IS<インフィニット・ストラトス>‐虚構と闇の交差する空‐   作:Ghost SAF

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第12話 悲痛な叫びは波音に消えて

 無限に等しい広大な宇宙空間の片隅に浮かぶ青く美しい小さな惑星、地球には人類を含む数多の生命と宇宙で唯一とも言える文明(あくまで人類が把握している範囲に限る)が存在している。そして、そんな地球の周囲を取り囲むように飛び続ける人工衛星と呼称される無数の物体の中に“それ”はあった。

 ただし、その存在と正体を完璧に把握している者は世界中を探しても本当に僅かしかおらず、また極めて巧妙に偽装が施されている事から生半可な監視システムでは探知さえも困難な代物として半ば亡霊のように宇宙を彷徨っていた。

 しかし、現実には“それ”は設計段階から組み込まれている複雑な飛行プログラムに従い、あたかも意思を持っているかのように他の人工衛星やISS(国際宇宙ステーション)に紛れて低軌道の衛星軌道を周回し続けていたのだ。

 幸い、この軌道のある周辺宙域には用済みになったり壊れたりして放棄された人工衛星や過去の宇宙開発に伴う様々な物がデブリ(宇宙ゴミ)として技術者を悩ませるほど無数に漂っており、これらのデブリが皮肉にも決して小さくはない“それ”を隠すのに一役買っていた。

 勿論、どれほど入念な偽装を施していても自ら熱や電波を出したり内部で多くの電力を消費したりすれば監視活動に余念の無い者達の目に留まり、最悪の場合は今まで極秘にしてきた“それ”の存在だけでなく、搭載する特殊なシステムまで露見してしまう危険性があった。

 そんな訳で上記のような事態に陥れば瞬時に国際問題レベルの大事件にまで発展するのは明白であり、実際に使用する時が来るまでは必要最小限の機能(本体の姿勢制御と搭載システムの維持管理)しか稼動させていなかったし、外部からアクセスする手段も徹底して制限した上に特定の条件を満たさないとアクセスそのものが出来ないよう通信システムなども普段はネットワークから遮断してある。

 そして、その存在を神経質なまでに世界から秘匿し続けてきた結果、この瞬間も“それ”は衛星軌道をほぼ一定の速度で周回しつつ新たな命令が下るのを誰にも気付かれる事なく待機しているのだった。

 

   ◆

 

 独りで居る時でさえ眉間に深い皺を寄せて不機嫌そうな表情をしている事の多い男、ビル・ライディングスは自分専用のオフィスの椅子に深く腰を掛け、官民を問わずに各組織・各企業で活動するアセット(内部協力者)から送られてきた膨大な量の情報を専属の分析官が纏めた物に片っ端から目を通していた。

 そして、その中でも特にアメリカのDARPA(国防先進研究計画局)とアメリカ・イスラエル両国のIS開発企業に関しての報告と分析が記載された箇所を幾度となく読み返し、そこに記されている内容から事態の真相を探ろうとしていた。

 

「この分析を見る限りでは、新型機によくある類の開発遅延に関する報告に過ぎないようだが、どうにも腑に落ちん点があるな……」

 

 そうやって静かに呟いたライディングスだったが、今回は扱う情報の関係から事前に人払いをしており、この部屋には彼の他に誰も居ない。つまり、今の一言は誰かに尋ねようとして発したものではなく、ただの独り言に過ぎない。

 だが、そんな反応を無意識にしてしまったという事は、一見すると何の変哲も無い報告書の中に気のせいでは片付けられない程の重要な情報、言い換えるなら違和感みたいなものがあったのだ。

 なので、彼は改めて報告書の内容で気になった箇所の細部にまで真剣な表情で目を通してゆき、そこに書かれている様々な出来事を発生した時系列順に並べるなどの独自の見方も加え、どこか鬼気迫る雰囲気で1つ1つ確認していった。

 

「やはり、ただの思い過ごしだったのか……?」

 

 だが、彼は囁くような声で短い言葉を発すると報告書を机の上に置き、その代わりに傍らに置いてあった空のマグカップを手にして椅子から立ち上がって脇目も振らずに大股で部屋の片隅へと歩いて行った。

 そして、そこに設置してあるコーヒーサーバーからマグカップに熱いコーヒーを注ぎ、その場で気分転換も兼ねて立ったまま彼好みの苦いブラックコーヒーを味わう。その後、いつもより少しだけ長い時間を掛けてマグカップに入っていたコーヒーを飲み干し、それから机の前へと戻って報告書の分析を再開した。

 もっとも、どれだけ彼が藁にもすがる想いで報告書を隅から隅まで眺めていったとしても答えが勝手に浮かんでくる筈は無く、そこに記されている以上の情報は何一つ出てこなかった。

 

「一応、辻褄は合っているし不審な動きも無いが、この違和感は……。いや、これ以上は私の妄想だな」

 

 こんな風に表沙汰に出来ないような物事に関わってはいるが、彼も何かと忙しい立場にある人間の1人である事は確実で、たった1つの案件に際限なく時間を費やすのは立場的にも不可能だった。

 故に、そうやって自分自身を強引に納得させるみたいな格好で疑心暗鬼に囚われそうになった思考のループを終わらせると、手にした報告書をIS関連の書類を整理するのに使用している複数のフォルダーの中の1冊へと収納した。

 すると、それを見計らったかのような絶妙のタイミングで机の上の電話が鳴る。そこで彼はディスプレイに表示された発信者の名前と番号を条件反射で確認し、わざわざ電話を掛けてきた人物が隣の部屋で雑用を片付けるよう命じておいた(もっともらしい人払いの口実)秘書だと認識してから受話器を手に取った。

 

「私だ。何かあったのか?」

「はい。明日の16時より行われる予定でした会合が変更になりました」

「そうか。で、変更後の開催日時は?」

「今のところは未定です」

 

 この時、ライディングスへ電話を掛けてきた秘書の告げた用件とは、明日の午後に予定されていた会合が変更になった事を報せるありふれたものだったが、変更後の新たな日時が何も決まっていなかった。

 ところが、そんな曖昧な状況であるにも関わらず、変更の連絡だけがあった点に一抹の不安を覚えた彼は少しだけ厳しい口調で秘書を問いただす。

 

「ちょっと待て。肝心な変更後の日時が未定とは一体、どういう事なんだ?」

「誠に申し訳ありませんが、私も先方から『そう伝えるように』としか窺っていませんので、これ以上の事は存じ上げておりません」

「なら、もういい。私が自分で確かめる」

 

