IS<インフィニット・ストラトス>‐虚構と闇の交差する空‐ 作:Ghost SAF
あの突然の襲撃事件があった日の夜、私達はクラス対抗戦の際にクリストファーがカートに取り付けた発信機、それが送ってきた情報を寮の自室で分析していた。
<やはりな。俺の想像した通りだ>
彼は潜入前の情報収集で使った学園の地図と発信機からのデータを何度も見比べ、勝手に1人で納得している。
でも、私が見た限りでは発信機からの信号は立ち入り禁止区画の特定の場所に達した所で完全に消滅しており、それで彼が納得する理由が分からない。なので、私は最悪の状況になった可能性を尋ねてみる。
<ここでデータが途切れているけど、まさか見付かった訳じゃないでしょうね?>
<いや、それは無いな。あの時、俺は念の為に発信機を2つ付けたんだ。なのに、その両方からの信号が同時に全く同じ場所で途絶えている。つまり――>
<電波を遮断する構造をした区画に入った。そうよね?>
<ああ、その可能性が高い>
彼の説明を聞き、お互いに直ぐに1つの結論に達する。それに、もし本当に発信機が発見されていたのなら、とっくの昔に私の所へ誰かが話を聞きに来ているだろう。なぜなら、あの状況下で残骸の回収班が遭遇した人数は極めて少ないと思われるので、私と擦れ違った事実に辿り着くのは簡単だからだ。
<だけど、それが予想通りなら、わざわざ声を上げてまで喜ぶ理由が何処にあるの?>
<ああ、それなら前に目を通した極秘の学園の建築設計図と照らし合わせると、反応が消えた付近の構造は無駄に頑丈に造られていたからだよ。まるで、核攻撃を想定した地下シェルターでもあるみたいにな。しかも、教員用として配られている案内図でさえ、あの付近の情報については不明瞭な点が多い>
そう言って彼はラップトップのディスプレイに次々と建築家や土木関係者が使うような図面を表示させると、問題の個所を指し示しながら説明してくれた。
<つまり、身内にも秘密にしているような区画の存在を証明できた訳ね>
<まあ、厳密に言うなら、そういった類の区画か施設へと続く入口だがな。いま言ったように、地下シェルター並みの構造をしている事から、地下深くに何らかの重要施設を構えていると考えるのが自然だろう。そして、あの正体不明のISの残骸には、それだけの重要性があるって事も……>
私の辿り着いた結論に補足説明を加えると、彼は1度大きな溜息をついて話の内容を理解する時間を作り、再び真面目な口調で喋り出す。
<おそらく、あの襲撃してきたISについての詳細な発表は永遠に行われないだろう。せいぜい、正体不明のテロリストによる襲撃程度に扱われ、表向きは捜査の継続中を理由に誤魔化す算段だ。どういう結果が出るにせよ、あれは国家間の紛争の火種になるからな>
<襲撃したのが国家や企業なら分かるけど、それ以外のテロリストとかでも紛争になるって事?>
いまいち腑に落ちない部分があったので、それをクリストファーに尋ねると、どこか皮肉めいた口調でISの抱える厄介な問題を指摘してきた。
<間違いなく、なるだろうね。そもそも、ISのコアは絶対数が決まっていて管理してる組織も明記されてる上に、その譲渡も売買も条約で全面的に禁止されてるからな。誰かに盗まれたにしろ、思惑があって闇市場に流したにしろ、元の所有者の管理責任へと発展するのは確実だ>
<なら、絶対に揉め事になるわね>
あまりにも納得できる内容だった為、私は盛大に溜息をついて呟くしかなかった。
<そう考えると、あのISのコアが跡形もなく破壊されていた方が平和ね>
<それはそれで少し問題のような気もするが、とりあえず強奪や横流しの責任を問われる心配はしなくて済むだろうな>
<なんか随分と引っ掛かる言い方ね。その口調だと、まるで破壊されていても『問題がある』みたいに聞こえるけど?>
<さっきも言ったように、コアの持ち主と上限は最初から決まってるんだ。だから、場合によっては破壊されたのを口実に宣戦を布告してくる可能性だってあるぞ。ま、普通に考えれば宣戦布告の口実作りに貴重なコアを1つ犠牲にするとは思えんが……>
