第二十九話【すすたけ村の転校生】byリネル
リーブ: 「リネルさん、大丈夫ですか!? 怪我、あらへんですか!?」
砂煙が舞う路地裏。真っ先に駆け寄ってきたリーブさんの顔には、損得勘定なんて欠片もない、純粋な心配だけが張り付いていた。私の無事を確認すると、彼は「あぁ、良かったぁ」と、体の芯から安堵したような排熱音を漏らした。
……演技なんかじゃない。
これまでの彼の行動、一つ一つの言葉。そのすべてが、本気で他人の幸せを願って動いていることを証明していた。どこまでも白く、混じりけのない善意の塊。
復讐を燃料にして、ラヴドを、そしてこの平穏な世界を戦火に叩き落とそうとしている今の自分が、どうしようもなく汚らわしいものに思えて……胸の奥がチリチリと焼けるように痛かった。
リーブ: 「あ、そういえば探し物……。まだ見つかってへんのですよね?」
不意に尋ねられ、思考回路が一瞬だけショートした。
そうだった。私は「大切な落とし物をした」という嘘で、彼をここへ連れ出したんだったわ。ビート先輩の襲撃――私だけを正確に避けたあの精密射撃の衝撃で、自分自身の吐いた嘘すら忘れかけていた。
「あ、……いえ! もういいんです。私の不注意ですし、リーブさんにこれ以上迷惑をかけるわけにはいきませんから」
とにかく一度彼から離れて、ビート先輩と合流しなきゃ。そう思って話を切り出そうとしたけれど、リーブさんは何かを言いたげに、けれど言い辛そうに眉間の装甲を寄せた。
まさか。ビート先輩と私がグルだって、気づかれた!?
「な、……なんですか?」
リーブ: 「リネルさん、……もしかして貴女、何者かに追われてはるんとちゃいますか?」
「え?」
予想の斜め上をいく言葉に、拍子抜けしてしまったわ。
リーブ: 「さっきの銃撃、貴女を狙ってたんやないかって……。僕に助けを求めたんも、あの襲撃者から逃れるためやったんかなって思ったんです」
……。
……。
違うわよ、リーブさん。狙われていたのは貴方だし、私は貴方を「ハメる」ためにここにいるの。
それに、もし本当にビート先輩が私を追いかけ回しているんだとしたら――それって、ご褒美以外の何物でもないじゃない!
「……いえ、違います。そんなドラマチックな話じゃありませんよ」
リーブ: 「ホンマに!?」
「……ホンマに」
あ、思わず言葉がうつっちゃった。
リーブ: 「そうですか! それやったらええんです。いやー、なんか勝手に心配してもうて。お恥ずかしいわぁ」
あぁ、もう。なんて信じるのが早いのよ。
この人、竜みたいなタイプと戦ったら、一秒で骨までしゃぶられちゃうわね。
「では、私はこれで失礼します」
リーブ: 「あ、はい! また何か困ったことがあったら、いつでも僕を頼ってください。難しい知恵は出せへんけど、戦闘とか力仕事やったら任せてや!」
「……どうも、ありがとうございます」
背中を向けて立ち去る際、私は自分でも驚くほど深く、腰を折ってお辞儀をしていた。
―
リーブさんという男は、一言で言えば「バランスの取れた善」だった。
もし彼が、この世の聖性を一点に集めたような圧倒的な『絶対善』であったなら、あそこまで村人たちに慕われることはなかったでしょうね。強すぎる善意は、時として狂気に化けるし、他者への強すぎる思いやりは、時として残酷な重荷になる。
けれど彼には、善意の中に程よい配分で「甘さ」や「マヌケさ」、「楽観」と「弱さ」がブレンドされていた。だからこそ、誰もが彼に心を開き、彼を愛するの。
かくいう私も、任務を忘れて彼に親しみを感じてしまっていた。
……あんなメダロットに、戦争なんていう泥沼の殺し合いをさせていいのかしら。
いや!
