翌日。
父さん達の寝室で母さんが寝ている。
その横にお医者さんが椅子に座りながら、母さんの診察をしている。
医者と言っても、この世界のレベルでは薬学療法が主らしく、医学の知識は乏しいようだ。
ちなみに母さんはもう意識を取り戻している。
顔色はあまりよくないが、話せるくらいには回復している。
「うんむ。問題ない。かなり深い傷だったみたいだがね、綺麗に縫われている。
他の処置は完璧なようだ。誰か医学に精通している人間がいたのかね?」
僕は答えに窮して、無言を通した。
あの現場にいたのは僕とマリー、母さんとローズ、それとリアだけだ。
母さんは気絶していたし、ローズとリアはここにはいない。
知っているのは僕と姉さんだけ。
結局何も説明せずにいると、医者は更に質問をしてきた。
「縫合自体は珍しくはない。医学をかじっていればね。
ただ、普通は医者にかかる人間自体多くはないし、医学書も高価だ。
精通している人間はそう多くはないと思うがね。
ふむ……まあよかろう。とにかく安静にして、しっかりご飯を食べなさい。
では、儂は帰るでな」
「ありがとうございました」
父さんが老人の医者に頭を下げると、僕達も倣って頭を下げた。
玄関まで医者を見送り、再び部屋に戻った。
ベッドに寝ている母さんは優しく笑っている。
ただ疲れたようにしている。当たり前だ。起きているのも辛いはず。
僕の隣を見ると、姉さんが悲しそうな顔をしながら俯いていた。
しかし、すぐに顔を上げると、母さんに向かって口を開いた。
「あ、あの! お、お母様……ご、ごめんなさい。
あたしのせいで……あ、あたしのせいで、こんなことに」
今にも泣き出しそうだった。
それはそうだろう。
自分をかばって、母さんは怪我をしたんだ。
僕を含め、誰も姉さんを責めないし、そんなつもりは毛頭ない。
けれど姉さん自身は自分を責めるだろう。
彼女はそういう子だからだ。
しかし母さんは柔和な笑みを浮かべたまま、姉さんの頭を撫でた。
「いいの。いいのよ。マリーのせいじゃないわ。
いい? もしマリーが前に出なくても、魔物は襲ってきていたし、誰かは同じようになってた。
それにマリーが戦おうとしてくれたから、少しだけ時間が稼げたんだと思うわ。
だからね、自分を責めなくていいの。マリーは悪いことをしたんじゃないわ。
勇気を出して、みんなを守ろうとしたんだもの。だから胸を張っていいのよぉ」
優しさにあふれた言葉だった。
僕も思わず、泣きそうになるくらいに。
マリーはたまらず泣いてしまったけど、すぐに涙をぬぐった。
そしてグッと唇を引き締めて、真剣な顔になる。
母さんの前で泣いてはいけない、そう思ったんだろう。
怪我で辛い思いをしているのに、これ以上、心配をかけないようにしたんだと思う。
姉さんはまだ幼いのに、人を慮ることができる人だから。
二人の会話が終わったと見ると、父さんが口火を切った。
「では、話はそれくらいで、ゆっくり寝ていなさい。
しばらくは私達が身の回りのことをするから」
「ごめんなさい……迷惑をかけてしまったわね」
「迷惑なんかじゃないさ。君も子供達も無事でよかった。本当に」
「ええ、記憶が曖昧だけど……もう安全なのよね?」
「ああ。安心しなさい。もうゴブリンは全部駆除した」
「そう……よかった……ごめんなさい、もう、眠く……なって……」
母さんは目を閉じた。すぐに寝息が聞こえる。
父さんが母さんに毛布を掛けてあげた。
僕達は廊下に出ると、一階へと下り、居間に入る。
「二人に聞きたいことがある。座りなさい」
来た。
予想はしていたので、面喰ったりはしない。
でも覚悟が必要ではあった。
昨日、騒動があってから。
父さん達が帰ってきた時、すべては終わっていた。
聞くと、父さん達は近くの森のあるゴブリンの巣を見つけ、そこで住んでいたゴブリンを二体倒したらしい。
でも、まだ一体いる痕跡があって、急いで村に戻ったとのことだった。
不幸中の幸いにも怪我人はいたけど、死人は出なかったとか。
再びの周辺の捜索と、ゴブリンの痕跡を再調査。
家の修理とゴブリンの処理。
それと母さんの状況確認と、街に医者を迎えに行くということが重なり、事情の説明ができなかったのだ。
何が起こったのか。
色々と疑問はあっただろう。
逆の立場なら、僕も同じように思ったに違いない。
テーブルについた僕達は椅子に座る。
僕とマリーが並び、正面には父さんが座っていた。
「では、事情を聞こう。何があった?」
「……うん」
どう話したものかと悩んだが、嘘を吐いても、他に目撃者もいるし、騙せないだろう。
真実を話すしかない。信じて貰えなくとも。
僕はゴブリンが突然襲い掛かってきたことを話した。
そして、マリーが襲われ、庇った母さんが傷を負ったこと。
