どうやって帰ったかは覚えていない。気が付くと家の玄関前にいた。いつもより重く感じるドアを開け中に入り呆然と立ち尽くす。彼女のためを思ってやったことなのに逆に怒らせてしまった。メガネの副作用のせいで頭も喉も痛い。今日は早く寝よう、そう思い靴を脱いでいると聞き慣れた声がした。
「遥人?遥人なの?お帰り∼」
リビングのドアが開きエプロン姿の母親がお玉を片手にこちらを見ている。
「帰りが遅れるなら連絡しなさいよ。心配しちゃったじゃない。」
開いたドアから良い匂いがする。でも直前にあんな事があってとても何か食べる気にはならなかった。
「ごめん。体調が悪いから今日はもう寝る。」
「大丈夫?後で薬持っていくから温かくして休みなさいよ∼」
階段の下から聞こえる声に適当に返事をして自分の部屋に入った。
制服からパジャマに着替え布団に入るが速水さんの言葉が頭から離れない。
"余計なことしないで!!!"
なら見て見ぬふりをすれば良かったのか?
そんなことしたら俺も彼女も苦しいじゃないか。そうだ。きっとあれは本心じゃない。彼女もあんな事があって頭が混乱していたんだ。ならやっぱり本郷を晒す以外に選択肢はない。
手を伸ばして机の上に追いたスマホを取り例の動画を確認する。本当は見返したくないが一通り見終え憂鬱な気分になりながらも動画を編集しSNSアプリ「タイッター」を開いた。普段このアプリはほとんど使っておらず趣味用のアカウントでたまに情報収集するくらいだった。いざ動画を載せようとすると手の震えが止まらない。自分はとんでもない事をしようとしているのではないか?
"晒しは加害者以上に悪質だよな"
昨日の自分の言葉が胸に突き刺さる。
しかしこうする以外には速水さんを救う方法は無い。
誰かにとっての正義は誰かにとっての悪で全人類が納得する答えは存在しない。だから戦争が起きるのだ。
この方法が俺にとっての正義なのだから仕方ない、そう何度も自分を説得しついに本郷の悪事を全世界に広めた。もちろん速水さんの全身にモザイクをかけ声も変える。全てを晒すのは本郷だけだ。
「遥人∼?お薬と水ここに置いとくわよ∼」
重い身体を起こしてドアを開けお盆を持とうとすると下から母の話し声がする。誰かと電話してるのだろうがここ最近毎日だ。
オバサンの会話というのは特殊なもので何をそんなに話すことがあるのだろう。
別に話している内容に興味もないので母が置いていったものを部屋に入れ薬を飲みこの日は就寝した。
翌朝目が覚めると身体が軽くなっていた。
まだボーッとする頭を横に振りタイッターを開くと見たことのない数の"いいね"がついていた。
もう罪悪感なんてものはなかった。
これだけの人が共感してくれているのだから俺がやったことは正義なのだ。
脳内でドーパミンが溢れ出しているのを実感しながら部屋を出た。
リビングに入ると母が朝食を机に並べていた。
「おはよう」
俺が声をかけると母は束ねた後ろ髪を揺らしながらこっちを見る。
「体調は大丈夫なの?学校休む?」
"休む"
昨日までの俺ならこの言葉は天にも昇るくらい嬉しかった。
「治ったから行く」
速水さんの件が気になってしょうがないので1秒でも早く彼女と会話がしたかった。
「そう。無理しないでね。受験も近づいてるんだから。」
母は食器を洗いに洗面所の方に向かっていった。
昨夜は何も食べなかったので目の前にある朝食はいつもより美味しく感じた。
家を出て教室の前に着くと何故か呼吸が荒くなっていく。
もし晒したのが俺だとバレたれどうしよう?捕まるのかな?そしたら退学?ネガティブな思考が止まらず扉の前で立ち止まっていると誰かが俺の肩を叩いた。
振り返るとそこには速水さんがいた。
「昨日は大丈夫だっ...」
言葉を遮り彼女は俺の腕を掴んで小走りで空き教室に入っていく。
何?この展開?漫画とかドラマでよく見るあれか?ここから俺の青春が始まるのか?
そんな俺の考えは彼女の第一声でかき消された。
「許さない」
想定外の言葉に身体が動かなくなる。
彼女は顔を真っ赤にしながら口を開けた。
「あの動画拡散したの吉野君でしょ!?私やめてって言ったよね!?」
俺の両肩を強く掴み彼女は叫んだ。
「私の大切なものをあなたが奪った!許さない!絶対に許さない!」
彼女は勢いよく教室を飛び出して行った。
"大切なもの"とは陸上のことなのだろう。
見たことのない彼女の形相に固まってしまい彼女を追いかけることができなかった。
こんな気持ちで授業を受けられるはずもなく俺は家に帰った。