/*/ バッハトマ魔法帝国 客殿映像室 夜 /*/
部屋の明かりは落とされていた。
壁一面を占める大型映像装置だけが、青白い光を放っている。
広い長椅子。
低い卓。
飲みかけの酒瓶。
その前に、デコース・ワイズメルはだらしなく身体を投げ出していた。
片脚を肘掛けに乗せ、酒瓶を片手に持ち、いかにも退屈そうな顔で画面を眺めている。
エストは、その少し後ろに静かに立っていた。
彼女がこの番組を見たいと言ったわけではない。
星団中で話題になっている映像作品を、デコースがどこからか手に入れてきたのである。
題名は――
『汚れた白騎士 ブラック4最後の殿』
題名が表示された時点で、デコースの口元にはすでに笑みが浮かんでいた。
「汚れた白騎士ぃ?」
間延びした声で繰り返す。
「なんだよ、それぇ」
エストは答えなかった。
番組が始まる。
重々しい音楽。
黒い宇宙に浮かぶ、フロート・テンプル。
そして、低く威厳のある声。
『星団暦3010年――』
デコースは酒を口へ運んだ。
『アマテラスの不在を狙い、A.K.D.王宮フロート・テンプルを襲った、四つの黒き影』
ボスヤスフォート。
ビューティ・ペール。
デコース・ワイズメル。
そして最後に、黒い外套をはためかせる男が現れる。
精悍な顔。
深い憂いを帯びた目。
決して届かぬ何かを見つめるような横顔。
画面の中のトローラ・ロージンだった。
デコースは酒瓶を口元で止めた。
「……誰だ、こいつ」
エストが静かに答える。
「トローラ・ロージン役の俳優と思われます、マスター」
「似てねぇじゃん」
「本人よりも長身に設定されています」
「顔もよすぎるだろぉ」
画面の中の俳優トローラが、血に濡れた剣を静かに掲げた。
『コーラス三世を救った白騎士』
デコースの肩が、わずかに揺れた。
『だが、その身は白き騎士道から外れ、悪党たちと共に黒き道を歩んだ』
「悪党たちって、ボクちゃんたちのことぉ?」
「そのようです」
「ひどい番組だねぇ」
そう言いながら、デコースはすでに笑っていた。
『人は彼を、こう呼んだ』
音楽が止まる。
黒い画面の中に白い文字が浮かぶ。
――汚れた白。
続いて、さらに大きな文字。
――汚れた白騎士。
デコースの口元が大きく歪んだ。
「くっ……」
『しかし、その白は汚れてなお――』
俳優トローラが振り返る。
背後には撤退していく三つの影。
前方には、押し寄せるミラージュ騎士団。
『輝いていた』
「ぶっ!」
デコースが吹き出した。
口に含んでいた酒が卓の上へ散る。
「マスター」
エストが布を差し出した。
だが、デコースは受け取らなかった。
腹を押さえ、長椅子の上で身体を折っている。
「あはっ……ははははははっ!」
笑い声が映像室いっぱいに響く。
「汚れてなお輝いていたってぇ! あいつがぁ!?」
画面の中では、俳優トローラが三人へ向かって叫んでいた。
『行け、デコース!』
デコースの笑いが一瞬止まった。
次の瞬間、さらに大きく爆発した。
「あははははははははっ!」
長椅子から転げ落ちそうになる。
酒瓶を床へ置き、両手で腹を押さえた。
『ペールを連れ、皇帝を守って退け! ここは俺が引き受ける!』
「言ってねぇ!」
デコースは笑いながら画面を指差した。
「こいつ、絶対そんなこと言ってねぇよぉ!」
「実際には、どのような発言を?」
エストが尋ねる。
デコースは笑いすぎて涙を浮かべながら答えた。
「おいおいおいおい、だよぉ!」
「……」
「退路が閉じた瞬間、通信でずっと、おいおいおいおいって言ってた!」