僕がゴブリンを倒したこと。
その後、僕の指示で応急処置をしたこと。
離している最中、父さんはじっと目を閉じて、聞き入っていた。
話し終えると閑寂な空間が生まれる。
そして、父さんがゆっくりと目を開いた。
「それを信じろと、私に言うんだな?」
「……嘘は言ってないよ。全部事実で……これ以上、説明のしようがない」
「そうか。シオンが魔力とやらの力でゴブリンを倒したと。
その後、適切に、医者が感心するくらいの処置を施して、エマを助けた。
そういうことなんだな?」
「…………他にも見た人がいるから」
そう言うしかなかった。
あまりに非現実的だけど、でも事実なのだ。
昨日から、どう説明したらいいのか悩んだ。
でも結局、嘘を吐けないし、誤魔化しも聞かないという結論を出した。
目撃者が多い中で、どうしても嘘は言えなかったのだ。
こうなることは想像できていた。
でもそんなことよりも、母さんと姉さんを救いたかった。
沈黙が続く。
父さんは顔をしかめて、黙っていたが、やがて嘆息した。
「話は聞いている。領民達から事情を聞いている。
ゴブリンを倒したという部分に関しては、聞けなかったがな。
母さんの治療をしたという部分は聞いた。だが……どうしてそんなことができた?
シオン。おまえはまだ七歳だ。外の世界もほとんど知らない。
なのに、どうして医学の知識があった?」
僕は前世では三十歳の男で、日本という国に住んでいて、そこはかなり技術が発達していて、いろんな知識を得られるんだ、なんて言えるはずがない。
ただ父さんを困らせるだけだ。
だから曖昧なことを言うしかない。
「僕も、なぜかはわからないよ。でも知ってたんだ」
父さんは溜息を洩らし、頭を抱えた。
僕とマリーはただ動向を見守ることしかできない。
「以前、マリーが湖で光が見えると言っていた。
それと、魚の入った桶の上に手をかざせと言っていたな。
何を言っているのかと思ったが、その魔力というものに関係があるのか?」
「どうしてわかったの?」
「シオンは昔からおかしなことを言うことはなかったし、行動も理性的だった。
子供にしてはおかしいくらいにな。
それなのに、部分的に違和感のある言葉を言ったり、行動をしたりしている。
それも極一部だけ。だからおかしいと思ってはいた」
「信じてくれるの……?」
「わからん。私は子供のことを信じたい。事実、おまえの説明通りのことは起きている。
だが信じがたい。なぜ知識があったのか、この際それは置いておこう。
問題は、ゴブリンを倒せたということだ。
大人が複数人いてようやく倒せるくらいの魔物を、七歳の子供が殺してしまったということだ。
そして、この話を、いや、この事実をシオンはすべてきちんと理解しているはずだ。そうだな?」
「…………はい」
「それに魔力とやらの研究をしているとは。
大人びているとは思っていたが、まさかそんなおかしなことをしているとは思わなかった」
明らかに悩んでいた。
自分の子供が魔物を殺し、母親の怪我を治療したなんて、受け入れるのは難しいだろう。
しかも魔力なんてよくわからない力を使って。
父さんからしたらあまりにおかしなことが連続で起こって、頭が混乱しているだろう。
しばらく黙っていたが、父さんは俯いたまま言った。
「いいか、このことは口外無用だ。村人にも同じように言ってある。
子供ができるようなことじゃない。外に知れたら……よくないことが起こるかもしれん」
僕はなぜそんなことを言うのか、すぐにはわからなかった。
でも改めて考えると何となくわかった。
文明が進んでいない世界では、理解の範疇を超えるものをすべて悪しきものと捕らえる人がいる。
魔女、異教徒、外来語や西洋医学。
様々な外の、常識外のものをすべて拒絶し、時として糾弾し、淘汰した。
それが歴史にはまざまざと残り、その中で犠牲になった人も少なくない。
もし、ただの子供が大人顔負けの知識があり、不可思議な力を使ったら。
僕だけでなく、周りの人に迷惑をかけるかもしれない。
それだけは嫌だ。
僕は自分の置かれている状況を理解した。
大丈夫かもしれない。でもとても危険な状況なのかもしれない。
「シオン。何があっても、私はおまえの親だ。だから絶対に庇うし、味方でいる。
だけど、世の中にはやってはならないこと、受け入れられないことがある。
特に他人は、簡単に人を虐げる。意味がわかるか?」
「特殊な存在は、つまはじきにあう、ってこと?」
「そうだ。私はおまえにそうなって欲しくはない。だからこの件に関しては口外してはいけない。
それと魔法の研究もやめなさい。それは危険な力だ」
父さんが言うや否や、マリーが立ち上がった。
「そ、それはダメよ! シオンがどれだけ頑張ったと思ってるの!?
