0.012秒差で2位となった24号車・一ノ瀬美織を待っていたのは――まさかの学業リタイアの危機!?
皆様、いつも『蒼穹の遺伝子 -昴と彗星-』をお読みいただきありがとうございます!
前回、第一回MFG-Fの開幕戦にて、マクシミリアンのロードスターと写真判定の末にコンマ数秒の死闘を演じた美織のBRZ。
興奮冷めやらぬ第11話は、激闘の地・箱根から一転、美織の生まれ故郷である鹿児島での「束の間の日常(インターミッション)」をお届けします。
実は箱根に旅立つ前、一ノ瀬親子にはある「秘められた(?)誓い」がありました。
そして遠征から戻った美織に突きつけられた、学校側からの非情なレギュレーションとは……?
レースの緊張感から一転、しげの先生作品特有の「あのトホホな空気感」全開でお送りします。どうぞお楽しみください!
第一回MFGフレッシュマンシリーズ(MFG-F)の開幕戦・芦ノ湖GT。そこを吹き抜けた蒼い旋風の余韻は、いまだ多くの人々の胸に深く刻まれたままである。
写真判定の末に、わずか0.012秒という極小の差で2位となった24号車、スバル・BRZ。
そのステアリングを握っていた17歳の現役女子高生、一ノ瀬美織の戦いは、すでに次なるステージへと向けて動き出していた。
だが、その前に――。
物語の時計の針は、彼女が箱根の地へと旅立つ直前、鹿児島の地でのある一日にまで遡る。
それは、美織が母親であるエミリの駆るラリー仕様WRX STIを相手に、鹿児島の私設峠で血の滲むようなタイマンバトルを繰り広げ、MFG-Fへの参戦許可をもぎ取った、まさにその翌日のことだった。
初夏の強い日差しが降り注ぐ、鹿児島の青い空。
遠くに雄大な桜島を望む小高い丘の上にある墓地に、二つの人影があった。
一ノ瀬美織と、その母・エミリである。
二人は、5年前に不慮の事故でこの世を去った元GTトップレーサー、一ノ瀬駿の墓前に佇んでいた。
「……お父さん。約束通り、お母さんから合格をもらってきたよ。私のBRZで、箱根を走ってくる」
美織は、丁寧に手向けられた色鮮やかな花を見つめながら、抑揚のない、しかし芯の通った声で呟いた。
152cmという華奢な体躯。フィンランド人の母親から受け継いだ鮮やかな金髪のロングヘアが、南国の風に小さく揺れている。
その隣で、元ラリードライバーであり、現在はMFG統括アドバイザーを務めるエミリが、サングラスの奥の鋭い瞳を少しだけ和らげて墓石を見つめていた。
線香の煙がゆっくりと青空へ溶けていく中、美織がふと、いつもの無表情な顔のままエミリを振り返った。
「ねえ、お母さん。ふと思ったんだけど」
「何よ、美織。改まって」
「もし私が……MFGのパイロットじゃなくて。あの、MFGエンジェルズになりたいって言ってたら、お母さんはどうしてた……?」
一瞬、墓地を抜ける風の音だけが周囲を支配した。
エミリは眉をピクリと動かすと、サングラスを少し下げて、娘の30kg台後半という極めてタイトで合理的な戦闘体形(パッケージング)を上から下まで冷徹に見つめた。
「あんたが? 悪い冗談はやめなさい。そもそも衣装のサイズがないわ。上原マネージャーが衣装の特注補正予算を組むハメになって、初日から頭を抱えることになるのが目に見えているわね。それに――」
そこまで言って、エミリはフッと息を漏らすように苦笑した。
「私よりも先に、あんたの父親がね……あの世から這い出てきてでも大暴れして、全力で阻止していたはずよ」
「お父さんが……?」
美織の綺麗な眉がわずかに動く。
エミリの脳裏には、5年前――まさに第一回MFGが開催される直前、一ノ瀬家のリビングで繰り広げられた、亡き夫の「トホホな大乱行」の記憶が鮮烈に蘇っていた。
5年前。リビングのソファにドカッと腰掛け、MFGの開催概要が書かれた運営の内部資料を読み込んでいた一ノ瀬駿は、あるページを開いた瞬間に、文字通り椅子から跳ね上がった。
「(ガタタッ!!と激しい音を立てて椅子を後方に吹き飛ばす駿)」
「な、何なんだ……っ!! 何なんだこれはぁぁぁ――っ!!」
頭を抱え、リビングの中心で絶叫する駿に、キッチンでコーヒーを淹れていたエミリが冷ややかな視線を送る。
「うるさいわね、駿。何を取り乱しているのよ。涼介さんから届いたMFGのレギュレーションシートでしょう?」
「違う! レギュレーションじゃない! いや、ある意味では最悪のレギュレーションだ!! 見ろ、エミリ! この、MFGエンジェルズとかいう公式イメージガールの衣装を!!」
