トローラ・ロージン転生   作:ぶーく・ぶくぶく

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星団歴3069年ごろ
余は聞いておらん


/*/ ナカカラ防衛戦――皇帝は前線へ /*/

 

 

 

 最初に異変を知ったのは、軍務局でも、元老院でもなかった。

 

 ダイ・グ・フィルモアだった。

 

 執務机の上へ届けられた報告書は、形式だけを見れば、ごく普通の戦況報告である。

 

 ナカカラ方面。

 

 戦線拡大。

 

 現地騎士団の損耗。

 

 ギーレル方面より接近する不明艦隊。

 

 通信の混乱。

 

 そして、クリスティン・Vを含む皇帝騎士団の前線投入。

 

 そこまではいい。

 

 問題は、その下に添えられた命令系統だった。

 

 ダイ・グは紙面を指先で押さえたまま、しばらく動かなかった。

 

「……これは、誰の命令ぞ」

 

 静かな声だった。

 

 若い。

 

 帝国元老院に巣食う老獪な者たちから見れば、あまりにも若い皇帝である。

 

 だからこそダイ・グは、公の場では意識して言葉を選んだ。

 

 一人称は「余」。

 

 問いは短く。

 

 命令は重く。

 

 時には、本来の柔らかな性格よりも古めかしく、尊大にさえ聞こえる言葉を使う。

 

 皇帝が若いことは変えられない。

 

 ならば少なくとも、若さを侮らせぬように。

 

 その問いに答えたのは、帝国議会長官ミヤザだった。

 

「元老院軍務委員会の判断にございます、陛下」

 

 声には感情がない。

 

 恭しく頭を下げてはいる。

 

 だが、その口調にはわずかな冷たさがあった。

 

 まるで、

 

 ――また若い皇帝が、余計なことに口を出した。

 

 とでも言いたげな。

 

 ダイ・グの眉がわずかに動く。

 

「余は聞いておらん」

 

「必要がないと判断されたのでございましょう」

 

 室内の空気が張った。

 

 周囲の官僚たちが、ミヤザを見る。

 

 皇帝に対する言葉としては、あまりにも露骨だった。

 

 しかしミヤザは顔色一つ変えない。

 

「陛下には帝国全体をご覧いただかねばなりません。局地戦の詳細まで逐一ご裁可いただくのは、元老院としても本意ではありますまい」

 

「局地戦とな」

 

「左様にございます」

 

「皇帝騎士が前線へ出されておる」

 

「騎士は戦場へ出るものにございましょう」

 

 ダイ・グの視線が鋭くなる。

 

「クリスティンもか」

 

 一瞬だけ。

 

 ミヤザの指が動いた。

 

 ほんのわずか。

 

 誰にも気づかれないほど小さく。

 

 だが彼の内心では、その名を聞いた瞬間、胸の奥が重く沈んでいた。

 

 知っている。

 

 クリスティンがどこへ送り込まれたか。

 

 なぜあの位置なのか。

 

 元老院の老人どもが何を考えているかも。

 

 知っているからこそ。

 

 ミヤザは顔を変えない。

 

「クリスティン・Vは皇帝騎士です」

 

 あえて冷たく言う。

 

「陛下ご寵愛の女性である以前に、帝国最強の騎士の一人にございます」

 

 室内の空気が凍った。

 

「ミヤザ長官」

 

 側近の一人が低く咎める。

 

 だがミヤザは続けた。

 

「ここで特別扱いをなされば、元老院はどう見るでしょうな」

 

「……」

 

「皇帝が一人の女性のために軍令を曲げた、と」

 

 ダイ・グは黙ってミヤザを見る。

 

 その言葉は痛かった。

 

 それこそが、彼自身が最も恐れていることだったからだ。

 

 クリスティンを助けたい。

 

 だが。

 

 皇帝が、愛する女性一人を助けるために帝国軍を動かしてよいのか。

 