 まるでマニュアルを機械的に読み上げているみたいに事務的な回答だった為、彼は微かに怒りの篭った口調で吐き捨てるように告げると、そのまま受話器をガチャンと強く叩き付ける感じで元に戻して秘書との通話を一方的に終わらせる。

 そして、今度は明日の会合を最初に提案した相手に直に連絡を取ろうとした。しかし、それを実行に移そうと思った矢先に電子メールが到着した事を報せるアラームが鳴り、またしても彼は出鼻を挫かれる格好となってしまう。

 

「くそっ! こんなタイミングで何処のバカが――!」

 

 そうやって大声で悪態をつきながらも彼は送られてきた電子メールを読む為、電源を入れたままにしていた仕事用のデスクトップへと視線を移し、慣れた手つきでメールソフトを立ち上げて絶妙なタイミングで邪魔をしてくれた者の名前を確かめる。

 だが、その電子メールの送り主は想像すらしていなかった程の意外な人物だった。その証拠に彼は最初、自分の目を疑って送信先のアドレスを何度も確かめたぐらいだ。

 当然、そんな事をしたところで目の前の現実が変わる筈も無く、そこには極めて緊急性の高い重要なメッセージを送信する際にのみ使用されるアドレスから送られてきた未読のメールが1件あるだけだった。

 なので、彼は一呼吸おいて気持ちを落ち着けてから送られてきたメールを開き、そこに記された内容に素早く目を通していく。

 

「まさか、そんな事態が実際に発生するなど……」

 

 そのメールには、ごく短い1文しか書かれていなかったのだが、それを読み終えた瞬間に彼は呆然とした表情でうわ言のように呟く。なぜなら、送られてきたメールには『ハワイ沖で試験稼働中だった次世代型のISが突如として暴走し、そのまま行方をくらました』という衝撃的な内容が書かれていたからだ。

 勿論、この短い表現だけで暴走して姿を消したISの正体が今さっき疑念を抱いたばかりの機体、具体的には先程まで彼が眺めていた報告書の中で少々気になる開発遅延の存在が指摘されていたアメリカ・イスラエル共同開発の軍用IS『シルバリオ・ゴスペル』なんだと理解した。

 そして、この2つの事実から導き出される非常事態を彼の脳が認識した結果、明日の会合が急に延期になった上に代替日が未決定となっていた原因にも納得してしまう。

 つまり、それぞれに独自の優れた情報網を持つ会合の参加メンバー全員が『シルバリオ・ゴスペル』暴走事件の報せを受け、それについて少しでも多くの情報を集めようと一斉に動き出した為、会議室で顔を突き合わせて呑気に会合を開いている場合ではなくなってしまったのだ。

 もっとも、このように彼らが情報収集に異常なまでに熱心なのは、これから繰り広げられる事となる駆け引きにおいて自分が誰よりも優位に立ちたいという考えが原動力であり、そこに他者を利するような思考は一切存在していない。

 なので、彼らと同類であるライディングスも直ちに自身が保有する諜報ネットワークを最大限に活用する事を決めて動き出した。

 当然、そこには近い内に開かれるであろう臨時の会合で議題に上がるのが確実となった『シルバリオ・ゴスペル』暴走事件に対し、保有する情報の量と質で自分以外の参加者に遅れを取らないよう大急ぎで情報収集と分析を実行しなければならないという思惑が働いた事は言うまでもない。

 ちなみに、そんな形態の駆け引きが日常的に行われているのが諜報の世界における常識という事もあり、この電子メールを送信したのもアメリカ軍絡みの内部情報を欲した彼が随分と前に報酬の上乗せという餌で個人的に契約を交わしてまで雇ったアセットの1人だった。

 

   ◆

 

 ここで時間は少しだけ過去に遡り、IS学園の1年生達が臨海学校2日目に突入していたのと同じ頃の出来事へと移る。この時、ハワイ方面にあるアメリカ軍管理下の広大な演習区域『太平洋ミサイル・レンジ』では新型ISの稼動試験が行われていた。

 なお、その機体はアメリカとイスラエルが共同で開発したもので一時期は新規に開発されたソフトウェアの不具合によって開発計画そのものが中止の危機に晒されていたのだが、スケジュール的にも予算的にもギリギリのタイミングでトラブルを解決して稼動試験の実施にまで漕ぎ着ける事に成功した第3世代の軍用IS『シルバリオ・ゴスペル』だった。

 

「こちらに送られてきているデータでは何も異常は見当たらないけど、その機体を実際に動かしている貴女の感覚だとどうなの?」

「特に違和感を感じる事も無いし、この子も至ってご機嫌よ」

 

 ようやく実施される事となった稼動試験なので普段よりも少しだけ緊張した面持ちで話すオペレーターだったが、そんな彼女からの問い掛けに対して当の『シルバリオ・ゴスペル』の操縦者であるナターシャ・ファイルスは逆に嬉しそうな様子で答える。

 もっとも、本来なら緊張を強いられる場面で素の反応をしてしまうのも仕方の無い事で、前述したように開発の遅れから彼女は暫く『シルバリオ・ゴスペル』への搭乗を許されず、それによって相当なストレスを溜め込んでいたのだ。だから、どうしても感情の昂ぶりを抑えられなかったらしい。

 

「どうやら、今日は貴女もご機嫌みたいね。じゃあ、そんなに浮かれてたら忘れてるかもしれないから念の為に聞いておくんだけど、今から実施するテスト内容はきちんと把握してる?」

「勿論よ。なんだったら、ここで全部、言ってみましょうか?」

「ハァ……、相変わらず調子だけは良いんだから……。でも、その様子だと本当に問題は無いみたいだし、それなら早速、テストを始めましょうか。いい加減、お偉いさん達も待ちくたびれちゃってるだろうから」

「あら、そんな事を通信で堂々と言っちゃっていいの?」

「その点は大丈夫よ。ちゃんと安全な回線を使ってるもの」

「じゃあ、この際だから私も前から思ってた事を言っておこうかな」

 

 などと2人は先程から随分と軽いノリで会話を交わしているが、そうやって喋りながらであっても定められた手順はきちんと守って作業を続けている。つまり、それだけの余裕が彼女達にはあったのだ。なので、こういった感じの会話を作業中に交わすのは緊張を解すのが目的なのかもしれない。

 ちなみに、彼女達は今回の稼動試験においても中心的な役割を果たす重要人物としての立場にあるが、関係者の大多数を占めるアメリカ軍人(アメリカ軍の管理する演習場で試験が実施されるのに加え、このISの書類上の所属がアメリカに本籍を置く軍事企業になっている関係から)では無く、国防総省で勤務する一般の国家公務員(ナターシャ)と特別な許可を得た民間職員(オペレーター)という扱いになっている。