駿が狂ったように指差したタブレットの画面には、ハイレグ気味のタイトなセパレートコスチュームを身にまとった女性たちのデザイン画が映し出されていた。
「何だこの格好(汗) エロ過ぎだろうがよぉぉぉ!!」
「バカね、あんたは。モータースポーツの華よ。これくらい海外のレースクイーンなら珍しくもないわ」
「よくない! 全然よくない!!」
駿は自分の胸を激しく叩きながら、青筋を立てて熱弁をふるい始めた。その目はガチの親バカのそれであり、完全に理性を失っている。
「いいか、エミリ! もし、もしもだぞ!? 将来、美織が大きくなって『私、MFGエンジェルズになりたいな!』なんて1ミリでも言い出したら、俺は命を賭けても全力で反対するぞ!!」
「誰もそんなこと言ってないでしょうに……」
「美織が全世界のクソ野郎どものエロい視線に晒されるなんて、父親として絶対に耐えられん!! 想像しただけで血圧が200を突破しそうだ!! ああ、許せん! 高橋涼介の野郎、なんて破廉恥でインモラルなレギュレーションを組み込みやがったんだ……っ!! どんなに走りの理論が天才的でも、これだけは断固として認めんぞおおお!!」
リビングの床に四つん這いになり、架空の未来を憂いて絶望のオーラを垂れ流す夫の後頭部を見つめながら、エミリは深くため息をついたものである。
「……本当に、走っている時以外はただのバカね、あんたは」
「――というわけよ。だから、あんたがエンジェルズのオーディション用紙を持ってきた時点で、あの人は家の中でハンガーストライキでも始めていたに違いないわ」
墓前の風が、エミリの長い髪を優しくなびかせる。
回想を終えたエミリは、隣に立つ娘の頭を、少し乱暴に、けれど愛おしそうにクシャクシャと撫でた。
「だから、あんたはバケットシートに深く腰掛けて、右足でアクセルを踏みちぎっていればいいの。それが、あのバカな父親が一番喜ぶあんたの姿よ」
美織は乱れた金髪を直すこともせず、しばらくの間、駿の墓石をじっと見つめていたが、やがていつもの冷静な口調でポツリと言った。
「……そう。お父さんが。なら、現在の私のパッケージング(戦闘体形)で大正解だったね。無駄なウェイト(胸)を削ぎ落としたのは、グリップウエイトレシオの計算だけでなく、お父さんの精神衛生上にも合理的だったというわけだ」
「相変わらず色気のない計算ね。さあ、行くわよ。おじいちゃんがショップで待ってるわ。箱根へ向かう積載車の準備をしないとね」
「うん」
美織は最後に深く一礼し、エミリの後を追って歩き出した。
亡き父が命を賭けても反対したであろう「エロい視線」の代わりに、彼女は箱根で、全世界3000万人の「驚愕と戦慄の視線」を一身に集めることになるのだが――それは、この数日後の話である。
そして現在。
激闘の第一戦・芦ノ湖GTを2位という衝撃的な結果で終え、神奈川から鹿児島へと戻ってきた一ノ瀬美織を待っていたのは、心地よい勝利の余韻……などでは決してなかった。
「――いいな、一ノ瀬。私はお前との約束を忘れてはいないぞ」
鹿児島の私立高校。その進路指導室の机をコツコツと指で叩きながら、担任の坂元先生が、眼鏡の奥から鋭い眼光を美織に飛ばしていた。
「遠征から戻って、次の定期テストで一つでも赤点を取ったら、MFG-Fへの特別参戦許可証は即没収。これは学校長も含めた絶対のレギュレーションだ。異論はないな?」
机の上に置かれたBRZのキーを見つめながら、美織は微動だにせず、直立不動のまま淡々と答えた。
「はい、坂元先生。レギュレーションは絶対です。減点は即、失格(リタイア)を意味すると認識しています」
「分かっているならよろしい。お前はレースの才能はあるようだが、学業を疎かにしていい理由にはならん。特に数Ⅲと物理はともかく、前回の現国の点数は壊滅的だったからな。しっかり対策を立てろ」
「了解しました。現国の『著者の心情を答えよ』という設問に対し、脳内の関数に致命的なバグが生じました。次回のセッティングでは、選択肢の不確定要素を完全に排除するロジックを構築します」
「……お前のその、分かっているのか分かっていないのか分からん理屈っぽい喋り方は相変わらずだな。とにかく、赤点は許さんぞ。戻ってよし!」
「失礼します」
ガラガラと引き戸を閉め、廊下に出た美織は、小さくため息をついた。
彼女にとって、レースでの時速200キロを超えるコーナリングでの荷重移動や、タイヤのサイドウォールのヨレを数式化することは容易だった。
