/*/ デュアンス・プロトン城――第239代皇帝 /*/
デュアンス。
プロトン城。
その日、フィルモア帝国の中枢には、帝国史上でも稀なほど多くの視線が集まっていた。
皇帝交代。
しかも、前帝の崩御によるものではない。
ダイ・グ・フィルモアは生きている。
病に倒れたわけでもない。
元老院によって「療養」を強いられながら、その権威と民衆からの支持を失うことなく、自ら皇位を次代へ譲った。
そして今。
玉座に座る青年の名は、もはやノルガン・ジークボゥではなかった。
ドナウ・ガァ・レーダー9。
第239代フィルモア帝国皇帝。
帝冠を戴き、皇帝衣を纏ったその姿に、かつてメサ・ルミナス学園で笑っていた少年の面影はまだ残っている。
だが、その目はもう逃げてはいなかった。
三大王家。
帝国議会。
騎士団。
そして円卓。
自らを縛ってきたすべてを。
今度は自分の意思で背負っている。
「一同、面を上げよ」
声が大広間へ響いた。
若い。
だが迷いはない。
ジーク――レーダー9の視線が、列席者たちを横切る。
そして、一人の女性で止まった。
「クリスティン・V伯爵」
「はっ」
クリスティンが前へ出た。
甲冑姿。
騎士として、まっすぐに立っている。
かつては、その生まれゆえに。
その性格ゆえに。
そしてダイ・グとの関係ゆえに。
幾度となく政治の道具として見られてきた女性。
だが今日。
ここに立つ彼女は誰の愛人でも、誰かに庇護される少女でもない。
己の剣で。
己の戦績で。
己の忠誠で。
帝国騎士の頂点まで登ってきた騎士だった。
レーダー9が立ち上がった。
「朕は、そなたを」
一度、言葉を切る。
「全権騎士――エンペラーズ・ハイランダーへ任ずる」
広間がざわめいた。
だが、皇帝は続ける。
「並びに」
さらに一段。
「フィルモア全騎士団総長も任ずる」
今度こそ。
大広間の空気が変わった。
単なる名誉職ではない。
皇帝直属の騎士。
さらに帝国に存在する騎士団すべてを束ねる総長。
それは、クリスティンがダイ・グ個人の騎士だから与えられた地位ではない。
新皇帝自身が。
新しいフィルモアが。
彼女を帝国最高位の騎士として認めたということだった。
クリスティン自身も、その意味を理解している。
少しだけ。
ほんの少しだけ目を見開いた。
「陛下」
「異論があるか」
「……ございません」
クリスティンは膝をついた。
「この身、この剣を、フィルモアのために」
レーダー9は頷いた。
「大義である」
そして。
皇帝の視線が、もう一人へ移った。
列席者の中。
皇帝ではなくなった青年がいる。
ダイ・グ・フィルモア。
今は帝冠もない。
皇帝衣もない。
それでも。
誰一人として、彼をただの退位した王族とは見ていなかった。
ナカカラで元老院に背き。
帝国の名誉を守り。
旧体制との決裂を恐れなかった前皇帝。
レーダー9が、兄を見る。
一瞬だけ。
皇帝ではなく。
弟の目になった。
だが。
次に口を開いた時には、再び帝国皇帝だった。
「そして」
広間が静まる。
「前皇帝である、ダイ・グ・フィルモア5」
ダイ・グが少し眉を上げた。
聞いていない。
そんな顔だった。
レーダー9は構わず続ける。
「同じくそなたもエンペラーズ・ハイランダーへ任ずる」
今度はダイ・グの方が、はっきり目を見開いた。
「並びに円卓の騎士へも任ずる、これからも朕に尽せ」
沈黙。
完全な沈黙だった。
ダイ・グが、弟を見る。
レーダー9は涼しい顔をしている。
しばらくして。
「……陛下、上奏を願います」
ダイ・グが口を開いた。
「聞こう、ダイ・グ・フィルモアよ」
「身共は、その話を聞いてませぬ」
「だから、此処で勅を下したのだ」
わずかに。
広間のあちこちで笑いを堪える気配がした。
ダイ・グの眉が動く。
「ジーク」
「公の場ぞ」
「そなたな」
「不敬である」
ダイ・グは額へ手を当てた。
その仕草だけは。
つい少し前までと変わらない兄だった。
「身共を皇位から降ろし、今度は騎士として働けと申しますか」
「然り」
「隠居させる気は」
「先日話したであろう」
レーダー9は微笑んだ。
「そなたが隠居するには、早い」
「……」
「それに」
皇帝の表情が少しだけ真面目になる。
「朕は、まだ若い」
ダイ・グが顔を上げる。
「前皇帝が無理に貫禄を出そうとしていた年よりも、さらに若い」
「それは余計であります」
今度は。
本当に小さな笑いが広間に漏れた。
