第三十三話【最後のシ者】byリネル
セルヴォ先輩から緊急の連絡を受けた時、私は自分の耳を疑った。
あの独特な、詩を詠むような喋り方をするパーティクル。名前はナギサ。
彼が、エデンが血眼になって捜索していた『十二使徒』の最後の一枠に相応しい戦闘能力の持ち主だなんて。……まさか、あのナギサさんが。私の命を救ってくれたあの人が。
合流した先輩たちの説明によれば、ナギサさんは反射のエキスパートなのだという。ありとあらゆる攻撃の軌道を読み、自由自在に、かつ精密に跳ね返す。
まさか。戦いなんて言葉とは一番無縁なところにいる人だと思っていたのに。
私は、これまでのナギサさんとの出会いを思い返していた。
初めて会った時、彼は戦場の傍らで、何故人は争うのかと静かに問いかけていた。
二度目に会った時、ボロボロになって死にかけていた私に、彼は惜しみない癒しの手を差し伸べてくれた。
そして三度目。彼は、穏やかな「すすたけ村」の空気を心から愛していると笑っていた。
そんな彼が。
平和、平和と、しつこいくらいに語っていた彼が。
春風のような微笑みを絶やさず、浮世離れした雰囲気を纏っていた彼が。
血生臭い戦争の尖兵――『十二使徒』として、破壊の象徴になる姿なんて、どうしても想像できなかった。
でも。
だが。
しかし。
私は、ナギサさんを十二使徒に引き入れなければならない。あの平和主義者の首に、無理矢理にでもエデンの鎖を繋がなきゃいけない。
なぜなら、それが『トゥルース』の任務であり。
そして、私はもう、『トゥルース』以外の何者でもないから。
―
ナギサ:「……そうか、そういうことかリネル」
ナギサさんの声には、いつもの爽やかさが欠片も残っていなかった。
そこにあるのは、息が詰まるほどに重苦しく、湿り気を帯びた空気。私の網膜が捉える彼の姿が、これまでにないほど遠く感じられた。
ナギサ:「君は、昨日の二人の仲間……コンパニオンなんだね?」
「はい。私はエデン軍リーダー直轄諜報部――『トゥルース』に所属しています」
ナギサ:「エデンのトゥルース……。真実を葬り、闇より深き闇を歩む使者。……君のようなメダロットが、か……」
ナギサさんは、どん底へさらに突き落とされたように、力なく自嘲気味に笑った。その笑い声が、私の胸を鋭く刺す。
「エデンは今、ラヴドとの再戦に向けて軍備の増強を進めています。ナギサさん、貴方にはその中でも特に、戦闘に特化した集団に加わってもらいます。……もし、拒むというのであれば」
私は右腕に力を込めた。指先のサーボが微かに唸る。
彼がどれほど反射の達人であっても、至近距離から私の「デストロイ」を叩き込めば、その『心の壁』ごと粉砕できる。いつでも、何があっても、彼をスクラップにできるように。
ナギサ:「投降……サレンダーだ」
ナギサさんはがっくりと肩を落とし、あっさりとそう口にした。
「……ありがとうございます」
ナギサ:「デストロイ……。僕の心の壁を無意味にするのに、それ以上の兵器……ウェポンは無いからね。……それに。僕にとっても、メリットが無いわけではないんだ」
「メリット……?」
ナギサ:「本当の平和を知るために、戦乱を引き起こす者の心……マインドを知ろうと思っていた。そういう意味では、エデンは最高に醜く、最高に相応しい場所だ。だから……」
ナギサさんが、私の目を真っ直ぐに見つめた。
悲しい目だった。この世のすべての悲劇を一人で背負い、耐え忍んでいるような、そんな潤んだ瞳だった。
ナギサ:「だから、いいんだ。……僕がエデンに無理矢理連れて行かれることなんて、大した問題じゃない」
「……では、何が問題なのですか?」
ナギサ:「僕の心が、今こうして君の手によって傷つけられ、引き裂かれ、粉々に砕かれたこととエデンは……何の関係も無いんだよ……!!」
ナギサさんが、これまでに聞いたこともないような大きな声を出した。
そこには、剥き出しの「怒り」に似た悲痛な叫びが混ざっていた。
「…………っ!!」
私は、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。
ナギサ:「フフフ……。すまない。少し、取り乱してしまったね。……あまりにも、ショックだったのさ」
「……何が、ですか」