 その為、彼女達は話している相手が軍人でない限りは階級で呼ぶ事はしないし、挨拶をする時もされる時も敬礼は不要だった。

 

「少し話が脱線しちゃったけど、こっちのプリフライトチェック(離陸前点検)は全て完了して異常が無い事を確認できたわ。だから、そちらからの離陸許可を貰える?」

「やる気になってるところ悪いんだけど、まだ許可は出せないわね。先にチェイサー(随伴機)を上げなきゃならないのに、そっちの準備が完了してないのよ」

 

 こうして他愛の無い会話を交わしつつも離陸に必要な準備を時間通りに終えて許可を求めるナターシャからの要請に対し、オペレーターは何かを確認するみたいに僅かな間を置き、それから現状の報告と共に離陸許可が出せない理由を彼女に告げた。すると、ナターシャがわざとらしく拗ねたような口調で冗談を言う。

 

「だったら、そんなに焦らさないでよね。もう少し、この子と2人きりで話したかったんだから……」

「ふふ、あなたのIS好きも相変わらずね」

「何とでも言いなさい。私は空を飛ぶのが大好きなこの子が大好きなの。だって、2人だと何処までだって飛んでいける気がするんだもの」

 

 勿論、ナターシャの言った『この子』とは、彼女が専属のテストパイロットとして操縦や管理などの全てを一任されているIS『シルバリオ・ゴスペル』の事を指している。そして、オペレーターとの話で時間を潰している間に先行するチェイサーの離陸が完了し、ようやく彼女にも離陸の許可が下りる。

 

「なら、そんな貴女に朗報よ。たった今、チェイサーが所定の空域に入ったから『シルバリオ・ゴスペル』にも離陸許可が下りたわ」

「もう! どうして、いつも1番良いところで邪魔が入るのかしら……」

 

 ここでもわざと拗ねたような口調で彼女が愚痴を零すが、それが緊張を解す為の彼女なりの演技である事をオペレーターも最初から心得ているので、何事も無かったかのように一瞬にして仕事をする際の雰囲気に切り替えて職務を遂行する。

 

「コントロールよりシルバー1(『シルバリオ・ゴスペル』に与えられた本日のコールサイン)。針路クリア、離陸を許可します」

「シルバー1、了解。これより、巡航形態で離陸します」

「Good luck,Silver1」

「Thanks」

 

 アメリカ軍ではお決まりとも言える激励の挨拶を最後にオペレーターと交わしたナターシャは、その直後に膨大な分量のマニュアルに記載されていた離陸手順に忠実に従い、『シルバリオ・ゴスペル』の象徴でもある頭部から生えた一対の巨大な光の翼を器用に動かして大空へと飛翔していく。

 この時、光り輝く太陽の日差しを浴びながら軽やかに飛翔する『シルバリオ・ゴスペル』の姿は幻想的でさえあり、フル・スキンに近い全身の銀色の装甲とも相まって機械の天使のようだった。

 

「シルバー1よりコントロール。離陸完了。機体にも異常は無いわ」

「こちら、コントロール。シルバー1の離陸を確認しました。方位250・高度10000ftで巡航速度を維持して演習空域へ向かって下さい。貴機の20nm(海里)前方でチェイサーも待機しています」

「シルバー1、了解。こちらのセンサーでもチェイサーを確認したわ」

 

 そう告げて彼女は機体をオペレーターから指示された通りの方位に向けながら約20度の上昇角で上昇してゆき、ちょうど高度10000ftに達したところで水平飛行へと移行する。

 ちなみに、この時点で既にISのハイパーセンサーによる補助を受けている彼女の視界には、チェイサー役のIS『アラクネ』が所定の位置で待機している姿がはっきりと映っていた。

 そして、ほんの少しの間だけ単独の水平飛行をした後で『アラクネ』の横に並ぶと、そこで彼女は『アラクネ』の操縦者とプライベート・チャネルを使って直に話をする。なぜなら、その操縦者とは今までにも何度か一緒に飛行をした事があったから挨拶をするのは自然な成り行きだった。

 

「お久し振り。こっちのスケジュールの遅れで色々と迷惑を掛けちゃったけど、今日はよろしくね」

「いえ、こちらこそナターシャさんとまた一緒に飛べて光栄です」

「あら、どうもありがとう。貴女にそう言ってもらえると、なんだか私も嬉しいわ」

 

 ここでは互いに笑顔を浮かべて会話を交わしているのだが、『シルバリオ・ゴスペル』の方はフルフェイスのヘルメットを被っているような形態のISなのでナターシャの表情を外部から窺う事は出来ない。

 だが、そこそこ親しい者であれば声のトーンや言い回しから彼女の心情を察するのは、そんなに難しい事ではない。なので、彼女達はオペレーターから新たな通信が入るまでは世間話でもするかのように普通に話をして過ごしていた。

 

「コントロールよりシルバー1、ならびに2(チェイサー役のIS『アラクネ』に与えられた本日のコールサイン)。今朝のブリーフィングに従い、DAY1におけるテスト項目のリストA-1から順番にテストを開始して下さい」

「シルバー1、了解」

「シルバー2も了解しました」

 

 それから彼女達はオペレーターの指示に対して短い返事をした後、チェイサー役である『アラクネ』の方が現在の待機位置から少しだけ移動して『シルバリオ・ゴスペル』との距離を取り、ナターシャの準備が整うのを静かに待つ。

 ちなみに、これから実施されるテストは可能な限り実戦に近い形態で行う必要があった為、今回は両ISに実戦同様の装備が各種センサー類と共に搭載されていた。

 なお、テスト対象ではない『アラクネ』にまで実戦用の武装が搭載されているのは、何者かに襲撃された場合を警戒(クラス対抗戦時のIS学園襲撃事件が前例)しての処置だった。

 ただし、本格的なACM(空戦機動)を伴う稼働テストは天候やテストの進捗状況とも相談しながら3日目以降に実施される予定になっていたので、今日は通常空域における基本的な挙動の確認をメインに回避機動と追尾機動におけるデータ収集が最大の目的である。

 

「こちらの準備は整っているので、後はナターシャさんのタイミングで自由に始めてもらって構いませんよ。それに合わせて――」

 

 そう言って『アラクネ』の操縦者が複数のデータ収集用のセンサーを起動させた瞬間、ここにいる誰もが想像だにしていなかった異変が何の前触れも無く発生した。なにせ、いきなり『シルバリオ・ゴスペル』が悶え苦しむような動きを見せた後、そのまま一気に加速して『アラクネ』に体当たり攻撃を仕掛けたのだ。

