/*/ ヴァキ市 レスター騎士スクール 裏手の作業室 /*/
バーシャは、古いデカダン・スーツを膝の上に広げていた。
かつては美しかったのだろう。
だが今は、あちこちが擦り切れ、接合部は歪み、表面の艶も失われている。
スカート部分の装甲も、端が割れていた。
ヨーン・バインツェルは、作業台の向こうからそれを見ていた。
「それ、捨てるの?」
「はい。通常のスーツとしては、もう使えません」
バーシャは淡々と言った。
「ですが、装甲材はまだ残っています」
細い工具が、装甲板の縁へ入る。
音もなく、バーシャはスカート部分の装甲材を剥がしていく。
布地は傷んでいる。
縫い目も死んでいる。
だが、装甲材はまだ生きていた。
「何に使うの?」
「ヨーンさんの手袋です」
「僕の?」
「はい」
ヨーンは目を丸くした。
バーシャは剥がした装甲材を小さく切り、手袋の甲と指の節に当てていく。
騎士用の訓練手袋。
まだ高価な正式装備ではない。
だが、バーシャが補強を加えると、少しだけ違って見えた。
ただの手袋ではない。
バーシャのデカダン・スーツの一部が、ヨーンの手を守る形へ変わっていく。
しばらくして、バーシャは手袋を差し出した。
「試してください」
ヨーンは、そっと受け取った。
はめる。
少し硬い。
でも、手に馴染む。
指を曲げる。
装甲材が邪魔にならない。
手刀を作ると、甲の部分がぴたりと守られる。
「……すごい」
「動かしづらいところはありますか」
「ない」
「手首は」
「大丈夫」
「では、使えます」
ヨーンは手袋を見つめた。
それから、顔を上げる。
「バーシャとお揃いだ」
思わず笑みがこぼれた。
「へへっ」
バーシャは、一瞬だけ目を伏せた。
それは、照れたようにも見えた。
「よかった」
「何が?」
「私のスカートが役に立って」
ヨーンの笑みが少し止まる。
バーシャは、作業台に残った古いスーツを見た。
「このスーツは損傷が酷くて、もう装甲材くらいしか使い道がありませんので」
「そんな言い方しなくても」
「事実です」
バーシャは静かに言った。
「ですが、使い道が残っているなら、よいことです」
ヨーンは手袋を握った。
バーシャのスーツの一部。
傷んで、壊れて、捨てられるはずだったもの。
それが、今は自分の手を守っている。
「大事にする」
「はい」
バーシャは頷いた。
「ですが、飾るためではありません。使ってください」
「うん」
「ヨーンさん」
バーシャの声が、少し変わった。
訓練場で技を教える時の声だった。
「騎士とファティマにとって、一番大切なことは何でしょうか」
ヨーンは手袋を見ながら考えた。
バーシャと一緒に買い物へ行った。
広場で助けた。
逃げた。
怒った。
止められた。
信じること。
隣にいること。
そういう言葉が浮かぶ。
「……信頼かなぁ」
少し照れながら答えた。
バーシャは、即座に首を横へ振った。
「違います」
「え」
「MHで戦うことです」
ヨーンは固まった。
バーシャは、まっすぐ彼を見る。
「MHを駆る者こそが、騎士と呼ばれるのです」
作業室が静かになった。
ヨーンは、自分の手袋を見た。
まだ、自分はMHに乗ったことがない。
騎士の力はある。
手刀も習っている。
真空剣も、仁王剣も、ソニック・ブレードの理屈も聞いた。
だが、バーシャの言う騎士は、その先にいる。
MHを駆る者。
ファティマと共に戦場に立つ者。
ただ守りたいだけでは足りない。
ただ信頼したいだけでも足りない。
騎士とファティマは、戦うための組なのだ。
「でも……」
ヨーンは口を開いた。
「僕は、まだ」
「はい。まだです」
バーシャは静かに言った。
「だから、訓練します」
「僕が、MHに乗るために?」
「はい」
「バーシャと?」
バーシャは、少しだけ黙った。
その沈黙には、何かがあった。
言えない言葉。
呼べない言葉。
出てこないはずの言葉。
それでも、彼女は答えた。
「いつか、ヨーンさんが相応しい騎士になった時」
「その時?」
「ファティマは、騎士の隣に立ちます」
ヨーンは、手袋を胸の前で握った。
「僕、なる」
声は小さかった。
だが、迷いはなかった。
「MHに乗れる騎士になる」
バーシャは頷いた。
「はい」
「バーシャが教えてくれる?」
「私にできる範囲で」
「レスター先生も、トローラも?」
「はい」
ヨーンは少し笑った。
「トローラは、どうせまた悪党のやり方だって言う」
「その可能性は高いです」
「でも、教えてくれる」
「はい」
バーシャは、ヨーンの手袋の指先をそっと直した。
「その手は、まだ小さいです」
「うん」
「ですが、騎士の手になります」
ヨーンは顔を上げた。
「本当に?」
「はい」
「僕、早く大きくなりたい」
「急ぎすぎると、崩れます」
「分かってる」
「よく食べて、よく眠り、よく学んでください」
「バーシャまでそれ言う」
「必要ですので」
ヨーンは笑った。
さっきまで古いスーツの残骸だった装甲材が、今は自分の手にある。
バーシャの傷んだ過去の一部が、自分の未来の訓練具になっている。
それが嬉しかった。
少し悲しかった。
そして、とても重かった。
「バーシャ」
「はい」
「この手袋で、ちゃんと強くなる」
「はい」
「いつか、MHに乗る」
「はい」
「その時、僕は……」
言いかけて、ヨーンは止まった。
マスター。
その言葉は、自分が勝手に言っていいものではない。
バーシャもまだ、その言葉を誰にも向けられない。
だから、ヨーンは別の言葉を選んだ。
「その時、隣に立てる騎士になる」
バーシャは、ほんの少しだけ目を細めた。
「お待ちしています」
作業室の外から、トローラの声がした。
「おーい、ヨーン。飯だ。育ちたいなら食え」
ヨーンは慌てて手袋を外そうとした。
バーシャが止める。
「そのままで」
「え?」
「トローラ様に見せてください」
ヨーンは少し照れた。
だが、手袋をはめたまま立ち上がった。
古いデカダン・スーツの装甲から作られた手袋。
バーシャとお揃いの、最初の騎士装備。
ヨーンは扉へ向かう。
その背中を、バーシャは静かに見送った。
壊れたファティマ・バーシャ。
その奥で眠る何かは、まだ目覚めない。
だが、少年が騎士になる道を、確かに見ていた。