第三十一話【ネクロデス先生】byレッド
私はレッド。ネクロデス先生に命を吹き込まれたメダロット。
初めて目覚めた時のことは、今もはっきりと覚えている。
冷たいガラスケースの中。体中に何本ものコードを差し込まれ、天井から糸で吊るされた操り人形のようになっていた私に、先生は静かに、けれど逃れようのない強さで言った。
『悪を殺せ』
その言葉が、私の世界のすべてになった。
私は先生に言われるがまま、目の前にある悪を、一つ、また一つと殺していった。ネクロデス先生もまた、自らの手を汚して悪を殺して回る人だった。
私が多くの悪を、より大きな悪を消し去った時、先生は私を褒めてくれた。
何故褒められるのか、私には分からなかった。それは、息をするのと同じくらい当然のことだと思っていたから。
悪を殺す。悪をこの世から消滅させる。
それこそが正義なのだと、先生は教えてくれた。私も、その通りだと思った。
ネクロデス先生は、私に「喋ること」を禁止した。
言葉というものが、どれほど恐ろしい毒になるかを教えてくれた。一度でも悪と言葉を交わしてしまえば、心に隙ができ、悪に騙され、弄ばれ、最後には飲み込まれてしまう。だから、決して声を発してはいけないのだと。
言葉を発するということは、相手と心を通わせるということ。
悪と心を通わせてはいけない。それが先生の絶対の教えだった。
先生は喋った。
私に世界の理を教えるために、たくさんの言葉を紡いだ。私は、どうして先生だけは喋るのだろうと不思議に思った。言葉は恐ろしいと言ったのは、先生本人なのに。
聞きたかった。けれど、聞けなかった。
私は、声を出すことを奪われていたから。
けれどある日、先生は私が抱いた小さな疑問に気づき、優しく説明してくれた。
一人では抱えきれない大きな悪を滅ぼすため。同じ正義を志す仲間と協力するため。そのために、細心の注意を払いながら言葉を使っているのだと。
そして先生は言った。私は、大きな悪を滅ぼさなくてもいい。
ただ目の前にある小さな悪を、一つずつ確実に殺せばいい。だから、私に言葉は必要ないのだと。
私は、いつか先生のように大きな悪を滅ぼせるようになりたいと思った。
そう願っていた、ある日のことだった。
ネクロデス先生は、私の前から姿を消した。
いつ、どうやって消えたのか、私には分からなかった。
朝、目を覚ました時。先生は、最初からこの世界に存在しなかったかのように、綺麗にいなくなっていた。
私は、旅に出た。
いなくなった先生を探し出すために。
そして、先生の教えの通り、この世界の悪を殺し続けるために。
―
今日もまた、小さな悪を殺した。
平和に暮らしている村の人たちからすべてを奪おうとする、汚い心の山賊たち。
周囲にこれ以上の悪はいないようだったので、私はまた旅を続けることにした。山賊たちを片付けた村を離れ、隣村の酒場へ補給のために入った。その時だった。
セルヴォ:「さて、それにしても随分と速いな……。追いつくのにも一苦労したぜ」
声をかけられた。
青い装甲の男。名前はセルヴォというらしい。
セルヴォは、きらきらと光る綺麗な言葉をたくさん並べて私を褒めた。
少しだけ、嬉しいと思った。
……たまに、私をバカにするような言葉も混ぜた。
むかつく、と思った。
でも、その後にまたすぐ褒めてくれたから。私の頭の中を全部合わせると、「嬉しい」の方が少しだけ大きくなった。
それでも、私は喋らなかった。
言葉は、毒。心を通わせるための、恐ろしい道具。
もしこのセルヴォという男が悪であれば、私が一言でも発したその瞬間に、私の正義は死んでしまう。
数年の旅を経て、私にも悪を見分ける目が少しだけ備わっていた。
目の前の男からは、残念ながら「悪」と同じ匂いがした。
私が石のように黙ったままなので、セルヴォは困ったような顔をしていた。
今までにも私に話しかけてきた人は、数えきれないほどいた。けれど、私が何も答えないので、みんなすぐに諦めてどこかへ行ってしまった。
当然だと思った。私は、誰かと関わるために造られたわけではないから。
セルヴォが途方に暮れていると、背後から女の人が歩み寄ってきた。
リネル:「とりあえず、連れて帰ったらどうです?」
女の人の名前はリネルというらしい。
セルヴォが、不機嫌そうな顔をして私に教えてくれた。
セルヴォは少し考え込むような仕草をした後、後ろの方で何かの機械を使って、ごにょごにょと内緒の会話を始めた。
その間、リネルという人が私にお話をしてくれた。
リネルは、とても難しい人だった。
悪のような気がするけれど、悪ではないような気もする。
白か黒か。それを決められない、とても難しい人。
リネル:「何か、欲しいものとかある?」
リネルに尋ねられた。
欲しいもの?
