/*/ 騎士公社ストア 二階 ファティマ用品フロア /*/
ブーツを選び、仮カードの口座紐づけを終え、簡易医療キットを籠に入れたところで、トローラ・ロージンは唐突に言った。
「次は、お楽しみのファティマの下着やスーツだ」
ヨーン・バインツェルは、露骨に顔を引きつらせた。
「……僕はいいよ。バーシャが見てきて」
バーシャは静かに立っていた。
表情は変わらない。
だが、ヨーンの方が勝手に気まずくなった。
「そういうのは、本人が選べばいいだろ」
「残念」
トローラは、何でもないことのように言った。
「ファティマは、騎士が決定してやらないと自分じゃ何も買えない」
ヨーンは足を止めた。
「……え?」
「そういう風にコントロールされている」
トローラは二階フロアを顎で示した。
そこには、ファティマ用の下着、インナー、保温ケープ、スーツ、調整用の小物、外出用の偽装アクセサリまで並んでいた。
色も形も多い。
質もいい。
だが、それらは、ファティマ本人が自由に買うための売り場ではなかった。
横に必ず、騎士用の決済端末がある。
購入者確認。
登録線確認。
用途分類。
管理者承認。
ヨーンは、その表示を見て、ようやく意味を理解し始めた。
「自分の服なのに?」
「そうだ」
「下着も?」
「下着も」
「そんなの、おかしいだろ」
「おかしいよ」
トローラはあっさり言った。
「でも、おかしいまま回ってる。だから、騎士がついてないロスト・ファティマは、みんなボロボロになってるだろ?」
ヨーンは黙った。
街で時折見かけた、はぐれたファティマたちの姿が頭をよぎる。
綺麗なはずなのに、どこか傷んでいる。
服が古い。
靴が合っていない。
目を伏せ、道の端を歩き、人間の視線を避けている。
あれは、単に金がないからではなかった。
買えないのだ。
選べないのだ。
制度の上で、そう作られている。
「一応な」
トローラは棚の一角に並ぶファティマ・スーツを見た。
「主が死んだ時のために、ファティマ・スーツには宝石が付いてる。売れば当座の資金にできるようにな」
「じゃあ、それで」
「それを狙って、一般ゴロツキに狩られる場合も多い」
ヨーンの顔が強張った。
「狩られる?」
「主人のいないファティマは、人間に抵抗しちゃいけないからな」
「そんなの!」
ヨーンの声が大きくなった。
近くにいた騎士がちらりと見る。
バーシャが、そっと視線を下げた。
トローラはヨーンの肩を軽く叩いた。
「だから、お前は色々覚えなきゃいけない」
ヨーンは歯を食いしばる。
「……」
「目の前で困ってるファティマがいたら、助けたいんだろ」
少しの沈黙。
ヨーンは、小さく頷いた。
「……うん」
「なら、怒るだけじゃ足りねぇ。制度を知らないと、助け方を間違える」
トローラは棚から、包装されたインナーを一つ取った。
「で、下着とかインナーだが」
ヨーンはまた少し身構えた。
「ファティマは、俺たちが普通に着てる化繊にアレルギーがある」
「化繊?」
「ああ。人間用の安い下着を着せると、肌がやられる。お前が“着て”と言えば、ファティマは着る。嫌でも着る。だが、皮膚が爛れて酷いことになる」
ヨーンの顔から血の気が引いた。
バーシャは静かに言う。
「ヨーン様。ファティマは、命令を拒否できない場合があります。特に、着衣や装備の指示は、健康被害より命令遵守が優先されることがあります」
「そんな……」
「だから、騎士が知らなければなりません」
バーシャの声は穏やかだった。
だが、その穏やかさが、逆に重かった。
トローラは頷いた。
「そういうことだ。シルクとか綿とか、肌に合うインナーを買ってやる。一般事務なら、その上は事務服でいい。スクールの受付や書類仕事ならな」
トローラは、さらに奥のスーツ区画を指した。
「だが、戦闘やMHに乗せるなら、デカダン・スタイルのスーツがいる」
そこには、明らかに値段の桁が違う衣装が並んでいた。
機能服。
儀礼服。
戦闘対応スーツ。
搭乗補助用スーツ。
素材も縫製も、普通の服とは違う。
ヨーンは値札を見て固まった。
「……うわぁ、高い」
「高い」
トローラは即答した。
「でも必要だ」
「こんなの、普通の騎士候補が買えるのか?」
「買えない奴もいる。だから中古もある」
トローラは中古品の区画へ歩いた。
整備済み。
再調整済み。
前所有者情報削除済み。
用途ごとに分けられたデカダン・スタイルのスーツが並んでいる。
ヨーンは少し抵抗を覚えた。
「中古でいいの」
「状態が良ければな。ファティマの体型は、星団法で三種類に決まってる。人間みたいに細かい個体差で悩まなくていい」
トローラはバーシャを見た。
「バーシャならSサイズで合う」
バーシャが頷く。
「はい。S規格です」
「試着は?」
「基本的には不要です」
バーシャが答えた。
「ただし、用途に応じて調整箇所の確認は必要です。長時間の座位、事務作業、移動、戦闘待機、MH搭乗では負荷点が違います」
ヨーンは目を丸くした。
「そんなに違うのか」
「違います」
シューシャが横から、いくつかの商品を選び始めた。
「バーシャ様には、まず綿系の普段用インナーを二組。シルク混の長時間着用用を一組。事務補助用の簡易服を一着。戦闘搭乗用は、現時点では中古のデカダン・スタイルで十分かと」
「シューシャ、選ぶの早いな」