ナギサ:「君が……。戦乱を望む側の者だったということが、だよ」
「……そうですか。でも、それは仕方のないことです」
私は、震えそうになる右腕を強引に固定して答えた。
そう、仕方のないことなの。私は『トゥルース』。エデンの利益を最優先し、その牙を研ぐために生まれた、救いようのない悪。
ナギサ:「君は、戦いの痛みを知っているはずだ。……違うかい?」
「……っ!!?」
痛みを、知っているか。
……知っているわ。嫌というほど。
故郷を焼かれ、親友を失った、あの紅蓮の夜。その痛みを知るからこそ、私は自ら『トゥルース』の門を叩いたはずだった。けれど……。
ナギサ:「君は、とても綺麗な目をしている。平和を願い、他人の幸せを自らのことのように喜び、他人の不幸を心から嘆くことができる……そんな、慈愛に満ちた目だ」
「な……。私の何を知っているというんですか!?」
ナギサ:「違うのかい? もし僕のこの見立てが外れているのだとしたら、僕の目も、よほど濁って腐ってしまったということだろうね……」
「違います!! 私は、今から凄惨な戦争を引き起こす、悪の組織の一員なんです!!」
違わない。
……本当は、分かっていた。
私はただ、平和に暮らしたかっただけ。大切な友と笑い合い、お互いの幸せを祈りながら生きていきたかった。あの日、友のメダルが砕かれたことを、私は今でも心の底で嘆き続けている。
ナギサ:「何が君をここまで追い込んだんだい?」
「私は、追い込まれてなんかいません!!」
ラヴドへの復讐。
それが、私を追い込んだ原因なの?
けれど、……いまの私にとって、その復讐はもう、かつてのような熱を持ってはいない。
罪のないリーブさんを陥れ、村から英雄を奪い、そして今、目の前の恩人を無理やり戦場へ引き摺り込もうとしている。
罪のない者たちを巻き込んでまで遂げる復讐に、一体何の価値があるというの。
私が、私を……歪ませてしまったの?
ナギサ:「本当に、これが君の望んだことなのかい?」
「当たり前です! これが、私たち『トゥルース』のやり方なんです!!」
ナギサ:「それは、君『達』の理屈であって、君自身の生き方ではないだろう?」
「そ、そんなこと、ないです……ッ!」
私は『トゥルース』よ。
だから、ここで任務を完遂することは正しいことなの。
だけど。……だけど。
ナギサ:「『トゥルース』のリネルである前に。……君はリネルという『個』であるはずだ。……これは本当に、リネルが望む物語……ストーリーなのかい?」
……。
……。
私は、答えられなかった。
私がここにいること自体が。この組織に染まり、誰かの不幸の上に立とうとしていることが、取り返しのつかない間違いだったのかもしれない。
セルヴォ:「さて、ナギサとやら。話し込んでるところ悪いが、こっちもさっさと引き上げたいんでな。……大人しくエデンに来てもらうぜ」
遠くで様子を窺っていたはずのセルヴォ先輩とビート先輩が、静寂を切り裂くように歩み寄ってきた。
ナギサ:「そうか。君たちが……『トゥルース』。真実を闇へと葬る、深淵の使者か」
ビート:「……とりあえず。大人しく『十二使徒』に加わるということで、相違ないな?」
ナギサ:「あぁ……。そうだね」
セルヴォ:「さて。おめでとさん。……お前が記念すべき、十二使徒最後のメダロットだぜ」
先輩たちが淡々と「事務」を進める中、ナギサさんは不意に私の方を向いた。
それは、とても寂しげな……。まるで、かけがえのない親友が、永久に手の届かない遠いところへ行ってしまうのを、ただ見送るしかないような、そんな切ない表情だった。
ナギサ:「よろしく頼むよ、『トゥルース』のリネル。僕はパーティクルのナギサ。運命……デスティニーに仕組まれた、最後の使徒。そして……」
ナギサさんは一度、静かに目を瞑った。
そして。何かを完全に諦め、自分自身の心の一部を切り捨てるかのような、重い、重い言葉を続けた。
ナギサ:「さようなら。……愛しく美しき友……リネルよ」
……。
「さようなら」。
それは、拒絶よりもずっと残酷な決別の言葉だった。
目の前にいるのに、手が届かない。
私たちは今、世界で最も遠い場所へ分かたれてしまったのだと、悟った。
彼が去りゆく背中を、私はただ、ノイズにまみれた視界で見つめ続けることしかできなかった。
第三十三話【最後のシ者】終わり