コーラス王宮の応接室には、朝から妙な緊張が漂っていた。
来客を迎えるには、いささか広すぎる部屋だった。
高い天井。
歴代国王の肖像画。
磨き抜かれた床。
窓辺に並ぶ、季節の花々。
その中央に据えられた長椅子へ、トローラ・ロージンはひどく居心地悪そうに腰を下ろしていた。
正確には、腰を下ろしているというより、いつでも逃げ出せるよう浅く座っていた。
「なあ」
トローラは、背後に立つトリオ騎士団の騎士へ声をかけた。
「本当に、俺が呼ばれたんだよな?」
「無論です」
返答した騎士の声には、隠しきれない誇らしさがあった。
「セイレイ王女殿下が、ぜひ直接お話ししたいと」
「なんで?」
「お分かりでしょう」
「分からねぇから聞いてんだよ」
騎士は、わずかに微笑んだ。
その微笑みが気に入らなかった。
トローラには、近頃あちこちで同じ顔を向けられる。
すべてを理解しています。
あなたが語りたくないことも分かっています。
そう言いたげな顔だ。
実際には何一つ分かっていない。
フロート・テンプル襲撃の際、トローラがデコースたち三人を逃がすため、最後まで残ってミラージュ騎士団の追撃を引き受けた。
そんな話が、いつの間にか星団中へ広まっていた。
トローラは逃げ遅れただけだと、何度も説明した。
だが、誰も信じなかった。
説明すればするほど、
己の功を語らない。
仲間を庇ったことを隠している。
これこそ真の騎士である。
と、妙な方向へ評価が固まっていく。
そしてコーラス王家は、その流言に最も強く食いついた者たちだった。
トローラがコーラス三世を守った過去を知るトリオ騎士団は、まるで自分たちだけが以前から彼の本質を見抜いていたかのように振る舞っている。
――我々は知っていた。
――あの白騎士は、そういう男だ。
――星団の者たちも、ようやく気づいたか。
トローラにしてみれば、迷惑以外の何物でもない。
「帰っていいか?」
「殿下がお見えになります」
「だから、その前に」
扉が開いた。
トローラは舌打ちを飲み込んだ。
セイレイ王女が入ってきた。
王女はいつも通り、隙のない装いをしていた。
まっすぐ伸びた背。
丁寧に整えられた衣装。
王族としての自信と威厳を宿した顔。
ただし、今日は何かがおかしかった。
歩き方が微妙にぎこちない。
普段なら自然に前で重ねている手を、今日は身体の脇へ下ろしている。
それどころか、肩を少し怒らせていた。
トローラは嫌な予感を覚えた。
セイレイはトローラの前まで来ると、しばらく黙って彼を見下ろした。
トローラも見返した。
妙な沈黙が続いた。
「……よ、よう」
セイレイが言った。
トローラは眉をひそめた。
「何だ、その喋り方」
セイレイの頬がわずかに引きつった。
だが、すぐに顎を上げる。
「久しぶりだな、トローラ」
「はあ」
「相変わらず……その、やっているようだな」
「何を?」
「色々だ」
「ふわっとしてんな」
セイレイはちらりと背後を見た。
トリオ騎士団の騎士たちは、真剣な顔で頷いた。
王女は再びトローラを見た。
「聞いたぜ」
「何を」
「フロート・テンプルで、ずいぶん派手に……カマしたそうじゃないか」
トローラは黙った。
室内に、重い沈黙が落ちた。
セイレイは、緊張を隠すようにさらに顎を上げた。
「三人を逃がすため、一人で残ったんだろう?」
「違う」
「隠さなくてもいいぜ」
「まず、その喋り方をやめろ」
「な、なぜだ」
「似合ってねぇ」
セイレイの顔が赤くなった。
「そなたに合わせているのだ!」
ついに普段の言葉遣いへ戻った。
しかし、背後から小さな咳払いが聞こえると、セイレイは我に返ったように口元を引き締めた。
「……合わせてやってんだよ」
「無理すんな」
「無理ではない」
「手が震えてるぞ」
セイレイは慌てて拳を握った。
「これは武者震いだ」
「俺と喋るのに?」
「そういうこともある」
「ねぇよ」
セイレイは目を細めた。
「ずいぶんナメた口を利くじゃねぇか」
「誰に習った?」
「独学だ」
「嘘つけ」
背後の騎士たちが、わずかに視線を逸らした。
トローラはすべてを察した。
「お前らか」
「殿下が、あなたと親しく言葉を交わしたいと仰られましたので」
「だからって何を教えたんだ」
「トローラ卿が好まれそうな、格式張らない表現を」
「俺はこんな喋り方してねぇよ」
