蒼穹の遺伝子 -昴と彗星-   作:陽@曜花推し

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第3話をお届けします。

第3話では、予選を終えて決勝を待つ箱根の夜が描かれます。宿へと向かう車中で、美織の脳裏に蘇るのは、かつて鹿児島で母・エミリから突きつけられた「甘くない組織のルール」、そして参戦許可を勝ち取るために挑んだ、あの凄絶な母娘のタイマンバトルの記憶でした。



第3話:宿命の遺伝子

予選3日目のすべてのスケジュールが終了し、夜の帳が降りた箱根。

山道を重々しく進む一ノ瀬モータースの積載車の助手席で、美織は窓の外を流れる暗闇を見つめていた。運転席では、巌が静かにハンドルを握っている。

 

「美織、疲れたなら後ろ(キャビンの仮眠スペース)で寝てていいぞ」

 

「大丈夫。それよりおじいちゃん、腰は痛くない?」

 

「ガハハ! 舐めるなよ。この程度の運転、昔に比べれば散歩みたいなもんだ」

 

巌は豪快に笑ったが、その横顔には隠しきれない労わりの色が滲んでいた。

息子の駿を事故で亡くして以来、巌は美織の移動に細心の注意を払っている。今回の箱根遠征も、決勝レースが終わるまでは小田原のビジネスホテルを拠点にし、過度な長距離移動を避けるスケジュールを組んでいた。

 

美織はシートに深く身体を預け、目を閉じた。

 

目を閉じると、耳の奥に響いてくるのはBRZの排気音ではない。もっと暴力的で、地を這うような重低音――不等長エキマニが奏でる、スバル・WRX STIのボクサーサウンドだ。

 

それは、数ヶ月前の鹿児島の記憶。

 

美織がMFG-Fへのエントリーを表明した際、立ち塞がったのは身内であるはずの母親、エミリ・一ノ瀬だった。

 

『涼介さんの組織は甘くないわ。駿の娘だからって、特別扱いは一切なしよ』

 

単身上京し、MFG統括アドバイザーとしてコース監修や安全レギュレーションの策定を担うエミリの言葉は、冷徹そのものだった。彼女は高橋涼介の「公道最速理論」と、徹底したプロフェッショナリズムに深く共鳴していた。身内だからこそ、生半可な覚悟で箱根の過酷なステージに立たせるわけにはいかない。

 

エミリが美織に課した参戦条件。それが、一ノ瀬モータースが所有する鹿児島の私設峠での、先行後追いタイマンバトルだった。

 

条件は極めてシンプル。

エミリが駆るラリー仕様のWRX STIを相手に、美織のBRZが先行で逃げ切るか、後追いで突き刺すか。

 

『あんたのアナログセンサーが、私の現役時代の走りに通用するか試してあげる』

 

漆黒の闇に包まれた鹿児島の峠。

 

先行するエミリのWRX STIのテールランプを見据えながら、後追いの美織は冷や汗を流していた。

 

エミリの走りは、美織が持つ「フライング・フィン」の遺伝子のオリジナルそのものだった。舗装路(ターマック)でありながら、まるで凍結路を走るかのようにマシンを3次元的にコントロールし、イン側の溝をミリ単位でかすめていく。火山灰や落ち葉が浮いた低μ路面を、WRXの4WDトラクションが強引に蹴り出していく。

 

(……速い。お母さんのラインには、1ミリの無駄もない)

 

だが、美織の脳は恐怖ではなく、冷徹な計算で満たされていた。

 

4WDの大トルクが立ち上がりで優るなら、こちらはFRの軽さと、17インチの「タイヤのヨレ」を活かしたコーナリングスピードで肉薄するしかない。

 

エミリのWRXがわずかにリヤをスライドさせた瞬間、美織はBRZのフロントを、その一瞬の隙間に迷わずねじ込んだ。サイドウォールが限界までヨレ、ゴムの悲鳴が座席を通じて美織のケツへと伝わる。

 

『――そこまでよ』

 

サイド・バイ・サイドのまま数コーナーを駆け抜けたところで、エミリの無線が入った。

ハザードランプを点滅させて停車したWRXから降りてきたエミリは、凛とした標準語で、しかしどこか満足そうに微笑んだ。

 

『合格よ、美織。あんたのセンサー、駿のフットワークを完全に自分のものにしてる。……MFG-Fのエントリー、正式に承認するわ』

 

その時の母の張り詰めた、だけど温かい眼差しを、美織はいまも鮮明に覚えている。

 

「――美織、おい、美織。着いたぞ」

 

巌の声で、美織はハッと目を開けた。

積載車は小田原のビジネスホテルの駐車場に滑り込んでいた。

 

「……少し、寝てたみたい」

 

「いい休養さ。明日は公式レンタルガレージでの最終調整だ。しっかり飯を食って、明後日の決勝に備えるぞ」

 

「うん。……あ、その前に数Ⅲを3ページやらないと。レギュレーションだから」

 

美織はリュックを背負い、ぶっきらぼうに言いながら助手席のドアを開けた。

母から譲り受けた遺伝子と、父が残した14番手のグリッド。そのすべてが、箱根の決勝という舞台に向けて静かに収束しつつあった。

 

 

(第3話:宿命の遺伝子 編・完)

 

 

 




第3話をお読みいただきありがとうございました!

美織のバックボーンである「母・エミリとのタイマンバトル」を回想の形で濃密に描き出しました。4WDを駆る母の圧倒的な走りを相手に、FRと17インチの武器で見事に参戦許可をもぎ取った美織の覚悟が、これで読者にも深く伝わったかと思います。

次回、第4話は【決勝前夜の警告】。小田原のMFG公式レンタルガレージでの最終調整回です。巌じいちゃんが車高30mmローダウンの決勝セットを煮詰める中、陣中見舞いに現れたエミリから、決勝で待ち受ける「大人たちのラフプレイ」への冷徹な警告が下されます。どうぞお楽しみに!
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