放置できない
/*/ ノーキィ市 市街外縁 黒騎士のドーリー前 /*/
トローラ・ロージンは、間に合わないことを知っていた。
デコース・ワイズメル。
自称、狂乱の貴公子。
その男がノーキィ市で二代目黒騎士ロードス・ドラグーン侯と斬り合い、勝つ。
そこまでは知っていた。
だから、トローラが本当に急いでいたのは、決闘そのものではない。
その後だった。
主を失ったファティマ。
エスト。
彼女を放置すれば、どうなるか。
主を失ったファティマに、人権などない。
保護者も、所有者も、登録上のマスターもない状態で見つかれば、どこの誰に回収されるか分からない。
高名なファティマであればなおさらだ。
善意の保護。
強制接収。
売買。
奪取。
どれも紙一重だった。
「……先にこっちだ」
トローラは市街の騒ぎを抜け、黒騎士のドーリーを探した。
やがて、市街外縁の保管区画に、黒いドーリーを見つけた。
重い沈黙。
主を待つように閉じたハッチ。
その中に、エストがいる。
トローラは通信口へ手を当てた。
「エスト」
返事はない。
もう一度、呼ぶ。
「エスト、覚えてるか? 俺だ。トローラだ」
数秒の沈黙。
やがて、ドーリーの内部通信が開いた。
「……はい」
声は静かだった。
あまりにも静かだった。
「コーラス城で、お会いしましたね」
「ああ」
トローラは息を吐いた。
「ロードス侯が亡くなった」
通信の向こうで、空気が止まった気がした。
だが、エストの声は大きく乱れなかった。
「……確認できません」
「そうだな。俺の言葉だけで信じろとは言わない」
トローラは端末を取り出した。
「街の霊安室に遺体が運ばれている。顔、剣、記録、死亡確認。必要なら映像を取って送る」
少しの沈黙。
「……まず、データを頂けますか」
「ああ」
トローラは霊安室へ走り、必要最低限の確認映像を取得した。
余計なものは撮らない。
晒すためではない。
エストが、己のマスターの死を確認するためだけの映像だった。
映像データを送る。
長い沈黙。
実際には数十秒だったかもしれない。
だが、トローラにはひどく長く感じられた。
「……確認しました」
エストの声が戻った。
「案内をお願いしても、よろしいでしょうか」
「……うん」
トローラは短く答えた。
「街の霊安室まで案内する」
/*/ ノーキィ市 市立霊安室 /*/
霊安室は、白かった。
壁も、床も、照明も。
だが、その白さは清潔というより、終わったものを静かに置くための冷たさだった。
ロードス・ドラグーン侯は、そこにいた。
二代目黒騎士。
戦って、敗れて、死んだ騎士。
エストは棺台の前まで歩いた。
足音は小さい。
揺れもない。
美しいほど正確な歩き方だった。
トローラは少し離れて立った。
何も言わなかった。
言えることがなかった。
エストは、ロードス侯の顔を見た。
手を伸ばす。
触れる寸前で止まる。
その瞬間、彼女のヘッドコンデンサが淡く明滅した。
一度。
二度。
そして、不規則に光が揺れた。
ファティマとマスターをつないでいた線が、途切れていく。
目に見えるはずのない別れが、ヘッドコンデンサの明滅として現れていた。
「……マスター登録、消失しました」
エストが言った。
報告のように。
儀式のように。
死を受け入れるための、最後の確認のように。
トローラは、ゆっくり口を開いた。
「エスト」
「はい」
「お前を保護する。仮マスター登録をさせてくれ」
エストは振り向いた。
その顔は静かだった。
静かすぎて、痛かった。
「トローラ様が、私を?」
「ああ。仮だ」
トローラは言った。
「お前を奪うつもりはねぇ。次を縛るつもりもねぇ。けど、このまま登録なしで街へ出したら危ない。主を失ったファティマに、世間は優しくねぇからな」
「……承知しました」
エストは、わずかに頭を下げた。