「していると思うが」
セイレイが口を挟んだ。
「してねぇ」
「している」
「王女様が『カマした』とか言うな」
「使い方は正しかったはずだ」
「使い方の問題じゃねぇ」
「では、『ブチかました』の方がよかったか?」
「悪化してるぞ」
セイレイは、少し傷ついたような顔をした。
それから、トローラの正面に置かれた椅子へ腰を下ろした。
背筋はやはりまっすぐだった。
脚の揃え方も完璧だった。
どれほど言葉だけ荒くしようとしても、王女として身につけた所作までは崩せないらしい。
セイレイは、膝の上で拳を握った。
「私は……いや」
一度、息を整える。
「アタシはな」
「やめろ」
「まだ何も言っていない!」
「もう痛々しい」
「最後まで聞け!」
「分かったよ」
セイレイは咳払いをした。
「アタシは、あんたが父上を守った時から、只者じゃねぇと思ってたんだ」
トローラは目を閉じた。
「聞いているのか!」
「聞きたくないだけだ」
「では聞け!」
「横暴だな」
「王女だからな」
そこは堂々と言った。
トローラは思わず笑いそうになったが、笑えばさらに話がややこしくなる気がして、口元を手で覆った。
「父上を守った時も、そなたは功を誇らなかった」
「そなたに戻ってるぞ」
「うるさい!」
再び王女の口調へ戻ったことを指摘され、セイレイの耳まで赤くなる。
「ともかくだ。あの時も、そなたは白騎士などではないと言った」
「実際、違うしな」
「そして今回も、三人を逃がしたわけではないと言う」
「実際、違う」
「同じではないか」
「どこがだよ」
「自分のしたことを誇らない」
「してねぇことは誇れねぇよ」
セイレイは、分かっているというように静かに頷いた。
「そういうところだ」
「どういうところだ!」
「照れんなよ」
ぎこちない不良言葉で言われ、トローラは額を押さえた。
「頼むから普通に喋ってくれ」
「嫌だ」
「なんで」
「そなたと同じ目線で話すためだ」
トローラは目を瞬いた。
セイレイは、少しだけ視線を逸らした。
「そなたは王族や騎士団を前にすると、すぐに一歩引こうとする」
「面倒事に巻き込まれたくねぇからな」
「白騎士と呼べば逃げる」
「気持ち悪いからな」
「褒賞を渡そうとしても受け取らない」
「後が怖ぇからな」
「だから、今日は王女ではなく、一人の騎士として話そうと思った」
「それでヤンキーになったのか?」
「ヤンキーとは何だ」
「知らねぇなら、なおさらやめろ」
セイレイは不満そうに唇を結んだ。
トローラは、大きく息を吐いた。
「で、何の話がしたいんだよ」
「礼を言いたい」
今度の言葉だけは、飾りがなかった。
セイレイはまっすぐトローラを見た。
「サードを守ってくれたこと。そして、フロート・テンプルで仲間を守ったこと」
「二つ目は違う」
「まだ言うか」
「一生言うぞ」
「三人を逃がすため、最後に残った」
「逃げ損ねた」
「アマテラス陛下に一人だけ捕らえられた」
「俺の退路だけ切られた」
「なぜ、そなただけが最後にいた」
「ちょっと見物してたから」
「戦況を最後まで確認していたのだろう」
「壊れた王宮を見てただけだ」
「被害の状況を確認していた」
「面白かったからだよ!」
セイレイの目が、少し悲しそうに細められた。
「そこまで自分を悪く言うな」
「本当のことを言ってるだけだ!」
「そなたは、いつも自分を悪党だと言う」
「悪党だからな」
「だが、悪党は父上を守らない」
「場合による」
「少年を人買いから救わない」
「気分だ」
「ファティマを守ろうともせぬ」
「趣味だ」
「仲間を逃がすために一人で残らぬ」
「残ってねぇ!」
トローラの声が応接室に響いた。
セイレイは、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がった。
トローラの前まで歩いてくる。
「トローラ」
「何だよ」
「私は、そなたのような騎士になりたい」
トローラの顔が固まった。
背後では、トリオ騎士団の騎士たちが深く頷いていた。
完全に同意しているらしい。
「やめとけ」
トローラは即座に言った。
「なぜだ」
「人生を間違える」
「そなたが言うと、説得力があるな」
「だろ?」
「だが、断る」
「なんでだよ」
セイレイは胸を張った。
