/*/ プロムナードの夜 /*/
メサ・ルミナス学園の夜は、いつもよりずっと騒がしかった。
校舎の窓という窓から光が漏れ、中庭には飾り灯が渡されている。
卒業生を送り出すプロムナード。
音楽が流れ、少年少女たちは普段の制服ではなく、慣れない正装に身を包んで笑っていた。
その光景を、トローラ・ロージンは心底どうでもよさそうな顔で眺めていた。
「……帰っていいか?」
「駄目です」
隣に立つヨーン・バインツェルが即答した。
「何でだよ」
「来たばかりじゃないですか」
「お前の顔は見た」
「それで帰るつもりだったんですか?」
「そのつもりだった」
トローラは当然のように答えた。
そもそも今日は、ヨーンがまともに学校生活を送っているか見に来ただけだった。
ところが間が悪かった。
いや、良かったのかもしれないが、本人にとっては間違いなく悪かった。
学園中が卒業プロムの準備で浮き立っている日に訪ねてしまい、事情を知った教師から、
「せっかくですから、ぜひ」
と招かれた。
断った。
さらに断った。
もう一度断った。
気がつけば、会場の端に立っていた。
「学校ってのは、もっと勉強するところじゃねぇのか」
「こういう行事も学校生活です」
「面倒くせぇな」
「来なければよかったでしょう」
「お前の様子を見に来たんだよ」
ヨーンが一瞬黙った。
トローラは、それに気づかないふりをした。
「ちゃんと飯食ってるか、授業出てるか、喧嘩してねぇか。それ確認したら終わりだったんだ」
「子供扱いしないでください」
「俺から見りゃ子供だ」
「……もういいです」
ヨーンは少しだけ不機嫌そうに視線を逸らした。
だが、その口元はわずかに緩んでいる。
トローラはそれを見て、ふん、と鼻を鳴らした。
悪くない。
左腕を失った。
バーシャを奪われた。
騎士の恐ろしさを、嫌というほど思い知らされた。
それでもこいつは、学校へ来ている。
友人がいる。
授業を受ける。
卒業する者を送り出す。
今は、それで十分だった。
「じゃ、俺は」
「帰るなと言っているでしょう」
「何でお前が止めるんだ」
「今日は卒業生を送り出す日なんです」
「俺は卒業生じゃねぇ」
「客でしょう」
「招かれた覚えもねぇ」
「招かれました」
「断った」
「三回も」
「なら帰らせろ」
そんな言い合いをしていると、向こうから少女の声がした。
「ジョーディー先輩!」
ヨーンの肩がわずかに固まった。
トローラは、その変化を見逃さない。
「……何だ?」
「何でもありません」
「今、露骨に顔変わったぞ」
「何でもありません」
「へえ」
「何ですか、その顔」
「別に」
「絶対何か考えているでしょう」
「青春だなぁ、と思ってよ」
「帰ってください」
「急に帰宅許可が出たな」
トローラが笑う。
ヨーンは本気で嫌そうな顔をした。
その向こうでは、給仕の手伝いをしていた少女が、何やら慌てている。
トローラは若者たちの騒ぎから距離を取るように、会場の外へ出た。
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テラスは静かだった。
室内から聞こえてくる音楽も、ここまで来ると柔らかい。
トローラは欄干に寄りかかり、勝手に持ってきた飲み物を口にした。
「やっぱ、こっちの方が楽だな」
「人混みが苦手なんですか?」
後ろから声がした。
振り返る。
学生だった。
端正な顔立ちをした少年である。
正装もよく似合っている。
だが、どこか妙なところがあった。
姿勢。
視線。
人との距離の取り方。
ただの学生にしては、妙に隙がない。
「お前、誰だ?」
「ノルガン・ジークボゥです」
「へえ」
トローラは、それ以上聞かなかった。
ジークの方が少し拍子抜けしたような顔をした。
「聞かないんですか?」
「何を」
「いえ」
「変な奴だな」
「あなたに言われたくありません」
「初対面で失礼だなお前」
「学園では有名ですよ」
「嫌な予感がするから聞かねぇ」
「ブラック4の――」
「聞かねぇっつったろ」
ジークが笑った。