「お願いいたします」
トローラは苦笑した。
「重いな」
それでも、やるしかない。
彼はエストへ近づいた。
エストは静かに身を低くし、ヘッドコンデンサを差し出す。
トローラは一瞬だけ迷った。
ファティマのヘッドコンデンサに触れる。
それは、ただの接触ではない。
仮であっても、彼女の命令系統に自分の名を刻む行為だ。
「……悪いな、ロードス侯」
トローラは小さく呟いた。
「あんたのファティマを奪うんじゃねぇ。守るために、少しだけ預かる」
返事はない。
死者は答えない。
それでも、言わずにはいられなかった。
トローラは指先で、エストのヘッドコンデンサに触れた。
淡い光が灯る。
一瞬、細い線が結ばれる感覚があった。
命令ではない。
所有でもない。
だが、確かに仮の登録が通った。
エストのヘッドコンデンサが、短く明滅する。
「仮マスター登録、成立しました」
エストが静かに言った。
それから、少しだけ間を置いて続ける。
「以後、トローラ様の保護下に入ります」
「それでいい」
トローラは大きく息を吐いた。
これで、最低限守れる。
主を失ったファティマとして奪われる危険は、少なくとも今この場では防げる。
だが、これで終わりではなかった。
トローラはロードス侯の遺体を見下ろした。
「……で、こっちも置いていけねぇ」
エストが静かに顔を上げる。
「ロードス様を、ですか」
「ああ」
トローラは頭をかいた。
「墓なんていらない。剣で敗れたら、そこが墓場よ……とか言いそうだけどな」
それは、あくまで想像だった。
ロードス侯本人が本当にそう言ったわけではない。
だが、黒騎士という存在には、そういう乾いた格好よさが似合いすぎる。
それでも、現実は別だった。
「でも著名人なんで、国元に遺体を返還しないとな」
トローラは霊安室の係員を呼んだ。
「死亡確認書、遺体搬送許可、遺品目録。出せるものを全部出してくれ」
係員は顔をこわばらせた。
「すぐには……」
「すぐだ。ロードス・ドラグーン侯だぞ。黒騎士の遺体を、この街の霊安室に置きっぱなしにしてどうする」
「しかし、手続きが」
「なら手続きを急がせろ。揉めるなら、後でナイトギルド経由で責任者に話を通す」
トローラの口調は荒い。
だが、言っていることは間違っていなかった。
係員は慌てて奥へ走った。
しばらくして、搬送用の棺が運び込まれた。
簡素だが、密閉と保存処置が可能なものだった。
トローラは、ロードス侯の剣と遺品を確認した。
黒騎士としての証明。
ドーリー登録。
死亡確認記録。
遺体搬送書類。
不足はある。
だが、今この場で整えられるものは整える。
エストは、黙ってそれを見ていた。
「エスト」
「はい」
「ロードス侯の剣と遺品は、お前が確認してくれ。俺が勝手に触るより、その方が筋が通る」
「承知しました」
エストは、静かに一つずつ確認した。
剣。
装飾。
身分記録。
黒騎士の紋章。
主の死を受け入れたファティマが、主の遺品を確認する。
その作業は、あまりに静かで、あまりに痛かった。
トローラは横で黙っていた。
軽口は出なかった。
やがて、ロードス侯の遺体は搬送用の棺に収められた。
係員が封印処理を行う。
トローラは書類に目を通し、最低限の署名をした。
「ヴァキ市まで運ぶ。そこからナイトギルド経由で、国元への返還手続きを取る」
「よろしいのですか」
エストが問う。
「よろしいも何も、やるしかねぇだろ」
トローラは肩をすくめた。
「俺は葬儀屋じゃねぇけど、見つけちまった以上、放ってはおけねぇ」
エストは、ほんのわずかに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼は後だ。まだ運び出してねぇ」
トローラは天井を仰いだ。
エスト。
ロードス侯の遺体。
黒騎士のドーリー。
