/*/ ジュノー コーラス王朝 王宮外郭 ベルリン臨時格納区画 /*/
トローラ・ロージンは、歩きながら考えていた。
いや、考えてしまっていた。
目の前ではコーラス三世が、妙に晴れやかな顔で先導している。
横にはレディオス・ソープ。
少し後ろにはボード・ヴィラード。
逃げ道はない。
逃げ道がないので、トローラは脳内だけでも逃げていた。
(……待てよ)
原作の流れを思い出す。
ジュノーン。
奇襲。
クローソーが制御しない。
コーラス三世だけで操縦。
サイレン。
そして、王の死。
だが、今は違う。
ウリクルは生きている。
重傷ではあるが戻った。
今後、ジュノーンに乗るなら、コーラス三世はウリクルと乗る。
なら、奇襲されても返り討ちにできるのではないか。
少なくとも、原作と同じ形では死なないはずだ。
(……あれ?)
トローラは真顔になった。
(俺、別にベルリン乗らなくても良いんじゃねぇか?)
そう思った瞬間、少しだけ足を止めかけた。
だが、コーラス三世が振り返る。
「どうした、トローラ」
「いえ。俺がいなくても何とかなるんじゃねぇかなって、すごく大事な発見をしました」
「そうか」
「はい。なので俺はここで――」
「まず見てくれ」
「聞いてねぇ!」
コーラス三世は、実に穏やかな顔で歩き続けた。
トローラは引きずられるようについていく。
やがて、臨時格納区画の大扉が開いた。
白い騎体が、そこにいた。
ベルリン。
コーラス王の騎体。
白い装甲は、派手すぎず、しかし王騎としての気品を隠していない。
戦場のための機械でありながら、どこか楽器のような静けさがあった。
トローラは、思わず息を呑んだ。
「……いい騎体じゃねぇか」
悔しいが、口に出た。
騎士だからだ。
騎体を見れば、分かってしまう。
良いものは良い。
乗ってみたいかと言われれば、乗ってみたい。
だが、その欲望を認めた瞬間、話が全部進む気がする。
だからトローラはすぐに首を振った。
「いや、見るだけです。見るだけ。俺はまだ乗るとは――」
その時、ベルリンの足元に人影が見えた。
細い影。
白い肌。
まだ病み上がりの色を残しながら、まっすぐ立っているファティマ。
シューシャだった。
トローラは目を丸くした。
「シューシャ。どうした?」
シューシャは、ゆっくりと膝を折った。
それを見て、トローラは嫌な予感がした。
すごく嫌な予感だった。
「おい、待て。そういう姿勢はやめろ」
シューシャは止まらなかった。
ベルリンの前で、彼女は静かに頭を下げた。
「トローラ・ロージン様」
「様をつけるな。急に距離が怖い」
「貴方は、私たちを覚えていてくれる騎士様だと思いました」
トローラは黙った。
シューシャは続ける。
「川に流された私を、貴方は名前で呼びました。ウリクル様へも、戻れと叫びました。ファティマを、ただ戦場に落ちた部品として扱わなかった」
「大げさだ」
「大げさではありません」
シューシャは顔を上げた。
その目は、まだ弱っている。
だが、濁ってはいなかった。
「貴方の『戻れ』との声で、私は戻ってこられたのです」
トローラは頭をかいた。
「いや、あれは人工呼吸と強心剤と心臓マッサージでだな」
「それでも、声が聞こえました」
「……そうかよ」
シューシャは、もう一度深く頭を下げた。
「どうか、私をお選び下さい……マスター」
トローラは天井を仰いだ。
「えぇぇ……」
声が本気で漏れた。
格納区画の空気が、妙に静かになる。
コーラス三世は黙っている。
ソープは楽しそうに見ている。
ヴィラードは腕を組んでいる。
全員、逃がす気がない顔だった。
トローラは慌ててシューシャに向き直った。
「いや、待て。俺、ゴロツキだから苦労するぞ? 元汚職側の騎士だぞ? 金もねぇぞ? さっきまで中古MHすら買えねぇってぼやいてた男だぞ?」
「はい」
「はいじゃない。もっと考えろ。コーラスにはトリオ騎士もいるんだろ。素行の良い奴を選べよ。身元が綺麗で、礼儀があって、ちゃんとした騎士を選べ」
「私は、貴方がよいのです」
「だから、それが危ないって言ってんだよ!」
トローラは両手を広げた。
「それ、DV夫から助けた医療従事者に依存するような選び方になってないか? 川から引き上げた相手にそのまま懐くな。回復してから、ちゃんと冷静に選べ」
シューシャは少しだけ瞬きをした。
「私は冷静です」
「冷静な奴は、悪党騎士を初手でマスターに選ばない」
「貴方は、悪党騎士でも、私を情報として扱いませんでした」
「情報抜きしなかっただけで合格にするな。基準が低い」
「低くありません」