かつて『ヨーロッパの火薬庫』とまで呼ばれたバルカン半島の情勢並みに微妙な立場にあるIS学園が襲撃を受けた事は、それ自体が事件の深刻さを如実に物語っていた。なので、こうして様々な疑問点が私達の脳裏をよぎるが、そのどれもが現状では単なる憶測にすぎなかった。
<とは言え、確証の無い事をあれこれ詮索してても意味は無いわね。とりあえず、私達は学園側からの公式発表を待ちつつ本来の任務に集中するのが最善かも>
<ま、結局はそこに落ち着くんだろうが、警戒レベルを引き上げられて手間が増える事ぐらいは覚悟しておいた方が良いだろうな>
クリストファーの呟いた言葉を最後に奇妙な沈黙が訪れる。確かに、どういう結果が出るにせよ、その程度の対策が採られても一向に不思議は無いからだ。
<話は変わるけど、アリーナに仕掛けた監視カメラの回収はどうするの? 一応、今回の顛末を上に報告した際に尋ねたら、『可能なら回収しろ』と言われたんだけど……>
数分の沈黙の後、私は重くなった空気を振り払うかのように別の話題を振ってみる。すると、彼からは何とも素っ気無い返事しか返ってこなかった。
<だったら、言われた通りに回収すれば良いだろう。どうせ、数日も経てばアリーナの立ち入り禁止処置は解除されるんだから>
<ええ、そうね>
せっかくの好意を無駄にされたような気がした私は、微かな苛立ちを滲ませた声で同じように素っ気無く答える。なお、これ以降は互いに余計な言葉を交わす事は無かった。そして、静かに翌日を迎えた私達が最初に目にした情報は、クラス対抗戦の際に起きた事件に関する学園側からの公式発表だった。
<ねえ、ここまで予想通りだと笑うしかないんじゃない?>
<残念だが、これじゃあ笑いの種にもならんさ>
これが公式発表を見た直後の私達の素直な感想である。勿論、こんな風な感想しか浮かばなかった原因は、先の襲撃事件が“反政府組織による犯行で、詳細は現在も調査中”として真相が伏せられていたからに他ならない。
<だが、これで学園側が何らかの情報を隠している可能性は大いに高まったな>
<随分と自信満々だけど、そう判断した理由は?>
明確な証拠が無いにも関わらず、クリストファーが勝ち誇ったように話すので、私は理由の説明を求めた。すると、彼は実に興味深い仮説を持ち出した。
<なら、逆に尋ねるが、どうして学園側は反政府組織の犯行だと断定できたんだ? ああいった組織は計画が成功すれば、大抵、自分達の行動を大々的に宣伝したがるものだ。なのに、そういった犯行声明の類が今回は何処にも存在しない。なにより、実行犯を反政府組織だと断定したからには、何らかの証拠か情報があった筈だ。なら、組織の名称ぐらいは明らかになっても良いのに、どういう訳か“無名の組織”にされてる>
<確かに、そう言われると少し引っ掛かる気もするけど、仕掛けた方が成功したと思ってないんじゃない? もしくは、単純に捜査の為に情報を伏せているだけとか……>
<よく考えてみろ。反政府組織の犯行だと公式に認めた時点で、その名称を隠す必要なんてなくなる。それに、あの時はアリーナの管理システムが敵に乗っ取られた上に、遮断シールドまで破壊してISを乱入させてるんだぞ。しかも、そのISは実用化されていない筈の無人機だったにも関わらず、あれだけの戦闘力を発揮したらしい>
ここまで説明されれば、彼が何を言いたいのかは容易に想像できる。なので、私は簡潔に結論だけを述べた。
<充分、成功ね>
<ああ、そう考えるのが自然だ。そして、その事を前提に公式発表を見直せば、何か公表できない重大な情報が見付かったとしか思えないんだよ>
考えれば考える程に謎が深まるばかりで、一向に突破口が見えてこない。その為、私達は自然と無口になっていった。しかし、そうやって塞ぎ込んでいても事態は進展しないので、私は自分達の任務に関する話へと切り替える。
<ところで、これで一応はテロが公式にも認められた事になるけど、私達の任務にまで影響が及ぶと思う?>
<さあな>
だが、たった一言でクリストファーは話を終わらせてしまった。半ば予想はしていたが、こうまで言動が気分次第で変わるのも少々問題である。
<ねぇ、あんたも少しは真剣に考えなさいよ。任務の重要性を忘れた訳じゃないんでしょう?>
<勿論、分かってるさ。だが、ここでは想定外の事態が多発するようだから、相手の出方を窺いつつ柔軟に対応していく方が良いと思っただけさ>