 ミヤザは、それを知っている。

 

 そして。

 

 だからこそ、わざと傷口へ指を入れる。

 

「元老院へお任せなさいませ、陛下」

 

 ミヤザは頭を下げた。

 

「若き陛下が、いたずらに帝国政治の均衡を乱される必要はございません」

 

 何人かの官僚が顔をしかめた。

 

 あまりにも不遜。

 

 あまりにも元老院寄り。

 

 だが。

 

 ミヤザは知っている。

 

 この部屋には、元老院へ話を流す者がいる。

 

 議会にも。

 

 軍にも。

 

 宮廷にも。

 

 どこに目があるか分からない。

 

 だから、彼は演じ続ける。

 

 元老院に従順な帝国議会長官。

 

 若い皇帝を軽んじる現実主義者。

 

 それでいい。

 

 そう見られている限り、自分はまだ元老院の内側へ入れる。

 

 命令を知れる。

 

 情報を抜ける。

 

 そして。

 

 必要な時には、ダイ・グとクリスティンを守れる。

 

 嫌われる程度で済むなら、安いものだった。

 

「余に、黙っておれと申すか」

 

 ダイ・グが低く問う。

 

「皇帝には、皇帝のなさるべきことがございます」

 

 ミヤザは答えた。

 

「元老院との正面衝突など、その中には含まれませぬ」

 

「……そうか」

 

 ダイ・グは報告書へ目を戻した。

 

 ミヤザは、内心でわずかに息を吐く。

 

 それでいい。

 

 退いてくれ。

 

 今はまだ。

 

 あなたは若すぎる。

 

 元老院は、あなたが考えているよりはるかに汚い。

 

 正面から斬れば、その返り血はクリスティンへ飛ぶ。

 

 だからこそ、自分が泥を被っているのだ。

 

 だが。

 

 次にダイ・グが口にした言葉で。

 

 ミヤザは、胸中だけで目を閉じた。

 

「クリスティンへ繋げ」

 

「陛下」

 

「通信を繋げ」

 

「現在、ナカカラ方面との通信は不安定にございます」

 

「ならば」

 

 ダイ・グは立ち上がった。

 

「繋がるところまで余が行く」

 

 室内が完全に静まった。

 

 ミヤザさえ、一瞬言葉を失った。

 

「……どちらへ行かれるおつもりです」

 

「ナカカラだ」

 

「おやめなさいませ」

 

 即答だった。

 

 先ほどまでの皮肉が消えた。

 

 だが、それに気づいた者はほとんどいない。

 

「皇帝自ら戦場へ出るなど、正気の沙汰ではございません」

 

「余の騎士が戦場におる」

 

「騎士だからです」

 

「余の民もおる」

 

「皇帝だからこそ、遠くから命ずればよろしい」

 

「元老院が、その命を止めるのであろう」

 

 ミヤザは黙った。

 

 ダイ・グが一歩近づく。

 

「増援は止められておる」

 

「……」

 

「補給もだ」

 

「……」

 

「クリスティンを含む騎士たちだけが、危険な位置へ押し込まれておる」

 

 若い皇帝の声が、次第に低くなる。

 

「これを、余に黙って見ておれと申すのか」

 

 ミヤザは答えなかった。

 

 本当なら。

 

 違う、と言いたかった。

 

 あなたには生きていてほしい。

 

 クリスティンにも。

 

 だから自分は元老院へ取り入り、彼らの目論見を探っている。

 

 あなたが今ここで飛び出せば、その全てが崩れる。

 

 だが。

 

 それを言えば、自分の役目が終わる。

 

 元老院へ届く耳が一つ失われる。

 

 だから。

 

「陛下は」

 

 ミヤザは、あえて口元を歪めた。

 

「まだお若い」

 

 ダイ・グの目が細くなる。

 

「皇帝とは、感情で戦場へ駆けつけるものではございませぬ」

 

「……」

 

