/*/ クバルカン法国 首都ルナモア 法王庁 内廷執務室 /*/
「失礼いたします!」
扉の外から、慌ただしい声がした。
クバルカン法国の法王庁。
その内廷執務室は、普段なら静謐そのものだった。
高い天井。
磨き込まれた石床。
古い聖句の彫られた柱。
光を抑えた窓。
祈りと戒律と国家の重みが、空気そのものに染み込んでいる。
だが、その日ばかりは違った。
扉の外が、妙に騒がしい。
法王は机の向こうで、ゆっくり顔を上げた。
「入れ」
扉が開く。
入ってきたのは、法王庁の官吏だった。
一人ではない。
三人。
いや、その後ろにもさらに数人いる。
まるで書類一枚を届けるだけに、部署ごと押しかけてきたような人数だった。
先頭の官吏が、緊張した顔で深く頭を下げる。
「レイバック枢機卿より、荷物の受領書が届きましてございます!」
「おお」
法王は、少しだけ目を細めた。
「その割には大勢だのう。他に用か?」
官吏たちは顔を見合わせた。
誰も口を開こうとしない。
だが、開かねばならない。
やがて、年嵩の一人が一歩前へ出た。
「……せめて」
「せめて?」
「せめて、文章の一つも添えてやりとうございます」
室内の空気が、さらに重くなった。
法王は黙っていた。
官吏は続けた。
「レイバック……いえ、ミューズ様は、悩んでおられるはずです」
言葉を選ぶ声だった。
だが、そこには情があった。
「正義のためとはいえ、明らかな戒律違反。個人の判断で動くなかれ、まして最高機密たるS.S.I.の無断使用……御言葉を待っておられるかと。たとえ、それが自分の処分を告げるものであろうとも」
別の官吏が、たまらず言った。
「奴は……一日千秋の思いで、法王様の御沙汰を待っているのではないかと」
法王は、そこで静かに息を吐いた。
「ならぬ」
短い一言だった。
官吏たちが息を呑む。
「よいか」
法王の声は、怒ってはいなかった。
だが、逆らえない重さがあった。
「あの男には、一切の連絡をしてはならん」
「法王様……!」
「私が持たせたS.S.I.を使用したのであれば、それは私の命であり、クバルカン国民の決定である」
法王は、机の上に置かれた受領書を見た。
肩部補修部品。
受領済み。
ミューズ・レイバックの署名。
それだけが、カステポーから戻ってきた。
「その意味を、レイバックの坊主が自分で理解るまではな。何年かかろうと構わん」
「しかし……」
「言葉を与えれば、あの男はそれに従う」
法王は静かに言った。
「あれは、そういう男だ。だからこそ、今は言葉を与えぬ」
官吏たちは押し黙った。
法王は続けた。
「たった一機のS.S.I.と、静しかおらぬ国の王となり、思う存分悩むがよいのだ」
その言葉に、室内の何人かが顔を上げた。
王。
法王は、確かにそう言った。
「多少の機密漏れなど、一人の王を誕生させるのに何の不都合があろうか」
官吏の一人が、かすかに呻いた。
「……そこまで」
「じゃが」
法王の目に、少しだけ笑みが宿った。
「しょっぱなから派手にやりおった」
机の上には、受領書だけではない。
何通もの書状が積まれていた。
それも、ただの嘆願ではない。
星団各地の名が並ぶ、重すぎる書状の山だった。
「クバルカンの騎士、壊し屋を退治せり」
法王は、楽しげに言った。
「これほどクバルカンの印象を高め、国民を喜ばせる報せが、昨今あったか?」
官吏たちは返答できなかった。
否定できない。
民は喜んでいる。
街では、ルーンの騎士がカステポーの壊し屋を討ったと噂されている。
クバルカンの名は、確かに高まった。
ただし、それは同時に、戒律違反と機密兵器使用という爆弾でもあった。
「机の上を見てみるがよい」
法王が言った。