<なんか急に物分かりが良くなったみたいで腑に落ちない点はあるけど、あんたの言う通りね>
クリストファーの言葉で過去の出来事を思い返した私は、自分達の立てた計画と現実とのズレに振り回されてきた事実を思い出す。
それは同時に、今までは後手に回る事を恐れて事前に対策を充分に練って準備までしていたのだが、それらの前提となる仮定がことごとく引っくり返された為に計画が破綻してきたとも言い換えられた。
ならば、ここは彼の言うように、相手の出方を窺いつつ柔軟に対応する方が良いのかもしれない。そう発想を切り替えると、私は思考を偽装モードにして寮の部屋から出て行くのだった。
◆
その初老の男は殺風景な部屋の奥で1人、革張りの椅子に深く腰を沈めてレポートを読んでいた。もっとも、その男の顔に刻まれた無数の深い皺は彼を実際の年齢より老けて見えさせていたのだが、唯一、鷹のように鋭い眼光からは決して揺るがない強い意志の力が宿っている事が窺えた。
「間違いない。奴だ。奴の仕業だ。やはり、わしの目に狂いは無かったのだ」
レポートを読み進めていく内に男の口元には邪悪な笑みが浮かび始め、ついには声に出して喋っていた。彼は2度、3度とレポートの気になった箇所を繰り返し読んでいき、じっくりと時間を掛けて最後まで読み終えると机の上へ置いた。
そして、そのままの勢いで机の上の受話器に手を伸ばすと、短縮ボタンを押して目的の相手を呼び出す。
「私だ。今すぐ主要メンバーを招集しろ」
「かしこまりました」
男は用件を簡潔に述べて相手の返事を聞くと、直ぐに電話を切って再びレポートに手を伸ばす。そして、レポートを読みながら会議で話す内容を頭の中で纏めていると、先程の相手から会議の準備が整った旨が伝えられる。
「何だ?」
「全員、揃いました」
「分かった。直ぐ行く」
男は読んでいたレポートを会議で使う資料の入ったフォルダーへしまうと、それを抱えて椅子から立ち上がり、足早にドアの方へと向かった。ただし、その勢いのままドアを開けるような事はせず、そこで一旦立ち止まって身なりを軽く整えてから威厳を持った態度でドアを開ける。
すると、ドアを開けた先は会議にも使える小さな応接室となっており、連絡を受けて集まった数名の者達が一斉に彼の方へ視線を向けてきた。
「さて、諸君。集まってもらった理由は他でもない。先のIS学園への襲撃について、実に興味深い報告があったからだ」
今回の会議を招集した初老の男は集まった全員の顔を一通り見渡してから席へと着き、まずは無難に急に呼び出した理由から話し始めた。しかし、1人の男が口を挟んだ。
「その前に1つ、よろしいでしょうか?」
初老の男は声を発した人物の方を向いて小さく頷き、彼の発言を許可する。すると彼は、初老の男が先程まで読んでいたのと同じ内容のレポートを取り出し、それを掲げながら話を切り出した。ちなみに、このレポートは事前に関係者全員に配られているので、ここに居る全員が内容には既に目を通している。
「ここに記された内容を見る限り、我々の追っている人物が関与しているという明確な証拠は何1つ存在しません。つまり、現時点では憶測に過ぎないのです。なのに、こうして集められたからには、それ相応の理由があるのでしょう。ならば、ぜひ、その理由というものを我々に聞かせてもらえないでしょうか?」
「彼の言う通りだ。我々も暇では無いのだからな。ここは1つ、君に納得のいく説明をしてもらおうじゃないか」
最初に質問を発した男は口調こそ丁寧だったものの、このタイミングで集められた事に不満を抱いているのは明らかだった。そして、彼が僅かに顔の向きを変えて目配せすると、別の年老いた男が同調するような言い方で彼らの話に介入してくる。
だが、会議を招集した初老の男は、この程度の事で動じたり言葉に詰まったりするような者では無かった。むしろ、堂々とした態度を保って彼らの質問に答える。
「貴方がたの言うように、証拠は何処にも無い。だが、それこそが証拠なのだ」
「仰る意味が分からないのですが?」
この不可解な発言を受け、最初に質問をした男は怪訝そうな表情を浮かべて聞き返した。当然、ここまで静観していただけの者達の間にも同様の空気が漂う。