「クリスティン殿を救いたいというお気持ちは理解いたします。ですが、それで元老院と争えば、笑われるのは陛下です」

 

 痛い言葉を選ぶ。

 

「女一人のために、若帝が血迷ったとな」

 

 室内の誰かが息を呑んだ。

 

 ダイ・グは、しばらくミヤザを見ていた。

 

 そして。

 

「ミヤザ」

 

「は」

 

「そなたは余を、ずいぶんと軽く見る」

 

「若き君主へ苦言を呈するのも、臣下の務めにございます」

 

「左様か」

 

 ダイ・グは静かに頷いた。

 

「ならば、よく見ておれ」

 

 ミヤザの胸がざわついた。

 

「余は」

 

 ダイ・グは言った。

 

「クリスティン一人を救いに行くのではない」

 

 一枚目の報告書を机へ置く。

 

「ナカカラを守る」

 

 二枚目。

 

「フィルモアの名を守る」

 

 三枚目。

 

「そして」

 

 最後の一枚。

 

「余の知らぬところで帝国の名を騙り、友邦を食い物にする者どもから――」

 

 若い皇帝が顔を上げる。

 

「フィルモアそのものを守る」

 

 ミヤザは、何も言えなかった。

 

 それは。

 

 彼がずっと望んでいた答えだった。

 

 だが同時に。

 

 最も聞きたくなかった答えでもある。

 

 この若者は。

 

 自分が守ってやらねばならぬほど弱くはなかった。

 

「出るぞ」

 

「陛下」

 

「止めても無駄だ」

 

「……」

 

「元老院へ伝えるがよい」

 

 ダイ・グの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

 

「若造が、また勝手を始めたとな」

 

 ミヤザは深く頭を下げた。

 

「……承知いたしました」

 

 顔を伏せたまま。

 

 誰にも見えないところで。

 

 ほんの一瞬だけ、笑った。

 

 困った皇帝だ。

 

 本当に。

 

     *

 

 クリスティン・Vは、退くことを考えていなかった。

 

 退けなかった、と言った方が正しい。

 

 目の前の戦場だけなら、いくらでも退路は作れる。

 

 騎士である。

 

 まして皇帝騎士の名を己の実力で勝ち取った者だ。

 

 自分一人が生き延びるだけならば、方法はいくらでもある。

 

 だが、自分が退けば、その後ろにいる兵が死ぬ。

 

 避難途中の民が死ぬ。

 

 ナカカラ側の騎士が崩れる。

 

 そして何より。

 

 この戦場が「フィルモアによる侵略」という形で固定される。

 

 それだけは許せなかった。

 

「左翼、下がりすぎです! 二陣を前へ!」

 

『しかし、騎士団長!』

 

「ここを抜かれれば王都まで一本道です!」

 

 敵影。

 

 砲撃。

 

 GTMの駆動音。

 

 クリスティンは息を整えた。

 

 まだ動ける。

 

 まだ剣は振れる。

 

 ならば、それでいい。

 

 それが騎士だ。

 

 そう思っていた。

 

 だからこそ。

 

 通信士が突然叫んだ時、意味を理解するまで数秒を要した。

 

「騎士団長!」

 

「何です!」

 

「全周波数へ割り込み!」

 

「敵ですか?」

 

「違います!」

 

 通信士の顔色が変わった。

 

「皇帝陛下です!」

 

「……何?」

 

 ざ、と雑音。

 

 そして。

 

『聞け』

 

 若い声だった。

 

 だが。

 

 若さを押し殺し、帝国皇帝として作り上げた声。

 

『余は、フィルモア帝国皇帝ダイ・グ・フィルモアである』

 

「陛下……?」

 

『これより帝国全軍へ、余の勅命を下す』

 

 味方も。

 

 敵も。

 

 ナカカラ軍も。

 

 傭兵も。

 

 誰もが聞いていた。

 

『ナカカラは、フィルモアの敵にあらず』

 

 その一言で。

 