画面の中では、俳優デコースが振り返っている。
普段のデコースからは想像もつかないほど真剣な表情だった。
『トローラ、貴様――』
デコースは画面を凝視した。
「ボクちゃん、こんな顔しないよねぇ」
「はい」
「即答かよ」
『振り返るな!』
俳優トローラの叫び。
俳優デコースは苦悩の表情を浮かべながら、撤退していく。
「待って、待ってぇ」
デコースは映像を一時停止した。
巻き戻す。
再生する。
『行け、デコース!』
『トローラ、貴様――』
『振り返るな!』
デコースは再び声を上げて笑った。
「なんだ、このボクちゃん!」
もう一度巻き戻す。
『トローラ、貴様――』
「あははははっ!」
三度目。
『トローラ、貴様――』
「苦しそうな顔してるよぉ!」
エストは静かに映像を見ていた。
「この作品において、マスターとトローラ・ロージンの間には、強い友情が設定されているようです」
「設定されてるねぇ!」
「事実とは異なりますか」
「ボクちゃん、あいつが置いてかれた時、笑ってたもん」
デコースは悪びれずに言った。
「ペールも笑ってたよぉ」
「ボスヤスフォート陛下は」
「たぶん何も気にしてなかった」
再生を続ける。
画面では、俳優トローラが血を吐きながら、迫るミラージュ騎士たちへ剣を向けていた。
『俺たちはブラック4だ』
デコースの頬が引きつった。
『四人揃ってこその悪党だ。ならば最後くらい、誰か一人が三人分の悪を背負ってもいいだろう』
静寂。
数秒後。
デコースは長椅子へ突っ伏した。
「あはっ……あはははははははははは!」
拳で長椅子を叩く。
「三人分の悪を背負うってぇ! なんだよ、それぇ!」
「脚本上の台詞です」
「分かってるよぉ!」
「トローラ・ロージン本人が聞いた場合、強く否定するものと推測されます」
「絶対怒る!」
デコースは顔を上げた。
涙を拭う。
「これ、あいつと一緒に見たいなぁ」
「拒否される可能性が高いと思われます」
「逃げても追いかけて見せるよぉ」
映像では、ブラック3が退路へ消えていった。
俳優トローラだけが残る。
退路が閉ざされる。
彼は静かに振り返った。
『行ったか』
低く呟く。
『なら、これでいい』
デコースが再び吹き出した。
「よくねぇって言ってたじゃん!」
続いて、神秘的な光とともにアマテラスが現れた。
『見事だ、トローラ・ロージン』
「言ってねぇだろぉ!」
『敵ながら、その武威と精神、天晴れである』
「絶対、面白がってただけだよぉ!」
『三人のために一人残り、死地へ身を置いたその騎士道――我が敵として処すには惜しい』
俳優トローラは、血まみれの顔で笑った。
『殺すなら殺せ。だが、あいつらには手を出すな』
「やめろ!」
デコースは笑いながら叫んだ。
「もう腹が痛い!」
『安心するがよい。彼らはすでに去った』
『そうか』
俳優トローラは安心したように目を閉じる。
『なら、俺の負けでいい』
「本当は損害賠償の額を聞いて負けを認めたんだろぉ!」
画面のアマテラスが手を差し伸べる。
『我がもとへ来い、汚れた白騎士よ』
『客将として、そなたを迎えよう』
壮大な音楽が鳴り響く。
題名が再び浮かび上がった。
――『汚れた白騎士 ブラック4最後の殿』
映像が終わった。
室内が静かになる。
デコースは長椅子に仰向けになったまま、天井を見ていた。
笑い疲れて息が荒い。
「最高だねぇ」
「作品として、でしょうか」
「違うよぉ」
デコースは口元を吊り上げた。
「次にあいつに会うのが、楽しみなんだよ」
