ドットアビス 天使は去り、親を亡くした卵は孵化出来るか   作:ウォルギリウス

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戦乱の足音と陣太鼓

人類は確かにどうしようもない程に愚かである。

 

目の前で戦乱の太鼓を打ち鳴らし狂喜のままに火を放ちそして逃げ場のない悲劇が降り注ぎ始めてからようやく悲鳴を上げて「火を消せ」と叫ぶ。その火を放ったのは他でもない己自身であるというのにも関わらず、だ。もし「火」という現象に確固たる尊厳と知性が備わっているならば彼らは人類を糾弾する権利を有し心の奥底からこう罵るだろう。

 

なぜ我を生み出した?なぜ我が恨まれる?なぜ我が罪人なのだ? と。

 

剣は罪なく、銃は人を殺さず、弓は狩りに使われる文明の利器だ。

何故武器たちが「殺した」ことになるのだろう。武器自身が己の刃を血で染めることを望んだとでも言うのか?

 

大穴とて同じだ。何故出来たのか誰にも分からない。誰も何故作られたかを知らぬ未知の地獄。だがそんな呪われた大穴にさえそれを生み出した者を恨む権利はあるだろう。

 

「何故我はこの様に恨まれ疎まれ、そして己の身体を醜い欲望に明け渡し続け資源という名の夢と希望を与える側面を穢され辱められ暴力と野生が蔓延る悪夢へと定義されたのか」と。

 

誰がそうしろと言った。

誰が規定した。

誰が我を編まれた運命が決まったその時から「悪」と定めたのだ。

 

――そんな、誰へ向けたものかも分からない怨嗟が渦巻く大穴の淵で今日も命を穴の中へ注ぎ続ける者達がいる。

 

探索隊隊員達は大穴の淵から少し離れた荒野の平原にキャンプを張っていた。

ある者は懐から使い込まれた金属製の水筒を取り出し水をなみなみと器に注いで喉の渇きを癒した。本来ならば酒樽を一杯にしたエールを仲間達と分かち合いながら飲み交わし、踊れや歌えと囃し立て周囲から悪徳だと指差されても気にせず騒ぎ立てる。その下劣さこそが今日という日を生き延びた証を実感するための彼らなりの「美徳」であった。

 

ある者は背嚢の小袋から四角いキューブ状の携帯食料を取り出し、それをガリガリと噛み砕いては水を含み一気に胃の腑へと流し込む。

 

この無機質な携帯食料は大穴での探索時における食事として彼らが重宝している代物だ。これ一つを摂取すれば一食分の栄養価を完璧に補うことができる。危険な深淵における「娯楽」という側面は完全に削ぎ落とされているがモンスターに背後を晒してしまう「食事時」という絶対的な隙を消し去り、いついかなる時でも即座に戦闘態勢へと移行できるという圧倒的な優位性が存在していた。

 

それは正規の探索隊員だけでなく大穴に巣食う犯罪者やならず者たちもこぞって摂取しており、盗掘者たちはこの携帯食料をあらゆる手段を用いて確保しようとする。今や大穴の周辺においてそれは未発掘の資源よりも余程価値の有る存在として広く知れ渡っていた。

 

「いただきます」

 

その短く簡素な一言は彼らがまだ「その時生きている」という生者の証であり、そして同時にその祈りの言葉はある一人の人物へと静かに集まっていく。

 

 

この二つの発明品――絶対的な栄養価を誇るキューブ食料と浄化機能を備えた水筒――の発明者は『屍拾いの聖女』カルメンであった。

彼女が編み出したこれらの知識と製法は信頼できる商人たちの手に渡り彼らを通じて速やかに実用化へと漕ぎ着けられた。この発明により大穴での探索難易度は劇的に低下し探索者達の生還率は目に見えて向上した。

