/*/ カステポー ヴァキ市 ホテル上層階 夜 /*/
夜のヴァキ市は、昼よりも騒がしい。
酒場の灯り。
ドーリー置き場の誘導灯。
ナイトギルドの出入り。
騎士たちの笑い声。
その騒がしさを、分厚い窓ガラス越しに聞きながら、デコース・ワイズメルはホテルの一室で酒瓶を傾けていた。
部屋は上等だった。
広い寝台。
濃い絨毯。
壁には安っぽくない絵。
バッハトマの手配した宿だ。
雇われた以上、待遇は悪くない。
もっとも、デコース本人は、寝床の質などどうでもよかった。
昼間、面白いものを拾った。
黒騎士。
エスト。
そして、腕一本で生き残ったガキ。
それだけで、今夜の酒は十分うまい。
扉が鳴った。
軽いノック。
デコースは、酒瓶を持ったまま顔を向けた。
「開いてるよぉ」
扉が開く。
入ってきたのは、トローラ・ロージンだった。
昼間と同じ外套。
目つきは悪い。
だが、殺気はない。
片手には封筒と書類束を持っている。
デコースはにやりと笑った。
「なんの用だい。昼間の敵討ち……じゃないみたいだけど」
「敵討ちなら、もっと人目のない場所を選ぶさ」
「怖いねぇ」
「お前が言うな」
トローラは部屋へ入り、扉を閉めた。
それから、室内を見回す。
調度品。
酒。
窓際の荷物。
机の上のバッハトマ印の通信端末。
トローラは鼻で笑った。
「なんだぁ、お前。バッハトマに雇われたのか」
「まあねぇ」
デコースは酒瓶を揺らした。
「面白そうだったから」
「お前の面白そうは、だいたい誰かが死ぬ」
「今日はガキが生きたじゃない」
「生きたな」
トローラはあっさり頷いた。
「しかも、腕一本で首を逃がした」
「へぇ」
デコースは目を細めた。
「怒らないんだ?」
「何をだ」
「ボクちゃんが、君の拾ったガキを斬ったこと」
トローラは少し考えた。
それから、肩をすくめた。
「怒る理由がねぇ」
デコースの笑みが、少し深くなる。
「薄情だねぇ」
「違うな」
トローラは、机へ歩きながら言った。
「あいつは騎士だ。騎士になる途中のガキだ。騎士が化け物に出会って斬られる。よくある話だろ」
「左腕を落とされても?」
「首が残った」
トローラは淡々と言った。
「なら上出来だ」
デコースは、心底おかしそうに笑った。
「いいねぇ。そういう言い方、嫌いじゃないよ」
「それに」
トローラは持っていた書類束を机の上へ置いた。
「デコースのお陰で、ヨーンは“打倒黒騎士”って目標を得たからな」
デコースの視線が、書類からトローラへ移る。
「ほう」
「あいつがそこから、どんくらい強くなるか」
トローラは口の端を上げた。
「……それとも途中で腐るか」
少しだけ笑う。
「楽しみになってきたんだよ」
デコースは一瞬黙った。
それから、喉の奥で笑った。
「君、悪いねぇ」
「悪党だからな」
「拾ったガキを、そう見る?」
「見るさ」
トローラは言った。
「助けるだけなら、レスターや桜子に任せりゃいい。飯食わせて、腕くっつけて、慰めて、優しくしてやりゃいい」
「君は?」
「俺は見る」
トローラは、デコースを見た。
「左腕を落とされて、バーシャを失って、黒騎士を目標にしたガキが、そこから上へ行くのか。恨みで腐るのか。途中で折れるのか。それとも、本当にお前の首筋まで届くのか」
デコースの笑みが、さらに濃くなった。
「ワクワクしてるじゃない」
「してるよ」
トローラは否定しなかった。
「久しぶりにな」
「ひどい大人だ」
「騎士なんて、ひどい大人ばっかりだろ」
