蒼穹の遺伝子 -昴と彗星-   作:陽@曜花推し

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第5話は、緊迫の決勝レースの開幕。14番手スタートの一ノ瀬美織(BRZ)が、スタート直後の加速区間で他車を圧倒する驚異のごぼう抜きを披露します。その圧倒的な過程を経て、5番手・沼田(エボIX)と6番手・乾(S2000)の直後に迫った美織に、崖っぷちの大人たちによる冷酷な「洗礼」が襲いかかります。



第5話:洗礼の第1コーナー

MFGフレッシュマンシリーズ(MFG-F)開幕戦、芦ノ湖GT・決勝当日。

 

初夏の強い日差しが箱根の山々を鮮やかに染め上げる中、スターティンググリッドを埋め尽くした15台のマシンから放たれる熱気と咆哮が、大気をビリビリと震わせていた。

 

グランドスタンドを埋め尽くした大観衆の視線が集まる特設ステージでは、新MFGエンジェルズが公式テーマソングを華やかに歌い踊っている。

 

そのステージ袖で、二代目・珍獣枠の星野もかは、初代譲りの圧倒的なダイナマイトボディをニュースタイルのコスチュームに包み、本番直前のスタッフたちに「お水ですぅ!」とペットボトルを配って回っていた。しかし、案の定、極度の緊張で足元がもつれ、太い機材ケーブルにヒールを引っ掛けて派手に転倒。

 

「ひゃぅああんっ! 炭酸水が、炭酸水が噴射しちゃいますぅーっ!」

 

プシューッと勢いよく泡を吹くペットボトルを抱えたまま、もかが機材テントのパーテーションに突っ込み、現場は大パニックに。上原マネージャーの「もか! 本番中に何やってんのよ!」という怒号が響き渡るが、それすらも、直後に始まった決勝スタートの爆音によって完全に掻き消された。

 

――ドライバーズミーティングを終えた15人のパイロットたちが、それぞれのマシンへと静かに滑り込んでいく。

 

グリッド上には一瞬の静寂と、それに相反する爆発寸前のエネルギーが充満していた。

後方でグリーンフラッグが振られ、スタートの準備が整う。

 

フロントウインドウ越しに見えるスターティングシグナル。そのレッドランプが、ひとつ、またひとつと点灯していく。

1、2、3、4、5。

 

緊迫感が最高潮に達し、全ドライバーがアクセルペダルをハーフまで踏み込んで回転数を合わせる。

 

次の瞬間、5つの赤い光がパッと消灯(ブラックアウト)した。

レーススタート。15台の咆哮がひとつになり、地響きを立てて箱根の公道へと解き放たれた。

 

「さあ、始まりましたMFG-F開幕戦! 実況の田中です。解説は箱根のモータースポーツご意見番、池田竜次さんです。池田さん、一斉にスタートが切られました!」

 

「ええ。ですが、このスタート直後こそ、最も火山灰の餌食になりやすい危険な瞬間です」

 

池田の指摘通り、シグナルが消灯した直後、グリッドの中位から後方にかけて、あちこちで鋭いスキール音と白煙が上がった。

 

主流である18インチの大径ハイグリップタイヤを履くマシンたちが、冷えた路面と浮いた火山灰によって、駆動輪を激しくホイールスピンさせていたのだ。面で捉えようとする剛性の高さが、スタート直後の低μ路面では仇となり、トラクション(駆駆動)が逃げて前へ進まない。

 

だが、その大混乱の混沌を、一本のサファイアブルーの矢が切り裂いた。

14番手スタート、一ノ瀬美織のBRZだ。

 

(フロント、リヤ、しっかり噛んでる。……おじいちゃんの言った通り!)