先頭の官吏が、おそるおそる書状の山へ目を向ける。
封蝋。
紋章。
署名。
その一つ一つを確認するたび、顔色が変わった。
「……ハスハ連合共和国、王女ムグミカ・ラオ・コレット殿下」
隣の官吏が続ける。
「証人、AP騎士団スバース隊副長、ヤーボ・ビート少将」
「フィルモア帝国皇帝、レーダー八世陛下の署名……文書提出者は、ノイエ・シルチス騎士団、バーバリュース・ビィ男爵」
別の者が、さらに紙をめくった。
「星団宇宙航行連合、ジョーダ宇宙騎士団団長……ジョルジュ・スパンタウゼン」
そこで官吏が固まった。
「宇宙の戦神ジョルジュが、どうしてミューズ様と……?」
法王は答えなかった。
答える必要もない。
カステポーという土地が、それだけの縁を生む。
また別の書状が開かれる。
「コーラス王朝、コーラス三世陛下」
官吏の声がさらに震えた。
「証人……トローラ・ロージン?」
別の官吏が横から覗く。
「ハグーダ戦でMH十八騎撃墜のエース、と注記があります」
「なぜそんな男が、レイバック枢機卿の証人に……」
「カステポー・ナイトギルド総評議長、ヒューア・フォン・ヒッター」
その名を見た瞬間、さらに室内がざわつく。
そして、最後に近い一枚で、官吏は完全に言葉を失った。
「この紋章は……」
声が裏返る。
「剣聖ダグラス・カイエン……!」
「げげげ」
誰かが、法王庁の内廷にあるまじき声を漏らした。
法王は、咎めなかった。
むしろ、少しだけ愉快そうだった。
「最後の一枚は、これじゃ」
法王は、机の端に置いてあった一通を手に取った。
それは、他の書状と比べてもなお異質だった。
封蝋だけで、場の空気が変わる。
「A.K.D.のアマテラスの帝からだ」
官吏たちは、完全に沈黙した。
クバルカンの法王庁。
その内廷執務室に、あり得ないほどの名前が並んでいる。
ハスハ。
フィルモア。
ジョーダ宇宙騎士団。
コーラス。
カステポー・ナイトギルド。
剣聖。
A.K.D.
それらが、ひとりの若い枢機卿の行動について、正当性を証明し、処分を和らげようとしている。
法王は、受領書へ視線を戻した。
「たった数ヶ月で、どうすればこれだけの者たちの協力を得られるのか」
その声には、呆れと、喜びと、少しの嫉妬が混じっていた。
「心底うらやましいぞ。レイバックの坊やよ」
官吏の一人が、恐る恐る言った。
「では、やはり……処分は」
「急ぐな」
法王は言った。
「処分せぬとは言っておらん。褒めるとも言っておらん」
「では」
「沈黙を送れ」
法王は、受領書の上へ指を置いた。
「肩部補修部品は届いた。受領された。次に必要なものがあれば、また送る。ただし、言葉は送るな」
「それが、御沙汰でございますか」
「そうじゃ」
法王は静かに頷いた。
「修理せよ。考えよ。戻るな。まだ見よ。まだ悩め。己の戒律と、己の正義と、己の国を、あのカステポーで測れ」
官吏たちは、ようやく理解した。
これは放置ではない。
処罰の先送りでもない。
法王は、ミューズ・レイバックに国を与えているのだ。
たった一機のS.S.I.。
たった一人のファティマ。
そして、カステポーという無国家地帯。
そこを、あの若い枢機卿の王国にしている。
言葉を与えないことが、言葉だった。
「……承知いたしました」
官吏たちは深く頭を下げる。
法王は、窓の外を見た。
ルナモアの空は、静かだった。
カステポーの荒れた空とは違う。
ドラゴンの影も、壊し屋の噂も、地下酒場の騎士たちも、ここにはいない。
だが、その遠い土地で、一人の若者が悩んでいる。
それを想像して、法王は小さく笑った。
「悩め、ミューズ」
その声は、誰にも届かないほど小さかった。
「王とは、悩む者のことじゃ」