「王家の名誉や、騎士としての誇りだけではない。必要な時に、誰かのために残れる騎士になりたい」
「だから俺は残ってねぇ」
「自分が悪党だと言いながら、最後には守る側へ回る。そういう騎士に」
「話を聞け!」
「そして、功績を誇らず、恩を着せず、ただ去っていく」
「俺はいま借金で去れねぇんだよ!」
セイレイの表情が曇った。
「聞いている。A.K.D.に損害賠償を課されたそうだな」
「その話はするな」
「そなた一人に、他の三人の分まで負わせているとも」
「誰だ、そんな話にした奴!」
「皆がそう言っている」
「皆が間違ってんだよ!」
セイレイは拳を固めた。
「心配するな」
「何を」
「コーラス王家は、そなたを見捨てない」
トローラの顔から血の気が引いた。
「待て」
「父上を守った白騎士を、A.K.D.だけに使い潰させるものか」
「余計なことをするな」
「遠慮はいらないぜ」
不慣れな言葉で格好をつけ、セイレイは親指を立てた。
所作だけはなぜか優雅だった。
トローラは頭を抱えた。
「遠慮じゃねぇ。借りを増やしたくねぇんだよ」
「やはり、コーラスへ負担をかけまいとしているのだな」
「違う」
「分かっている」
「分かってねぇ」
「心配すんな。アタシらがついてる」
「似合わねぇんだよ、その言い方!」
「では、何と言えばよい!」
ついにセイレイも声を荒らげた。
トローラは立ち上がった。
「普通に喋れ! 普通に!」
「そなたが壁を作るからであろう!」
「王女様が俺に合わせる必要はねぇんだよ!」
「ある!」
セイレイの声が、部屋の空気を震わせた。
トローラは言葉を止めた。
王女は唇を噛み、少しだけ俯いた。
「そなたは、こちらが王族として接すれば、すぐに距離を取る」
先ほどまでのつたない不良言葉は消えていた。
「忠義を求めれば逃げる。褒賞を差し出せば警戒する。白騎士と呼べば否定する。ならば、どうすればそなたと話せるのか、私には分からなかった」
「だからって」
「同じように話せば、少しくらい近づけると思ったのだ」
トローラは黙った。
セイレイは、自分でも今さら恥ずかしくなったのだろう。
視線を逸らし、顔を赤くしたまま続けた。
「……トリオ騎士団の者たちに、そなたらしい言葉遣いを聞いた」
「人選を間違えたな」
「皆、真剣に教えてくれた」
トローラが背後を見る。
騎士たちは、一斉に胸を張った。
誰一人、自分たちが悪いとは思っていない。
「お前ら、あとで覚えてろよ」
「光栄です」
「褒めてねぇ」
セイレイは小さく咳払いした。
それから、もう一度トローラへ向き直る。
「ともかく、私はそなたに憧れている」
「やめとけって」
「嫌だ」
「即答すんな」
「白騎士と呼ばれるのが嫌なら、呼ばない」
「それは助かる」
「だが、私の中でそなたが白騎士であることは変わらない」
「最悪だ」
「悪党と呼んでほしいのか?」
「その方がまだ正確だ」
セイレイは、少し考えた。
そして、ぎこちなく口の端を上げた。
「ならば、悪党騎士トローラ」
「何だよ」
「これからも、ヨロシク頼むぜ」
トローラは天井を仰いだ。
「誰か、この王女様を止めろ」
背後から、トリオ騎士団の騎士が厳かに答えた。
「実によくお似合いです、殿下」
「似合ってねぇ!」
「トローラ」
セイレイが呼ぶ。
「何だ」
「そこは、ヨロシクと言われたら、ヨロシクと返すものだと聞いた」
「誰にだ」
セイレイは答えず、じっとトローラを見た。
王女としての威厳と、年若い少女の期待と、つたない不良への憧れが、奇妙に混ざった目だった。
トローラはその視線に耐えきれず、顔を背けた。
「……よろしく」
セイレイの顔が明るくなる。
「おう!」
返事だけは威勢がよかった。
だが、その直後。
「これで正しかったか?」
と小声でトリオ騎士団へ確認する姿は、どう見ても不良騎士ではなかった。
トローラは深くため息をついた。
コーラス三世を守った結果、白騎士と呼ばれた。
フロート・テンプルから逃げ遅れた結果、仲間を守る侠客にされた。
そして今度は、一国の王女が自分に憧れ、似合いもしない荒い言葉を覚え始めた。
「俺は、どこで間違えたんだろうな」
誰にともなく呟く。
するとセイレイは、得意げに胸を張った。
「安心しろ。道を間違えた時は、アタシがケツ持ってやるぜ」
「その言葉は二度と使うな!」
トローラの絶叫が、コーラス王宮に響き渡った。