 

美織のBRZは、他車のようにその場で身悶えすることなく、クッとリヤをわずかに沈み込ませると、驚異的なダッシュで加速に移っていた。

 

巌が施した「冷間フロント1.9、リヤ1.85」という低めの空気圧設定。これが、冷え切った17インチタイヤを適度にしならせ、路面の火山灰を押し退けてアスファルトの地肌へと確実にラバーを押し付けていた。さらに30mmローダウンされた車体は、スクワット(加速時の姿勢変化)の無駄を最小限に抑え、すべてのパワーを路面へと伝えていた。

 

「おっと! 後方から凄まじいロケットスタートを見せる車がいる! 24号車、一ノ瀬美織! 13位・33号車宇佐美、12位・14号車鳴海をまたたく間にパス!」

 

美織のケツのセンサーは、前方を走る車たちが巻き上げる白い灰の動きから、路面のμの変化をリアルタイムで逆算していた。

(前の車が右に流れた。あそこは灰が深い。私は左の、わずかにアスファルトが見えているラインへ――!)

 

ノータイムの判断でステアリングを小さく切る。

 

時速100キロ、120キロ、140キロ。加速の伸びが他車とはまるで違う。

 

11位の18号車レオンのシビック、10位の11号車坂本のアルテッツァが、まるで止まっているかのように美織の視界の後方へと消え去っていく。

 

「速い! 早すぎる! 一ノ瀬美織、スタートからわずか数百メートルのストレート区間で、中位集団をまたたく間にごぼう抜き! 9位、8位、7位をも一気に引き剥がし、なんと5番手・6番手の直後にまで迫ってきた!」

 

実況の田中の絶叫に、放送ブースの池田竜次が目を見張った。

 

「……なんという初期トラクションの捉え方だ。他のドライバーがタイヤの熱を入れようとビビっている中で、彼女だけが路面のグリップ限界を完全に引き出している。アナログの五感が、デジタルの計算を凌駕している証拠だ……!」

 

だが、14番手から一気に5番手集団の直後へと突き刺してきたその驚異的な「過程」は、前方を走るベテランたちを強烈に刺激した。

 

「後ろからとんでもねえスピードでガキが上がってきてるな!」

 

5番手を走る沼田剛(エボIX)が、バックミラーに映るサファイアブルーの輝きに気づき、無線で怒鳴る。

 

「チッ、予選14位のジャリん子だろ? 調子に乗らせるかってんだよ!」

6番手の乾(AP1 S2000)が、獰猛に顔を歪めた。

 

法改正から3年。新しく入ってきた10代の、しかも女の子に、スタート直後の加速だけで追いつかれた。その事実が、彼らの安いプライドを激しく逆撫した。

第1コーナーのブレーキングゾーンが目前に迫る。沼田と乾は、あらかじめ示し合わせていたかのように、2台のマシンを左右に広げた。

 

右に沼田のエボIX、左に乾のS2000。

 

美織のBRZを完全に左右からサンドイッチし、逃げ場を無くしていく「ツープラトン(連携プレイ)」の型が、第1コーナーへの進入フェーズで完成した。

 

「なるほど、あえて追いつかせてから潰す気ね」

 

現地の管制テントのモニターでそれを見た統括アドバイザーのエミリ・一ノ瀬は、冷徹な表情のまま腕を組んだ。

 

「エボの4WDの制動力と、S2000のコーナリング。あの二人は、1周目の第1コーナーという最もカオスな場所で、美織の走行ラインを物理的に奪って砂利(エスケープ)に放り出す気よ」

 

エミリの予想通り、左右からの圧迫感は尋常ではなかった。

 

「おいおい、大人の公道の厳しさを教えてやるよ!」

 

並走するS2000が、ジリジリと美織のBRZの左フェンダーへと迫り、右のエボIXもイン側を完全にシャットアウトしながら、美織をアウト側の火山灰のデッドゾーンへと押し出そうとする。

 

時速160キロを超える超高速からのブレーキング。このまま行けば、美織のBRZは火山灰に足をすくわれて大スピンを喫するか、左右のどちらかに接触して大クラッシュを免れない。

 

『美織、落ち着け! 奴らの挑発に乗るな!』

 