「それに、ヨーン先輩から聞いています」
「もっと嫌な予感がする」
「自分を助けてくれた騎士だと」
「あいつ、余計なことばっかり喋ってんな」
「尊敬しているようでしたよ」
「それは何かの間違いだ」
「本人に言ってみたらどうです?」
「面倒くせぇ」
トローラは再び会場を見た。
少年少女が踊っている。
笑っている。
卒業する者。
残る者。
これから別の道へ行く者。
今日が最後になる相手もいるだろう。
だからこそ、みな楽しそうにしている。
ジークも、その光景を見ていた。
だが笑ってはいなかった。
「何かあるのか」
トローラが言った。
「え?」
「相談したそうな顔してんぞ」
「分かりますか」
「分かりやすい」
ジークは少し黙った。
室内では曲が変わった。
誰かの笑い声が聞こえる。
「……変なことを聞いてもいいですか?」
「金なら貸さねぇぞ」
「そういう相談ではありません」
「じゃ、何だ」
ジークは欄干へ手を置いた。
すぐには言わない。
何度か言葉を選んでいるようだった。
「自分にとって、とても大切な人がいるとします」
「おう」
「その人にも、大切な人がいる」
「恋愛相談なら他を当たれ」
「最後まで聞いてください」
「はいはい」
ジークは少し困った顔をして、それから続けた。
「二人は……たぶん、互いをとても大切に思っているんです」
トローラは黙って聞いていた。
「でも、その人たちは一緒にはなれない」
「何で」
「立場です」
「立場?」
「国家とか」
ジークは言った。
「家とか。組織とか。責任とか」
「ふうん」
「本人たちが嫌い合っているわけじゃない。むしろ逆です」
そこでジークの声が少しだけ低くなった。
「好きだからこそ、諦めようとしている」
トローラは飲み物を口へ運んだ。
「面倒くせぇな」
「……そうですね」
「で?」
「もし」
ジークはトローラを見た。
「もし自分に、その二人を助けることが出来るとしたら」
トローラは何も言わない。
「でも、そのためには、自分自身も大きなものを背負わなければならない」
「おう」
「自分の人生が変わるかもしれない」
「そうか」
「それでも――」
ジークは言った。
「助けるべきだと思いますか?」
トローラは、しばらく少年を見ていた。
「何だそりゃ」
「え?」
「助けたいんだろ?」
あっさりと言った。
ジークが目を瞬く。
「でも」
「自分に出来ることがあって、助けられるなら助けりゃいいじゃねぇか」
何でもないことのように、トローラは言った。
「そんな簡単に」
「簡単じゃねぇんだろうな」
「だったら」
「簡単じゃねぇのと、出来ねぇのは別だろ」
ジークが黙った。
トローラは夜空を見上げた。
「世の中にはな」
少しだけ声が変わった。
「助けてぇ奴がいても、何にも出来ねぇ奴の方が多いんだよ」
間があった。
「力がねぇ」
「…………」
「金がねぇ」
「…………」
「届かねぇ」
「…………」
「もう死んじまった」
ジークは何も言わなかった。
「何にも出来ねぇって泣くしかない奴なんざ、いくらでもいる」
トローラは肩をすくめた。
「なのに、お前は違うんだろ」
「……分かりません」
「何だよ」
「出来るかもしれない。でも、そのためには――」
「じゃあ、幸せじゃねぇか」
ジークが顔を上げた。
「幸せ?」
「気持ち一つで、出来ることがあるんだろ?」
トローラは言った。
「それは幸せなことだろ」
ジークは、何も返せなかった。
その言葉は、彼が予想していた答えとはまるで違った。
責任を考えろ、と言われると思っていた。
国家を軽んじるな、と言われるかもしれない。
逆に、自分の人生を犠牲にするな、と諭されるとも思った。
だが、この男は違った。
出来るなら、やればいい。
ただそれだけだった。
「……国家よりも?」
ジークが尋ねた。
「何が」
「一人の人間の気持ちを、国家より優先してもいいんでしょうか」
トローラは眉をひそめた。
「国家って何だよ」
「え?」
「国も組織も、人が作ったもんだろ」
「そうですが」
「だったら、人間を潰すためにあるわけじゃねぇだろ」