 元老院が積み上げた政治工作が崩れ始める。

 

『余はナカカラの領土を求めておらぬ』

 

『ナカカラを武力によって併呑せんとする行為を、フィルモアの意思とは認めぬ』

 

 クリスティンは唇を震わせた。

 

「何を……」

 

『現在ナカカラ領内にある全フィルモア軍は、防衛行動へ移れ』

 

『民を守れ』

 

『友軍を守れ』

 

『避難民を守れ』

 

 そして。

 

『侵略を目的として動く者があるならば――』

 

 一拍。

 

『それが何者の命令を受けたものであろうと、余はこれをフィルモアの敵とみなす』

 

 元老院の名は出さない。

 

 だが。

 

 誰のことなのか分からない者はいない。

 

『以上である』

 

「陛下!」

 

 クリスティンが通信へ叫ぶ。

 

「陛下、どこにおられるのです!」

 

 通信士が振り返った。

 

「騎士団長……」

 

「何です!」

 

「皇帝旗艦が戦域へ進入しています」

 

「……は?」

 

「陛下ご自身が、こちらへ」

 

「馬鹿な!」

 

 皇帝騎士クリスティン・Vが。

 

 戦場で初めて声を荒らげた。

 

「何を考えているのです、あの方は!」

 

     *

 

 皇帝旗艦の艦橋。

 

 ダイ・グの前へ、ミヤザから通信が入った。

 

『陛下』

 

「何ぞ」

 

『今すぐお戻りください』

 

「先刻から、そればかりだな」

 

『当然でございます』

 

 画面の中のミヤザは、相変わらず不機嫌そうだった。

 

『陛下は、ご自身がどれほど迷惑なことをなさっているのか、お分かりではない』

 

「ひどい言われようだ」

 

『元老院は激怒しております』

 

「であろうな」

 

『帝国議会も紛糾しております』

 

「であろうな」

 

『私の立場も、非常に悪くなりました』

 

「それは済まぬ」

 

『少しは悪びれてください』

 

 ダイ・グが笑った。

 

 ミヤザは露骨に嫌そうな顔をした。

 

『まったく。若い皇帝というものは』

 

「ミヤザ」

 

『何です』

 

「そなた」

 

 一拍。

 

「余が来ることを、少しは期待しておったのではないか」

 

 ミヤザの表情が止まった。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 だが、すぐにいつもの顔へ戻る。

 

『ご冗談を』

 

「そうか」

 

『私は元老院と帝国議会の調整役。陛下に無謀な真似をさせぬためにおります』

 

「左様か」

 

『左様にございます』

 

 ダイ・グはそれ以上追及しなかった。

 

 ミヤザも何も言わない。

 

 ただ。

 

 通信が切れる直前。

 

『陛下』

 

「何だ」

 

『……クリスティン殿を』

 

 そこで言葉が止まった。

 

 ミヤザは咳払いをする。

 

『いえ。帝国皇帝として、無様な帰還だけはなされませぬよう』

 

 通信が切れた。

 

 ダイ・グはしばらく真っ黒な画面を見た。

 

「素直でない男よ」

 

 小さく笑った。

 

     *

 

 戦いが終わった夜。

 

 元老院との緊急通信が繋がった。

 

 画面の端には、帝国議会長官ミヤザも座っている。

 

 数十人の元老院議員。

 

 誰も怒鳴らない。

 

 感情も見せない。

 

 だからこそ。

 

 その敵意は戦場より冷たかった。

 

『陛下』

 

「何ぞ」

 

『本日の声明について、元老院は正式な説明を求めます』

 

「説明ならば、全星団へしたであろう」

 

『帝国の軍事方針を、元老院の承認なく変更されました』

 

「余の承認なく始められた軍事行動を止めたまでだ」

 

 元老の一人が目を細める。

 

『帝国は、皇帝個人のものではございません』

 

「当然だ」

 

『ならば――』

 

