マスター、敵機反応分散! 追撃は危険です!」
「分かってる!」
トローラは歯を食いしばった。
追いたい。
ここで逃がせば、また誰かが狩られる。
だが、目の前にレスターとパルスェットがいる。
プルートは大破寸前。
パルスェットも危ない。
今、追えば助けるべき命を取りこぼす。
トローラは剣を下げた。
「ちっ……逃げ足も一流かよ」
スモークが薄れる頃には、所属不明機の姿は消えていた。
ジャミング結界も崩れ始めている。
トローラはすぐにワイマールSR2をプルートの横へ寄せた。
「レスター! 生きてるか!」
プルートの通信はノイズだらけだった。
やがて、かすかな声が返る。
「……誰だ」
「トローラ・ロージン。悪党で負け犬の騎士だ」
「悪党……?」
「説明は後だ。死ぬな」
レスターは返事をしなかった。
代わりに、パルスェットの声が割り込む。
「マスター、意識混濁。生命維持、低下。コクピット区画に衝撃損傷」
シューシャが即座に言う。
「マスター。プルートの胸部開放を。医療キットを準備します」
「やるぞ」
トローラはワイマールSR2を片膝立ちにし、プルートのコクピット付近へ腕を伸ばした。
「レスター、聞こえてるなら耐えろ。パルスェット、お前も落ちるな」
パルスェットの声がかすかに震えた。
「私は……マスターを……」
「分かってる」
トローラは低く言った。
「だから戻す。俺はそういうの、最近得意なんだよ」
シューシャが隣で静かに応じる。
「はい。マスターは、戻れと呼ぶ騎士です」
「照れること言うな。作業に集中しろ」
「イエス、マイ・マスター」
カステポー郊外の旧採石路。
首狩りのために張られた結界の中で、狩りは中断された。
所属不明の副腕機は逃げた。
レスターは死んでいない。
パルスェットも、まだ繋がっている。
ならば、今日も勝ちだ。
トローラは血の気の引いた顔で笑った。
「死んでねぇなら、まだ勝ち筋はある」
黒鉄色のワイマールSR2が、崩れたプルートの横で、救助姿勢に入った。