ジークは息を呑んだ。
「国のために誰かが我慢しなきゃならねぇことも、そりゃあるんだろうよ」
トローラは政治家ではない。
王でもない。
国家を背負ったことなど、一度もない。
だからこそ、その言葉には何の飾りもなかった。
「でもよ」
少年を見る。
「直せる奴がいて、直したいと思ってて、それでも誰も直さねぇなら」
一拍。
「何のために偉い奴がいるんだ?」
ジークの目が、大きく開いた。
トローラはそこまで言ってから、自分で嫌そうな顔をした。
「まあ」
飲み物を一口。
「俺は偉くなる気なんざねぇけどな」
「…………」
「面倒くせぇし」
ジークは、思わず笑った。
「何だよ」
「いえ」
「笑うところあったか?」
「あなたらしいなと思って」
「初対面だろ、お前」
「ヨーン先輩から聞いた通りです」
「だからあいつ何を吹き込んでんだよ」
その時、室内から歓声が上がった。
二人が振り向く。
卒業を迎える少年と少女たちが踊っている。
一組。
また一組。
その中には、ほんの少しぎこちなく踊る者もいる。
楽しそうな者もいる。
泣いている者もいた。
「行かなくていいのか」
トローラが聞いた。
「何がです?」
「プロムだろ」
「あなたこそ」
「俺は学生じゃねぇ」
「踊る相手はいないんですか?」
「いるように見えるか?」
「……いなさそうですね」
「喧嘩売ってんのか」
ジークがまた笑った。
そして会場へ戻ろうとして、立ち止まる。
「トローラさん」
「何だ」
「ありがとうございました」
「何が」
「相談に乗ってくれて」
「相談だったのか、あれ」
「そうですよ」
「まあ、役に立ったならいいけどよ」
ジークは一礼した。
歩き出す。
その背中へ、トローラが言った。
「おい」
ジークが振り向く。
「一つだけ」
「はい」
「誰かに言われたからやった、って顔だけはすんなよ」
少年の表情が変わった。
「やるなら自分で決めろ」
「…………」
「背負うのもお前なんだからな」
しばらくして。
ジークは、ゆっくりと頷いた。
「はい」
そして今度こそ、光の中へ戻っていった。
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トローラは知らない。
自分が今話していた少年が、やがて巨大な帝国の運命を背負うことを。
少年が考えていた「大切な人」が誰なのかも知らない。
その男と女が、互いを想いながら、国家のためにその想いを封じようとしていることも。
そして遠い後の日。
一人の少年が皇帝として立つ時。
あの夜の言葉を思い出すことも。
――何にも出来ねぇって泣く奴の方が多い。
――気持ち一つで出来ることがあるなら、それは幸せなことだろ。
その言葉が、
皇位を背負う理由のすべてにはならない。
そんな軽いものではない。
だが。
最後の一歩を、自分の意思で踏み出すための理由の一つにはなる。
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「で」
トローラが会場へ戻ると、ヨーンが待っていた。
「どこへ行ってたんです?」
「外」
「誰かと話していました?」
「ああ。ジークとかいう奴」
ヨーンの顔が少し変わった。
「何を話したんです?」
「知らん」
「知らんって」
「よく分からん相談された」
「何て答えたんです」
「出来るならやりゃいいだろ、って」
ヨーンはしばらくトローラを見た。
「……相変わらずですね」
「何が」
「いえ」
ヨーンは少し笑った。
「何だよ」
「本人は何でもないことを言っているつもりなんでしょうね」
「何でもねぇ話だったぞ」
「そうでしょうね」
「その顔やめろ」
「どんな顔です?」
「また勝手に俺をいい奴にしようとしてる顔だ!」
「してませんよ」
「嘘つけ!」
その向こうから、またあの少女の声が飛んでくる。
プロムの音楽が続いていた。
少年たちはまだ少年で。
少女たちはまだ少女だった。
皇帝も。
国家も。
戦争も。
愛する者と別れなければならない未来も。
まだ、この夜には来ていなかった。