時速140キロオーバーの横一線(スリーワイド)のまま突入した、彗(GR86)、蘭(BRZ)、そして美織(BRZ)の新型FR3台。タイヤの剛性に頼る18インチ勢に対し、美織は17インチの「ヨレ」と30mmローダウンの機動力を駆使し、数Ⅲの定理よりも美しい「火山灰路面への解答」を導き出します。
「ス、スリーワイドーーーッ! なんということだ! 3位の逢坂彗、4位の阿澄蘭、そして5位の一ノ瀬美織! 新型GR86と2台のBRZが、完全に真横に並んだ状態で、箱根の下り3連ヘアピンへと飛び込んでいく!」
実況の田中の絶叫が、芦ノ湖周辺に詰めかけた大観衆のボルテージを最高潮へと叩き上げた。
様々なデバイスで視聴している世界中の観客たちからも、悲鳴に近い歓声が上がる。
新MFGエンジェルズの星野もかは、上原マネージャーから手渡された順位変動の提示ボード(ゼッケンナンバーのプラスチック板)を両手に抱え、パニックに陥っていた。
「ひゃ、ひゃぅあああ! 3台が同時に曲がろうとしてますぅ! ナンバープレート、何番を上にすればいいんですかぁーっ!?」
「もか、落ち着いて! まだコーナーに入ったばかり! 誰が前に出るかギリギリまで見てから差し替えるんだよ!」
「ううう、目が回りそうですぅ! 胸元が苦しいですぅ……!」
緊迫した空気を読まないもかのダイナマイトな動揺を、上原マネージャーが鋭い眼光でピシャリと制する。恒例のクエスチョンタイムも余裕がなく断念。だが、管制テント内のシリアスな空気は、そんなパドックのドタバタとは完全に隔絶されていた。
「……狂ってるわね」
統括アドバイザーの一ノ瀬エミリは、モニターに映し出される3台のオンボード映像を凝視しながら、ぽつりと呟いた。
「火山灰が最も深く積もったアウト側から、ノーブレーキに近い速度で並びかけるなんて。駿でもあんな無茶はしなかったわよ」
だが、エミリの言葉とは裏腹に、その瞳にはかつてないほどの熱い光が宿っていた。
――下り1つ目のヘアピンカーブ。
3台のFRの車内には、強烈な横Gと、物理限界の瀬戸際を行き来するタイヤの悲鳴が充満していた。
最イン側をキープする逢坂彗のGR86。
彼はシミュレーターで構築した絶対的なデジタルデータを脳内で再生していた。
(僕の18インチの限界摩擦円は、この火山灰の上でも半径85%を維持している。イン側の縁石にフロントのインナーを引っ掛け、最短距離でイン・ハイ・インをトレースする。これが理論上、最も効率的な解答だ)
彗のGR86は、まるで定規で線を引いたかのように無駄のない軌道で1つ目のクリップをかすめていく。
そのすぐ外側、真ん中のラインから強引にノーズをねじ込もうとする阿澄蘭のBRZ。
「舐めるなァアアア! 年上の意地を見せてあげるわよ!」
蘭は18インチのハイグリップタイヤの剛性にモノを言わせ、強烈なレイトブレーキングで彗のインを刺しにいっていた。リヤが火山灰を掴んでわずかにブレイク(滑走)するが、彼女はそれを腕力とアクセルワークで強引に抑え込み、力技で車体をコーナリングフォースへと従わせる。
そして、最も不利とされる最アウト側。火山灰のディープパウダーが牙を剥くデッドゾーンにいるのが、一ノ瀬美織のサファイアブルーのBRZだった。
美織の視界は、極限の集中力によって完全にモノクロームの世界へと変わっていた。
脳内に浮かび上がるのは、昨夜遅くまで解いていた数Ⅲの微分積分のグラフ。
(曲線上の任意の点における接線の傾き……。路面のμ(摩擦係数)が一定じゃないなら、それを関数として組み込めばいい。イン側の2台が火山灰を弾き飛ばした。その瞬間、アウト側の空気の密度がわずかに下がり、灰が外側へ逃げる。そこにあるのは、タイヤ1本分の『地肌』――)
美織は、誰もがブレーキを緩められないその瞬間、あえて左足でブレーキペダルを「トン」と優しく突いた。
荷重をフロントへと一瞬だけ移動させる。
通常の車高であれば、ここで大きなピッチング(前後の傾き)が発生し、アウト側の火山灰にフロントタイヤが足元をすくわれてガードレールへ一直線だ。
だが、巌が仕込んだ「30mmローダウン」の真価が、ここで100%発揮された。