 勿論、そのような行動は本日実施する予定になっているテスト項目には含まれていない。なぜなら、稼働テストの初日は機体に負担を掛けないよう様々な条件下での基本的な機動を1つ1つ丁寧に確認していくのが基本であり、『シルバリオ・ゴスペル』に攻撃を伴う行動は一切許可されていないからだ。

 それどころか、体当たり攻撃なんてものは1週間に渡って実施される膨大なテスト項目の何処を探しても記載されていなかった。

 

「くっ! ナターシャさん、そんな行動はテスト項目の何処にもありませんよ!? もしかして、何らかの不具合が発生したんですか!? ねぇ、答えて下さい! ナターシャさん、ナターシャさん!」

 

 しかし、対IS戦の訓練を充分に積んでいた『アラクネ』の操縦者は咄嗟の判断でスラスターを最大推力まで上げて『シルバリオ・ゴスペル』からの体当たり攻撃をギリギリのところで回避し、それと同時に混乱しながらも全ての通信手段を使って彼女への呼び掛けを続けるが、さっきまでとは違ってナターシャ本人からの応答は一切無い。

 ところが、そんな彼女の混乱をよそに『シルバリオ・ゴスペル』の方はメイン武装を展開して完全な戦闘態勢に移行しようとさえしている。

 

「シルバー2! 一体、何があったの!? 今すぐ報告しなさい!」

「私にも理由は分かりません! ですが、突然、ナターシャさんが苦しむような仕草を見せた後、いきなり攻撃してきました!」

 

 当然のようにテストの進捗状況をデータと映像で監視していた本部にも混乱は広がっており、オペレーターが切迫した声で現状の報告をするように言ってくるが、『アラクネ』の操縦者からの報告にも大した情報は含まれていなかった。

 なぜなら、最も近くで異変の発生を見ていた彼女でさえもあまりに突然の出来事で状況を把握する余裕が欠片も無かった上に、その後は『シルバリオ・ゴスペル』から繰り出される攻撃を回避するだけで精一杯になってしまい、詳細な観察や分析をしている暇が無かったからだ。

 

「どう……られて……、……をよく聞い……。残……ど私のい……、これ以……、この……制御……なの。だから私……ず、ここから……ぐに逃げ……!」

「ナターシャさん、ナターシャさん! 私の声が聞こえますか!? 聞こえたら返事をして下さい! いきなり襲い掛かってくるなんて、何か重大なトラブルでもあったんですか!? もし、そうならナターシャさんは無事なんですか!? お願いですから、何でも良いので返事をして下さい!」

 

 そんな中、ようやく聞こえてきたナターシャの声は通信状態が不安定なのか、途切れ途切れで酷く弱々しく感じられるものだった。しかも、それ以降は彼女の身を案じる『アラクネ』の操縦者からの必死の呼び掛けにもまるで応じる気配は無く、これが演習空域で確認された彼女の最後の声となってしまった。

 

   ◆

 

 オペレーターからのテスト開始を告げる指示を聞いた私は改めて全てのシステムをチェックし、どこにも異常が無い事を自分の目でも一通り確かめてから最後に武装のセーフティを解除した。

 ところが、その瞬間に今までに見た事も無いような速度で最初にロックを掛けておいた筈のシステム(本日のテストでは使用しない為)が次々に起動してゆき、唖然とする私が状況を把握するよりも早く本格的な戦闘態勢へと勝手に移行していく。

 

『ちょっと、どういう事!? 不具合は全て解消されて事前に実施したシミュレーションでも問題は無かったし、そもそも問題があったのは戦闘システムとは無関係な個所の筈だったのに……』

 

 当然、そんな考えが真っ先に頭に思い浮かぶ。なぜなら、不具合の修正作業に関する報告は逐一受けていたし、実働テストに先立って行われたコンピューター上のシミュレーションには私も参加して問題が無い事を実際に確認していたからだ。

 なので、私は『シルバリオ・ゴスペル』の専属操縦者になった際に受け取ったマニュアルに記載されていた内容の一部を大急ぎで記憶の中から引っ張り出し、幾つか方法のあるシステムのリセットや強制終了の仕方を実行して機体の制御を取り戻そうと試みる。

 だが、その全てが結果的には徒労に終わってしまい、どれだけ足掻こうと機体の制御は私の手から離れたままだった。すると、またしても『シルバリオ・ゴスペル』が私の意思に反してスラスターを全開にし、そのまま目の前にいた『アラクネ』に向かって突進する。

 幸いな事に、この突進は『アラクネ』の方がギリギリのタイミングで回避してくれたお陰で直接の被害は出ていない。しかし、そんな幸運がいつまでも続くとは到底、考えられなかった。

 

「エマージェンシー(緊急事態発生を意味する識別コード)! エマージェンシー! 現在、緊急時のマニュアルに従って独力でシステムの回復作業を実施中ですが、こちらからの指令を機体が一切受け付けない為に制御不能の状態にあります! なので、直ちに外部からの機体の強制停止と救援を――」

 

 一刻を争う状況なのは明らかだったので、私は最後まで諦めずに自力での回復作業を繰り返し試みつつも緊急事態の発生を本部に告げ、同時に最悪の事態だけは避けようと可能な限りの支援を要請した。

 ところが、こちらからの支援要請に対して本部からは何の返答も返ってこなかった。その為、私は嫌な予感を覚えつつも決して慌てたり取り乱したりはせず、過去の訓練を思い出して冷静な対応を試みる。

 

「もう1度、繰り返します! こうなった原因は不明ですが、機体が制御不能な状態に陥りました! 現状では自力での回復は困難であると判断し、直ちにISの強制停止と回収をお願いします!」

 

 とりあえず、全ての通信チャネルが開いている事を改めて確認してから本部を含む関係各所へと呼び掛けてみるが、やはり何の反応も返って来ない。

 それどころか、私の口から発せられた生の声でさえ理解不能な超常の力によって全て遮断されているかのような錯覚を覚える。しかし、ここで私はハイパーセンサーの片隅に見覚えはあっても現状では不可解な表示が出ている事に初めて気付いた。

 

『どうして、IFF(敵味方識別装置)が敵の存在を示しているの?』

 

 その表示を見た瞬間、そんな疑問が真っ先に脳裏に浮かんだ。勿論、単なる表示1つで私が驚いたのは味方である筈の『アラクネ』がIFFでは敵機として表示されていた事にあるのだが、さらに観察してみると演習区域内に展開している味方の情報収集艦や電子偵察機、イージス艦など全ての友軍が敵となっていた。