でもこれは任務なの。私は『トゥルース』。与えられた任務を完璧にこなすのが、私の唯一の存在理由。
ビート: 「リネル」
「あ、ビート先輩!」
村の入り口付近で、歩いていた先輩と合流できたわ。
ビート: 「大丈夫だったか。何かトラブルは?」
「はい。というか……なんだか、すごく丁寧に扱われてしまって」
私は胸の内に
リーブさんの行動パターン、思考の癖、そして彼がこの村でどれほど強固な『愛』に守られているか、同時に彼自身がどれほど村を守っているか。わかった限りのデータをすべて先輩に伝える。
ビート: 「そうか。……とりあえず、デュオさんに報告を上げる。一度村を出るぞ」
「はい」
ビート: 「……どうした? 少し元気がないようだが」
「え? そ、そんなことないですよ! ちょっと考え事をしていただけです!」
ビート: 「そうか。……今回の相手は、確かに楽に事を進められそうだ。だが、気を抜くなよ」
「……は、はい!」
ビート先輩の言葉が、鋭利なナイフとなって私の耳を貫いた。
「楽に事を進められる」。
それはリーブさんが善人であり、人を疑うことを知らない『弱点』を持っていることを指している。
村を出て、先輩が本部のデュオさんに暗号通信を入れるのを、私は一歩下がって眺めていた。
応答を聞いている限り、やはりリーブさんを『十二使徒』として、強引に引き込む方向に舵が切られたようね。
いいの。これでいいのよ。
だって、これは任務なんだから。そこに私の、個人的な感情なんて挟む余地はない。
ましてや、リーブさんの気持ちなんて――。
ビート: 「リネル。今日は村の付近で一泊する。明日、本部から増援の兵が数体到着する手筈だ」
「兵、ですか? ……また、あの探偵の時のような派手な総力戦を?」
ビート: 「いや。あんな無駄な真似はできないし、その必要もない。……ただの、交渉の材料だ」
「交渉、ですか……?」
先輩の瞳の奥に宿る、冷徹なまでの計算。
私はその時、この「平和な村」に、最悪の『不都合な真実』が突きつけられようとしていることを、まだ理解していなかった。
―
「リーブさん……」
リーブ:「あ、昨日のリネルさん! どないしはりました? また何か、困ったことでもありましたか?」
翌日。私は再び、広場で手伝いに精を出すリーブさんの元へ向かったわ。
一度彼を欺いた実績のある私が、再び「獲物」を釣り上げるためのルアーに選ばれたの。内心の吐き気に、義務感で無理やり蓋をして。
「あ、はい。ちょっと……来てほしいところがあるんです」
私は彼を先導し、昨日よりもさらに村の境界へ近い場所――丈の長い草が生い茂り、視界の悪い湿地帯へと誘い出した。
リーブ:「えーっと……どないしたんですか? えらい顔色が悪いし、こんなところまでわざわざ……」
「……えっと、それは……」
その瞬間。私の曖昧な返答を合図に、周囲の茂みが激しくざわめいたわ。
隠れていたエデンの一般兵たちが、一糸乱れぬ動きで這い出し、リーブさんを包囲して一斉に銃口を突きつけた。
リーブ:「な、……なんですか、アンタら!?」
狼狽するリーブさん。
この男は、個体性能としては間違いなく超一流。けれど、その優しすぎる性格ゆえに、あまりにも致命的な「隙」があった。それこそが、村人たちが彼を愛し、そして私たちが彼を付け狙う最大の理由。
ビート:「すすたけ村のリーブ。貴公に、組織としての提案がある」
兵士たちの包囲を割り、ビート先輩が静かな、けれど圧倒的な重圧を伴って前に出た。
ビート:「我々は、かつてラヴドとの大戦に敗れた組織『エデン』。我々は今、再びラヴドへと宣戦布告をするために、全戦力の再編を図っている」
リーブ:「……で、僕にその片棒を担げと言いはるんですか?」
ビート:「理解が早くて助かる」
リーブ:「そうか……そういう事やったんですか。リネルさん! 貴女、この人らに利用されてはったんですね! ちょっと待っといてください、すぐにこの人らを追い払って――」
……。
……。
本当に、……なんて間の抜けた人なの。
この土壇場になっても、彼は私の身を案じ、私を「救うべき弱者」だと信じて疑わない。そんな澄んだ瞳で見ないで。お願いだから、私の正体を察して、その拳で私を殴り飛ばしてよ……!