「考えてもみたまえ。あれだけの事件を起こしておきながら、我々でさえ何1つ証拠を掴めていないのだ。そこが逆に怪しいとは思わないのかね? それに、学園側には公に出来ない真相を闇に葬ろうとしている節がある」
「つまり、貴方は争いの火種になる“何か”があったと考えているんですね?」
「そういう事だ。しかも、IS絡みのな……。そして、そんな事を仕出かす人間など世界中を探しても、そう多くはあるまい」
「だから、あの“神を気取る者”が関与していると言いたいのだな?」
こうして最後に年配の男が話を引き継ぐ形で結論を述べ、それに初老の男は形だけの静かに頷く礼で応じる。
「理解が早くて助かります」
なにより彼は、この言葉が発せられるのを待っていたのだ。極めて不可解で常識を疑うような事態が発生した上に証拠まで無かったとしても、最後に“神を気取る者の関与”を臭わせられれば後は何とかなる。
そういう確証が彼にはあったし、事実、先程まで彼に向けられていた疑いの眼差しも今では完全に消えていた。
「では、それを踏まえた上で今後の我々の方針について何か意見のある者は?」
この場の主導権を握ったと判断した男は皆の顔を順番に見ていき、お決まりの挨拶のように意見の有無を尋ねるが、誰も発言しようとはしなかった。なので、彼は満足したように頷くと、現状の体制で続ける事を確認する。
「今まで通り、逐一、対象を監視して報告する。当面、この方針を維持する。これで確定だな。次は、今回の事件を各国政府がどう捉えているかだが、それに関して何か反応はあるか?」
「それについては、様々な活動が報告されています。まずは、これをご覧ください」
彼が尋ねた各国の動きについては、今まで黙っていた中年の男が全員に資料を配り、それに目を通すよう言った。そして、暫くは黙々と資料を読む音だけが響く。
「ほう、また随分と派手に動き回ってるようじゃないか」
「だが、どの機関も決定的な証拠は掴んでいないようだな。それどころか、根も葉もない噂に振り回されているようにさえ見える」
時間が進むにつれ、そんな感想が会議に参加しているメンバーから漏れる。だが、そう言いたくなるのには明確な理由があった。
なぜなら、その資料によると世界各国の主だった対外諜報機関、一例を挙げるならCIA(アメリカ中央情報局)・NSA(アメリカ国家安全保障局)・SIS(イギリス情報局秘密情報部)・SVR(ロシア対外情報局)・BND(ドイツ連邦情報局)・DGSE(フランス対外治安総局)・モサド(イスラエル諜報特務庁)・中国国家安全部といった誰もが知る組織の活動が活発化している事が記されていたからだ。
ただし、これらの政府系の各諜報機関は過去の軋轢から仮想敵国の関与の可能性を未だに捨てきれず、その結果、報告を受ける立場にある各国政府首脳部までもが疑心暗鬼に陥っているような有様だった。
「だが、彼らが動き回る程に我々の入手できる情報量も増える。しかも、こちらには優秀な分析官も揃っているからな。まあ、そういった意味では、かつての力は失ったとしても多少は役に立ってくれるだろうよ」
「だと良いがな……」
「何が言いたい?」
ところが、初老の男の言葉に年配の男が疑問を投げ掛けた。すると、初老の男は僅かに表情を歪めて聞き返す。
「あまり、相手を過小評価するなという事だ。慢心や驕りは身を滅ぼすぞ」
「忠告には感謝するが、そんな事は充分に承知している。なにせ、10年前に身を持って体験したのだからな」
「つまり、1度は相手を侮って失敗した訳だ」
ほとんど、売り言葉に買い言葉である。このまま放っておけば際限なく続きそうであったが、各諜報機関の動向を報告した男が絶妙のタイミングで仲裁に入る。
「そんな事で我々が言い争っても仕方ないでしょう。それよりも、今は今後の方針について話し合うべきです」
「おっと、そうだったな」
「危うく目的を忘れるところだったようだ」
第3者の介入により冷静さを取り戻した2人は改めて資料を見た。そして、お互いに1つの結論に達する。
「とりあえず、各国政府には今まで通りに振舞ってもらうのが最良だと思う。その方が我々の計画の隠れ蓑にもなってくれるからな」