しかし、「恋人に振られた主人公の切ない気持ち」を限られた文字数で記述するというミッションは、火山灰の浮いた低μ路面をノーマルタイヤで走るよりも遥かにコントロール不能な領域(絶対領域)だったのである。
その日の放課後、美織は一ノ瀬モータースのガレージへと向かった。
重苦しい鉄扉を開けると、油とガソリンの匂いが鼻腔をくすぐる。そこには、美織の愛車であるサファイアブルーのBRZ(ZD8型)が、フロントバンパーを外された状態でリフトアップされていた。
「おう、美織! 戻ったか!」
ガレージの奥から、地響きのような声と共に現れたのは、一ノ瀬モータース代表であり、美織のチーフメカニックを務める一ノ瀬巌である。
ガチムチのマッチョな巨躯に、油に汚れたツナギ。かつて関東の峠で藤原文太と命を削り合ったという伝説を持つ怪物は、満面の笑みで美織を迎えた。
「おじいちゃん。BRZの調子はどう?」
「おうよ! 芦ノ湖でマクシミリアンの野郎に0.012秒差で競り負けた原因を、データの隅から隅まで洗い出してやったところだ! 悔しいが、あいつのロードスターの軽さと、藤原拓海仕込みの荷重移動の精度は本物だな。だが、ウチのBRZだって負けちゃいねえ。美織、お前が感じ取った『17インチのヨレ』のデータ、あれは最高の宝の山だぞ!」
巌は太い腕を組み、不敵に笑った。
「次のコースの詳細はまだ運営から発表されちゃいねえが、どこが来てもいいように、足回りの『体幹』を根底から見直してやる。バンプラバーの潰れ具合をミリ単位で調整して、疑似的なツインスプリング効果を狙う凶悪なセットアップを頭の中で構築中だ。どんな悪路だろうが、お前のケツのセンサーに極上の情報を送り届けてやるからな!」
「ありがとう、おじいちゃん。でも、その前に……」
美織はカバンから、クシャクシャになった現国のプリントを取り出し、巌の前に差し出した。
「次のテストで赤点を取ると、BRZのキーが学校の金庫にロック(レギュレーション違反による失格)される。おじいちゃん、この『主人公が夕日を見て涙を流した理由』の関数を解く数式を教えてほしい」
巌は手渡されたプリントを一瞥すると、顔中の筋肉を激しく引きつらせ、ガリガリと豪快に頭を掻きむしった。
「な、何ぃ!? 学業のレギュレーションだとぉ!? バカ野郎、俺に現国なんか聞くんじゃねえ! 俺の人生の教科書は自動車工学とチューニングの仕様書だけだ!! 夕日を見て涙が出るのはな、目にパーツクリーナーが吹き飛んできた時だけだろうがよぉぉ!!」
「……おじいちゃんのセッティング理論は、現国には適用できないみたいだね」
「当たり前だ!! おい、エミリ! エミリはどこだ! 娘の学業のマネジメントはアドバイザーのお前の仕事だろうがよぉぉ!!」
ガレージに巌の怒号が響き渡る中、美織はBRZの美しいサファイアブルーのボディにそっと手を触れた。
次戦、まだ見ぬ未知のコース――長尾チャレンジカップの全貌が明らかになるまで、彼女には、タイヤのマネジメント以上に過酷な「赤点回避」という名のデスレースが待ち受けているのだった。
(第11話:束の間のインターミッション 編・完)
第11話をお読みいただきありがとうございました!
今回は初の日常回ということで、美織の亡き父・駿の「ガチの親バカ全開」な回想シーン**を描かせていただきました。もし美織がMFGエンジェルズになりたいなんて言い出したら、あの高橋涼介相手に殴り込みをかけかねない勢いでしたね(笑)。普段はクールな美織が、お父さんの前ではどんな娘だったのかが少し垣間見えるエピソードになっていれば幸いです。
そして後半は、現役高校生ドライバーの宿命である「定期テスト(赤点=即失格)バトル」が開幕。
巌じいちゃんの「夕日を見て涙が出るのはパーツクリーナーが目に入った時だけ」という名言(?)も飛び出しましたが、美織は果たして無事に現国の関数を解き明かし、第2戦のシートを守ることができるのか……!?
次回は本編に戻り、第12話:ライバル編【24号車の衝撃】へと突入します!
開幕戦で新世代たちに巨大なインパクトを与えた24号車・BRZ。それを見た逢坂彗、阿澄蘭、そして王者に君臨するマクシミリアンらライバルたちが、美織への焦燥感を募らせて次戦への爪を研ぎ始めます。
原作の展開を待ちつつ、この世界線をさらに熱く深掘りしていきますので、次回もぜひお楽しみに!
評価や感想、ブックマークなどもぜひよろしくお願いいたします!