「……違います!!」
リーブ:「……え!?」
リーブさんが、弾かれたように私を振り返った。
私は、彼の顔を直視することができなかった。目の焦点を地面に落ちた小石に合わせ、声を震わせることしかできない。
ビート:「何を勘違いしている。リネルは我がエデンの、極めて優秀な諜報員だ。最初から、我々の側のメダロットだ」
リーブ:「そ、そんな……。嘘やろ? 嘘なんやろリネルさん……。僕は……僕は、だまされへんで……」
裏切り。その実感が、リーブさんの音声出力装置をガタガタと震わせる。
「…………」
私は何も言わなかった。何も言えなかった。
ビート:「……どうする? 我々も手荒な真似は本意ではない。貴公には、エデンの中でも『十二使徒』という特別な地位を用意している」
リーブ:「……そんなん……。戦争のお手伝いなんて、僕にできるわけないやろ!!」
リーブさんの叫び。それは平和を愛する者としての、当然の拒絶。
けれど、ビート先輩の表情は、ピクリとも動かなかった。彼はただ事務的に、相手を絶望の淵へ叩き落とすための『レバー』を引いたわ。
ビート:「そうか。……では、仕方ないな。我々は今から、この『すすたけ村』の住人を全員、抹殺することにするが、よろしいかな?」
リーブ:「な、……なんやて……!?」
リーブさんの顔が、蒼白な放電を伴って絶望に染まった。
……分かっている。今のエデンには、そんな派手な虐殺を公然と行うだけの余裕なんてない。これは単なるブラフ、相手を屈服させるための『嘘』だ。
けれど。先輩の口調、冷え切った瞳の輝き。そのすべてに、本当にやりかねないと思わせる、本物のプロの凄みが宿っていた。
ビート:「……取引をしよう。貴公がエデンへ入隊するというならば、たとえ全面戦争が勃発しても、この村だけは決して戦地にしないと約束しよう。……幸い、我々にはそうした駆け引きを得意とする優秀な指揮官がいる」
リーブ:「…………。この村の皆は、安全になる。……そういうことですか?」
ビート:「そういうことだ。定期的に貴公名義で物資を村へ送る約束をしてもいい」
私は、リーブさんの背中を見ることができなかった。
自由を、誇りを、友を。あらゆる選択肢を根こそぎ奪い取られ、仲間を捨てることでしか仲間を守れなくなった男。その機体が、冬の風に震える枯れ葉のように小さく見えた。
リーブ:「…………分かりました。荷物をまとめてくるから……。少しだけ、家に戻ってもええですか?」
ビート:「いいだろう。……ただし。妙な真似をすれば、この村の『静寂』は今この瞬間に崩壊すると思ってもらおう」
リーブ:「……はい」
トボトボと、力なく歩き出したリーブさんの背中を、私とビート先輩は影のように追った。
村の目抜き通りに差し掛かると、何も知らない村人たちが、いつも通り親しげに声をかけてきたわ。
『よぉリーブさん、顔色が悪いけど大丈夫かい?』
リーブ:「……はは、……ちょっとね。……すんません」
『リーブさーーん! あーそーぼーーーー!!』
リーブ:「無……無理なんや。……ごめんな……。また、今度な……」
リーブさんの家に辿り着き、彼が僅かばかりの荷物をまとめて再び大通りに現れた時。人だかりはさらに膨れ上がっていた。
本当に、村の人気者だったのね。
今だけは、その人気がそのまま彼を縛る鎖になっていた。
『どうしたんだい、そんな大荷物で!』
『リーブさん、どこか行っちゃうの!?』
『顔色もおかしいぞ。……キミ、隠し事してないか?』
リーブさんは、本当のことを話すことができない。
もし『エデン』という名の脅威を村人が知れば、彼らもまた情報の封じ込めの対象となる。彼が沈黙を守ることこそが、唯一の守護だった。
リーブ:「す、すんません。……ちょっと事情ができて。この村を離れることに……なったんです」
ようやく、絞り出すように発せられた一言。
それを聞いた途端、村人たちの顔色から温かみが消え去ったわ。
『何か事情があるんだろ?』
『行かないでくれ』
『いつ戻るんだ?』
『ど、どういう事だよ!』
『俺たち、アンタがいないと、明日からどうすりゃいいんだよ!』
『山賊がきたら!? 略奪者が来たら!? あんた、俺たちを見捨てるのか!』
リーブ:「そ、それは大丈夫です……。この村はずっと、平和なはずですから……。僕がいなくても……」
『何の根拠があってそんなこと言えるんだよ!!』
