第三十七話【最期のわがまま】byリネル
私は、全力で地を蹴った。
迂闊だった。……あまりにも、救いようがないほどに。
エデン本部の深淵を覗き、そこから逃げ出した「裏切り者」に、追っ手が差し向けられないはずがない。ましてや私は元トゥルース。並の一般兵では私を捉えられないことなど、組織が一番熟知している。
ならば、送り込まれる「掃除屋」は誰か。
消去法で辿り着くのは、十二使徒、あるいは――。
私の癖を知り、私の弱点を掌握し、私の思考回路のすべてを読み切っている、かつての『仲間』たち。
どうして、気づけなかったのか。平穏な空気に触れて、私の勘はそれほどまでに腑抜けてしまっていたのね。
とにかく、今ここで殺されるわけにはいかない。
生存本能が回路を灼く。私は、必死に抵抗の手段を模索した。
まず目指したのは、メダロットたちが賑やかに行き交う大通り――人通りの多い区画だった。
エデンは今、組織の再興を秘匿している段階。白昼堂々、大勢の目がある場所で「処刑」という名の騒ぎは起こしたくないはずよ。そこへ逃げ込めば、少なくとも先輩たちの動きを牽制し、時間を稼げるかもしれない。
「…………」
けれど、私の足が、コンマ数秒、躊躇いに震えた。
もし。もしそれが有効な手立てだったとしても。無関係なメダロットたちを戦火に巻き込むことが、今の私に許されるはずがない。
大義を失うな、リネル。
私が何故、あの息の詰まる情報の檻を抜け出したのか、その目的を思い出して。
私はもう、私のような「復讐者」を生み出さないために、誰の犠牲の上にも立たない自分であるために、トゥルースを脱したのだから。
―――ッ、ド、オォォォォン!!
不意に、目の前の路面が激しい爆鳴と共に捲れ上がった。
後方から放たれたビート先輩のミサイル。直撃ではなく、私の進路を物理的に断つための精密な牽制射撃。
舞い上がるアスファルトの礫と熱風に視界を奪われた刹那、背後から青い影が音もなく肉薄してきた。
――セルヴォ先輩!!
やるしかない。
ここで、私の『誇り』を、この二人の「悪党」に叩きつけてやる。
目の前にいる先輩たちは、世界を容易く滅茶苦茶にできる力を持っているわ。けれど同時に、その同じ力で世界を救うことだってできる。その可能性を、私の姿を通じて分からせてやるんだから!
私は「デストロイ」の出力を地面へと叩きつけた。
激しい衝撃波が土埃を巻き上げ、辺りを濃密な砂煙が包み込む。この煙に紛れて死角へ回り込み、渾身の一撃を――。
けれど、相手が悪すぎた。
煙の向こう側。セルヴォ先輩の頭部にある索敵パーツが、冷徹に私の座標を特定している。
セルヴォ:「さて、……無駄な足掻きだな、後輩」
声が届くのと同時、先輩の左腕から放たれたハンマーが、視界を覆う砂煙を強引に引き裂いて迫り来る。
避ける隙はない。回避にエネルギーを回せば、カウンターの機会を永遠に失う。
だったら、代償を払うまでよ!
「……っ!!」
私はあえて、右腕の装甲を先輩のハンマーへと差し出した。
――ガギィィィィィン!!
耳を劈く破砕音。私の右腕は一撃で粉々に砕け散り、激しい痛みが全身を駆け抜ける。けれど、その衝撃をエネルギーに変えて、私は独楽のように機体を鋭く回転させた。
遠心力を乗せた、渾身の左腕。
「がむしゃら」による全力の打撃を終え、僅かな硬直を晒したセルヴォ先輩の右腕を、私の「デストロイ」が真っ向から捉えた。
―――ズ、バァァァンッ!!
手応えは、完璧だった。
セルヴォ先輩の右腕パーツが大破し、そのまま貫通した衝撃波が脚部の駆動系を食い破る。先輩の機体がバランスを崩し、その場に膝を突く。
これで、先輩の自慢のスピードは封じた。
逃げ切れる。今度こそ、本当の「自由」へ。
そう確信し、私が次の一歩を踏み出そうとした、その時だった。
一発の弾丸が、乾いた大気を切り裂いて飛来した。
――ッ、ガツン!!