「どのように声をかけるおつもりですか」
デコースは少し考えた。
そして、とびきり悪い笑顔を浮かべた。
「決まってるだろぉ」
/*/ 数か月後 カステポー ヴァキ市 ナイトギルド前 昼 /*/
トローラは、預かり屋から出てきたところだった。
外部任務で使用したワイマールSR2の整備明細。
A.K.D.名義で発行された部品注文書。
そして、見たくもない損害賠償債務の残額通知。
それらを抱え、ひどく不機嫌な顔で歩いている。
「よぉ」
聞き覚えのある声がした。
トローラの足が止まった。
通りの向こう。
壁にもたれ、エストを連れたデコースが立っている。
口元には、嫌な笑みがあった。
「……なんだ」
「久しぶりだねぇ」
「用がないなら消えろ」
「つれないなぁ」
デコースは壁から身体を起こした。
ゆっくりとトローラへ近づく。
すれ違う騎士たちが、二人に気づいて足を緩める。
三代目黒騎士デコース・ワイズメル。
そして、ブラック4の一人。
汚れた白騎士トローラ・ロージン。
すでに二人の顔は、例の番組によって星団中へ知られていた。
デコースはわざと通りへ響く声で言った。
「よぉ、仲間のために一人残った汚れた白騎士サマぁ」
トローラの顔が引きつった。
周囲の騎士たちが、小さくざわめく。
「……デコース」
「なんだい、汚れた白ぉ」
「その呼び方をやめろ」
「なんでぇ? 似合ってるじゃん」
「俺は逃げ損ねただけだ」
「またまたぁ」
「本当だ」
「分かってるよぉ」
デコースは楽しそうに頷いた。
「自分の功績を誇りたくないんだろぉ?」
「違う!」
「三人を逃がしたなんて、口が裂けても認められない」
「逃がしてねぇ!」
「ボクちゃん、感動したよぉ」
デコースは胸へ手を当てた。
「行け、デコース! 振り返るな!」
「言ってねぇ!」
「俺たちはブラック4だ!」
「やめろ!」
「誰か一人が、三人分の悪を背負ってもいいだろう!」
「今すぐやめろ!」
通行人の何人かが足を止めていた。
若い騎士が、感動したように囁く。
「本当に親しいんだな」
「あれがブラック4の絆か」
「黒騎士本人が、あの台詞を覚えているとは」
トローラの額に青筋が浮かぶ。
「デコース」
「なぁに?」
「殺す」
トローラの手が剣へ伸びた。
デコースの笑みが広がる。
「そうこなくっちゃあ!」
剣が抜かれる。
トローラの刃が、デコースの首へ走った。
デコースは身を反らして避ける。
真空剣が背後の看板を切断した。
悲鳴が上がる。
だが、逃げる者より見物を始める者の方が多かった。
「てめぇのせいで、俺がどれだけ迷惑してると思ってる!」
「ボクちゃんのせいじゃないよぉ!」
「お前が面白がって言いふらしてるだろ!」
「本当のことを語ってるだけさぁ!」
「捏造番組の台詞を真似してるだけだろうが!」
トローラが踏み込む。
デコースが受ける。
刃と刃が衝突し、鋭い音が通りへ響いた。
「せっかく命懸けで逃がしてくれた仲間に、冷たいねぇ!」
「誰が誰を逃がした!」
「照れるなよぉ、白騎士サマ!」
「殺す!」
「それだよ、それぇ!」
デコースは心底楽しそうに笑っていた。
トローラは本気で怒っている。
少なくとも、本人としては本気だった。
だが、周囲の人間にはそう見えなかった。
長い因縁を持つ二人の騎士。
一人は仲間を逃がすために敵地へ残ったとされる男。
もう一人は、その犠牲によって生還した黒騎士。
再会した二人が、言葉では語れぬ感情を剣でぶつけ合っている。
そこへ、映像記録用の機材を抱えた男が駆けつけた。