インカムから巌じいちゃんの怒鳴り声が響く。

 

だが、美織の瞳は、驚くほど冷たく冴え渡っていた。

 

(右の車重は1400キロ近い。左のS2000はNAだけど高回転型。……二人とも、私を怖がらせてブレーキを早く踏ませようとしてる。だけど、私のレギュレーション(計算)の中に、『恐怖』っていう変数は存在しない)

 

美織の頭脳が、17インチのタイヤから伝わる微細なデータを処理していく。

 

左右から挟まれている。だが、30mmローダウンした今のBRZは、ロールの姿勢変化が極限まで抑えられている。つまり、通常の車両よりも「一瞬の切り返し」のレスポンスが圧倒的に速い。

 

第1コーナーのクリッピングポイントが迫る。

沼田のエボがブレーキを踏んだ、そのわずかコンマ数秒の刹那。

 

「……ここ」

 

美織はブレーキペダルを完全に床まで踏み抜く「ハイドロリック・ロック」の直前、極限の減速Gを引き出しながら、ステアリングをわずかに右、そして左へと電光石火の速さで切り替えた。

 

17インチのタイヤが、適度にヨレながらも、火山灰の下にあるわずかなアスファルトの地肌をガチッと掴み取る。

 

キキィィィッ! という短いスキール音と共に、BRZの車体が、エボIXの右リヤバンパーと、S2000の左フロントフェンダーの間にできた、わずか数センチメートルの「隙間のエアポケット」へと滑り込んだ。

 

「なにぃ!?」「嘘だろ、あのガキ、踏みやがった!」

 

沼田と乾の悲鳴が、それぞれの車内で響く。

 

左右の大人たちが衝突を恐れてわずかにラインを広げた瞬間、美織のBRZは、2台のサイドミラーをかすめるような超至近距離ですり抜け、第1コーナーの最イン側を鮮やかに駆け抜けていった。

 

「抜いたぁーーーっ! 24号車、一ノ瀬美織! スタートでの怒涛のごぼう抜きから、さらに5番手・沼田と6番手・乾の執拗なブロックをも、信じられない超絶ブレーキングで突破! 大人の洗礼を跳ね除け、ポジションを5位にまで上げていきます!」

 

実況の田中の絶買いが響き渡る。

 

池田が、思わず身を乗り出して唸った。

 

「……見事だ。あの一瞬の判断力、精度、そして何より、あの滑る火山灰の上でマシンの姿勢を1ミリも乱さなかったコントロール。すでに日本のトップレーサーの領域に達していますよ」

 

第1コーナーを立ち上がり、箱根の長いストレートへと加速していくサファイアブルーのBRZ。

 

バックミラーの中で、大人たちのマシンがみるみる小さくなっていく。

 

美織は小さく息を吐き、パドルシフトを引きながら、冷徹な声で無線に告げた。

 

「おじいちゃん。大人のレギュレーション、意外と穴だらけだった。……次、いくよ」

 

14番手からの大反撃。

サファイアブルーの遺伝子が、箱根の山を切り裂くように咆哮を上げた。

 

(第5話:洗礼の第1コーナー 編・完)

 

 




第5話をお読みいただきありがとうございました!
14番手から一気に5番手・6番手の背後まで「17インチの初期トラクション」で詰め寄るという、圧倒的なごぼう抜きの過程(プロセス)を追加したことで、バトルの説得力と美織の天才っぷりが何倍にも跳ね上がりましたね。沼田と乾が急遽ブロックに動く動機も非常に自然になりました。

次回、第6話は【蒼きピラミッド】。
このまま勢いに乗る美織が、ついに前方を走る上位陣、3位の逢坂彗(GR86)を射程に捉えます。しかし、その後方からは予選10位から狂犬のように追い上げてくる阿澄蘭(BRZ)の姿が。同じDNAを持つ新型FR3台が、箱根の高速セクションでついに交錯します! どうぞお楽しみに!
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