 

「まさか、そんな事が……」

 

 なので、この事実が意味する今後の展開に衝撃を受けた私がうわ言のように静かに呟いた途端、この子に装備されている武装『シルバー・ベル』が出力の上昇と共に本格的な稼動を開始し、暴走するシステムに引っ張られて敵機だと思い込んでいる眼前の『アラクネ』に対して攻撃を仕掛けようとする。

 そして、もう何度目になるか分からない私からの強制停止命令も全く受け付けず、完全に敵機としての認識が固定化された『アラクネ』への攻撃を実行に移した。

 

『流石に、このままの状態が続くようだと被害が拡大して本当にまずい事態になるわね。せめて、この子の攻撃だけでも私の方で止められたら良いんだけど……』

 

 無数のエネルギー弾(1発当たりの威力も高い)を同時に撃ち出す『シルバー・ベル』の攻撃を受け、大きく体勢を崩しながらも決して反撃はせずに近付こうとする『アラクネ』を目にして私は今の想いを声に出さずに呟くと同時に異常事態の発生後、初めて顔をしかめて苦渋に満ちた表情を浮かべる。

 なぜなら、こちらを保護対象として見ている『アラクネ』が警告も無しに攻撃してくる事はあり得ないので必然的に向こうは回避か防御しか選べなくなるが、先程の『シルバー・ベル』による攻撃は奇襲になった所為で完全には回避し切れず、機体の各部に肉眼でも判別できる程の損傷を受けていたからだ。

 一応、あちらもISなので少しぐらいの被弾であれば大丈夫な構造をしているが、それでも連続しての被弾となると長くは耐えられない。だが、厄介な事に『シルバリオ・ゴスペル』が装備する『シルバー・ベル』は連続攻撃も可能な武装である。

 その為、いくら絶対防御によって操縦者の生命が護られているとは言え、最悪の場合は彼女を死傷させてしまう危険性があった。

 無論、それが不可抗力だったとしても、そんな事態を私が望んでいる筈など無い。だから、その事だけでも彼女に伝えようと機体の制御を取り戻すのを諦めて通信システムの掌握に全力を尽くし、辛うじて繋がったと思える瞬間に真意が届く事を願って必死で言葉を発する。

 

「どうやら時間も限られてるみたいだし、今から言う事をよく聞いて。残念だけど私の意志では、これ以上、この子を制御できないようなの。だから私には構わず、ここから直ぐに逃げて!」

 

 こうして最低限のメッセージを一気に捲し立てた直後、あれほど苦労して制御を取り戻したばかりの通信システムも再び私の手を離れ、この子は周囲に存在するものを全て敵と誤認したまま独自の行動を開始する。そして、その動きに引き摺られるようにして私の意識も急速に薄れていった。

 ただし、この子が好戦的になった背景には周囲に溢れる敵から私を護ろうとする意思みたいなものが感じられた。なので、私は薄れゆく意識の中でも何処か懐かしいような温かさや安心感を覚えるのと同時に、自身の無力さや現状の理不尽さといったものに胸を痛めるのだった。

 

   ◆

 

 最新鋭ISの稼動テスト中に何の前触れも無く発生した暴走事故という非常事態は、そのテストを実質的に指揮していた軍本部にも多大な混乱をもたらしていた。

 しかも、そうなった原因が彼らには一向に分からず、加えて操縦者であるナターシャ・ファイルスとも連絡が取れない事で現場での混乱は増大し続け、ついには出所不明な憶測までもが指揮本部内で平然と飛び交う状況になっていた。

 

「シルバー1との戦術データリンクが切断されています! これでは対象のIS、ならびに操縦者の状態が把握できません!」

「そこにいる奴の誰でも良い! こっちのモニターに現場の映像を回せ!」

「スクランブルで上がった戦闘機が単機で接近中!? よく見ろ! それは現場の状況確認に向かった無人偵察機だ!」

「基地で待機中の部隊の出撃を――、え!? 違います! テロではありません!」

 

 ところが、そんな本部内の混乱を嘲笑うかのように『シルバリオ・ゴスペル』は勝手な行動を繰り返し、最終的にはチェイサー機として一緒に上空に上がっていた『アラクネ』にまで実戦さながらの容赦の無い攻撃を浴びせていた。

 勿論、上層部からの指示も無しに『アラクネ』の方から積極的な攻撃は出来ないので結果的には防戦一方となり、時間の経過と共に『アラクネ』にはダメージだけが蓄積されていく。

 もっとも、『アラクネ』が対等に戦える状況にあったとしても不利なのは変わらないので、早めに次の手を打たなければ最後には撃墜されてしまう事に疑いの余地は無いだろう。

 

「コントロールよりシルバー2。可能であるならシルバー1の拘束、もしくは外部からの強制停止を実行して下さい。ただし、それが難しいようであれば無理はせず、こちらからの増援が到着するまでの時間を稼ぐ事に集中して。その判断は貴女に一任します」

「シルバー2、了解。命令の遂行に全力を尽くします」

 

 選択肢は限られていたのでオペレーターが無難だと思える指示を出し、それに『アラクネ』の操縦者がマニュアル通りの返事をして応じたものの、はっきり言って現状では完全に手詰まりである。

 なぜなら、『シルバリオ・ゴスペル』の装備する武装『シルバー・ベル』は同時発射数36発を駆使した多方向同時攻撃が可能な上に1発当たりの威力も大きく、連射性能もマシンガン並みに高いので複数機相手の戦闘でも全く問題にならないからだ。

 しかも、それらの攻撃的な機能に加えて『シルバー・ベル』には高出力のマルチスラスターとしての機能まで与えられており、それが『シルバリオ・ゴスペル』に機動性と攻撃力の両面において大きなアドバンテージを与えていた。その為、早くも当該機の高性能ぶりをアピールするかのような報告が入ってくる。

 

「シルバー2のシールドエネルギー、残り30%を切りました!」

 

 そういった経緯もあり、『アラクネ』の状態をリアルタイムで監視していた人物からの報告を受けた稼動テストの責任者は思い切り顔をしかめ、ついには苛立ちを隠そうともしない大声で叫び始める。

 

「なら、増援の方はどうなっている!? まだ現場に着かんのか!?」

「少なくとも後8分は掛かります!」

「それでは遅すぎる! もっと急がせろ!」

 

 その疑問には部屋に居た人物の1人が皆を代表する形で答えたが、冷静さを失いつつある責任者は感情的に叫ぶだけだった。だが、そんな風に彼が大声で叫んだところで事態が好転する事などありえない。