「それについては、わしも同意見だ。それと、折を見て我々の持つ情報を流してやるのも良かろう。利害関係を考えれば、決して悪い取引ではないだろう」
「だが、交渉する相手は慎重に選ぶ必要があるぞ。中には世論や支持率を気にし過ぎる所為で裏取引に応じない政府もあるからな」
こうして彼らは重要な事柄を1つ1つ丁寧に検討し、必要に応じて修正も加えながら会議を進めていった。そして、いつの間にか数時間が経過していた。
「最後に、これだけは言わせてもらう。情報の管理には充分に留意するように。我々の標的は只ならぬ技術と情報収集能力を有しているからな。もし、途中で露見するような事があれば瞬く間に我々の存在と計画が世界中に広まった挙句、不名誉を背負った上に余生を刑務所で過ごす事になるぞ」
初老の男が告げた言葉に全員が真剣な面持ちで静かに頷いた。そして、この日の会議は終了を迎える。
「では、これにて本日の会議は終了とする」
そう言った彼は皆の反応を待たずに椅子から立ち上がると、そのまま1度も振り返る事なく自分の執務室へと戻って行った。そして、残された者達もほとんど言葉を交わす事なく立ち去る。
それから数分後、先程の会議に参加したメンバーの中で最も若い男は駐車場に停めた自分の車の運転席で電話を掛けていた。
「やはり、あの男は復讐に囚われるあまり、勘や思い込みで行動しがちです。このまま放置すれば、やがては大局を見誤り、我々の真の計画の障害となるでしょう。ここは計画を成功に導く為にも今の内に対処しておくべきです」
「報告には感謝するが、君はいつから私に意見できるようになったのかね?」
電話の相手の男は静かだが威圧感のある口調で聞き返した。すると、若い男は瞬時に自分の失言に気付き、慌てて言い繕う。
「も、申し訳ありませんでした。今のは明らかに私の領分を越えた発言でした」
「まあ、いい。君のこれまでの貢献に免じ、今のは聞かなかった事にしてやる」
「ありがとうございます」
若い男は礼を言いつつも心底ほっとしたような表情を浮かべると、心の動揺を抑えながら改めて今後の指示を仰ぐ。
「それでは、私は今までと同じように監視を続ければよろしいのですね?」
「ああ、そうだ。ただし、次からは変に勘繰るような真似はするなよ。お前は言われた通りにしていれば良いんだ」
「承知しました」
この時、若い男は命令された事だけを忠実に実行する駒になろうと強く心に決めた。なぜなら、電話の向こうにいる相手は、それ程までに強大で恐ろしい存在だったからだ。
そんな恐ろしい相手の逆鱗に触れようものなら、それこそ1時間後には殺され、死体どころか死んだ事さえも公にならず、この世界から跡形も無く消されているだろう。そして、それが冗談でも誇張でもない事を知っているからこそ彼は素直に従っている。
「せいぜい、あの男には指揮官を演じてもらおうじゃないか。所詮は操り人形、チェスボードの上でしか権力を揮えない“キングの駒”に過ぎないのだからな……」
そう最後に冷たく言い放ち、相手は電話を一方的に切る。だが、若い男は暫くの間、既に通話が途切れている事にさえ気付かなかった。
それ程までに、今の言葉には不気味で重苦しい雰囲気が漂っていたのだ。その後、1分ほど経ってから彼は我に返ると車のエンジンを始動させて逃げるように走り去った。
◆
いつも思う事だが、多数の10代女子が集まるIS学園は何かと騒がしい。
<それにしても、このエネルギーはどっから来てんのかねぇ……>
<それだけ青春を謳歌しているって事じゃない?>
寮の食堂で夕食を取り終えた私が10人以上の女生徒が集まって騒いでいる一角を漫然と見つめていると、クリストファーが半ば呆れつつ呟いた。
彼の相手をする気が無かった私は適当な相槌を打ったものの、とりあえず何の話をしているのかぐらいは探ろうとして耳を傾ける。しかし、全ての会話が聞こえてくる訳でも無く、途切れ途切れの単語しか分からなかった。
<どうやら、また織斑君絡みのようだけど……>
<だとしたら、どうでもいい噂話の類だな>
<その可能性は充分にあるけど、何事も思い込みや先入観で決断を下すのは危険よ>
私が聞き取れた単語は、『織斑君』・『最上級に良い話』・『女の子だけの話』といったものだった。なので、クリストファーは直ぐに興味を失ったらしいが、この学園で噂話が伝わる速度はインターネット顔負けなので侮れない。