シューシャの声が、少し強くなった。
「私は、戦場で使い捨てられるはずでした。川に捨てられて、消えるはずでした。けれど、貴方は戻れと呼びました。名前を呼びました。眠れと言いました。傷を癒せと言いました。新しいマスターを探せと言いました」
「言ったな」
「だから探しました」
「早いんだよ!」
トローラは思わず叫んだ。
だが、シューシャは引かなかった。
「見つけました」
その一言に、トローラの胸が詰まった。
困る。
これは困る。
澄んだ目のコーラス三世だけでも困るのに、今度は救ったファティマが真正面から来る。
しかも、依存だけではない。
シューシャは弱っている。
傷ついている。
主を失った。
だが、その目には、自分で選ぼうとする意志がある。
トローラはそれが分かってしまった。
分かってしまったから、逃げづらくなる。
「……苦労するぞ」
低く言った。
「はい」
「俺は上品じゃねぇ」
「はい」
「叫ぶぞ」
「存じています」
「戦場で変なこと言うぞ」
「聞きました」
「金もねぇ」
「これから稼げばよいかと」
「ファティマに現実的なこと言われた!」
ソープが小さく笑った。
トローラはそちらを睨む。
「笑うな、ソープくん!」
「ごめん、面白くて」
「正直に言うな!」
コーラス三世が静かに言った。
「トローラ。シューシャは自分で選びに来た」
「陛下まで背中を押すな」
「押しているわけではない」
「押してます。両手で、どーん!と」
ヴィラードが口を開く。
「選ばれるのも騎士の仕事だ」
「大統領まで!」
トローラは頭を抱えた。
逃げ道がない。
いや、逃げようと思えば逃げられる。
だが、逃げたら、この子の選択を無かったことにしてしまう。
それは、どうにも気分が悪かった。
トローラは、長く息を吐いた。
「……ああ、もう」
シューシャが、じっと見ている。
ベルリンも、黙って見下ろしているように見えた。
「苦労してから泣くなよ」
その瞬間、シューシャの顔が変わった。
静かで、慎重で、まだ痛みを抱えていた表情が、ぱっと明るくなる。
涙が浮かぶ。
けれど、それは悲しい涙ではなかった。
光を受けて、眩しく揺れた。
「イエス! マイ・マスター!」
トローラは、直視できなくて少しだけ目を逸らした。
「うわ、眩し……」
ソープが楽しそうに言う。
「決まったね」
「決まったね、じゃねぇんだよ。俺の人生が今、勝手に急カーブ切ったんだよ」
コーラス三世は穏やかに微笑んだ。
「では、ベルリンも見るだけでは済まなくなったね」
「陛下、そういう追い打ちやめてください」
「ファティマが決まったのだから、騎体も必要だ」
「論理が強い!」
シューシャは立ち上がり、まだ少しふらつきながらも、トローラの傍へ来た。
トローラは反射的に支えた。
「無理すんな。お前まだ病み上がりだろ」
「はい、マスター」
「その呼び方、慣れるまで心臓に悪いな」
「慣れてください」
「強いな、お前」
「マスターのファティマですので」
トローラは、また天井を仰いだ。
格納区画の上空では、エアドーリーがさらに一機、ゆっくりと通過していく。
友邦のMH。
迫る戦争。
白いベルリン。
そして、自分を選んだシューシャ。
逃げるには、もう少し遅かった。
だが、胸の奥は熱い。
K.O.G.に砕かれた空の下で、もう一度騎体に乗る。
負け犬騎士が、ファティマに選ばれた。
それだけで、どうしようもなく少年漫画みたいだった。
トローラはベルリンを見上げ、苦笑した。
「見るだけのはずだったんだけどな」
シューシャが隣で静かに言った。
「乗りましょう、マスター」
「まだ決めてねぇ」
「乗りましょう」
「二回言うな」
コーラス三世も言った。
「乗ってくれ、トローラ」
「陛下まで三回目にするな!」
ソープがにこにこしている。
ヴィラードも笑っている。
シューシャは涙の残る眩しい笑顔で、まっすぐトローラを見ている。
トローラは両手を上げた。
「分かった! 分かったよ! 乗る! 乗ればいいんだろ!」
その場にいた整備兵たちが、小さく歓声を上げた。
トローラは慌てて振り返る。
「お前らも聞いてたのかよ!」
誰かが答えた。
「聞こえました!」
「聞くな!」
シューシャが、ほんの少し笑った。
その笑顔を見て、トローラはもう何も言えなくなった。
負け犬騎士トローラ・ロージン。
K.O.G.に叩き落とされ、川からファティマを引き上げ、王のファティマの心臓を戻し、ついには白いベルリンとシューシャを得る。
空はまだ砕けている。
だが、砕けた空へもう一度飛ぶ理由は、すぐ隣に立っていた。