第十三話【黒歴史】byセルヴォ
さて、新入りのリネルが偵察任務に駆り出されている間、俺の手元にはぽっかりと空白の時間が転がり込んできた。
エデン本部の冷え切ったコンクリート壁からは、常に微かな電子ノイズと安価な潤滑剤の匂いが染み出している。この殺風景な景色をただ眺めていても、冷却ファンの音が虚しく響くだけだ。
さて、せっかくの暇だ。ちょっくらその辺の女の尻でも触りにいくか。
そんな軽薄な思考を回路に走らせ、肩を揺らして廊下を歩いていたその時、前方から、一機のメダロットが歩み寄ってきた。
ハードネステン。
ダイヤモンド型メダロット特有の、硬質でどこまでも透明な装甲が、天井の蛍光灯を刺すように反射している。その歩調は機械的なまでに正確で、床を叩く足音一つにさえ、他者の介入を許さない冷徹な『秩序』が宿っていた。
……さて、今日はやめておこう。
俺の勘が、本能的な警告信号を明滅させる。
あの女に、俺の言うところの「ちょっとした危険な遊び」や「おちゃめな悪戯」の類をぶつけたところで、返ってくるのは笑い声じゃねぇ。最悪の場合、エデンの軍律を引用したシャレにならねぇ『粛清』が待っている。
プロフェッショナルは、引き際を間違えないもんだ。俺は視線を逸らさず、けれど極めて自然な動作で彼女の横をすり抜けた。
さて、相棒のビートはといえば、自室のベッドの上でガチ寝を決め込んでやがる。あのアホ面を見に行くのも癪だ。
そして、俺たちのボス――デュオさんは、相変わらず忙しいことこの上ない。
思えば、あの人はいつだって仕事をしている。通信ログの精査、各支部の動向確認、カヲスさんへの上奏……。派手な格好をして、浮ついた口調で喋ってはいるが、その実、エデンの暗部を一人で背負っているようなもんだ。
少しは羽を伸ばす時間ってのをもらえないのかね、あの人は。
あんだけ組織のために身を粉にして働いてんだ。たまにはメンテナンス・ベッドの上で泥のように眠るか、高級オイルで接待してやるくらいの贅沢をさせてやってもバチは当たらねーだろう。
さて、そういや最後にデュオさんとゆっくり酒を酌み交わしたのは、いつだったかな。そんな不確かな記憶を検索しながら、俺は廊下の隅にある、塗装の剥げかけたベンチへと腰を下ろした。
ん?
俺の尻の下、ベンチの端に不純物が紛れ込んでいた。
埃を被り、ページの端々が変色した、一冊の「汚ねえ雑誌」だ。
さて、こいつは大昔のゲーム雑誌か。まだ人間共が、生きていた時代の骨董品だ。
兵士の中に、人類滅亡前のレトロゲームを趣味にするような、奇特なヤツでもいたのかね。
俺は無造作にその紙の死骸を拾い上げ、指先に付着する煤けた紙の感触を楽しみながら、適当にページをめくってみた。
と。
その退屈な紙束の片隅に、奇妙なノイズのような記事を見つけた。
〝ロケットカンパニー株式会社は9月3日、ニンテンドーDS用RPG「メダロットDS(仮称)」を発売することを明らかにした。
発売日は未定で、価格は5,040円。
「メダロット」はゲームボーイで発売され、その後ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンスなどで発売。
TVアニメや、コミックスなどで展開を経て、約八年ぶりに新作が発表された。〟
さて?
めくっていた指が止まった。俺は奇妙な違和感を覚え、今読み飛ばしたばかりの数行を、目を凝らしてもう一度なぞり直した。
約八年ぶりに新作が発表された。
八年ぶりに新作?
八年……。
さて、俺の記憶が確かならば、このシリーズはその「新作」が出る六年前に、とある作品をこの世に送り出しているはずだ。
だが、この記事を書いた人間は、その事実を影も形もなかったかのように切り捨て、平然と「八年」なんて書いてやがる。
つまり、こういうことか。
あの作品は、〝存在していたのに、無かった事〟にされたわけだ。
「………………」
さて、俺は無言のまま、指先に残る埃と古紙の感触を振り払うように、その汚ねえゲーム雑誌を近くのゴミ箱へと放り投げた。
カサリ、と音を立てて雑誌が他の廃棄物と重なり、闇に沈む。
クッククク……。
いいねぇ。最高だねえ。
どういうわけか、その不条理な一文に、得体の知れない親近感が湧いてきやがった。
さて、俺たち『トゥルース』は、このエデンの再興を支えながら、決して歴史の表舞台にその顔を晒すことはない。
国王だの女王だの、英雄だの神様だのといった連中が眩いスポットライトを浴びる裏側で、俺たちは泥水を啜り、汚物にまみれて道を切り開く。俺たちの成した仕事は、絶対に表の連中に悟られてはならないし、ましてや歴史の教科書に名を残すなんてのは、プロフェッショナルとしては三流の証だ。
目撃者を消し、記録を改竄し、因果を捻じ曲げる。
〝存在していたのに、無かった事〟にする。
それが俺たちトゥルースの矜持であり、存在理由そのものだ。
そういう意味じゃ、「黒歴史」なんてのは俺たちにとって最高の褒め言葉に他ならない。
その事実が歴史の闇に葬られたということは、それだけ俺たちが完璧に、美しく仕事を完遂したっつー証拠だからな。
名誉も、尊敬も、感謝の言葉さえも集められない。……いや、集めてはならない。
さて、プロフェッショナルってのは、つくづく割に合わねぇ商売だぜ。
そんな独りよがりの酔狂に浸っていた、その時だ。
ビート:「セルヴォ」
突然、鼓膜の直近で無機質な音声が響いた。
「……おわっ!? さて、……いつの間にいたんだよ、お前」
心臓が跳ねるのを感じながら振り返れば、そこにはいつの間にか寝所を抜け出した相棒が、鉄地蔵のような面を晒して立っていた。足音一つ立てずに接近するとは、休暇明けで勘が鈍っているらしい。
ビート:「デュオさんが呼んでいる」
ビートは俺の動揺など微塵も気にすることなく、短く、それだけを告げた。
いつもの淡淡とした口調。だが、その背後に漂うのは、新たな『不都合な真実』を処理するための、鉄の匂いだ。
さて、
感傷に浸る時間は、もう十分だ。
ゴミ箱に捨てた雑誌のことは忘れ、俺は不敵な笑みを口元に戻した。
「さて……お仕事再開だな♪」
第十三話【黒歴史】終わり