第十五話【欠番】byリネル
「足が凍りついた」という表現は、物語の中ではしばしば「恐怖ですくんで動けなくなった」という比喩に使われるけれど。今、私の身に起きているのは、そんな詩的な情緒とは無縁の物理現象だった。
目を下に向ければ、私の脚部は、地面と一体化するように透明な氷の結晶に覆われていた。
:「フェニにお前が何をした?」
カッチカチに氷漬けにされた私を、白銀の装甲を纏った女――オーロラクイーンが、文字通り氷の刃のような視線で射抜いてくる。
:「フェニは死にかけていたお前をここまで運び、スラフシステムによる緊急処置まで施した。礼を言われる筋合いはあっても、急に攻撃を受ける理由など妾には思い当たらんのだがな」
氷による冷却効果のせいか、それとも彼女の放つ圧倒的な威圧感のせいか。熱くなっていた私の頭は、急速に冷静さを取り戻していく。
間違いない、この女は雪女型メダロット。彼女が放ったフリーズ攻撃が、私の機体の動きを物理的にロックしているのだ。
フェニ:「わ、わわわ! ローラ、駄目だよ! せっかく助けたんだから!!」
背後から慌てた声を上げたのは、デスフェニックスのフェニだった。彼は私の足元に駆け寄ると、その右腕からのファイヤー攻撃で、私の脚部を縛っていた氷を一瞬で融解させてくれた。
ローラと呼ばれたオーロラクイーンは私が再び「デストロイ」を起動させることを警戒したのか、反射的にフェニの前に立ち、盾となるように身構えた。
その瞬間、皮肉にも私と部屋の出口を遮る障害物はすべて消え去った。
この絶好の勝機を逃すほど私はお人好しじゃない!
私は融けたばかりの脚部に強引に負荷をかけ、一気に部屋を飛び出した。
背後でフェニが私を止めようと叫ぶ気配がしたけれど、ローラの鋭い一喝がそれを制止する。
フェニ:「ローラ! あの子まだ怪我が治りきってないんだよ!?」
ローラ:「これだけの元気があれば、野垂れ死ぬことはないだろう。放っておけ」
遠ざかる背中越しにそんな会話が聞こえてきたけれど、私は一度も振り返らなかった。
感謝? そんなの、エデンを、私の村を焼いた蛮族――「ラヴド」のメダロットに捧げる義理なんて、一分だって持ち合わせていないわ。
迷宮のようなエデン本部の構造を叩き込まれている私にとって、この程度のラヴド支部の構造は、子供の積み木細工のように単純だった。最短の脱出ルートで、警備の隙を突いて、私は地上へと滑り出た。
―
支部を離脱し、どれほど走り続けたかしら。
辿り着いた先に広がっていたのは、見渡す限りの灰色の世界だった。
そこらじゅうの建物が暴力的に破壊され、空洞となった窓が死んだ魚の目のようにこちらを見つめている。誰かが再建を試みようとした気配すらなく、ただ時が止まったような停滞。
あぁ……ここは。
かつて、人間たちが呼吸し、生活を営んでいた町だったんだ。
その風景が、私の記憶の底に沈殿している「ある場所」と酷似していることに気づくのに、そう時間はかからなかった。
そう。七年前、ラヴドの兵士に焼き払われた私の故郷に、そっくりだった。
目の前の死んだ町と、私の村。
二つは瓜二つの無残さを晒しているけれど、決定的な違いが一つだけある。
私の村を蹂躙したのはラヴドで、この町を廃墟に変えたのはエデンの進撃だということ。
……もしかして。
ラヴドの兵士たちの中にも、私がラヴドを憎むのと同じくらいの熱量で、エデンを憎んでいる人たちがいるのかもしれない。
今まで、私は疑いもなくラヴドを絶対的な「悪」と定義してきた。その憎悪は今も心を灼き焦がしているけれど……だからといって、エデンが「正義」だという証明にはならない。
そして――エデンのために汚れ仕事をこなす私自身が、果たして「善」と言い切れるのかしら。
思考の海に、さっきのフェニの困ったような、けれど真っ直ぐな顔が浮かんできた。
あのフェニという個体は、ラヴドの兵士でありながら、本当に「悪」だったの?
もし、彼までも「悪」と切り捨てるのだとしたら、その彼に助けられ、今こうして復讐のために走っている私自身は、一体何なのよ……。
「……やめよう。やめるのよ、リネル!」
私は立ち止まり、頭を激しく振って思考を強制終了させた。
そんな青臭い迷いは、新人の甘えでしかない。私はもう、引き返せない戦場まで来てしまった。エリート諜報集団「トゥルース」としての仮面を被り直すことで、私は辛うじて自分を保った。
一刻も早くこの町から離れよう。
漂う死の残響が、吐き気を覚えるほど不快だった。
逃げるように町の出口を目指していたその時、視界の端にポツリと、不自然なほど静謐な熱源を捉えた。
瓦礫に埋もれかけるようにして佇む、一つの石碑。
メダロットが、自分の
私は吸い寄せられるように、その前で足を止めた。
驚くほど丁寧に、丹念に研磨された石の肌。これを作った人は、相当な器用さと、それ以上の深い情愛を込めたに違いない。
墓前には、大量の食物が山のように供えられていた。まだ腐敗の兆候はなく、瑞々しい果物の香りが微かに漂う。最近、誰かがここを訪れ、手向けたものだ。
その供物の中に、場違いな一枚のカードが添えられていた。
私はそれを拾い上げ、指先で感触を確かめた。トランプのジョーカー。
何故、こんな不吉なカードがお供え物に?