黒騎士関連のMHと記録。
そして、デコーズの行方。
全部が重い。
「あー……」
トローラは低く呻いた。
「またデコースを見失う」
エストが、少しだけ首を傾けた。
「デコース様……?」
「ああ。狂乱の貴公子、デコース・ワイズメル。俺はあいつを探して、カステポー中をずっと追ってたんだ」
「その方が、ロードス様と」
「そうだ。斬り合って、勝って、もうどこかへ消えた」
トローラは苦く笑った。
「ようやく足跡を掴んだと思ったら、今度は黒騎士の後始末だ」
「申し訳ありません」
「お前が謝ることじゃねぇ」
トローラは即座に言った。
「悪いのは、斬り合って勝手にどっか行った狂乱の貴公子だ」
エストは答えなかった。
トローラもそれ以上は言わなかった。
デコーズは、もうこの街にはいない。
追うなら今すぐ追いたい。
だが、エストをこのまま置いていくわけにはいかない。
ロードス侯の遺体も、黒騎士のドーリーも回収しなければならない。
どちらを優先するかなど、考えるまでもなかった。
「行くぞ、エスト」
「はい、トローラ様」
「まずドーリーを回収する。それからヴァキ市へ戻る。ロードス侯の遺体は国元へ返す。お前と黒騎士のドーリーは、ジョルジュか、ヒッター子爵か、ナイトギルドへ通す」
「承知しました」
「戦うなよ」
「はい」
トローラは、もう一度ロードス侯の棺へ頭を下げた。
深い礼ではない。
だが、騎士としての礼だった。
「ロードス侯。あんたの遺体、国元へ返す。黒騎士とドーリー、エストも預かる。全部、奪うんじゃねぇ。守るためだ」
返事はない。
けれど、トローラはそれで十分だった。
/*/ ノーキィ市 黒騎士ドーリー保管区画 /*/
黒騎士のドーリーは、まだ保管区画にあった。
市の係員は、トローラとエストを見るなり顔を強張らせた。
「そ、そのドーリーはロードス侯の――」
「だから動かす」
トローラは言った。
「ロードス侯は亡くなった。エストは俺の仮登録下にある。遺体搬送書類も取った。主を失ったファティマと黒騎士のドーリーを、この街に放置する気か?」
係員は言葉に詰まった。
面倒なことになっているのは、誰の目にも明らかだった。
トローラは押し切った。
「揉めるなら、後でナイトギルドと話せ。今は動かす。狙われる前にな」
「……承知しました」
係員は折れた。
黒騎士のドーリーが起動準備に入る。
エストは内部へ戻り、必要な確認を進める。
ロードス侯の棺も、ドーリーへ移された。
トローラのドーリーが先導に回る。
ワイマールSR2を積んだドーリー。
その後ろに、黒騎士のドーリー。ロードス侯の棺を積んでいる。
妙な隊列だった。
追っていた男は消えた。
代わりに、死者とファティマと黒騎士の遺産を拾うことになった。
シューシャが通信で告げる。
「マスター。西回りの旧補給路が最も目立ちません」
「採用」
「追跡反応はありません」
「今のところ、だろ」
「はい」
「なら急ぐ」
トローラは操縦桿を握った。
ノーキィ市の明かりが背後に流れていく。
ロードス侯は死んだ。
デコーズは去った。
エストは仮登録で保護した。
ロードス侯の遺体は回収した。
黒騎士のドーリーも回収した。
やることは増えた。
デコースの足跡は、また遠ざかった。
「あー、くそ」
トローラは低くぼやいた。
「デコース探しが、また振り出しだ」
シューシャが静かに答える。
「ですが、エスト様を放置することはできませんでした。ロードス侯の御遺体も同様です」
「分かってる」
トローラは息を吐いた。
「死んだ奴は戻せねぇ。でも、生きてる奴は連れていける。死んだ奴は、帰すところへ帰す」
「はい、マスター」
黒騎士のドーリーと、ロードス侯の棺を伴い、トローラ・ロージンはヴァキ市へ向かった。
悪党で負け犬の騎士は、また一つ、死の後に残されたものを拾った。