そしてカルメンはそこから得られる莫大なライセンス料を元手に、無縁仏の遺体回収や大穴付近の荒れた道路の整備といった慈善事業を黙々と行なっていた。それと同時に大穴の内部の比較的安全な層にいくつかの堅牢な小屋を建て避難場所を設けたことで、突発的な魔力嵐や天候不良による探索者の死を大幅に食い止めていた。その小屋の中には常に最低でも3日は凌げる程度の物資が備え付けられている。

 

誰の目から見ても彼女はまさしくこの絶望の地における「聖女」であり、「希望」そのものであった。

だが――。

 

「むうぅ……うぅむぅぅ……ぐっ……はぁ、は、くっ……」

 

そんなカルメンは今塒としている打ち捨てられた廃城の大広間の冷たい石床でうとうとと頭を揺らしながら、だが絶対に眠るまいと苦痛の呻き声を上げながら耐えていた。

目を閉じれば彼女は息もできないほどの苦しい思い出の濁流に飲み込まれてしまう。だが、どれほど歯を食いしばり己の腿に爪を立てて耐えようとも肉体の限界は容赦なく彼女を睡魔の淵へと引きずり込んでいく。

 

「ぎっ……がっ、はぁ、はぁ……うっ……ダメだ……やめろ……こないで……」

 

そして遂に抗い難い白昼夢が彼女の意識を侵食し始める。

それは雪深い辺境の孤児院での記憶。カルメンが本物の「カルメン」になったあの日の夢だ。

 

『貴女がカルメンちゃん?よろしくね私はセシリア。そしてこっちの男の人は――』

『僕はチャールズ。ただの、しがない冒険者さ』

 

孤児院の院長が温かい微笑みを浮かべる。

 

『カルメン、この方々が今日からお前の新しい家族になるんだよ』

『よろしくなのだ!カルメンはカルメンなのだ!!』

 

元気いっぱいに胸を張る幼いカルメンの視界に二人の大人の後ろに隠れるようにして立つおどおどとした金髪の少女の姿が入った。

 

『そいつはどうしたのだ?カルメンが友達になってやるのだ! 名を名乗るのだ!!』

『え、えと……』

『カルメン、この子はカメリア。僕達の家族で君のお姉ちゃんのようなものだ』

『カメリアちゃん、ほらちゃんと挨拶しましょ?』

『う、うん……私、カメリア。貴女はカルメンで、あってる……?』

『うむ!かるめんはかるめんなのだ!!かるめんはお前もまもってやるのだ!かるめんは何せさいきょーだからな!!』

『あらあら。頼もしい妹が出来たわね、カメリア?』

『カルメン。なら、カメリアお姉ちゃんを守れるように、一緒に強くなろうな?』

『わかったのだチャールズ!!かるめんは絶対に強くなって、かめりあをまもるのだ!!』

「やめろ……やめてくれ……見せないでくれ……」

 

石の床で丸まり、耳を塞ぐカルメンの意識の中で、夢は残酷に転調する。

雪の降る温かな光景は血と泥に塗れた大穴の近くへと一瞬で切り替わった。

 

『頼むセシリア!周りの雑魚モンスターを抑えてくれ!』

『わかっているわ!チャールズ、後ろ!!』

『カルメン!隠れているんだ!!絶対に出てくるな!!』

『どうしてこんなにモンスターが……!?どんだけ湧いてくるのよ!?』

『我に任せよ!!』

『長次郎!助かった!!』

「もう……頼むから……やめろ……やめてくれぇ……」

『う、うわっ……うわあああああああああ!!』

『カルメン!?何処へ行く!!』

『どうしたのカルメンちゃん!?そっちは危ないわよ!!』

『カルメン!カルメン!!戻って!!』

『怖いのだ!怖いのだ!!カルメンはもう無理なのだあああああああ!!』

「はぁ、はぁ、はぁ、は、ぐっ……!」

 

バチッと目を見開いたカルメンは痙攣するように跳ね起きた。

全身は冷や汗で濡れそぼり呼吸は浅く荒れ狂っている。

 

