/*/ カステポー ヴァキ市 ユモ通り タンクビル地下 /*/
ワックストラックスの灯りは、まだ落ちていなかった。
地下酒場の扉を開けると、酒と煙と油の匂いが混じった空気が流れてくる。
先ほどより客は減っていた。
それでも、何人かの騎士がまだ低い声で話している。
騎士の夜は長い。
カステポーの夜は、もっと長い。
トローラ・ロージンは、シューシャを伴ってカウンターへ戻った。
ジョルジュ・スパンタウゼンは、グラスを磨いていた。
こちらを見ても驚かない。
まるで、戻ってくると最初から分かっていたような顔だった。
「早かったな」
「間に合ったからな」
「死体は?」
「出てねぇ」
ジョルジュの手が止まった。
「そうか」
「ああ。レスターは重傷。病院で寝てる。パルスェットは軽傷。プルートは大破寸前だが、戻した」
トローラはカウンターへ端末を置いた。
シューシャが横で静かに補足する。
「戦闘ログを抽出済みです。ジャミング波形、所属不明機の副腕展開、スモーク粒子の攪乱パターン、退避方向の推定値を含みます」
ジョルジュは端末を見た。
「手際がいい」
「こっちは首狩り一匹逃がしてる。手際くらい良くしねぇと腹が立つ」
トローラは椅子に腰を下ろした。
その顔には疲労が濃い。
だが、目は眠っていなかった。
「所属不明の副腕機。パルスェットの見立てじゃ、メヨーヨ朝廷系のテスト機だとよ」
店の奥にいた騎士の一人が、わずかに顔を上げた。
ジョルジュはそちらを一瞥するだけで、またトローラへ視線を戻した。
「確証は」
「まだねぇ。だが、首狩りにしては準備が良すぎる。ジャミング結界、撤退用スモーク、ファティマ側の反応速度、ベルリン系のエンジン音を即座に拾う観測能力。単なるゴロツキ騎士の遊びじゃねぇ」
「母艦か」
「たぶんな」
ジョルジュの目が細くなる。
トローラは低く続けた。
「町の外に母艦を隠して、データを取ってる。カステポーの空でだ。ドラゴンに撃ち落とされるかもしれねぇってのに、よくやる」
ジョルジュはしばらく黙った。
グラスを置く音だけが、小さく響いた。
「その情報は流す」
「ああ。流せ。イオタへでも、必要なところへでも」
「お前はどうする」
「寝る」
即答だった。
ジョルジュが少しだけ眉を動かす。
「珍しく賢いな」
「シューシャに怒られた」
「良いファティマだ」
「だろ」
トローラはまた即答して、少しだけ照れたように視線を逸らした。
シューシャは何も言わない。
ただ、静かにカウンター横へ立っている。
ジョルジュは端末を奥へ滑らせた。
「ログは預かる。こちらで解析し、必要な線へ流す」
「頼む」
「ただし、トローラ」
「あ?」
「お前が首狩りを追う必要はない」
トローラは笑った。
悪い笑いだった。
「追う必要はない、ねぇ」
「そうだ」
「向こうがまた誰かを狩るなら?」
「こちらで動く」
「間に合わなかったら?」
ジョルジュは答えなかった。
トローラは肩をすくめる。
「俺は悪党で負け犬の騎士だ。正義の味方じゃねぇ。だが、死にそうな奴がいて、間に合いそうなら走る。それだけだ」
シューシャが静かに言う。
「マスターは、そういう方です」
「美化するな。俺はゴロツキだぞ」
「ゴロツキでも、走ります」
「言い返しづらいな、それ」
ジョルジュが、ほんの少しだけ笑った。
「今夜はもう飲むな」
「酒場のマスターが言う台詞か」
「生きてる騎士には言う」
トローラはしばらくジョルジュを見て、諦めたように立ち上がった。
「分かったよ。寝る。レスターの病院にも朝行く。パルスェットも連れていく」
「それがいい」
「デコースが来たら」
「伝える」
「俺が探してたってことだけな。余計なことは言うなよ」
「ここは酒場だ」
「つまり言うなって意味じゃねぇな」
「言わないこともある」
「信用ならねぇ」
「信用しろ。ここはワックストラックスだ」
トローラは鼻で笑った。
「そうだったな」
踵を返す。
シューシャが付き従う。
その背中へ、ジョルジュが声を投げた。
「トローラ」
「あ?」
「レスターを生かしたなら、後が面倒だぞ」
トローラは振り返らなかった。
「死なせた方が面倒だった」
短い答えだった。
だが、それで十分だった。
ジョルジュは何も言わず、またグラスを磨き始めた。
/*/ 同時刻 ワックストラックス 奥席 /*/
店の奥で、コート姿の口髭の紳士が、そのやり取りを見ていた。
グラスの縁に指を添え、少しだけ笑っている。
「面白い若者だな」
隣の騎士が問う。
「あの男が?」
「そう。悪党だ、負け犬だ、と自分で言いながら、死にそうな者のところへ一番先に走る」
「厄介な性分だ」
「厄介だ。だが、カステポーではそういう厄介さが、たまに命を拾う」
口髭の紳士は、地下酒場の扉の方を見た。
トローラとシューシャは、もう階段を上っていった。
「レスターが生きたか」
小さな声だった。
誰に聞かせるでもない。
しかし、その名には少しだけ重みがあった。
「放浪の身でも出来る事はある、と言う事か」
グラスの氷が、からりと鳴った。
/*/ ヴァキ市 夜道 /*/
地上へ出ると、夜風があった。
カステポーの夜は冷える。
昼間の喧騒が嘘のように、通りの影は深い。
それでも遠くでは酒場の笑い声があり、荷車の軋む音があり、どこかで騎士が怒鳴っている。
トローラは歩きながら、首を鳴らした。
「疲れた」
「休息を推奨します」
「分かってる」
「本当にですか」
「本当だ。今日はもう首狩りも母艦もメヨーヨも知らねぇ。寝る」
「良好です」
「判定するな」
シューシャは少しだけ笑った。
その顔を見て、トローラは視線を逸らす。
「笑うな。眩しい」
「はい、マスター」
「その返事も眩しい」
歩きながら、トローラはふと空を見た。
カステポーの空。
ドラゴンの空。
どこかに、人間の都合で隠れた母艦がいるかもしれない空。
「……よくやるよ」
低く呟く。
シューシャが横を見る。
「マスター」
「何でもねぇ」
そう言って、トローラは歩き出した。
レスターは生きている。
パルスェットも生きている。
首狩りは逃げた。
メヨーヨの影は残った。
そして、情報はワックストラックスへ流れた。
なら、今夜は良い夜だ。
死んでいないなら、良い。
トローラ・ロージンは、そういう雑な理屈を胸に、シューシャとともに宿へ戻っていった。