蒼穹の遺伝子 -昴と彗星-   作:陽@曜花推し

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第2話をお届けします。

第2話では、いよいよ舞台を箱根へと移し、火山灰の浮く過酷なドライコンディションの中、美織が予選アタックに挑みます。

では、お楽しみください。



第2話:箱根の火山灰と、14番手の咆哮

小田原からターンパイクを駆け上がった一ノ瀬モータースの積載車は、初夏の淡い霧がたなびく箱根・長柄(ながら)の特設パドックへと滑り込んだ。

 

ゲートをくぐった瞬間、鼓膜を震わせたのは、何十台ものハイパフォーマンスカーが放つ咆哮と、タイヤが吐き出す熱気だ。第一回MFGフレッシュマンシリーズ(MFG-F)開幕戦・芦ノ湖GT。その予選3日目は、完全な晴天に恵まれていた。

 

だが、空の青さとは裏腹に、パドックに漂う空気はどこか殺伐としていた。

 

「おい、見ろよ。鹿児島の田舎からわざわざ積載車で乗り込んできたぞ」

 

「ゼッケン24……一ノ瀬? 聞かねえ名前だな。しかもドライバー、女のガキじゃねえか。現役の高校生だってよ」

 

周囲のピットから投げかけられる、目の眩むような敵意と好奇の視線。

それらを浴びながら、一ノ瀬美織は積載車の助手席から静かに地面へと降り立った。152センチメートルの華奢な身体に、サファイアブルーのBRZと同じ青のレーシングスーツ。金髪のお団子ヘアの下にある瞳は、完全に周囲の雑音をシャットアウトしていた。

 

「――おじいちゃん、空気圧。冷間でフロント1.9、リヤ1.85でいこう」

 

「おいおい、ずいぶん低めにするんだな。いくら晴れてるとはいえ、路面はあれだぞ」

 

巌が顎で示した先――パドックの隅のコンクリートには、うっすらと灰色の粉が積もっていた。

 

箱根山の火山活動によって放出された火山灰。これが路面全体に浮き、超高速のドライコンディションでありながら、まるで凍結路のように牙を剥く過酷な低μ(摩擦係数)路面。それが現在の芦ノ湖GTの正体だった。

 

「だからこそ、だよ」

 

美織はピットに下ろされたBRZの、17インチのアドバンタイヤを見つめた。

 

「大径18インチの連中は、タイヤの剛性に頼って火山灰の上を強引に面で捉えようとする。でも、それだと滑り出した瞬間に限界を超えてスピンする。私の17インチなら、適度に『ヨレ』てくれる。そのヨレの粘りの中に、火山灰を押し退けて路面を掴む本当のグリップがある。ケツのセンサーがそう言ってる」

 

その時、パドックの喧騒が一段と高くなった。

 

特設ステージの袖で、新MFGエンジェルズの生歌とダンスのリハーサルが始まろうとしていたのだ。機材や配線が乱雑に這う通路を、両手にお弁当の山を抱えた一人のエンジェルが、豊満なダイナマイトボディを揺らしながらバタバタと走っていく。二代目・珍獣枠の星野もか(19歳)だ。

 

「ひゃぅあ!? お、お弁当がぁーっ!」

 

案の定、太い束になった配線ケーブルにヒールを引っ掛け、もかが派手に前方へダイブした。お弁当のパックが空中でお手玉のように舞い、彼女の圧倒的な胸元が設営中のバックモニターのカメラにドアップで映り込む。

 

「もか! 本番前にステージ壊さないでよ! お弁当は放しちゃダメぇ!」

 

ステージ監督の上原マネージャーの鋭い怒声がパドックに響き渡り、スタッフたちが一斉に頭を抱える。

 

美織はその光景を一瞥し、「……騒がしい」とだけ呟いて、BRZの運転席へと滑り込んだ。

彼女に

とって、パドックの華やかさも、エンジェルズのトラブルも、何一つ計算式(レギュレーション)には入らない。

 

ヘルメットを被り、4点式ハーネスを締め上げる。

 

カチリ、という金属音が頭の中でスイッチを切り替えた。

 

今回のMFG-F第一戦。運営が開発を進めているという、コース上に前走者のラインを投影する「ゴーストシステム」は、技術的な調整が間に合わず未実装となっていた。つまり、この予選はごまかしの利かない、純粋な「ドライバーの五感」と「ストップウォッチ」だけの原始的なタイム勝負だ。

 

『美織、無線は生きてるか』

 

巌の声がインカムから流れる。

 

「クリア。おじいちゃん、行ってくる」

 

『おう。お前の親父が愛した箱根だ。思いきり踏んでこい』

 

チタンマフラーから弾けるような水平対向4気筒の乾いたサウンドが放たれ、サファイアブルーのBRZがウェイティングレーンへと進み出た。

 

