/*/ カステポー郊外 乾いた谷 ジャミング結界外縁 /*/
ミロードのガルは、もう盾を失いかけていた。
実斧が叩き込まれる。
盾が割れる。
装甲が裂ける。
オーバーホール明けのはずの機体は、試運転どころではない負荷を受けていた。
壊し屋。
殺し屋。
名を知らぬままでも、その動きだけで分かる。
これは手合いではない。
狩りだ。
「マスター、ガルの左防御腕、限界です」
シューシャの声が鋭い。
「見えてる!」
トローラ・ロージンは、ワイマールSR2をドーリーから半射出状態で前へ出した。
本当は戦闘に入るつもりはなかった。
命だけ拾う。
流れを壊さない。
主役を奪わない。
そう決めていた。
だが、目の前で胸部コックピットごと潰されそうな奴がいるなら、話は別だった。
「死ぬ前に割り込む!」
「イエス、マスター!」
黒鉄色のMHが跳んだ。
その突きが、壊し屋の実斧の軌道へ差し込まれる。
金属音が爆ぜた。
とどめの一撃が、わずかに逸れる。
ガルの胸部装甲を叩き割るはずだった斧は、肩装甲を削り、砕けた盾の残骸を吹き飛ばすだけに留まった。
「また、こやつか!」
敵騎士の声が通信に走る。
アナンダの声が続いた。
「マスター、どうしますか?」
問いの直後、アナンダは別の情報を拾った。
「マスター、ジャマーキャンセル。オープンチャンネルで全方位にエマージェンシーシグナルを高出力で発信しています」
イラーの声が、一瞬沈んだ。
「面倒なことを……離脱するのである!」
「はい。スモーク展開」
黒い煙が走った。
熱源を散らし、センサーを濁し、魔導干渉を混ぜた逃走幕。
シューシャが即座に叫ぶ。
「敵機、反応分散。追撃困難」
「追うな!」
トローラは言い切った。
「今日は殺し屋を狩りに来たんじゃねぇ。中身を抜く!」
ワイマールSR2がガルの横へ膝をつく。
ガルは半ば倒れかけていた。
盾は割られている。
左腕は動かない。
胸部装甲は深く裂け、騎士用コックピット周辺にも衝撃が走っている。
頭部側、ファティマ・コックピットも無事とは言えない。
だが、まだ死んでいない。
「ミロード! 聞こえるか!」
ノイズ混じりの通信が返る。
「……誰だ……」
「トローラだ。助けに来た」
「……悪党が……救助か……」
「文句は生きてから言え」
シューシャが状況を読み上げる。
「騎士生命反応、維持。胸部コックピット、ハッチ歪み。通常開放は困難です」
「ファティマは」
「反応維持。頭部コックピット側にも衝撃。こちらも別途開放が必要です」
「分かってる。一枚開ければ二人出てくるほど、MHは親切じゃねぇ」
トローラは操縦桿を握り直した。
「胸を開ける。次に頭だ。順番を間違えるな」
「はい。まず胸部ハッチ。続いて頭部ハッチです」
「爆薬は使わない」
「はい。構造損傷が読めません。通常の腕部マニピュレータで外装を押さえ、指でハッチ縁をこじ開けてください」
「了解。手で開ける」
ワイマールSR2の右手が、ガルの胸部へ伸びる。
救助専用の腕などない。
あるのは、戦うために作られた巨大な腕部マニピュレータ。
その指先で、潰れた装甲を押さえ、裂け目へ指を掛け、力を逃がしながら少しずつハッチの縁を起こしていく。
雑にやれば、中の騎士を潰す。
弱すぎれば、開かない。
「右上を押さえてください。そこを引くと内部フレームが落ちます」
「こうか」
「はい。次、左下。三度だけ角度を変えてください」
「注文が細けぇ」
「騎士用コックピットです」
「分かってる。だから文句だけ言って手は抜かねぇ」
金属が軋む。
ガルの胸部ハッチが、歪んだ音を立てて浮いた。
ワイマールSR2の指がさらに入る。
掌で装甲板を受け、外へ捻る。
火花。
軋み。
そして、ハッチが開いた。
騎士用コックピットの中で、ミロードは血を流していた。
意識は薄い。
だが、息はある。
「よし、一人目」
トローラはワイマールSR2の指先を慎重に使い、ミロードの身体を潰さないよう固定具ごと外へ引き出した。
ヒッター子爵の声が遠くから飛んだ。
「無事か!」
「まだ半分だ!」
トローラは怒鳴り返した。
「騎士だけ出して終わりじゃねぇ! 頭を開ける!」
ワイマールSR2が位置を変える。
ガルの頭部へ。
ファティマ・コックピット。
こちらは胸部とは違う。
薄く、繊細で、下手にこじれば中のファティマを殺す。
シューシャの声も低くなる。
「頭部コックピット、外装変形。内部生命反応、維持。接続系負荷あり。衝撃を抑えてください」
「分かってる」
トローラは歯を食いしばった。
「バビロン王にガンつけられた時より緊張するな」
「マスター。集中を」
