/*/ ヴァキ市 レスター騎士スクール 仮設訓練場 夕刻 /*/
木剣の音が、乾いた訓練場に響いていた。
若い騎士たちが、何度も打ち込みを繰り返す。
踏み込み。
戻り足。
構え直し。
呼吸。
レスター騎士スクールで教えられるのは、派手な剣技ではなかった。
まず立つ。
崩れない。
力を出す前に、力を止める。
斬る前に、退く場所を見る。
そして、ファティマを隣に置いた時、自分の呼吸だけで勝手に走らないこと。
ヨーン・バインツェルは、その中でも目立っていた。
まだ少年だ。
身体も、心も、騎士としては危うい。
だが、覚えが速い。
一度言われたことを、次の動きで直す。
二度目には、もう癖になりかけている。
三度目には、他の訓練生がまだ考えていることを、身体で処理し始める。
トローラ・ロージンは、壁際に寄りかかってそれを見ていた。
「なあ、ミハイル」
横で杖をついていたミハイル・レスターが、顔だけ向ける。
「何だ」
「あいつ、覚えが速すぎねぇか」
「騎士に覚醒したばかりの少年としては、かなり速いな」
「てかさ」
トローラは顎で訓練場の奥を示した。
「バーシャに気に入られて、色々仕込まれてないか?」
レスターは視線を移した。
バーシャが、ヨーンの斜め後ろに立っている。
前に出すぎない。
命じすぎない。
だが、必要な瞬間にだけ、静かに声を置く。
「ヨーン様。今の踏み込みは速いですが、肩が先に動いています」
「肩?」
「はい。剣より肩が語っています」
「……剣より肩が語るって何だよ」
「相手に、これから打つと教えています」
「それは駄目だな」
「はい。もう一度」
ヨーンは文句を言いながらも、すぐ構え直した。
次の踏み込みでは、肩の上がりが消えている。
レスターが小さく息を吐いた。
「確かに、あれは効いているな」
「だろ」
「バーシャは教え方が上手い」
「本当に上手いな」
トローラは少しだけ苦い顔をした。
「騎士の身体の使い方を、ファティマ側から見て言語化してる。あんなの、普通の教官じゃできねぇ」
「参考になる」
「お前もかよ」
「当然だ。こちらは教える側だ。使えるものは使う」
「真面目だねぇ」
「前線を降りた中年騎士は、真面目でないと食えん」
トローラは鼻で笑った。
だが、すぐに表情を戻した。
視線はまたヨーンへ行く。
ヨーンはバーシャの助言を聞き、木剣を握り直している。
少し前まで、街で人買いに捕まりかけていた少年。
バーシャを守ろうとして、一般人を殺しかけた少年。
今は、力を出す前に止める稽古をしている。
そのことに、トローラは妙な胸騒ぎを覚えていた。
レスターが横目で見る。
「それより、お前はいつまでいるんだ」
「何だよ。邪魔か?」
「邪魔ではない。だが、デコースを探しているんじゃなかったのか」
「探してるよ」
「なら、なぜ毎日ここに来る」
トローラは少し黙った。
自分でも、言葉にしづらかった。
「……なんか、ヨーンを見てると胸がどきどきしてな」
レスターが一瞬、無表情になった。
「妙な趣味に目覚めたのか?」
「だったら楽だったんだがな」
「違うのか」
「違うわ」
トローラは渋い顔をした。
「あいつ、危なすぎて見てられねぇんだよ」
レスターは黙った。
トローラは続ける。
「力はある。覚えも速い。バーシャの言うことも聞く。けど、真っ直ぐすぎる。怒ったら、そのまま相手を殺しに行く。守りたいと思ったら、たぶん自分の命も立場も投げる」
「田舎で騎士に覚醒して、両親に迷惑をかけるからと家出してきたような奴だからな」
レスターは静かに言った。
「ある意味で、純真すぎる」
「それだよ、それ!」
トローラは指を鳴らした。
「純真で真っ直ぐすぎるんだよ。カステポーでそんな奴、真っ先に食われるか、食う側に回るかのどっちかだ」
「だから見ているのか」
「見てねぇと、変な方向に飛んでいきそうでな」
「お前が保護者気取りとはな」
「やめろ。気持ち悪い」
「事実だろう」
「事実で殴るな」
訓練場では、ヨーンがまた踏み込んだ。
今度は、かなり綺麗だった。
バーシャが頷く。
「良好です。今の動きなら、ファティマ側も追えます」
ヨーンの顔が、ほんの少し明るくなる。
「本当か」
「はい」
「じゃあ、もう一回」
「はい。ただし、同じ動きを急いで繰り返さないでください。成功した時ほど、崩れます」
「分かった」
トローラはそのやり取りを見て、少し目を細めた。
「……それにしても、バーシャの教え方、本当に上手いな」
「そうだな」
「お前が参考にしてるってのも分かる」
「ファティマが騎士を見る視点は、教官にとって貴重だ。特にバーシャは、反応が鈍いわけではない。むしろ、妙に深い」
「そりゃそうだ」
トローラは小さく言った。
「本来、こんなところにいるファティマじゃねぇからな」
レスターは、あえて何も言わなかった。
聞く必要がないこともある。
カステポーで生きるには、知らないふりも技術の一つだ。
ただ、訓練場の奥でヨーンを見ているバーシャの横顔を、レスターもまた静かに見ていた。
「だが、今はここにいる」
「ああ」
「なら、ここでできることをするだけだ」
「真面目だな、お前」
「前線を降りた中年騎士だからな」
「それ、便利な言葉になってきたな」
「お前の悪党よりはましだ」
トローラは笑った。
訓練場では、ヨーンがまた構える。
バーシャがその横で、ほんの少しだけ位置を直す。
少年の騎士性が、少しずつ形を取り始めていた。
危うい。
純真すぎる。
真っ直ぐすぎる。
だからこそ、誰かが見ていなければならない。
トローラは壁にもたれたまま、ぼそりと呟いた。
「……あいつ、ちゃんと騎士になれるといいな」
レスターはそれを聞いて、少しだけ笑った。
「なれるさ」
「根拠は」
「今、悪党が心配している」
「それは根拠になるのか?」
「なる」
レスターは杖をつき、訓練場の中央へ歩き出した。
「お前が心配するほど危ういなら、まだ間に合う」
トローラは返事をしなかった。
ただ、ヨーンとバーシャを見ていた。
カステポーの古い倉庫の中で、未来のどこかへつながる稽古が続いていた。