「撮れ! 全部撮れ!」
トローラが振り返る。
「誰だてめぇ!」
「『汚れた白騎士』制作班です!」
「帰れ!」
「これは使える! 黒騎士との再会場面だ!」
「使うな!」
制作班の男は興奮していた。
「美談にされた恨みを、命を懸けて本人へぶつけるほどの深い友情!」
「どこに友情がある!」
「表面上は憎み合いながら、互いにしか理解できない二人!」
「理解し合ってねぇ!」
デコースが、トローラの剣を弾きながら叫ぶ。
「ボクちゃんは理解してるよぉ!」
「何をだ!」
「君がボクちゃんを逃がすために残ったことぉ!」
「だから違うって言ってんだろ!」
制作班の男が震える声で言った。
「素晴らしい……」
「何がだ!」
「黒騎士は真実を信じ、白騎士はそれを否定する。二人の記憶の食い違いが、友情の深さを物語っている」
「食い違ってるんじゃなくて、片方が嘘をついてるんだ!」
「どちらが?」
「こいつだよ!」
トローラがデコースを指差す。
デコースは満面の笑みを浮かべた。
「照れるなよぉ、相棒ぉ」
「誰が相棒だ!」
制作班の男は、その言葉を聞いた瞬間、部下へ振り返った。
「題名が決まった!」
「決めるな!」
「第三作――」
男は空を見上げるようにして宣言した。
「『汚れた白騎士Ⅲ 黒き盟友との決闘』!」
「作るなぁッ!」
トローラの絶叫が、ヴァキ市の通りに響いた。
/*/ 数週間後 星団情報放送 芸能欄 /*/
大きな見出しが踊っていた。
> 『汚れた白騎士』第三作、緊急製作決定
>
> 三代目黒騎士デコース・ワイズメルとの実戦映像を収録
>
> 美談にされた恨みを、命を懸けて本人へぶつけるほどの深い友情
>
> 剣でしか語れない、ブラック4二人の絆
記事の横には、トローラが鬼の形相でデコースへ斬りかかる写真。
デコースは、満面の笑みでそれを受けている。
写真だけ見れば、確かに長年の友人同士が、再会を喜んで剣を交えているようにも見えた。
記事の末尾には、デコース本人の談話まで掲載されていた。
> 「あいつは照れ屋だからねぇ。
> ボクちゃんたちを逃がしたこと、まだ認めたくないみたいだよぉ」
さらに、トローラ本人の談話。
> 「全部嘘だ。俺は逃げ損ねただけだ。
> デコースとの間に友情なんかねぇ。次に会ったら本当に殺す」
その直後には、記者による解説が添えられている。
> 命を懸けて盟友を救いながら、その功績を頑なに否定するトローラ・ロージン。
>
> そして、怒りすら受け止め、彼の真実を語り続ける黒騎士デコース。
>
> 二人の関係は、もはや言葉で説明できるものではないのだろう。
記事を読んだトローラは、紙面を握り潰した。
「説明できるわ!」
誰もいない部屋で叫ぶ。
「片方が面白がって嘘ついて、もう片方が迷惑してるだけだ!」
もちろん、その叫びが報道されることはなかった。
仮に報道されても、結果は同じだっただろう。
――友を守るため、憎まれ役まで引き受ける汚れた白騎士。
――黒騎士の名誉を守るため、自分たちの友情さえ否定するのか。
――なんと不器用な男だ。
トローラ・ロージンが否定すればするほど、物語は美しくなる。
デコース・ワイズメルが笑えば笑うほど、二人の絆は深いものと解釈される。
本人たちの意思など、もはや何の意味もなかった。
こうして星団には、新たな伝説が生まれた。
汚れた白騎士と、黒き盟友。
互いに剣を向けながら、誰より深く理解し合う二人。
無論。
「誰が理解するかぁッ!」
その伝説を、トローラ本人だけが最後まで認めなかった。