トローラが言うと、シューシャは淡々と答えた。
「マスターが雑に選ぶと、価格と耐久だけで判断しますので」
「信用がねぇ」
「あります。ただし、衣料選択は私の方が適任です」
「それはそう」
ヨーンは、棚の前で立ち尽くしていた。
下着。
インナー。
スーツ。
値段。
素材。
アレルギー。
登録線。
購入権限。
ファティマを守るという言葉の中に、こんなにも多くの知らないことが詰まっているとは思わなかった。
「僕は……何も知らなかった」
ヨーンが呟く。
トローラは、珍しく茶化さなかった。
「知らなかったなら、今覚えろ」
「うん」
「バーシャに聞け。シューシャにも聞け。レスターにも聞け。分からないまま命令するな」
「うん」
「それと」
トローラは、声を少し低くした。
「女物の下着を買うのに気まずいのは分かる。俺だって最初は面倒だった」
ヨーンは少し顔を赤くした。
「……うん」
「だが、特にバーシャはストアの中でも一人にするな」
ヨーンは顔を上げた。
「ストアの中でも?」
「ああ」
トローラは、広いファティマ用品フロアを見渡した。
明るい照明。
整った棚。
騎士公社の係員。
正規の決済端末。
一見、安全に見える。
だが、トローラの目は別のものを見ていた。
「こういう店にも、ファティマのブローカーは入り込んでる」
ヨーンの表情が変わった。
「ブローカー……」
「店員じゃない。客のふりをする。整備士のふりをする。騎士の従者のふりをする。ファティマ用品を見てる管理の甘い主従を探してる」
ヨーンは思わずバーシャを見た。
バーシャは静かに目を伏せている。
「一人にすると、どうなる」
「分かってない管理の甘いマスターの所有物だと思われる」
トローラは言った。
「あるいは、ロスト・ファティマだとな。声をかける。手続きを装う。試着や調整の奥へ誘導する。気がついたら、別の出口から連れ出されてる」
「そんな……ここ、騎士公社のストアだろ」
「だからこそだ」
トローラは答えた。
「騎士とファティマが山ほどいる。出入りも多い。大きすぎて、死角も多い。正規の場所ほど、正規っぽい顔をした悪党が紛れ込む」
ヨーンは、拳を握った。
「どうして、トローラはそんなに詳しいの?」
トローラは、少しだけ口の端を上げた。
「悪党なんだから、同業者のやり口は知ってるに決まってるだろ」
ヨーンは何も言えなかった。
悪党。
トローラは自分をそう呼ぶ。
だが、その悪党の知識が、バーシャを守るために使われている。
「じゃあ、僕は」
「隣にいろ」
トローラは言った。
「見張るんじゃない。所有者面するんでもない。ただ、隣にいろ。バーシャが商品を見る時は、一緒に見る。支払いの時は、購買線を確認する。係員に案内される時は、シューシャか俺に声をかける。絶対に一人で奥へ行かせるな」
「分かった」
「本当に分かったか?」
「分かった」
ヨーンはバーシャを見た。
「バーシャ。僕、隣にいる」
バーシャは、少しだけ目を上げた。
「ありがとうございます、ヨーン様」
「守るためじゃない」
ヨーンは、言葉を探した。
「いや、守るためだけど……勝手に決めるんじゃなくて。隣にいる」
バーシャは、ほんのわずかに柔らかい表情を見せた。
「はい」
トローラはそれを見て、満足そうに鼻を鳴らした。
「よし。じゃあ選べ」
ヨーンは、バーシャを見た。
「バーシャ」
「はい」
「どれがいい?」
バーシャは少しだけ目を伏せた。
「ヨーン様が選んでくださるなら、どれでも」
「そうじゃなくて」
ヨーンは首を振った。
「どれが、君に合う?」
バーシャは、ほんのわずかに間を置いた。
それから、一つの棚を示した。
「普段用であれば、こちらの綿素材が良いです。長時間でも皮膚負担が少ないと思われます」
「じゃあ、それ」
「戦闘搭乗用は、こちらの中古スーツが状態良好です。ただし、肩部の調整が必要です」
「それも」
「価格が高いです」
「……高いけど、必要なんだろ」
バーシャは静かに頷いた。
「はい」
ヨーンは仮カードを握った。
手が少し震えている。
トローラが横から言う。
「今回はスクール購買線で払う。お前が全部背負うな」
「でも」
「でもじゃねぇ。覚える日だ。払う日じゃない」
シューシャが端末に商品を登録する。
「スクール管理分として処理します。ヨーン様には購入記録を閲覧できるようにしておきます」
「見るだけ?」
「はい。まずは何が必要で、いくらかかるかを知ることが重要です」
ヨーンは頷いた。
自分が何も知らないことを、また一つ知った。
それは悔しい。
でも、知らないままよりはいい。
バーシャが静かに言った。
「ありがとうございます、ヨーン様」
「僕は、まだ何もしてない」
「選ぼうとしてくださいました」
その言葉に、ヨーンは少しだけ顔を赤くした。
トローラは広いファティマ用品フロアを見回した。
「よし。必要なものは一通り押さえたな。次は会計だ。バーシャ、一人で列に並ぶなよ」
「はい、トローラ様」
「ヨーン」
「分かってる。隣にいる」
「よし」
この日、ヨーン・バインツェルは、剣ではなく、下着とスーツの棚の前で、騎士として必要なことを一つ覚えた。
怒るだけでは足りない。
殺すだけでは守れない。
知らなければ、善意でも傷つける。
そして、守りたい相手を一人にしないことと、所有物扱いしないことは、同時に成立させなければならないのだ。