それに、シオンがいたからあたしもお母様も助かったのよ!
それなのに、魔法の研究を止めろだなんて……!」
「危ないことかもしれないのに認めるわけにはいかない!」
「危ないかどうかもわからないじゃない!」
「危ないとわかってからでは遅いと言っている!
それに魔物を殺せる能力が危険でないわけがない!」
父さんの言っていることはもっともだ。
子供が魔物を殺した。その能力を危険視するのは当然だ。
もし、その力のおかげで助かったとしても、親の立場では容認できないだろう。
マリーの気持ちは嬉しかった。
必死で僕を擁護してくれていた。
二人の会話は平行線だった。
マリーは僕の味方で魔法の研究を続けさせてあげてと主張している。
対して父さんは魔法の研究を止めさせたい。
立場的には父さんの指示に従いたくはない。
でも魔法の研究を続ければ、ずっと父さんに心配をかけることになるだろう。
もうバレてしまった。
隠れてこそこそと研究するにも限界があるだろう。
家族は大事だ。でも僕にとって魔法の研究は尊いものだ。
そのためにずっと生きてきた。
だから誰にも邪魔されたくはない。
家族がいるから生きていける。
でもそれは死んだように生きるだけ。
つまらないと思いながら生きるだけ。
それは、僕に死ねと言っているようなものでもある。
もしも魔法は存在せず、仕方なく諦めるならば受け入れられるかもしれない。
でも可能性があるのに、自ら手放すなんてことはしたくない。
だから。僕は言った。
「父さん、僕は魔法の研究を続けるよ」
「シオン! 私の言うことが聞けないのか! なぜわからない!」
父さんは明らかに憤っていた。
当たり前だ。小さい子供の癖に、親にたてついているのだ。
でもこれだけは譲りたくなかった。
何が起こっても、譲れば、人生の目的を失う。
それは、もう二度としたくなかった。
「わかるよ。父さんの気持ちも、言っていることも理解できるし、その通りだと思う」
「だったら、言うことを聞きなさい」
「でもね、もし研究を止めたら、僕は不幸になる。
何があっても、ずっと引っかかったまま生きていかないといけない。
父さんにとってはただの危険な力でも、僕にとっては夢の力なんだ。
実現するためにずっと頑張って、これからもそうしたいんだ」
「……おまえはまだ子供だ。狭い世界でしか考えられない。
だからそんな考えになっているだけだ。大人になれば」
「大人になっても変わらないよ、父さん。絶対にね」
僕は迷いなく、父さんの目を見て言った。
だってもう、一度目の人生で学んだんだ。
僕は漫然と生きることに幸せを抱けないって。
父さんは僕の視線を受けて、たじろいでいた。
「剣だって、人を殺すこともあるし、魔物を殺すこともある。
でも、みんな当たり前のように学んでいる。なんでかな?」
「……身を守るためでもあるし、己を鍛える意味もある」
「それと魔法は何が違うのかな?」
「まったく違う。剣は扱いに注意すれば、危険ではない。
だが魔法とやらは危険かもしれない。事実、おまえはゴブリンを殺しただろう」
「でも、僕は怪我をしてない。みんなを助けられた。
そして、僕が魔力を扱えなかったら誰も救えなかった。
これって、扱いに注意すれば危険ではないってことじゃないかな?」
「物と技術は違う。剣は道具として扱うからこそ何かを殺す。
だが魔法は何が起こるかわからず、いきなり人を殺すかもしれない。
事実、おまえはゴブリンを殺したことに、驚いたのだろう。
それは意図せずに殺したということだ」
「つまり巻き込まなければいいってことだね。
だったら僕を隔離してくれていい」