「してる」
ワイマールSR2の左手がガルの頭部を支え、右手の指がハッチ周辺へ掛かる。
押す。
止める。
角度を変える。
こじる。
戻す。
シューシャの誘導で、歪んだ頭部ハッチのロックを一つずつ逃がしていく。
「右側、二度下げてください」
「こうか」
「はい。次、上部ロック。そこは力を入れすぎないでください」
「怖ぇな」
「怖がってください」
「言うようになったな」
最後のロックが外れた。
頭部ハッチが、細く開く。
中のファティマが見えた。
生きている。
トローラは息を吐いた。
「二人目」
「内部接続を解除します。引き出しはゆっくり」
「分かってる」
ワイマールSR2の指先が、ファティマの身体を慎重に支えた。
軽い。
壊れそうなほど軽い。
だが、胸は動いている。
頭部コックピットから、ファティマが引き出された。
トローラは低く言った。
「よし。勝った」
その時、ヒッター子爵、ミューズ・レイバック、そして静が現場へ到着した。
ヒッターが駆け寄る。
「無事か!」
「なんとかなぁ……盾は割れた。ガルもひどい。けど、中身は二人とも生きてる」
「上出来だ」
「褒めるな。まだ面倒が残ってる」
「面倒?」
トローラは顎で丘の上を示した。
「ご機嫌ナナメな大将が来てる」
全員が、そちらを見た。
丘の上に、巨大なシルエットがあった。
サンダードラゴン。
ただそこにいるだけで、空気が変わる。
騎士の殺気ではない。
MHの圧でもない。
人間の都合では測れないものが、こちらを見下ろしている。
その瞬間、誰も動けなくなった。
金縛り。
そう呼ぶしかない。
サンダードラゴンの視線が、静へ向いた。
静は、動かなかった。
ただ、その瞳だけが、サンダードラゴンを見返していた。
言葉はない。
音もない。
だが、何かが交わされた。
命令でも、会話でもない。
もっと古く、もっと深い何か。
静とサンダードラゴンの間で、世界の奥にある細い線が一瞬だけ触れたような気配があった。
やがて、サンダードラゴンの気配が、ふっと緩んだ。
金縛りがほどける。
風が戻る。
サンダードラゴンは、何事もなかったかのように翼を広げた。
そして、飛び去った。
丘の上の巨大な影が空へ溶けていく。
誰も、しばらく声を出せなかった。
最初に口を開いたのは、ヒッター子爵だった。
「……いやあ、今日もカステポーらしいねぇ」
トローラは、心底嫌そうに振り返った。
「どこがだよ」
ミューズは静を見ていた。
「静……」
静は、静かに目を伏せた。
「問題ありません、マスター」
その声は、いつも通りだった。
だが、トローラは見た。
いつも通りに戻るまでの、ほんのわずかな遅れを。
何かがあった。
だが、それを聞く資格は自分にはない。
トローラは息を吐き、ミロードの固定具を締め直した。
「よし。こっちは病院だ。ガルは回収。殺し屋は逃げた。大将は帰った。今日はもう十分だろ」
シューシャが静かに言う。
「マスター。十分というには、情報量が過多です」
「言うな。俺もそう思ってる」
ヒッター子爵が笑う。
「救助に来て、ドラゴンに見物されるとはねぇ」
「見物じゃねぇ。睨まれたんだよ」
「それでも生きている」
トローラは鼻で笑った。
「なら勝ちだな」
ミューズが、トローラを見る。
「君は、なぜここへ」
「勘だ」
「勘」
「悪党の勘は当たるんだよ」
シューシャが小さく付け足す。
「マスターは、死にそうな者の気配には敏感です」
「余計な説明するな」
ミューズは何かを言おうとして、やめた。
代わりに、救助されたミロードとファティマ、そして飛び去ったサンダードラゴンの空を見た。
その顔に、何かが刻まれていく。
トローラはそれを横目で見て、少しだけ安心した。
若い騎士が踏み出す場所は、まだ残っている。
壊し屋は逃げた。
殺し屋もまだいる。
サンダードラゴンも見た。
なら、この先の一歩は、あの若い騎士が自分で選ぶ。
トローラの役目は、今日のところはここまでだった。
「帰るぞ、シューシャ」
「はい、マスター」
「ミロードたちを病院に放り込んで、ガルを預かり屋に押し込んで、ジョルジュにまた報告だ」
「休息は」
「……その後だ」
「マスター」
「分かってる。寝る。たぶん」
「たぶん、では困ります」
トローラは肩をすくめた。
カステポーの空には、もうサンダードラゴンの影はなかった。
だが、空気にはまだ、あの巨大な視線の名残がある。
人間の戦いなど、ほんの一瞬で踏み越えてしまう何か。
その足元で、悪党で負け犬の騎士は、今日もひとつ命を拾った。
「死んでねぇなら勝ち」
トローラは小さく呟いた。
「今日は、かなり勝ちだ」