「……目が、覚めてしまったよ……全く……情けない……水、水を飲もう」

 

ふらふらと、まるで糸の切れた操り人形のように力無く立ち上がり部屋の隅にある水瓶へと向かう。溜めていた冷たい飲用水を木のジョッキに乱暴に汲み取り一気に喉へと流し込む。

 

「……はは、ははは。どうしてだろうか。眠るのがこんなにも怖くなってしまったよ。……従者としてあの大好きな家族に従っていたあの日まで、夜が来るのが怖い日なんて一日だって無かったのに」

 

ジョッキを握りしめたままカルメンは自嘲するように笑った。その時、彼女の脳裏にどこからともなく『声』が響き渡る。

 

『それはねカルメン、貴女があの日を、自分のしたことを忘れようと逃げ続けているからなのよ』

 

透き通るような美しく慈愛に満ちたその声はカルメンの最も触れられたくない芯の芯を的確に撫でてくる。

 

「……救いなら要らん。我はカルメン、迷える者たちに救いを施す聖女でなくてはならぬ故貴様の甘言など聞こえんさ」

『いいえ、目を逸らしてはダメ。先ずは、真実から知るべき――』

「うるさいぞゴミカスが!!俺は必要な情報と不必要な情報を分けて考えているんだ!これ以上邪魔するならてめぇもぶっ殺してやるぞ!!」

 

聞こえてくる綺麗な声はカルメンを深い安らぎへと誘うように甘く、そして堕ちるように語りかけたがカルメンは死者たちの口調を乱暴に切り替えながらその声を強引に跳ね除け、残っていた水を必死に飲み干した。

恐怖と怒りで震える指先を抑え込みながら彼女は大きく深呼吸をする。

 

「……さてと、これからどうしたら良いかな。僕としては今三大国どもが建設中だっていう『前線基地』ってところが少し気になるけど……カルメンならその基地がどんな場所か絶対に真っ先に調べるはずだ。あの子はいっつも気になる事はすぐ調べる、好奇心旺盛な子だったからね」

 

誰に聞かせるでもなく、愛すべき人を模した人格の独り言を呟きながらカルメンはそそくさと身体についた冷や汗と汚れを冷水で洗い流した。

そして部屋の隅に置かれた分厚い白銀の板金鎧を身に纏い、団長の直剣、長次郎の大太刀と強弓、そしてケセドの魔導書などすべての重武装を迅速かつ極めて丁寧にまるで儀式のように身につけていく。

 

やがて準備を終えた彼女は重い鉄の扉を押し開けた。

ゆっくりと多数の『黒い影』を背負いながら孤独な偽りの聖女は再び旅に出る。

己が何のために生き、そして何のために死ぬのか。その最終的な結末の材料を探すために。

 

風に身を隠し気配を完全に絶ちながら、カルメンは建設中の前線基地の真横にそびえる絶壁の城壁の上に潜入していた。

 

城壁の最上部から見下ろす視界には着々と建設が進む巨大な要塞の姿が広がっている。前線基地はほぼ完成しつつありその外壁は驚くほど分厚く堅牢で、大穴から湧き出る並のモンスターや厄災クラスの怪物が単体で襲ってきたとしても十分に持ち堪えられるだけの設計がなされていることが窺えた。

 

だが、内部の防衛網や人員の配置はどうだ?