「……なっ!?」
左脚の装甲が弾け、膝のサーボが制御を失った。
私は無様に前のめりになり、アスファルトの地面へと激しく叩きつけられた。
二対一の戦いで機動力を奪われるということが何を意味するか。その冷酷な現実が、私の視界を急速に赤く染めていく。
背後から、静かな、けれど逃れようのない足音が近づいてきた。
立ち上がろうとする私の前に、大破した腕をぶら下げたセルヴォ先輩が立ち塞がり、再びハンマーを持ち上げる。
そして。少し遅れて追いついてきたビート先輩が、一分の揺らぎもない動作でライフルの銃口を私の頭へと固定した。
セルヴォ:「さて、大人しくしろ。……そうすりゃ、楽にいかせてやる」
ビート:「無駄な抵抗は……止すんだ、リネル」
逃げ場はない。
私は、熱くなった機体をアスファルトに横たえ、ゆっくりと目を閉じた。
私の負けだわ。
ううん。分かっていたの。
私が、逆立ちしたってこの二人に勝てるわけがないことくらい。
この二人は、私の憧れた先輩だもの。エデンの闇を象徴するエリート集団『トゥルース』の中で、泥を啜りながら生き残り続けてきた、最強の先輩たちだもの。
私がかつて……背中を追い、いつか隣に立ちたいと願った、誇り高き師匠たちだもの。
「……分かりました。任務を、遂行してください」
地面に横たわったまま告げた声に、震えはなかった。
不思議なほど、心は澄み渡っている。物理的な戦闘では、セルヴォ先輩に、ビート先輩に、完膚なきまでに叩き伏せられた。
けれど、それ以外のすべてには、私は勝ったのだと確信している。
ラヴドへの不毛な復讐心には打ち勝った。
組織の部品として生きていた嘘の自分にも、打ち勝った。
私はもう、何者にも、何の信念にも縛られていない。
トゥルースを辞めたことを、一度だって後悔していない。
これで良かったのだと、最期の火花を散らしながら、胸を張って言える。
セルヴォ:「さて、……最期に、言い残すことはあるか?」
「甘いんですね、セルヴォ先輩。……さっさと終わらせないと、また逃げちゃいますよ?」
私が精一杯の強気で笑い飛ばすと、ビート先輩の銃口が一瞬だけ揺れ、すぐに、先ほど以上に強く私へ向けられた。
ビート:「……逃がしはしない。絶対にだ」
「分かってますよ。……悔いはあります。でも、不幸じゃありません。……尊敬するお二人に殺してもらえるなら、それも悪くないって、思えますから」
本音。けれど、まだ少しだけ、時間が欲しかった。
あーあ。なんでさっきまで、あんなに格好つけて戦っていたのかしら。あんな反撃なんてしなければ、あと数分は長く先輩たちと話ができたのに。
「デュオさんに伝えてください。……デュオさんの部下になれて、良かったって。私は『トゥルース』という場所は好きになれなかったけど。……デュオさんのことは、大好きでした」
セルヴォ:「……さて、伝えておこう」
先輩の声が、僅かに微細なノイズを孕んだ気がした。
私は残された最後の機能を使って、目の前に並び立つ二機の姿を、深く、深く刻み込んだ。
「それから、お二人にも。……ビート先輩。今更な告白ですけど、……好きでした。あの日、廊下で頭をぶつけて、差し伸べられた手に縋った時から、ずっと一目惚れしてました」
ビート:「…………」
「セルヴォ先輩。最初はデリカシーのないダメな人だって勘違いしてましたけど、今は……凄く尊敬しています。先輩は誰よりも、私に多くのことを教えてくれました」
セルヴォ:「…………」
二人の沈黙が、重く、痛く響く。
私は、最期の力を振り絞って、彼らの目を見据えた。
「……もし、許されるなら。私の、最期のわがままを聞いてくれませんか?」
――。
「私は、『トゥルース』という仕事は最期まで好きになれませんでした。だから、私はトゥルースに殺されるなんて、真っ平ごめんです。だから……」
「〝トゥルースのセルヴォとビート〟じゃなくて。……私の『大好きな先輩』として。……私を、殺してくれませんか?」
ビート:「……リネル」
セルヴォ:「……さて」
二人は、しばらくの間、私を見つめていた。
やがて、その仮面のような顔に、歪で、けれど優しい「笑顔」が浮かんだ。
セルヴォ先輩はニヤリと、いつものような悪党の笑み。
ビート先輩は、表情の変化こそ僅かだったけれど、どこか満足げな、穏やかな眼差し。
あぁ……。
私の、大好きな先輩たちだ。
セルヴォ:「さて、クソ後輩!! もう俺たちの手を煩わせるんじゃねえぞ!!」
ビート:「リネル。……次の『任務』も、精一杯頑張れよ」
「――はい!! ありがとうございました!!!」
私は、ありったけの感謝を声に乗せた。
セルヴォ先輩が左腕のハンマーを、天高く振り上げた。
それを見たビート先輩が、合わせるように右腕のライフルを励起させる。
セルヴォ先輩は、ビート先輩一人にトドメを刺させないために。
ビート先輩は、セルヴォ先輩一人にトドメを刺させないために。
最後の一撃。その罪も、重みも、すべてを分かち合うための――世界で最も美しいコンビネーション。
最高のコンビ。
最高の、先輩たち。
ありがとうございました。
そして……。
さようなら。
愛しく、尊い、私の先輩たち。
第三十七話【最期のわがまま】終わり