第4話は、決戦を翌日に控えた小田原のMFG公式レンタルガレージが舞台。巌が美織のBRZを決勝用の「30mmローダウン仕様」へとシビアに煮詰める中、運営トップの一員である母・エミリが冷徹な、しかし親としての警告を携えて現れます。
決勝前夜、小田原市内にあるMFG公式レンタルガレージ。
各チームに割り振られたピットスペースには、明日の決勝を控えたマシンたちのエキゾーストノートが断続的に響き、独特の緊張感が張り詰めていた。
24号車のピットでは、一ノ瀬巌が狂気すら感じさせる集中力でBRZの下回りに潜り込んでいた。
「よし……これで前後ともキッチリ30ミリのローダウンだ。ロールセンターアジャスターのスペーサーも、ミリ単位で組み替えたぞ。美織、乗ってみてケツの座りを確かめろ」
工具を置き、額の汗を拭った巌が声をかける。
美織は無言でBRZのバケットシートに滑り込み、身体を左右に揺らした。車高を30mm下げたことで、マシンの重心は劇的に下がっている。それと引き換えにサスペンションのストロークは減少するが、巌の絶妙なダンパーセッティングによって、路面を押し付けるようなしなやかさは失われていない。
「……うん、すごくいい。おじいちゃん、ロールのスピードが完全に私の予測とシンクロしてる。これなら、あの火山灰の上でも横Gの逃げ場をコントロールできる」
「だろ? 予選のデータを基に、明日の決勝で想定される路面μの変化をすべて織り込んだ『決勝専用セットアップ』だ。だがな、美織。本当に気をつけなきゃならんのは路面じゃねえぞ」
巌の言葉が重く響いたその時、ピットのシャッターが開いた。
入ってきたのは、仕立ての良いネイビーのパンツスーツを凛と着こなす女性。美織の母親であり、MFG統括アドバイザーのエミリ・一ノ瀬(43歳)だった。その手には、地元の定食屋で調達してきたという差し入れの弁当が握られている。
「相変わらずいい仕事をするわね、巌さん。お弁当、ここに置いておくわよ」
「エミリか。運営本部の仕事はどうなんだ?」
巌が訊ねると、エミリは小さく肩をすくめた。
「新エンジェルズのダンスリハーサルでステージ裏がバタバタしていたくらいよ。二代目の珍獣枠の子が、機材の配線に引っかかって派手に転んだの。」
もかのやらかしを淡々と語るエミリだったが、すぐにその表情から笑みが消え、鋭い視線を美織へと向けた。
「美織。アドバイザーとしてではなく、母親としてあんたに警告に来たの。明日の14番手からのスタート……予選とは完全に別物の地獄だと身構えなさい」
「地獄……? 走るコースは同じだけど」
美織がぶっきらぼうに問い返す。
「違うわ。予選は自分自身との戦いだけど、決勝は『大人のラフプレイ』が混ざる。あんたのすぐ目の前にいる5番手(沼田のエボIX)と6番手(乾のS2000)。あのあたりの崖っぷちの大人たちは、10代のガキに負けることをプライドが許さない。手段を選ばずに、あんたを潰しにくるわよ」
エミリの言葉に、美織は視線を落とした。
MFG-Fの300馬力規制。パワー差が少ないからこそ、ストレートでのブロックや、コーナリングでのあからさまな幅寄せといった「ラフプレイ」が横行しやすい。17歳の現役高校生でありながら、予選で卓越したフットワークを見せた美織は、彼らにとって格好の標的だった。
「1周目の第1コーナー。あそこが最初の、そして最大の関門よ。大人の汚い洗礼に巻き込まれてリタイアすることだけは絶対に許さない。わかった?」
「……わかってる」
美織は静かに、しかし力強く頷いた。
「お母さんのWRXを相手にするよりは、マシだと思うから」
「ふん、言うようになったじゃない」
エミリはフッと口元を綻ばせると、そのまま振り返り、「じゃあね。私は小田原本部に戻るわ。明日、しっかりジャッジさせてもらうから」と言い残してピットを去っていった。
母が去った後、ガレージには再び静寂が戻った。
美織はピットの片隅に置いたレーシングリュックから、約束通り数Ⅲの問題集を取り出し、パイプ椅子に座ってノートを開いた。
「美織、飯を食ってからにしろよ?」
巌が苦笑する。
「ダメ。これをあと2ページ終わらせないと、明日の決勝のイメージトレーニングに入れない。赤点を取ったら特別許可証は没収――担任の坂元先生とのレギュレーションだから。減点は即、失格(リタイア)と同じ」
シャープペンシルを握り、極限の集中力で数式を解き始める美織。
車高を30mm下げ、戦闘力を極限まで高めたサファイアブルーのBRZが、その傍らで静かに明日の夜明けを待っていた。大人たちの謀略が渦巻く第1コーナーへ飛び込むまで、あと十数時間。
(第4話:決勝前夜の警告 編・完)
第4話をお読みいただきありがとうございました!
決勝前夜の緊迫した空気の中、巌じいちゃんの「30mmローダウン」という職人セッティングと、母・エミリからの「大人のラフプレイ」に対する冷徹な警告を描き出しました。美織にとって、学校の勉強もレースもすべてはクリアすべき「レギュレーション」。
次回、第5話は【洗礼の第1コーナー】。いよいよ決勝の火蓋が切って落とされます。解説に池田竜次を迎え、一列ローリングスタートが切られた直後、予告通り沼田(エボIX)と乾(S2000)のツープラトンによる悪質なブロックが美織を襲います。美織の運命は!? どうぞお楽しみに!