レーダー9も笑った。
「ですから」
そして。
「支えてください」
短い言葉だった。
「僕が?」
「はい」
「円卓の一騎士として?」
「はい」
「皇帝に忠言せよと」
「むしろ、そう命ずるのが皇帝です」
「そなた、後悔するなよ」
「兄様より素直に耳へ入れます」
「言うようになったな」
ダイ・グは息を吐いた。
だが。
その顔には笑みがあった。
「相、仕った」
一歩。
前へ出る。
そして。
前皇帝ダイ・グ・フィルモアが。
新皇帝レーダー9の前へ膝をついた。
広間が息を呑む。
「ダイ・グ・フィルモア」
かつて皇帝として使っていた威厳を。
今度は騎士として声へ乗せる。
「謹んで、皇帝陛下の勅命を奉じいたす」
ジークは。
ほんの一瞬。
泣きそうな顔をした。
だが皇帝だった。
だから。
「大義である」
それだけを言った。
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それは。
人事発表以上の意味を持っていた。
クリスティン・Vは。
ダイ・グの寵愛ゆえに皇帝騎士なのではない。
第239代皇帝自身によって、その実力を認められた。
ダイ・グは。
皇位を退いたからといって、帝国から放逐されたのではない。
新皇帝の円卓に座り。
帝国最高位の騎士として、新時代を支える。
旧帝と新帝。
旧時代と新時代。
それを断絶させるのではなく。
繋いだ。
そして。
もう一つ。
政治的には、もっと小さく見えて。
当人たちにとっては何より大きな変化があった。
ダイ・グは、もう皇帝ではない。
クリスティンは、もうダイ・グ個人に属する皇帝騎士ではない。
二人とも。
フィルモアに仕える騎士になった。
それだけだった。
だが。
それだけで。
二人の間にあった最大の枷の一つが消えた。
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式典を終え。
人々が退室し始めた頃。
クリスティンが、レーダー9の前へ戻ってきた。
「皇帝陛下」
「どうした」
「上奏を願います」
「聞こう」
「この人事は」
少し。
躊躇う。
「私と……ダイ・グ・フィルモア様とのことをお考えになってのことでしょうか」
ジークは、しばらくクリスティンを見た。
そして。
「否」
答えた。
クリスティンが目を瞬く。
「そなたを全権騎士へ任じたのは、そなたが地位に相応しき才と力を持つが故」
「……」
「同じくダイ・グ・フィルモアへ任じた全権騎士も、相応しき才と力を持つが故に」
「…然り」
「朕が政に私情を挟む余地はない、弁えよクリスティン・V」
「……失言で御座いました」
クリスティンが頭を下げる。
「そう」
ジークの声が続いた。
クリスティンが顔を上げた。
新皇帝は、少しだけ。
メサ・ルミナスにいた頃の少年の顔で笑った。
「もう兄様は皇帝ではありません」
「……」
「あなたも、兄様個人の皇帝騎士ではありません」
「陛下」
「あとは」
ジークは言った。
「僕の知ったことではありません」
クリスティンの顔が赤くなった。
「なっ……!」
「国家は、もう言い訳には使わせませんよ」
「陛下!」
「それ以上は、お二人でどうぞ」
「ジーク!」
少し離れたところから、ダイ・グの声が飛んできた。
「聞こえているぞ!」
「それはよかった」
「何がよい!」
ジークは笑った。
その時。
遠い昔の言葉が。
ふと胸の奥をよぎった。
――自分に出来ることがあって、助けられるなら助けりゃいいじゃねぇか。
――何も出来ねぇって泣くしかない奴の方が多い。
――気持ち一つで出来ることがあるなら、それは幸せなことだろ。
ジークは。
玉座を振り返った。
重い。
逃げたくなるほど重い。
これから何十年。
あるいは、それ以上。
自分はこの帝国を背負う。
だが。
この力で。
国を救える。
人を救える。
大切な者たちが、何かを諦めなくてもよい国へ。
ほんの少しずつでも変えていける。
ならば。
「確かに」
小さく呟いた。
「幸せなことですね」
デュアンス・プロトン城。
その日。
第239代皇帝ドナウ・ガァ・レーダー9の治世は。
前の時代を殺すことなく。
前の時代に生きた者たちを、未来へ連れて行くことから始まった。
次はトローラの影響で変わったヨーンくんの運命を書こうと思ってるのですが、別件のアイデアが浮かんだのでしばらくそっちに取り掛かります。