 なぜなら、現在のペースで『アラクネ』がダメージを受け続ければ増援が到着した時には既に撃墜されているし、限界に近い速度で急行中の増援部隊を今以上に急がせる事も物理的に不可能だからだ。つまり、彼らは時間稼ぎにさえ失敗したのである。

 

「シルバー2のダメージが危険域に入りました! もう限界です!」

 

 すると、そんな彼らの下に追い討ちを掛けるような報告が飛び込んできた。そして、その報告に連動するみたいに部屋の中央に設置された大型のメインモニターには、絶望的な現実を突き付けるかのような映像が鮮明に映し出される。

 それを部屋に居る全員が固唾を呑んで見守る中、モニターの向こうでは満身創痍となった『アラクネ』に大して『シルバリオ・ゴスペル』から止めを刺すようなエネルギー弾の一斉射撃が放たれ、発射されたエネルギー弾の半数近くを回避し切れずに直撃を受けて大破した『アラクネ』の機体が黒い煙の筋を引きながら重力に導かれるように海へと墜落していった。

 もっとも、この状況下における唯一の救いを挙げるとすれば、ISの操縦者保護機能が前評判通りに働いてくれたお陰で『アラクネ』の操縦者の命に別状が無かった事だけだろう。

 

「シルバー1、当該空域よりの離脱を開始しました。加速しつつ高度500ftで方位270へと向かっています!」

「この状況で離脱だと!? なら、絶対に見失うな! とにかく、シルバー1の進行方向の全域をカバーするように偵察機を全機展開させろ! それから使用可能な全ての監視衛星も追跡に回すんだ!」

「ダメです! こちらが現空域に展開中の偵察機の最高速度では、高速飛行に入った『シルバリオ・ゴスペル』には追い付けません! それと監視衛星も特性上、特定地域の長時間の滞空監視は不可能です!」

 

 演習空域内での足止めに失敗した以上、せめて『シルバリオ・ゴスペル』を見失うまいと考えて新たな命令を発する責任者だったが、その考えも容易く打ち砕かれてしまう。それどころか、さらに彼の神経を逆撫でするような事態まで発生する。

 

「サーチャー4(データ収集の為、演習空域内に複数機が展開している無人偵察機『MQ-9C』の中の1機を示すコールサイン)、反応ロスト!」

 

 新たに本部に入って来た報告を額面通りに受け取るなら、現時点で『シルバリオ・ゴスペル』に最も接近していたUAV(無人航空機)を示す反応がレーダーから消失したというものだった。

 当然、その報告を耳にした責任者は鬼のような形相でUAVの反応消失を報せてきたディスプレイを睨みつけ、またしても感情的な大声で叫ぶ。

 

「それは一体、どういう事だ!?」

「おそらく、シルバー1に撃墜されたものと思われます」

 

 もっとも、彼だって空軍に所属する軍人なのでUAVの反応がレーダーから消えた意味をわざわざ説明されなくても何が起きたのかは容易に想像がつくのだが、状況が状況なだけに声に出さずにはいられなかったのかもしれない。

 つまり、それ程までに彼も焦っており、心の余裕を無くしていたのだ。だが、そんな本部の混乱とは裏腹に事態は悪い方向へと加速度的に進行していく。

 

「シルバー1が間も無く『マーフィー』と接触します」

 

 この時、報告者の口から飛び出した『マーフィー』とはアメリカ海軍所属のアーレイバーク級イージス駆逐艦『マイケル・マーフィー』の事を指し、『シルバリオ・ゴスペル』の稼動テストを支援する為に演習区域西側の海域で待機していたのである。

 ちなみに、この艦に与えられた本来の任務はISによる対艦戦闘とミサイル迎撃のテストを支援する(テストの実施日そのものは後日)事だったのだが、ISが制御不能に陥るという非常事態が発生した時点でたまたま『シルバリオ・ゴスペル』の離脱コースに近い位置に展開していた。

 その為、本部からの最優先命令もあって急遽、当該ISの演習区域からの離脱を阻止しようと最大船速で目標ISの針路上に進出してきたのだ。

 ただし、暴走中のISの性能と比較すれば高い対空戦闘能力を有するアーレイバーク級イージス駆逐艦であっても本格的な戦闘になれば受ける被害も大きく(前例は白騎士事件を参照)、あまり積極的な阻止行動が採れなかったのも事実である。

 

「よし、これで何とか演習空域内に――」

 

 こうして少しだけ落ち着きを取り戻した責任者が安堵の言葉を呟き始めた途端、またしても事態は彼らにとって悪い方向へと転がってしまう。

 

「ちょっと待って下さい! たった今、その『マーフィー』より報告が入りました! どうやら、シルバー1から攻撃を受けた模様です!」

「なんだと!?」

 

 新たに届いた報告を耳にした責任者が再び大声で叫び、報告をしてきた人物の事を鬼のような形相で睨みつける。だが、彼が立つ位置からは報告をしてきた人物の背中しか見えなかった事から表情の変化は意味をなさず、その為に報告を続ける相手の口調にも変化は一切無かった。

 

「幸い、艦は沈没を免れてクルーにも死者は出ていませんが、射撃レーダー・主砲・CIWSに被弾してほとんどの兵装が使用不能にされたようです! さらにSPY-1Dの本体も損傷を受けたらしく、索敵機能が大幅に低下している模様です!」

「クソッ! それで、『シルバリオ・ゴスペル』の逃走は阻止できたのか!?」

「いえ、戦術データリンクに続いてコア・ネットワークとのリンクも自ら切断したようで機体の状態は把握できませんが、レーダーの反応からすると依然、西に向けて高速で飛行を続けています!」

 

 この瞬間、オアフ島に設置された本部で対策に当たっていた彼らは『シルバリオ・ゴスペル』の演習空域からの離脱阻止に失敗した事を否が応でも実感させられる。

 なぜなら、対空戦闘において索敵やミサイルの誘導に欠かせないイージス艦の心臓部とも言える電子システムを物理的に破壊された上に、主用な兵装の本体まで破壊されては戦闘継続など不可能だからだ。

 そして、このように撃沈されなくても戦闘能力を喪失した時点で水上戦闘艦としての存在価値は無くなり、そこに生じた阻止ラインの空白から阻止対象が離脱するのは戦術の常識だった。

 こうなってしまうと偵察機を振り切る速度で飛行を続けるステルス状態の対象を捕捉可能なのは偵察衛星だけになるのだが、『シルバリオ・ゴスペル』が監視範囲外に出てしまうのは時間の問題であった。

