/*/ ジュノー ハグーダ=コーラス国境沿い ジャングル奥 戦闘跡 /*/
戦闘音が聞こえた。
金属が裂ける音。
枝葉を吹き飛ばす衝撃。
MHの駆動音。
そして、何かが終わった後の、嫌な静けさ。
トローラ・ロージンは、ジャングルを走っていた。
肺が焼ける。
膝が痛む。
川でシューシャを引き上げた時にぶつけた脛が、走るたびに悲鳴を上げる。
だが、止まらない。
「間に合え……!」
枝を払い、倒木を飛び越え、煙の匂いを追う。
やがて視界が開けた。
そこにいた。
コーラス三世。
その腕の中に、ぐったりとしたウリクル。
そして、その前に立つ騎士。
ユーバー公の館で、あの時、道を塞いだ男。
この道は通行止めだ、と告げた騎士。
ログナー。
トローラは一瞬だけ息を呑んだ。
だが、止まらなかった。
コーラス三世は、血を失った顔で、それでも腕の中のウリクルを離していなかった。
「すまぬが……動けぬ」
その声は、王のものだった。
だが、同時に、愛する者を失いかけた男の声だった。
「御名を、お聞かせ願いたい」
ログナーは、静かに答えようとしていた。
その瞬間。
「どけぇッ!」
トローラが飛び込んだ。
ログナーの視線が動く。
コーラス三世も顔を上げる。
トローラは二人の間に転がり込むように入り、ウリクルを見た。
細い身体。
血。
呼吸がない。
胸の動きが止まっている。
だが、まだ温かい。
まだ、完全には行っていない。
「間に合え!」
トローラは叫んだ。
「ウリクルを貸せ!」
コーラス三世の腕に力が入る。
当然だった。
誰だか分からない男が、死にかけたファティマを渡せと叫んでいる。
トローラは怒鳴った。
「心臓が止まっても、十分やそこらなら、ファティマも騎士もまだ戻せる! 死んだって決めるのはまだ早ぇ!」
コーラス三世の目が揺れた。
その一瞬を、ログナーが見た。
そして、静かに言った。
「陛下」
それだけだった。
コーラス三世は、震える腕でウリクルをトローラへ預けた。
トローラは地面へ膝をつき、応急キットを乱暴に広げた。
「戻れ……戻れよ、ウリクル!」
強心剤。
止血布。
簡易輸液。
人工呼吸用の小型器具。
胸部圧迫。
呼吸補助。
トローラの手つきは荒い。
だが、迷いがない。
悪党騎士の手ではない。
戦場で、死にかけた命を掴み戻すための手だった。
「出血はそこまででもない……! なら失血死じゃねえ。ショック性の心停止だ。まだ間に合う。まだ戻せる!」
コーラス三世は、動けなかった。
王でありながら。
騎士でありながら。
ただ、地面に膝をつき、ウリクルを見つめていた。
「戻れ!」
トローラが叫ぶ。
「戻れ! お前、ここで終わるファティマじゃねえだろ!」
反応はない。
トローラは歯を食いしばる。
もう一度。
胸部圧迫。
呼吸補助。
薬剤。
「戻れぇッ!」
次の瞬間。
ウリクルの身体が震えた。
ごふ、と血が吐き出される。
細い喉が、かすかに空気を吸った。
トローラの目が見開かれる。
「戻った!」
コーラス三世の顔が変わった。
ログナーの目も、わずかに細くなる。
ウリクルはまだ危ない。
だが、呼吸が戻った。
心臓が、弱く、しかし確かに打ち始めた。
「よし、よし、よし……! 強ぇじゃねえか!」
トローラは、今度は周囲を見た。
そこにイエッタがいた。
彼女もまた、ただ立っているだけではなかった。
戦場を見ていた。
ウリクルを見ていた。
コーラス三世を見ていた。
トローラは指差した。
「そこのファティマ!」
イエッタが顔を上げる。
「はい」
「ちょっと血を分けてくれ! 適合確認はこっちでやる! ファティマ同士なら、今はお前が一番早い!」
ログナーの声が低く落ちた。
「貴様……」
トローラは振り向きもせず叫んだ。
「通行止めの人! いいよな!」
ログナーが、しばらくトローラを見た。
そして、短く言った。
「好きにしろ」
トローラは即座に動く。
「助かる!」
ログナーはコーラス三世へ向き直った。
「コーラス陛下。いま部下を呼びます」
コーラス三世は、まだ声が出せなかった。
ただ、頷いた。
トローラはイエッタへ処置を頼みながら、ウリクルの脈を取る。
「よし、落ちるなよ……落ちるな。お前のマスター、まだ手ぇ離してねえぞ。だったら戻ってこい」
ウリクルの呼吸は浅い。
けれど、ある。
トローラは喉の奥で笑った。
「よし。勝った」
ログナーが眉を動かす。
「勝った?」
「死んでねえなら勝ちだ」
トローラは言った。
その言葉は乱暴だった。
だが、そこに嘘はなかった。
コーラス三世が、ようやく声を絞る。
「貴殿は……」
「名乗りは後だ!」
トローラは顔を上げた。
「負傷したファティマが他にもいるんだ。一緒に助けてくれ!」
ログナーの目が、わずかに鋭くなる。
「他にも?」
「川に捨てられてた。シューシャだ。呼吸は戻した。俺のキャンプで寝かせてある。まだ安定してねえ」
イエッタの表情が変わった。
コーラス三世も息を呑む。
ログナーは、すぐに判断した。
「案内しろ」
「早いな、通行止めの人!」
「二度目だ。次にそう呼んだら斬る」
「分かった、ログナー!」
「それでいい」
トローラは、ウリクルの処置をイエッタとログナーの呼んだ部下へ引き継ぎながら、立ち上がった。
足が震えた。
さっき川に飛び込み、今また戦場まで走り、心肺を戻した。
身体はもう限界に近い。
だが、顔は笑っていた。
砕けた空の下で。
一度K.O.G.に叩き落とされた騎士が。
今度は、落ちていく命を二つ掴んだ。
「まだ終わってねえぞ」
トローラはジャングルを指した。
「シューシャも連れて帰る。ウリクルも死なせねえ。今日はそういう日だ」
コーラス三世が、ウリクルの手を握ったまま、静かに言った。
「頼む」
その一言で、トローラは少しだけ目を細めた。
王の命令ではない。
男の願いだった。
トローラは歯を見せて笑った。
「任せろ」
そして、ログナーとイエッタたちを連れ、再びジャングルへ走り出した。
砲声は遠ざかっていた。
だが、戦いはまだ終わっていない。
死ぬはずだった命を、もう一度空へ引き上げるまで。