「元老院のものでもない」

 

 沈黙。

 

 そこでミヤザが口を開いた。

 

『陛下』

 

「何だ」

 

『お言葉が過ぎます』

 

 いかにも元老院側の人間らしく。

 

 冷たく。

 

 たしなめる。

 

『元老院は帝国秩序を支えてきた機関。若き陛下の一存で否定できるものではございません』

 

 老人たちの何人かが満足げに頷いた。

 

 ダイ・グはミヤザを見る。

 

「余は、元老院を否定しておらぬ」

 

『でしたら』

 

「今のフィルモアの形では、もはや続かぬと言うておる」

 

 ミヤザは黙る。

 

 老人たちの顔が険しくなる。

 

「元老院」

 

「三大王家」

 

「皇帝」

 

「帝国議会」

 

「軍」

 

「騎士団」

 

「それぞれが伝統を盾に権限を持ち、責任だけは他へ押しつける」

 

 ダイ・グの声が落ちる。

 

「今日、ナカカラでその限界が出た」

 

『陛下は、帝国の統治制度そのものを改めると?』

 

「必要ならば」

 

『それは皇帝陛下お一人のお考えで?』

 

「左様」

 

 元老たちの顔が冷える。

 

 ミヤザも、表向きは眉をひそめた。

 

 だが。

 

 卓の下で握った拳にだけ。

 

 力が入った。

 

 言え。

 

 そこまで言ったのなら。

 

 最後まで言え。

 

 老人どもが最も恐れていることを。

 

 この国が。

 

 もう自分たちだけのものではないと。

 

「余は」

 

 ダイ・グが言った。

 

「フィルモアを変える」

 

 ミヤザは目を伏せた。

 

 微笑まぬために。

 

『では元老院も、元老院として対処いたします』

 

「好きにせよ」

 

 通信が切れた。

 

     *

 

 室内には、ダイ・グとミヤザだけが残った。

 

 しばらく。

 

 誰も話さなかった。

 

「ミヤザ」

 

「は」

 

「そなたも戻ればよい」

 

「少々、陛下へ申し上げておくことがございます」

 

「元老院からの苦言か」

 

「私からです」

 

 ミヤザは立ち上がった。

 

 扉へ歩く。

 

 そして。

 

 扉が完全に閉じたことを確認した。

 

 振り返る。

 

 空気が変わった。

 

 先ほどまでの冷たい長官の顔ではない。

 

「無茶をなさる」

 

 声も違った。

 

 ダイ・グが少し目を丸くする。

 

「そなたが申すか」

 

「申します」

 

「余を若造と呼んだではないか」

 

「実際、お若い」

 

「……」

 

「だから困るのです」

 

 ミヤザは深く息を吐いた。

 

「元老院の中には、陛下を本気で排除したい者がおります」

 

「知っておる」

 

「知っているだけでは足りません」

 

「……」

 

「クリスティン殿を使えば、陛下が動くことも」

 

 ダイ・グの目が鋭くなる。

 

「分かってやっている者がおります」

 

 沈黙。

 

「ゆえに私は、元老院へ取り入っております」

 

 初めて。

 

 ダイ・グの表情から、皇帝として作っていた威厳が少し消えた。

 

「……何?」

 

「陛下を軽んじる男と思わせておけば、彼らは私に話します」

 

「ミヤザ」

 

「クリスティン殿を、皇帝の弱点と呼ぶ者もおります」

 

 ミヤザの声が低くなる。

 

「だから私は、その連中と一緒になって笑っております」

 

「……」

 

「陛下は若い。女に迷っている。元老院の言う通りにさせておけばよい、と」

 

 ダイ・グは何も言わない。

 

「そうすれば、奴らは私を信用する」

 

「それで」

 

「命令書が読める」

 

「……」

 

「人事が読める」

 

「……」

 

「次に誰がクリスティン殿を殺そうとしているのかも分かる」

 