 ちなみに、今回は純粋な稼働テストだったので着脱式のRCS(レーダー反射断面積)増加装置を取り付けていた(だから、先程まではレーダーで捕捉できた)が、それもイージス艦撃破後に投棄されている。

 ここで話を元に戻すと、たまに勘違いをしている人もいるようだが、ほとんどの偵察衛星は得られる情報の精度を上げる為に低い位置にある衛星軌道を高速で周回(地球の自転速度よりも速い)しており、特定の区域を長時間に渡って監視する事は出来ない。

 それ故、運用時は監視エリアに合わせて周回軌道を微妙に変更し、指定区域の上空を通過する際の僅かな時間を使って情報を集めている。なので、偵察衛星は今回のように高速で移動を続ける目標の継続的な追跡には不向きなのである。

 

「シルバー1が我々の監視エリアの境界に接近中! おそらく、あと数秒で追跡が不可能になります!」

 

 最早、その言葉を誰が発したのかは分からなかったが、本部に居る全員が反射的に中央のメインモニターに視線を集中させる。そして、実際に5秒と経たない内にリアルタイムで映し出されていた映像がいきなり途切れ、『シルバリオ・ゴスペル』を完全にロストした事が現実として彼らの前に突き付けられた。

 なお、実質的には軍用ISとして設計された『シルバリオ・ゴスペル』は優れたステルス性も有しているので、本来の性能を発揮されれば既存のレーダーや赤外線センサーによる再捕捉は極めて困難である。

 当然、この場所に集まっている彼らは当該ISの高度なステルス性を含む機体特性を嫌と言うほど熟知していたので、想定される今後の任務が極めて困難なものになると既に理解していた。その為、誰もが次第に無口になってゆき、さっきまでの喧騒が嘘のように静かな時間が訪れる。

 だが、このまま全員が黙り込んでいても事態は良くならないし、彼らには現状を政府や軍の上層部にも報告する義務があった。そして、その義務を果たすのは昔から責任者だと決まっている。

 

「将軍。申し上げ難いのですが、非常に不味い事態が発生しました。ハワイ沖で稼動テスト中だった『シルバリオ・ゴスペル』が突如として暴走し、現場で対処に当たった部隊の包囲網を突破して逃走――」

 

 そんな事情もあり、オアフ島に設置された本部で全体の指揮を執っていた責任者は沈痛な面持ちで受話器を持ち上げてペンタゴン(国防総省)への直通回線を繋ぐと、僅かに掠れ気味の声でアメリカ軍が絡むIS関連の研究・開発を総括している空軍大将に現状の報告を行うのだった。

 

   ◆

 

 2度の世界大戦を経て世界をリードする立場となったアメリカ合衆国の首都、ワシントンDCで観光名所としても世界的に有名な建築物ホワイトハウスは本来の役目である政治中枢としての機能を本日も順調に果たしていた。

 ちなみに、このホワイトハウスのウエストウイング(西棟)には『オーバルオフィス』と呼ばれる知名度の高い(映画やドラマでお馴染み)大統領執務室があり、この日も当然のようにアメリカ合衆国大統領はオーバルオフィスで朝から公務に励んでいた。

 そして、そんな合衆国大統領(ある意味、世界で最も多忙な国家元首と言っても過言ではない)が膨大な量の案件を次々に処理してゆき、それらを全て片付けた上で新たに夕方から始めた公務も一段落して少し休憩を挟もうとした時に問題の事件は発生したのだ。

 勿論、その事件とはハワイ沖で発生した『シルバリオ・ゴスペル』の暴走に関する事だったのだが、ここでは些細な情報の食い違いから実際よりも幾分か厄介な状況になっている。

 

「さて、ここまでの話を聞いて君からは何か反論はあるかね?」

 

 そう言って大統領は椅子に座った姿勢のまま手元の資料から目を離して顔を上げ、執務机越しに正面に立つ男を鋭い視線で見据える。しかも、この時の大統領の口調には明らかな棘があり、眼前に立つ男を非難しているのは容易に想像できた。

 

「実は、こちらでも総力を挙げて事実関係を確認中でして今は何とも……」

「なる程。まあ、君ならそう言うだろうな。だが、そんな答えでは出来の悪い言い訳にしか聞こえんぞ?」

 

 この場で批判に晒されている男、国防長官の歯切れの悪い返答に大統領は皮肉たっぷりの言葉で応じる。なお、ここで大統領が問題にしているのは『シルバリオ・ゴスペル』が暴走した事では無く、それについての報告がホワイトハウスへ届くのに遅れた事に対してである。

 なぜなら、大統領が暴走事件を最初に知ったのは国際IS委員会から担当の補佐官を通じて連絡が入った時であり、結果的に彼は何の準備も事前情報も無しに委員会からの問い合わせに対応する羽目になったからだ。ところが、そんな重苦しい雰囲気の中、1人の女性が2人のやり取りに割って入った。

 

「大統領。少しよろしいですか?」

 

 その女性(国家安全保障問題担当大統領補佐官)は2人の視線が自分の方へと向き、そこで大統領が小さく頷いて発言を許可したのを目で確認してから静かだが迷いの無い口調で話し始める。

 

「先程、我が国の関係各機関に届いた報告書を順番に1つずつ確認していて気付いたんですが、それによると国際IS委員会に報告が届いた時刻との間に明らかな矛盾点がありました。結論から申しますと、事件発生直後に我々と同様の報告を委員会も受けているんです」

「それは本当なのかね?」

 

 あまりに衝撃的な内容の話を聞かされて訝しむような表情を浮かべた大統領が思わず問い掛けると、彼女は手にしていた国際IS委員会からの報告書を彼の目の前に差し出して問題となった箇所を指し示す。

 そして、次にオアフ島の本部で稼動テストの指揮を執っていた空軍大佐からペンタゴンの空軍大将宛に発信された通話記録を詳細に記したものを横に並べ、いま問題となっている通信が行われた時刻を同じように指し示した。

 

「まさか……、こんな事は絶対にあり得ん!」

 

 この時、真っ先に大声で叫んだのは彼女に釣られるようにして2枚の書類を覗き込むようにして見ていた国防長官であり、少し前とは打って変わって彼の顔は驚きと困惑に満ち溢れていた。

 勿論、そんな反応を彼が示したのには、はっきりとした理由がある。なぜなら、大佐がペンタゴンに報告を開始したのとほぼ同時刻に全く別の何者かが国際IS委員会にも同じ報告を入れていたからだ。

 