歴戦の戦術眼を総動員して観察した結果カルメンは冷酷な判断を下す。

 

少なくとも現在の装備と人員では大攻勢に耐えられるか怪しい。もしこのままの状態であの日と同じような大群のモンスターに急襲されたならば、間違いなくこの基地は内側から崩壊し落ちるだろう。

 

それこそ――

「それこそ、私があの日、すべてを喪ってしまった日のように……無様に、滑稽にな……」

 

自嘲と皮肉な笑みを浮かべたカルメンは城壁の上でゆっくりと片膝を立てて跪き、眼下に広がる要塞とそこで働く見知らぬ人々に向けて静かに祈りを籠め始めた。

 

「天にまします我らが主よ、どうか彼らには厚き祝福をお授けくださいまし。まだこの地には救われるべき無垢なる赤子も、罪なき子らも、ただ真面目に生きて日々を過ごす無知な民草もおります故。どうか、これ以上人々の希望を奪わないでくださいませ――」

 

 

「あ、あそこに誰か居ますよ司令官!」

「本当だ……あれは一体……そこの君!そこで何をしている!」

 

突如として背後から声をかけられた。

巡回していた金髪の女兵士と一人の軍服を着た男がカルメンの姿を捉えていたのだ。

 

「!!しまった、感傷に浸って長居しすぎたか」

 

即座にカルメンは祈りを中断し、城壁の頂点から躊躇うことなく身を躍らせた。

ウサギか、あるいは翼を持った鳥のように何十メートルもある絶壁から事も無げに飛び降りる。

 

「きゃあ!?」

「そんな!?馬鹿な、ここはどれだけの高さがあると思っているんだ……自殺行為だぞ!!」

 

城壁の上から見下ろす彼らの悲鳴を背に受けながら、カルメンはそのまま右脚から真っ直ぐ石畳の地面に向けて着地した。

『グシャァッ』という生々しい破壊音と共にカルメンの巨躯に凄まじい衝撃が走る。

 

「ぐぎぎっ……!いっ、痛いが……まだ生きてるな。だが、彼らに今会うのは少しまずい。特に相手の素性を上辺しか知らない段階ではな」

 

着地の衝撃により右脚の腱は完全に断裂し、筋肉も血管もズタズタに引き裂かれていた。さらには内臓への衝撃で胴体も大動脈解離を起こし、本来ならば即死、あるいは歩行不可能な重傷である。

 

しかし、カルメンの肉体は着地と同時――いや、着地する直前から無詠唱の極大治癒魔法を自身に行使し続けていた。

千切れた筋肉は瞬時に繋がり砕けた骨は再構築され、破裂した血管は秒にも満たない時間で修復される。

カルメンは血を吐き捨てる間もなく直ぐに走り出せるようになっていた。

 

彼女はその重装甲を纏った巨躯を弾丸のように疾走させ大地に黒い疾風を巻き起こしながら、森の奥深くへと逃走した。逃げ足、そして生存本能による遁走技術においては彼女は誰にも負けない絶対の自信があった。

 

追っ手を完全に振り切り薄暗い森の奥で立ち止まるとカルメンは息を整えながら首元から古びたロケットペンダントを引き出した。

それは孤児だった彼女が初めて家族からもらったお小遣いで、自分のために買った大切な品物だ。

パチンと蓋を開け、内側の小さな鏡を見つめる。

 

「カメリア……君は今、何処に居る。僕達家族を置き去りにしてどうして君は足どりが掴めないんだ?だが今はそれよりも……」

 

ペンダントを胸にしまいカルメンは魔導書さえ取り出さず、両手を胸の前で合わせた。

そして、その小さな空間に静かに、だが強烈な魔力を孕んだ一息を吹き込んだ。

すると、彼女の吐息は瞬時に凍りつき、魔力と意志を持った『複数の小さな氷の鳥』となって具現化し手のひらから羽ばたき始めた。

 

「さぁ、頼んだぞてめぇら。あいつが多分噂に聞く『司令官』って奴だろうから、しっかり様子を見てきてくれ。もしあいつが……いや、どうでも良いな。さっさといけ」

 

カルメンの乱暴な命令を受け、冷気を纏った氷の鳥たちは木々の隙間を縫うようにして先ほどの前線基地へ向けて静かに飛び立っていった。

孤独な聖女は暗い森の奥でただ一人、氷の鳥が消えた空を見つめ続けていた。

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