考えたこともなかった。先生に与えられた目的以外に、何かを望むことなんて。
欲しいもの……。もし許されるのなら、仲間が欲しい。
一人では滅ぼせない大きな悪を殺すために、背中を預け合える正義の仲間。そうすれば、私はもっともっとたくさんの悪を殺し、世界を綺麗にできる。
でも、それは叶わない願い。
私は喋らないし、誰とも心を通わせてはいけないのだから。
私がいつまでも黙り込んでいるので、リネルも困ったように眉を下げた。
その時、内緒のお話を終えたセルヴォが、私の方へ戻ってきた。
セルヴォ:「さて、……少し、来てほしいところがあるんだが。いいか?」
私は、もっとたくさんの悪を殺さなければならない。
けれど、目の前の男に少しだけ興味がわいたから、ついて行くことにした。
セルヴォからは悪の雰囲気がする。
この男の行く先には、きっと私が殺すべき大きな悪が待っているはずだ。
―
ついて行ったことを、少しだけ後悔した。
移動時間が、あまりにも、あまりにも長すぎたから。
「少し来てほしい」という言葉が、丸一日かけて歩き続けることを指すのだとしたら、言葉を使わない私にだって、それが「嘘」だということくらい分かる。
セルヴォ:「さて、……悪いな、ようやく到着だぜ」
辿り着いたのは、深い森の奥だった。けれど、そこには建物の影一つ見えない。おかしいな、と首を傾げたその時。
木々の隙間から、フワフワと浮遊しながら巨大なメダロットが姿を現した。白い龍のような姿。その側には、もう一機。ダイヤモンド型メダロット、ハードネステンが立っていた。
それと同時に、周囲の茂みから数十ものメダロットが音もなく躍り出て、私を包囲した。一斉に向けられる銃口。
ハードネステン:「いきなりこのような無作法な対応をして、申し訳ありません。しかし、我々は常に慎重であらねばならないのです。……他意はありませんので、どうかご理解を」
そんなことを言われても、私の気分はちっとも良くならなかった。
この人たちは、悪なのかな。
ハードネステンは、龍の姿をしたメダロットを紹介した。名前はカヲス。エデンという組織のリーダーなのだという。
エデン。
その名前には聞き覚えがあった。その昔、ラヴドという組織と戦争をして、敗北した組織の名前。
その組織が、再び蘇ったということ?
カヲスという男は、ラヴドを倒すために再び戦争を始めるのだと言った。そして、その手伝いを私にしてほしい、と。
ラヴド。
かつてネクロデス先生は言っていた。『ラヴドもエデンも、どちらも悪である可能性がある』と。
どちらも、悪かもしれない。。
でも、もしラヴドが悪なのだとしたら、それを滅ぼそうとするエデンは「正義」になるのではないかしら。けれど、悪を滅ぼすためのエデンもまた「悪」なのだとしたら、私は何を信じればいいのか、分からなくなってしまった。
ただ、私はここでエデンの要求を呑むしかなかった。
何故なら、「嫌だ」と言えば、私はこの場で殺される。
死んでしまったら、もう二度と悪を殺すことはできない。
誰にも教わらなかったけれど、それくらいの道理は自分で分かった。
コクり、と。私は一度だけ首を縦に振った。
思い返せば、それは随分と久しぶりの「YES」のサインだった。
ネクロデス先生とお話をするときは、よくこうして首を縦や横に振って、意志を伝えていた。
あの時はただ便利だと思っていたけれど、やっぱり、これはとても便利なものだった。
私はされるがまま、言われるがままに、エデンの本部の中へと足を踏み入れた。
とにかく、エデンが悪だというのなら、いつか殺さなければならない。その機会を待つために、私は生き延びる道を選んだのだから。いつかチャンスが来たら、その時にこの巨大な組織をまるごと殺してしまおうと思っていた。
けれど。私は甘かった。
エデンは、あまりにも大きすぎた。