そこで私は、より意識を集中させて彼女達の会話に聞き耳をたてる。すると、さらに幾つかの単語が聞き取れた。
<学年別トーナメントに交際? なんか、だんだんとオチが読めてきたわね>
新たに判明した単語から結論を推測した私は、クリストファーの言っている事にも一理あると思い始めた。おそらく、学年別トーナメントで優勝すれば織斑君と付き合える事にでもなっているのだろう。
<何か分かったのか?>
<ええ、なんとなくだけど……>
<で、俺達に関係ありそうか?>
<直接は関係ないわね。けど、あんたなら絶対に断るような内容よ>
私の呟きに反応したクリストファーが尋ねてきたので、直接的な表現こそ避けたものの、一応は答えておく。ところが、これだけヒントを与えられていても彼には答えが分かっていなかったらしく、ストレートに聞き返してきた。
<どういう意味だ?>
<まさか、あれだけヒントがあったのに、まだ気付いてなかったの? どうやら、本当に他人の事は言えないみたいね>
<教える気がないなら黙れ>
あまりにも鈍いクリストファーに呆れた私が溜息混じりに言うと、短気な彼は直ぐに不機嫌さ全開の低い声で命令してきた。
正直、『面倒な奴』としか言いようのない性格だが、その事を指摘しても喧嘩になるだけなので黙っておく。その代わり、彼にも分かるように具体的な表現を使って質問に答える事にした。
<優勝商品が織斑君なの>
<は?>
<つまり、学年別トーナメントで優勝すれば、織斑君と恋人として交際できる権利がもらえる事になってるのよ>
ここまで具体的に説明したところで、ようやくクリストファーは皆が騒いでいる訳を納得する。そして、心の底から嫌そうな声で彼自身の気持ちを囁いた。
<断固拒否する>
<だから、言ったじゃない。あんたなら絶対に断るって……>
最初から分かりきっていた答えを聞くのに随分と手間が掛かり、またしても私は盛大に溜息をつくのだった。すると、彼は1つの懸念を口にする。
<ちょっと待てよ。もし、あいつに特定の彼女なんかが出来たら、俺達の任務にも影響が出るんじゃないのか?>
<2人きりで行動する機会が増えるのは確実だから、そうなるでしょうね>
<なら、阻止した方が……。だが、どうやって……>
そう言って真剣に悩み出したクリストファーに対し、私は穏やかな口調で話し掛ける。
<多分、その心配はいらないわ。私の推測だけど、これは根拠の無いデタラメよ。おそらく、彼自身も承知していないどころか、それ以前に噂の存在すら知らないと思うわ>
<そうなのか? でも、万が一という事も……>
<仮にそうだとしても、今の実力だと優勝するのは織斑君か専用機持ちの誰かよ。だったら、まだ対処法はあるわ。それに、私達の重要監視対象者3人の優先順位から言えば、彼は最下位なのを忘れたの?>
<あー、そう言えばそうだったな>
そうやって状況を順繰りに説明していく内にクリストファーも落ち着きを取り戻した。そして、このまま食堂に居続けても物事を深く考えすぎる彼へのフォローに追われる羽目になるだけだと思った私が立ち上がりかけた時、例の集団から一際大きな声が上がった。
「あ――っ! 織斑君だ!」
「えっ、嘘!? どこ!?」
その声に釣られた私も同じように彼を捜す。すると、いち早く彼を発見したらしい数名が駆け出すのが見えた。その行き先を目で追うと、そこには確かに彼が居た。どうやら、私が噂話に気を取られていた間に来ていたようだ。
そして、駆け寄った彼女達は何やら大騒ぎを演じていたが、直ぐに何処かへと立ち去ってしまい、入れ替わるようにして凰さんが現れる。
<折角だし、私達も合流するわよ。それに、この機会に噂の確認もしたいしね>
<好きにしろよ>
興味の無さそうな口調でクリストファーが言ってきたが、織斑君の姿を見付けた時点で彼の意志に関係なく実行するつもりだったので、私は気にせず彼らへと近付いていく。
「ちょっと、いいかな? いま話題になってる噂なんだけど――」
「そこっ! ルールは守る!」
私が尋ねようとした瞬間、物凄いスピードでやって来た誰かに後ろから口を塞がれ、そのまま彼らの傍から力ずくで引き離されてしまった。