「それはそうだ」
デコースは楽しそうに酒を飲んだ。
トローラは、机の上の書類を指で叩く。
「で、本題だ」
「書類?」
「MHバッシュ・ザ・ブラックナイトと、黒騎士ドーリーと、装備品一式の預かり書だ」
デコースの笑みが、少し変わった。
「へぇ」
「ナイトギルド管轄の預かり屋に入ってる。引き出しには手続きがいる。黒騎士になったのに、機体を引き出せないと困るだろ」
デコースは書類を一枚拾い上げた。
預かり証。
ドーリー登録。
装備品リスト。
保管区画。
確認印。
ヒッター子爵の署名。
ジョルジュ経由の連絡線。
そして、トローラの仮確認印。
「気が利くねぇ」
「昔から言うだろ」
トローラは椅子に座らず、立ったまま言った。
「金がねぇのは、首がねぇのと同じって」
デコースは笑った。
「それ、今この場で言う?」
「言う。黒騎士になったって、ドーリーも整備線も金もなけりゃ首なしと同じだ。バッシュを引き出せない黒騎士なんざ、笑い話にもならねぇ」
「悪党らしい親切だねぇ」
「親切じゃねぇ。始末だ」
「始末?」
「ロードス侯の遺体は国元へ返した。エストはお前を選んだ。なら、バッシュとドーリーも次の黒騎士に引き渡す。それだけだ」
デコースは書類を眺めながら、楽しそうに目を細めた。
「君、昼間のガキの手術室にいなくていいの?」
「俺がいても邪魔だと桜子に怒鳴られた」
「あは」
「あの娘、腕はいいが口が悪い」
「君が言うんだ」
「俺より悪い」
「それはすごい」
トローラは机に置いた書類を指で叩いた。
「明日、預かり屋へ行け。ヒッター子爵にも話を通してある。バッハトマ側の保証人が必要なら、お前の雇い主を連れてこい」
「至れり尽くせりだ」
「黒騎士の機体を盗難扱いにしたくねぇだけだ」
「盗んでもいいけど?」
「やめとけ」
トローラの声が少し低くなった。
「カステポーで預かり屋を敵に回すと、騎士人生が面倒になるぞ」
デコースは声を立てて笑った。
「面倒、嫌いじゃないよねぇ」
「そういう面倒じゃねぇ。保管料、整備料、補給線、ドーリーの置き場、全部で首が回らなくなる面倒だ」
「現実的だねぇ」
「悪党は現実的なんだよ」
デコースは預かり書を机へ戻した。
そして、トローラを見た。
「ガキは追ってくるかな」
「追ってくる」
「腕をくっつけて?」
「くっつけて」
「バーシャを取り戻すために?」
「違う」
トローラは、そこで少しだけ横顔を見せた。
「バーシャにもう一度会うためにだ」
デコースは一瞬だけ黙った。
それから、満足そうに笑った。
「いいねぇ」
「笑ってろ」
「笑うよ。楽しみが増えた」
トローラは扉へ向かった。
ドアノブに手をかける。
その背中へ、デコースが言った。
「またねぇ、トローラ」
トローラは、少しだけ肩越しに返した。
「またな、デコース」
昼間と同じ言葉だった。
だが、今度は別の意味を持っていた。
次は、書類では済まないかもしれない。
だが今夜は、書類で済ませる。
黒騎士は黒騎士として、機体を受け取る。
ヨーンはヨーンとして、生き残る。
そして、いつか追ってくる。
それだけで、今は十分だった。
扉が閉まる。
部屋に残ったデコースは、預かり書をもう一度手に取った。
バッシュ・ザ・ブラックナイト。
黒騎士ドーリー。
装備品一式。
エスト。
黒騎士。
そのすべてが、自分のところへ来る。
デコースは喉の奥で笑った。
「こりゃ、ほんとにイカス」
夜のヴァキ市の灯りが、窓の外で揺れていた。