コースインの合図と共に、美織はアクセルペダルを床まで踏み抜いた。

258馬力にまで煮詰められたNAエンジンが、タコメーターの針を一瞬で跳ね上げる。

中回転域のトルクの谷を完全に消し去った巌の職人技が、美織の右足のミリ単位の動きに寸分の遅れもなく追従した。

 

一本の帯のような長い下りセクション。

火山灰が白く舞うアスファルトへ、BRZが突入する。

 

「――始まった」

 

 

 

群馬の病院の医局。大型モニターの前に座るMFG創始者・高橋涼介は、24号車の一ノ瀬美織のオンボード映像とテレメトリーデータが画面に表示された瞬間、静かに目を細めた。

隣で腕を組むスタッフが首を傾げる。

 

「一ノ瀬美織……統括アドバイザーのエミリさんの娘さんですね。ですが涼介さん、この子のBRZ、データ上は他よりかなり不利ですよ。今の主流は18インチのハイグリップですが、彼女のマシンはあえて17インチにインチダウンしている。剛性不足でタイムが伸びないんじゃ……」

 

「いや、そうじゃない」

 

涼介は短い前髪を指先で払いながら、画面の中のブルーの機体を凝視した。

 

「この火山灰の路面において、剛性が高すぎる18インチは一瞬の限界を超えた時にドライバーを裏切る。だが、彼女の走りはどうだ。テールがわずかに流れる限界の領域で、17インチの『タイヤのヨレ』を限界まで維持し、路面を正確にトレースしている。……素晴らしいな。データロガーには映らない、アナログの極みだ。かつて一ノ瀬駿が見せた、あの公道最速のフットワークそのものだ」

 

涼介の言葉通り、美織の脳内は覚醒していた。

バケットシートを通じて背中と臀部に伝わる、ミクロ単位の路面の摩擦。

 

(いま、左フロントが火山灰に乗った。μが0.1下がった。……でも大丈夫、17インチのサイドウォールがしなって、まだ路面の地肌を掴んでる。ここからアクセルを1ミリ開ける――!)

 

「フライング・フィン」の血脈。

 

北欧の凍結路を走るかのような絶対的なバランス感覚で、美織は箱根の難所を、目にも留まらぬスピードで駆け抜けていく。滑る路面を怖れるどころか、完全に支配していた。

 

全5日間にわたる予選アタック。

そのすべてのスケジュールが終了し、公式掲示板にMFG-F開幕戦の決勝グリッドが刻まれた。

 

1位(ポールポジション)は、藤原拓海の弟子であり、18インチの圧倒的な剛性で物理限界のタイムを叩き出したマクシミリアン・シュミット(ロードスター)。

2位は、ポルシェのエリート・氷室玲香(718ケイマン)。

3位は、奥山のシミュレーターで牙を研いだ逢坂彗(GR86)。

 

そして――。

画面の視認性を変えるようにスクロールされた、その中位のポジション。

 

【予選14位:ゼッケンF24 一ノ瀬 美織 / ZD8 BRZ】

 

「14番手……」

 

美織はパドックのテントの下で、リザルト画面を見つめながら小さく息を吐いた。

トップ集団のタイムからは数秒の遅れをとっている。しかし、その瞳に絶望の色は微塵もなかった。

 

「おじいちゃん。お父さんの予選順位と、まったく一緒だね」

 

「ああ……」

 

巌は積載車の工具箱に手を置いたまま、遠い目をして笑った。

 

「駿が最初のMFGで掴んだのも、14番手のグリッドだった。あいつの魂が、お前をその場所に引っ張ったのかもしれんな」

 

「合理的じゃないけど、悪くないレギュレーション」

 

美織はレーシングリュックから数Ⅲの問題集を取り出し、パイプ椅子に座ってページを開いた。

 

「14番手から上へ行く。減点はなし。決勝の大人たちを全員、インから引き剥がす」

 

夕暮れの箱根。

 

サファイアブルーのBRZの向こう側で、決勝1周目の「洗礼」を企む大人たちの影が動き始めていた。だが、14番手の咆哮は、すでに公道の支配者たちの耳へと届きつつあった。

 

(第2話:箱根の火山灰と、14番手の咆哮 編・完)

 

 




第2話をお読みいただきありがとうございました!

ゴーストシステムなき純粋な低μ路面での戦い。美織は17インチの特性をフルに活かし、亡き父・駿がかつて刻んだのと同じ因縁の「14番手」を掴み取りました。

また、ステージ裏で派手にやらかした二代目珍獣・星野もかのダイナマイトな初陣も、パドックに絶妙な緊張緩和をもたらしてくれましたね。

次回、第3話は【宿命の遺伝子】。決勝前夜へと向かう中、美織が母・エミリから課された「甘くない組織のルール」、そして鹿児島でのあの凄絶なタイマンバトルの記憶が明かされます。美織の過去と、決勝に向けた巌じいちゃんの熱いセットアップをお楽しみに!
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