その為、もう少しで反射的に口を塞いだ相手を振りほどいて逆に押さえつけようとしてしまい、慌てて理性を総動員して思い止まる。私がイスラエルの軍隊式格闘術をマスターしている事は、まだ秘密にしておきたかったからだ。
「あなたねえ、あれは女子だけの秘密って言ったでしょう!」
食堂の外へと連れ出された所でようやく解放されると、相手は私を見上げて咎めるような口調で言ってくる。
一応、ここは1年生寮の食堂なので同学年なのは初めから分かっているが、見覚えの無い顔なので彼女は確実に他のクラスの生徒だ。しかし、今は下手に事を荒立てたくは無いので無難な答えを返しておく。
「そうなの?」
「『そうなの』って……、あなただって『秘密にする』って条件で誰かから教えてもらったんでしょう?」
「たまたま話してるのが断片的に聞こえてきたから、そこから推測したんだけど……?」
すると、相手は急に驚いた顔になった後、俯いて黙り込んでしまった。だが、直ぐに顔を上げると強い意志の篭った声で告げてくる。
「まあ、いいわ。とにかく、これは女子だけの秘密なんだから、絶対に織斑君には話しちゃ駄目よ。分かった?」
「う、うん。分かった」
私が了承した事を伝えると、相手は早々に立ち去ろうとする。しかし、改めて私の方を振り向くと指をさして念を押してきた。
「いい!? 絶対だからね!」
それに大きく頷いて答えると、今度こそ相手は私の前から姿を消した。そして、彼女の姿が視界から完全に消えたところでクリストファーが言葉を発する。
<女子だけの秘密って事に意味なんかあんのか? この学園で男は一夏しか居ないんだぜ。ま、厳密には俺も男なんだが、外見がなあ……>
<理屈で物事を考えても彼女達には通じないわよ>
<なら、俺には一生、理解できそうにないな>
論理的に考えればクリストファーの意見は正しいのだろうが、ここは10代乙女の集う学園である。なので、理屈や理論よりも感情が優先される事は多々ある。
そういった意味も込めて言ったつもりだったのだが、どうやら私の考えも彼には微妙に伝わらなかったらしく、どこか諦めにも似た口調で呟くだけだった。
<だけど、とりあえず新たに分かった事もあるわ。あの噂なんだけど、大方、誰かの勝手な解釈に尾ひれが付いて広まったとみて間違いないわ>
<そうなのか?>
<ええ、確証は無いけどね。大体、明らかに専用機持ちが有利な1年生のトーナメントで実施してもメリットが無いもの>
私の話を聞き終えたクリストファーは考え込んでいたのか、暫くは黙っていたが、別の可能性を指摘してきた。
<じゃあ、その専用機持ちが最初に言い出した可能性は? もしくは、あのゴシップ好きの新聞部あたりが話題作りの為に仕組んだデマとか>
<絶対に違うとは言い切れないけど、どちらも可能性としては低いわね。確かに、既成事実を作るには好都合でしょうけど、私闘でも同じ効果が得られるんだから公式のトーナメントに拘る必要は無いと思うわ。もう1つの方は、上級生にメリットが無いから企画そのものが通らないわよ>
<そうか……。しかし、なあ……>
私の説明に彼も一応は納得したみたいだったが、どうにも歯切れが悪い。なので私は、ある提案をしてみる。
<だったら、今度のトーナメントで私達が優勝すれば良いのよ。勝てば官軍なんだから、どういう収め方をしたって文句は出ないわ>
<それもそうなんだが、流石に専用機持ち全員に勝てる保証は無いぞ?>
さっきの一言で彼の抱く懸念も払拭されるかと思ったが、また新たな懸念を引っ張り出されてしまった。なので、私は大きく溜息をついて文句を言ってやりたい気分に駆られたが、それを我慢して明るい口調で切り替えした。
<あんたの腕を信頼してるから問題ないわ。どうせ、戦う事になった場合を想定して作戦の1つや2つ、既に用意してあるんでしょう?>
<当然だ>
ようやく彼の口調にも変化が訪れ、短くても力強い返事が返ってくる。なので、それを聞いて安心した私は軽く周囲の様子を探ってから自分の部屋へと向かった。
またしても特に目新しいもののない地味な回でしたね。一応、暗躍を続ける組織も出したんですが、内輪の会議シーンしかない上に誰一人として名前が無いという有様で……。
そして、いよいよ次回から原作キャラ2人追加のエピソードとなります。