視線を墓石の中央へ戻す。
そこには、一文字ずつ、魂を刻み込むような筆致で名前が彫られていた。
『 宝 条 ル ク 』
……知らない名前だった。
少なくとも、私の知る情報の断片には、そんな名の記憶は存在しない。
私はトランプを元の場所へ戻すと、再び重い足取りで歩き出した。
―
瓦礫の合間を抜け、ようやく町の出口と思われる大通りへと辿り着いたその時だった。
:「おい! テメェ……俺たちのシマで何してやがる!?」
背後から投げかけられた、粗野で不快な音声。振り返れば、そこには数十体のメダロットたちが扇状に展開し、私の退路を塞いでいた。その薄汚れた装甲や、品性の欠片もない佇まいを見る限り、この廃墟を根城にしているゴロツキの類に違いない。
:「ん……? 待て、テメェ……あの時の女じゃねえか!!」
「えっ?」
先頭に立つ一機が私を指差し、驚愕に目を剥き出しにした。心当たりを探るけれど、こんな奴らと知り合いになった記憶なんて無いわよ?
……あ!!
思い出した。こいつら、あの「ベルゼルガ」の時に蹴散らした、情けない山賊たちの生き残りじゃない! なんでこんな場所にまで遠征してきてるわけ?
:「テメェらが
弱ッ!!
村人って、戦う力なんてほとんど持たない一般市民じゃない。本当にベルゼルガという「柱」を失った途端、自立すらできなくなった無能な集団なのね……。呆れを通り越して、哀れみすら覚えるわ。
:「絶対に許さねぇ! ここでぶっ殺してやる!!」
三下の教科書に載っていそうなテンプレ通りの台詞を吐き捨てて、山賊たちが一斉に私へと躍りかかってきた。一般市民にすら勝てない烏合の衆が、この私に勝てるわけ――。
そう高を括り、飛び掛かってきた先頭のパンチを最小限のステップで回避しようとした、その瞬間だった。
「……っ、ぐあッ!?」
全身の駆動系を、稲妻のような激痛が駆け抜けた。
忘れていた。あの「竜」の仕掛けた爆発、そして逃走の無理な機動。私の内部フレームは、自分でも気づかないほどのダメージを残していた。回避の挙動が僅かに遅れ、私は不格好に地面へと膝を突いた。
:「お? なんだテメェ! 手負いか!? ハッハッハ! こりゃあツいてるぜ、ラッキーだ!」
完全な状態なら絶対に負けないのに……。
隙だらけの私の頭上へ、鈍色の鉄拳が振り下ろされようとした。
――その時だった。
視界の外から、白と黒のコントラストが、弾丸のような速度で空間を横切った。
凄まじい質量衝突音。私を襲おうとしていた山賊が、まるで巨大な槌で打たれたように、遥か後方へと弾き飛ばされた。
?:「お前らだな。最近この町に何気に巣食っている奴らは」
砂煙の中から、悠然と立ち上がった影があった。
黒と白を基調とした、道化師を思わせる異形のメダロット。その佇まいから放たれるのは、圧倒的な強者のオーラ。
:「なんだテメェ!! 邪魔すんなら纏めてぶっ殺すぞ!!」
?:「この町で暴れんのは何気に止めてくれねえか」
:「ふざけんな!!」
怒号と共に数機の山賊が殴りかかる。けれど、その道化師は、ダンスでも踊るかのような滑らかな制動でそれらすべてを紙一重でかわしてみせた。
?:「おっと……何気にタダでとは言わないぜ♪」
カウンターの鋭い蹴りを一発お見舞いしながら、こう言い放った。
?:「何気にバグ技で『けつばん』を作る方法を教えてやる!!」
――沈黙。
私の思考回路が、一瞬だけ停止した。
こ い つ 変 な ヤ ツ だ っ た ! !
絶体絶命のピンチに現れて、涼しい顔で敵を翻弄する。そんなハードボイルドな雰囲気が、たった今、音を立てて崩壊したわ。
「けつばん」って……初代ポケモン!? 人類滅亡前の、しかも初期の初期のバグネタじゃない!
:「ふざけんな! そんなモン知りたかねえよ!!」
ごもっともです!! 山賊のツッコミがこれほど正論に聞こえる日が来るなんて!
激昂した山賊たちが、今度は総出でその道化師へ殺到する。
?:「まぁ、そう言うな」
道化師は、襲いかかる鉄の群れを前に、ゆっくりと右腕を掲げた。
その装甲の下から、臨界点を超えたエネルギーの輝きが漏れ出す。
この光……まさか!?
―――ド、オォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
次の瞬間、私の視界は白一色の閃光に塗り潰され、鼓膜は暴力的な爆鳴によって機能を一時停止させられた。
凄まじい衝撃波。周辺の瓦礫が文字通り塵へと変じ、爆風がすべてを薙ぎ払っていく。
この圧倒的な破壊の権化――サクリファイス!!
爆煙が静かに引いていく。
そこには、自らの右腕を代償として火花を散らしながらも、依然として不敵に立つ道化師の姿があった。
そして。さっきまで数十体もいた山賊たちは、誰一人として動く者もなく、無惨な残骸となって広場一面に転がっていた。
強い。
その一言しか出てこない。この一撃の破壊力は、あの十二使徒候補のベルゼルガと同等か、あるいはそれを凌駕している。
……見つけた。
間違いなく、この男こそ十二使徒に相応しい「怪物」だわ!
驚愕と期待に胸を躍らせ、私が彼をどうスカウトすべきかシミュレーションを始めたその時。
彼はひしゃげた腕の排熱音を漏らしながら、遠い空を見つめて、ポツリと呟いた。
?:「……セレクトボタン。それが、すべての始まりだ」
……。
……うん。
やっぱり、変なヤツ……!!
第十五話【欠番】終わり