「シ、シオン! あんた何を言ってるの!?」
「僕は本気だよ」
姉さんが何を言おうと、父さんが説得してきても、僕の考えは変わらない。
父さんは正しい。でも、僕は普通の子供じゃない。
大人になってからならいいというならばまだ我慢ができるが、今、ここで譲れば、父さんはいつまでも許してくれないだろう。
だから引かない。
父さんは呆気にとられていた。
でも怒ってはいないようだった。
悲しげに、寂しげにしていた。
「そこまで研究をしたいのか?」
「うん」
「危険なものなのかもしれない。実際、魔物を殺すほどの力だ。
それが何なのか、私はまだわからないし、本当に存在するのかもわからない。
もしかしたらおまえ自身の命を奪うかもしれない」
「うん。わかってる」
「誰にも認められないかもしれない。むしろ蔑まれるかもしれない。
それでも、おまえは続けるか? 魔法の研究を」
「うん、続ける。覚悟はあるよ。
もしも僕の存在が邪魔で、みんなの迷惑になるっていうんなら、勘当してくれてもいい」
姉さんが何か言おうとした。
でも僕の顔を見ると、言葉を失ってしまったようだった。
僕には迷いがない。
家族は大事だ。大切な人達だ。
でも、魔法は僕の人生に深く根付く、僕自身のようなものだ。
それを捨てたら、僕は僕じゃなくなる。
もし研究のせいでみんなに迷惑がかかるくらいなら、追い出された方がいい。
それくらい、僕は覚悟している。
みんなのことは好きだ。
だからといって研究を捨てたくはない。
だから僕は迷わなかった。
自分勝手だと思う。
でも、僕のアイデンティティを捨てるようなことを、できるわけがない。
「…………そうか。そこまでの覚悟があるのか」
父さんはじっと僕を見つめた。
そうしてしばらくして、鷹揚に頷く。
「わかった。研究は続けるといい。ただし、今後は研究成果を私に報告しなさい。
あまりに危険なことをするようであれば止めるぞ。
シオンは普段、しっかりしているのに、時々、思い切ったことをするようだからな」
「え? そ、それだけ? 本当にいいの?」
「仕方がないだろう。男が覚悟をしていることに、親が口を挟めるはずがない。
まさか七歳の子供にそこまでの覚悟ができるとは思わなかったがな。
あんなに真っ直ぐな目をされたら、親としても男としても何も言えん」
深いため息を漏らし、脱力して、苦笑を浮かべる父さん。
僕はそんな父さんの姿を見ると、鼻の奥が痛んだ。
理解してくれるとは思わなかった。
関係は悪化して、勘当される未来も考えた。
七歳で生きていくのは難しい。
死ぬかもしれない。
そんな不安もあった。
それでも、僕は意志を貫いた。
そして、父さんはそれを認めてくれた。
ありがたくて、僕は思わず俯いてしまう。
「胸を張れ、シオン。おまえはおまえのやりたいことを見つけ、その道を進むと決めたんだろう。
だったら進み続けろ。私は、その手伝いをしよう。それが親の務めだからな」
僕は顔を上げる。
頬を伝うものを感じつつも、顔をそむけなかった。
不意に、手を握られた。
隣に座っていた姉さんが、僕の手に自分の手を重ねていた。
「よかったわね、シオン」
姉さんは複雑そうな顔をしていた。
でも、認められたことを喜んでいるようでもあった。
よかった。
これで心置きなく研究を続けられる。
その事実に、僕は強く安堵した。
ああ、これからは父さんに隠しながら研究する必要もないし、積極的に話すこともできるようだ。
母さんには許可を得てはいないけれど。
とにかく。
これからだ。
最悪な出来事の連続だったけど、得るものもあった。
また試してみるとしよう。
その思いを胸に、僕は涙をぬぐった。