溢れかえるほどの強い兵士たちがいて、冷徹な瞳をした賢い科学者がいて、山のような巨大な兵器がいくつも並んでいた。
私一人の力では、到底殺しきれない。
きっと、これこそが先生の言っていた「大きな悪」なのだ。そう思った。
どうすればいいんだろう。
途方に暮れながら案内されていると、巨大な戦艦の前まで連れてこられた。
『ノアの箱舟』。
私はこれからここで生活をするらしい。中には私と同じように集められたメダロットたちがいて、彼らは『十二使徒』と呼ばれているのだという。
重厚な扉の前に立ったとき、中から、信じられないほど騒がしい声が漏れ聞こえてきた。
タイン:『さり気にやるな、ベルゼルガ!』
ベルゼルガ:『フン……貴様こそな』
タイン:『次は漢のギャグバトルと行こうぜ!』
ベルゼルガ:『フン……それは断る』
メッシュ:『ファッファッファ……ならばタイン、俺とタイマンでやるか?』
タイン:『っしゃー、さり気に来いやぁ!』
メッシュ:『ファッファッファッ! 行くぞカリパー、キドゥ、ゲンジ!!』
タイン:『いや、タイマンってさり気に言ったよねぇ!?』
ゴッドエンペラー:『キッシャッシャッシャ!! お前らバカすぎだぜ!!』
――バコッ! ボキッ!
竜:『うるさいですね……。蹴り入れますよ』
タイン:『さり気にもう入れてるじゃねーかよおぉ!』
リーブ:『まぁまぁまぁまぁ! 皆さん一旦落ち着きましょーや! なんか今から新しい人が来るって言うたはったし!』
……騒がしい。
とても、騒がしい。
でも、どこか楽しそうに見えた。
私を引率してきたハードネステンが、困ったように溜息をついた。けれど、彼女の口元も、ほんの少しだけ笑っているように見えた。
そして、扉が開かれた。
中にいた全員の視線が、一斉に私へと注がれた。
中に入った瞬間、たくさんの人たちが私を取り囲んで、楽しそうに騒ぎ始めた。
あまりの賑やかさに、私はどうしていいか分からず困ってしまったけれど。とりあえず、みんなの名前を知ることはできた。
「さり気に、さり気に」とずっと
なんだかとても涼しい顔をしているのが、ベルゼルガ。
さっきからずっと大きすぎる声で笑っているのが、ゴッドエンペラー。
背中を丸めてじっと私を見ている女の人が、竜。
ゲームのキャラクターみたいに大袈裟に動くのが、メッシュ。
「オイラ」というのがカリパーで、「アタイ」というのがキドゥ。そして「我輩」というのがゲンジ。
そして、とても柔らかな話し方をするのが、リーブ。
みんな、私の名前を知りたがった。
けれど、私は教えなかった。
教えたくなかったわけじゃない。けれど、私は誰とも心を通わせてはいけない。言葉は毒。先生との約束。だから私は、みんなが飽きて離れていくまで、ずっと静かに黙っていた。
やがて、みんなは諦めた。
「喋らないんじゃ面白くない」……そんな顔をして、一人、また一人と私から離れていった。
当然だと思った。私は、誰かを喜ばせるために造られたわけではないのだから。
けれど。この人だけは、違った。
リーブ:「う~ん、どないしたら教えてくれるんですか?」
リーブだった。
この人は、とても変な人だと思った。
どこをどう見ても、先生が言っていた「悪」には見えない。なのに、この人もエデンのメダロットだという。自分でもそう言っていた。
どうして、こんなに優しそうなリーブが、悪の組織にいるんだろう。
リーブ:「あ、分かった! 実はまだ名前がないんちゃいます?」
私はゆっくりと首を横に振った。
リーブ:「そうなんか~。ちゃんとお名前はあるんですね。ほな、なんかヒントだけでも! なあ、お願いしますわ」
どうして、この人は諦めないんだろう。
これだけ無視していれば、もう嫌いになってもいいはずなのに。
今まで出会った人の中で、こんなに根気強く私を待ってくれたのは、リーブが初めてだった。
リーブ:「ん? なんで僕が諦めへんのやろ? ……って、そんな顔してはりますね」
……え?