重心が劇的に下がった美織のBRZは、姿勢変化の無駄(ロールの遅れ)が一切ない。フロントサスペンションが瞬時に硬く引き締まり、17インチのアドバンタイヤのサイドウォールを「グニュッ」と適度にしならせた。
その『ヨレ』の粘りの中に、美織のケツのセンサーは、火山灰の下に隠された本物のアスファルトのグリップを完全に感知した。
「――導関数の、極値(ここ)!」
美織はステアリングを鋭くイン側へと切り込み、同時に右足を床まで踏み抜いた。
ギヤは3速から2速へ。ボクサーエンジンが7000回転の咆哮を上げる。
キキィィィッ!! と、18インチ勢の金属的な悲鳴とは異なる、低く太いゴムの摩擦音が箱根の山に響き渡った。
アウト側から信じられない角度で回り込んできたサファイアブルーのBRZが、1つ目のヘアピンの立ち上がりで、真ん中の蘭のBRZのフロントマスクを完全に斜め前方から追い抜いた。
「な、何ですってぇええ!? アウトから曲がってきた!?」
蘭が驚愕の声を上げる。
「なに……!? 計算が合わない!」
彗のメガネの奥の瞳が、初めて驚愕に揺れた。
1つ目のヘアピンをクリアした瞬間、3台の位置関係は劇的に変化した。
最アウトにいた美織が、2つ目のヘアピン(逆方向への切り返し)に向けて、今度は「最イン側」という絶対的な優位ポジションを奪い取ったのだ。
「素晴らしい……!」
放送ブースで池田竜次が、机を叩かんばかりに身を乗り出した。
「今のブレーキングと切り返しは、ゼロ理論のさらに先を行っている。18インチの剛性では、あの火山灰の上であれだけ鋭い姿勢変化は不可能です。17インチのたわみ特性と、30mm落とした低重心パッケージが見事にシンクロした。あの子は、箱根の路面に合わせた独自の『解答』を持っている!」
「2つ目のヘアピン! インを完全に制したのは24号車、一ノ瀬美織! 逢坂彗、阿澄蘭の2台をまとめてアウト側へ追いやった! なんという鮮やかなクロスライン!」
美織のBRZは、2つ目のヘアピンをイン側の縁石をミリ単位でかすめながら、コマのように鋭く旋回した。
ローダウンのおかげで、左右の切り返し(ロールの戻り)が他車の倍近い速度で完了する。前走車がいないクリアな視界のまま、美織は3つ目のヘアピンの出口へと向かって加速していく。
バックミラーの中では、蘭のBRZと彗のGR86が、美織の残した強烈なラインの残像に惑わされ、互いのラインを潰し合うように失速していた。
(これで……減点なし。完全なクリア)
美織はぶっきらぼうに呟くと、パドルシフトを叩いて3速へとシフトアップした。
3連ヘアピンを完全に攻略し、立ち上がったサファイアブルーのBRZ。
そのリザルトモニターの順位が、一気に「3位」へと跳ね上がった。
「一ノ瀬美織、3位浮上ーーー!! 14番手スタートの現役高校生が、ついに表彰台圏内、トップ3の牙城へとそのノーズを突き刺しました!」
実況の田中の絶叫が響く中、美織はすでに前方を走る2台――ポルシェの氷室玲香、そして首位を走るマクミリアン・シュミットのロードスターを見据えていた。
サファイアブルーの遺伝子は、箱根の頂点へ向けて、さらにその速度を加速させていく。
(第7話:3連ヘアピンの解答 編・完)
第7話をお読みいただきありがとうございました!
下りの最難関「3連ヘアピン」での息を呑むスリーワイドバトル。美織が自身の代名詞である「数Ⅲの思考」と、巌じいちゃんの「30mmローダウン×17インチ」の黄金パッケージを武器に、彗と蘭の18インチ勢を鮮やかなクロスラインで仕留めました。池田竜次氏の熱い技術解説もバチッと決まり、もかちゃんのボードパニックも良いスパイスになってくれました。
次回、第8話は【頂上決戦の計算式】。
3位に浮上した美織の前に、いよいよ2位を走る氷室玲香のポルシェ・718ケイマンが立ち塞がります。ミッドシップ(MR)の圧倒的なトラクションを誇るポルシェに対し、美織が仕掛ける決勝終盤の超高速バトル。そして、小田原のガレージで見守る巌じいちゃんの胸に去来する、亡き息子・駿への想いとは。どうぞお楽しみに!