 ダイ・グの手が、ゆっくりと握られた。

 

「なぜ余に黙っておった」

 

「陛下は顔に出ます」

 

「出ぬ」

 

「出ます」

 

「……」

 

「特にクリスティン殿のこととなると、ひどい」

 

「……左様か」

 

「左様です」

 

 ダイ・グは少しだけ顔を逸らした。

 

 ミヤザは、そこで初めてわずかに笑った。

 

「陛下」

 

「何だ」

 

「今日のことは、元老院には最悪でした」

 

「であろうな」

 

「私にも最悪です」

 

「済まぬ」

 

「ですが」

 

 ミヤザは頭を下げた。

 

 今度の礼は。

 

 帝国議会長官としてのものではなかった。

 

「よくぞ、行かれました」

 

 ダイ・グは黙った。

 

「私は、陛下とクリスティン殿を守りたい」

 

 ミヤザは顔を上げる。

 

「ですが、私にできるのは泥の中へ入ることだけです」

 

 その目は真っすぐだった。

 

「陛下にしか出来ぬことを、今日なされた」

 

「……ミヤザ」

 

「ですから」

 

 途端に。

 

 いつもの不機嫌な顔へ戻る。

 

「次からは、せめて出発前に私へ一言お知らせください」

 

「そちらか」

 

「私にも準備というものがあります」

 

「それは済まぬ」

 

「本当に反省しておられますか?」

 

「多少は」

 

「多少ですか」

 

「皇帝ゆえな」

 

 ミヤザは頭を抱えた。

 

「そういうところですぞ、陛下」

 

 ダイ・グは、ようやく若者らしく笑った。

 

     *

 

 数日後。

 

 ジークボゥは報告を読んでいた。

 

 皇帝声明。

 

 ナカカラ防衛。

 

 元老院との決裂。

 

 帝国議会長官ミヤザによる、皇帝への公然たる苦言。

 

 表面だけを読めば。

 

 若い皇帝と、それを押さえつけようとする旧体制。

 

 だが。

 

 ジークは一枚の非公式報告へ目を落とした。

 

 ミヤザは元老院寄りではない。

 

 むしろ逆。

 

 ダイ・グとクリスティンを守るため、元老院の懐へ入り込んでいる。

 

「……みんな」

 

 ジークは呟いた。

 

「自分に出来ることを、やっている」

 

 その時。

 

 昔の夜が蘇った。

 

 メサ・ルミナス学園。

 

 プロムナード。

 

 テラス。

 

 そして。

 

 どうにも騎士らしくない、一人の騎士。

 

 ――自分に出来ることがあって、助けられるなら助けりゃいいじゃねぇか。

 

 ダイ・グは。

 

 皇帝として出来ることをした。

 

 ミヤザは。

 

 汚れ役として出来ることをしている。

 

 クリスティンは。

 

 騎士として戦っている。

 

 なら。

 

 自分は。

 

 ――何にも出来ねぇって泣くしかない奴の方が多い。

 

 ジークは、自分の手を見た。

 

 血がある。

 

 名がある。

 

 権利がある。

 

 三大王家がある。

 

 円卓がある。

 

 使おうと思えば。

 

 使える。

 

 ――気持ち一つで出来ることがあるなら、それは幸せなことだろ。

 

「……幸せ、か」

 

 ジークは小さく笑った。

 

 兄を救える。

 

 クリスティンを救える。

 

 フィルモアも救える。

 

 もちろん。

 

 すべてを救えるわけではない。

 

 だが。

 

 何も出来ないわけではない。

 

「兄上」

 

 誰もいない部屋で。

 

 ジークは静かに呟いた。

 

「あなた一人に、全部を背負わせる必要はない」

 

 その日。

 

 ノルガン・ジークボゥは初めて。

 

 皇帝になるという選択肢を。

 

 逃れたい運命としてではなく。

 

 自ら使うことのできる力として。

 

 正面から見つめた。

 

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