どうして、分かったの。
この人は、私の頭の中を覗くことができるの?
リーブ:「いやー。なんやそういう顔したはったから、そうかなーって思っただけですわ」
今まで、私とまともに会話ができたのは、生みの親であるネクロデス先生だけだった。
リーブは……もしかして、私にとって特別な人になるのかもしれない。
ふと、思い出した。先生が言っていた、一人では抱えきれない大きな悪を滅ぼすための「正義の仲間」。
私は思った。この人となら、お話をしてもいいのではないか。
この人が、私の初めての「仲間」になってくれるのではないか。
私は勇気を出して、唇を動かそうとした。
リーブに、私の本当の名前を伝えてみよう。
「……………………!?」
なんということだろう。
私はずっと、沈黙を守り続けていた。
だから、気づかなかった。
私はもう、喋り方を忘れてしまっていた。
先生が、使わないものはすぐに消えてしまうと言っていた。私は声をずっと出していなかったから、喉が、声の出し方を思い出せなくなっていた。
悔しい。
初めて仲間になりたいと思った人が、目の前にいるのに。
たった一言が、出てこない。
リーブ:「……ひょっとして、声が出んのですか?」
リーブは、また私の気持ちを汲み取ってくれた。
私は悲しくて、小さく、何度も首を縦に振った。
リーブ:「頑張って!」
「…………?」
私は首をかしげた。
リーブ:「喋れるようになるまで、ちゃんと待ってますから」
リーブは、幼い子供が宝物を見つけた時のような、汚れのない笑顔で言った。
私は、何としてでも、この男の人に私の名前を知ってもらわなきゃいけないと思った。
「………………」
レッド。
レッド。
私の、名前。
「……っ……r…………」
空気の漏れるような音がした。
リーブ:「おぉ! あとちょい、あとちょいや! 頑張って!!」
「…………レ…」
リーブ:「レ? レ、なんですか!?」
リーブは、自分のことみたいに大はしゃぎしていた。
「レ……ッド…………」
レッド。
途切れ途切れで、ノイズまみれの、ひどい声だったけれど。
私は生まれて初めて、自分の意志で、言葉を口にすることができた。
リーブ:「レッド! レッドっていうお名前なんですね!」
リーブは飛び上がって喜んでいた。
ただ、私の名前を知っただけなのに。
リーブ:「皆さーん、分かりましたよ! この人はレッドさんですー!」
リーブは他の人たちにも、私の名前を触れ回った。
私から離れていった人たちが、また、ぞろぞろと私のそばに寄ってきて、賑やかに取り囲む。
タイン:『おいおい! なんだなんだ、リーブにだけはさり気に名前教えるのかよ! デキてんのか!? お前らデキてんのか!?』
竜:『…………
――バキィ。
竜がタインを蹴り上げた。
リーブ:『い、いや違うんですわ。このレッドさんは何でか知らんけど、声を出すんが苦手みたいなんです』
ベルゼルガ:『フン……そういうことか』
ゴッドエンペラー:『キッシャッシャッシャ!! なんだ大変だな、お前! 声が出せないとか、俺なら退屈で死んじまうぜ!!』
メッシュ:『ファファファ……では、この私が言葉を教えよう。まずはこの名言、「最強の剣じゃないのかー!!」からだ!』
キドゥ:『メッシュ、空気を読もうか』
カリパー:『エクスカリパー……エクスカリパー……』
ゲンジ:『カリパー、その洗脳みたいな真似はやめるのだ』
みんな口々に、私のことを話していた。
こんなのは初めて。
とても
…………あ。
しまった。
ネクロデス先生が恐れていたのは、こういうことだったのか。
確かに、私はたった一言「レッド」と自分の名前を口にしただけだった。
けれど私はもう、リーブを、いえ、このリーブたちを好きになってしまった。
もしも、彼らが「悪」だったのなら。
私はどうすればいいのだろう。
とても怖くて、後悔した。
けれど同時に、私は、胸の奥がぽかぽかと暖かくなっているのを感じていた。
これが言葉の魔力。
先生が、決して触れてはいけないと言った力。
申し訳ありません、ネクロデス先生。
レッドは、悪い子になってしまったかもしれません……。
第三十一話【ネクロデス先生】終わり