『俺たちの事なんて、結局はどうでもよかったってか!?』
『お、俺はあんたを信じてるよ!』
『信頼していたのに……。……信用してたのに!!』
降り注ぐ、棘だらけの拒絶。
リーブさんはただ、自身の視界から村人たちを外すように顔を伏せ、「すいません」「ごめんなさい」と、壊れた再生機のように謝罪を繰り返していた。
プルプルと、制御を失って震える彼の指先。それを見ていた私の指先も、いつの間にか同じように震え出していた。
(すいません……)
(ごめんなさい……)
心の中で、何度も。
私は彼に向かって、そしてかつての自分に向かって、声にならない叫びを繰り返していた。
私たちは彼を、すすたけ村の出口へと引きずり出した。
振り返った彼の故郷は、夕闇の中に沈み、もう誰の声も聞こえなかった。
―
――――エデン本部『トゥルースのお部屋』。
デュオ:「ぃぃ仕事、してくれましたぁぁぁぁ♪」
帰還した私とビート先輩を、デュオさんはこれ以上ないほど快活な声で迎えてくれたわ。
トゥルースに配属されてから、これほど手放しで褒められたのは初めてだった。
けれど。どうしてかしら。少しも、嬉しくなんてない。
デュオ:「実に『トゥルース』らしぃ、素敵な働きでした! 100点満点ょ♪」
ビート:「はい。恐縮です」
セルヴォ:「ケッ……。俺のときはそこまで褒めねーのによー。不公平だぜ」
デュオ:「セルヴォちゃんは、ハードネステンちゃんの件がなければ良かったのにねぇ~♪」
セルヴォ:「さて、……そりゃそうか。自業自得だぜ」
先輩たちがいつもの軽口を叩き合う中、私はじっとデュオさんの顔を見つめていた。
耐えきれず、喉までせり上がってきた問いを、言葉に変える。
「……あの、デュオさん」
デュオ:「どぅしたのかしらん? リネルちゃん♪」
「これが……。『トゥルース』なんですよね?」
――。
デュオさんの顔から、一瞬。
ほんの、瞬きほどの一瞬。
あの作り物のような笑顔が消え、底の知れない『静寂』が覗いた気がした。
デュオ:「その通り。これが『トゥルース』ょん♪ だからぁなたは、何も恥じることなく胸を張っていればぃぃの。……分かった?」
「…………。はい。……少し疲れたので、休憩してきます」
私は逃げるように執務室を後にした。
どこへ行くあてもなく、ただ冷たいコンクリートの廊下を歩く。
デュオさんは褒めてくれた。ビート先輩は私を一人前の相棒として見てくれた。セルヴォ先輩も、悔しそうにしながら私の成果を認めてくれた。
ずっと、望んでいたはずの光景なのに。
その時だった。前方から、聞き覚えのある足音が聞こえてきたわ。
「……あ」
曲がり角から姿を現したのは、ハードネステンさんに引率されたリーブさんだった。
リーブ:「……あ、リネルさん」
「リーブ、さん……」
カヲス様との謁見を終え、これから『十二使徒専用区域』――後にあの巨大戦艦となる場所へと移動する途中だったのでしょうね。
「あの、私……」
謝りたかった。
貴方の平穏を壊して、ごめんなさい。
仲間に裏切り者と呼ばせてしまって、ごめんなさい。
そう言いたかった。けれど、そんな言葉を吐いて、自分の心を軽くしようとしている自分自身に反吐が出そうで、私は口を噤んだわ。
リーブ:「ええんです」
リーブさんは、優しく、ニッコリと笑った。
どれほどの負荷がその精神にかかっているか、想像もつかないけれど。彼は一生懸命に「いつものリーブ」として微笑んでみせたの。
リーブ:「村の仲間たちの平和は、皆さんが保障してくれたんやから。僕よりもずっと強い皆さんが、そう約束してくれはったんやから。……僕は、それを信じてるだけですわ」
「……リーブさん」
ハードネステン:「お話中のところ失礼しますが。そろそろ移動を再開してもよろしいでしょうか?」
「あ、……はい」
リーブ:「ほな、行きましょか」
リーブさんはハードネステンさんに従い、再び歩き出した。去り際、彼は最後にもう一度だけ私を振り返って、未来を信じるような声を残してくれた。
リーブ:「楽しみですわ。僕とおんなしように連れて来られた人ら……きっと仲良うなれると思います」
……。
……。
これが、トゥルース。
私は、エデン軍リーダー直轄諜報部『トゥルース』のリネル。
これで、いいのよね?
私は、正しい道を歩いているのよね?
私は震える拳を握りしめ、冷え切った廊下に独り、立ち尽くしていた。
第二十九話【すすたけ村の転校生】終わり