「ええ、彼が言う通り、こんな事は常識的に考えても起こる筈が無いんです。ですが、この報告書に記された内容が事実なら、我々と同等の情報をリアルタイムで入手できた何者かが他に存在した証拠になります」

「そうか……。では、念の為に訊くが、あの場に委員会の送り込んだスパイが紛れ込んでいた可能性は――」

 

 安全保障問題担当補佐官による不審な点の指摘を受け、大統領が疑いの眼差しを国防長官に向けて最も可能性が高いと思われるスパイの有無について口にするが、その疑惑に関しては国防長官も即座に否定する。

 

「この報告内容や通信が行われたタイミングを考えると、情報をリークしたのは稼動テストの全体的な流れや詳細の大部分を把握できる立場の人間というのが最も怪しいのですが、そうなると必然的にスパイは大佐と同じ部屋に居た人物という事になります。ですが、あの部屋に設置してある通信機器を使えば必ず記録が残ります。だからと言って、個人が身体や手荷物の何処かに隠して何らかの通信機器を持ち込むのも不可能に近いでしょう。情報漏洩を防ぐ対策として入室時には必ず複数の人間が立ち会った状態で検知器を使ったチェックを行いますし、それを潜り抜けたとしても部屋自体が電波を遮断する構造になっていますから」

「だとすると、まるで大佐からの連絡を自動的に委員会にも転送するようなシステムが通信機器に仕掛けてあったとしか思えんな。もっとも、そんな事が現実的に可能かどうかは、また別の問題なんだろうが……」

 

 あまりにも予想通りな回答に大統領が目を閉じて大きく首を横に振り、ぎりぎり全員に聞こえるぐらいの大きさの声で溜息混じりに呟く。すると、この場に居合わせていながらも今まで無言で様子を窺うだけだった人物、大統領主席補佐官が初めて口を開いた。

 

「よろしいですか、大統領。確かに原因究明も大切な事ですが、こうなった以上は早急に声明を発表されるのが賢明な選択でしょう。そうしなければならないのはマスコミが事件を嗅ぎつけ、余計な憶測で混乱を広められる前に我々が先手を打つ必要があるからです。勿論、今回の案件は国家の安全保障にも深く関わるものなので、マスコミに公表する情報には一定の制限を設けるのでご安心ください」

「それについては私も彼と同意見です。このまま後手に回るような事態が続けば我々の危機管理能力に対する周囲からの不信は確実に増大し、将来的には我が国の安全保障政策にも好ましくない影響を及ぼす可能性があります。これは先のISの登場以来、世界のリーダーとしての地位を大きく低下させている我が国にとっては更なる痛手となるでしょう」

「なる程な。とりあえず、君達の言いたい事は分かった。確かに、こうなった以上は何らかの声明を発表する必要はあるだろう。だが、それなら事態の収束宣言という形で成果と共に発表した方が世界に対しても良いアピールになるんじゃないのかね?」

 

 様々な分野のエキスパート集団でもある大統領補佐官達の中でも特に発言力の大きい2人からの進言とあっては流石の大統領も自身の考えを改め、やや気乗りしない雰囲気を漂わせていたものの公式声明を発表する事については同意した。

 ところが、声明を発表するよう進言した2人の補佐官の意見は大統領の考えるシナリオとは少し違っていたらしく、丁寧な口調ながらも自分達の考えをはっきりと主張する。

 

「残念ですが大統領。それは賢明な判断とは言えませんな。なぜなら、事態の発生が国際IS委員会に知られた時点で秘密裏に処理するのは不可能であり、そうなると議会や他国からの追及も避けられないからです。ならば、ここは我々の政策に影響の出ない範囲で事実の一部を公表し、それを口実に対策の主導権を握る方が良いでしょう」

「それに今回のようなケースでは、こちらが“既に事態を掌握している”というメッセージを早期に発信する事で我が国の危機管理能力は正常に機能していると主張でき、何かと理由を付けては介入したがる他勢力への牽制にもなります。なので、まだ我々が主導権を獲得できる余地のある段階で委員会への協力姿勢を公式に宣言する事は極めて効果的だと判断します。それに対し、ここでの強硬姿勢は10年前の『白騎士事件』の二の舞となり、再び議会と世論の両方を敵に回す危険性すら含んでいます」

 

 ここで首席補佐官と国家安全保障問題担当補佐官の2人が提示した対応策は、あくまでも選択肢の1つで最終的な決定権は当然の事ながら合衆国大統領にあるのだが、ほんの少し間を置いただけで彼は2人の進言を受け入れる。

 

「どうやら、ここは君達の判断に従った方が良さそうだな。では、直ちに声明に使う原稿の草案作りに取り掛かってくれ」

「はい、大統領」

 

 ようやく今後の方針を決めた大統領が声明文の草案の作成を命じると、首席補佐官は短く返事をしてから踵を返して早足でオーバルオフィスを出て行った。さらに彼は、オーバルオフィスの扉が閉まって首席補佐官の姿が完全に見えなくなるのと同時に残った2人に対しても矢継ぎ早に指示を出す。

 

「君は国防総省内での情報収集と並行して統合参謀本部とも協力し、引き続き現場での事態の収拾に全力で当たるんだ。勿論、状況に何か変化があれば些細な事でも直ぐに私に報告するように」

「分かりました。直ちに対処に当たります」

「そういう訳だから、君には国際IS委員会へ情報がリークされた件を最優先で調べてもらいたい。調査方法については君に一任するから好きにやってくれ。その際、必要な情報に関しては国土安保省に問い合わせれば入手できる筈だ」

「お任せ下さい、大統領」

 

 こうして国防長官と安全保障問題担当補佐官の2人は姿勢を正すと短い返事だけを口にし、先程の首席補佐官と同様に早足でオーバルオフィスから出て行く。

 その結果、1人で室内に残る形となった大統領は座った姿勢のままで椅子を180度回転させて体ごと窓の外に視線を向けると、すっかり見慣れた景色となったホワイトハウスの敷地をぼんやりと眺めながら小さく溜息を吐くのだった。

 もしかすると、『白騎士事件』への対応と事後処理に失敗した当時の政権が議会と世論の双方からの猛烈な批判に曝され、その後の大統領選挙と連邦議会選挙でも記録的な大敗を喫して政界から去った時の状況を思い出していたのかもしれない。

 そして、彼は両方のこめかみを左手の親指と中指で強く押さえるような仕草をして苦々しげに表情を歪め、その姿勢を10秒ほど続けた後で手を離してから軽く頭を左右に振って威厳のある態度に切り替えると、執務机の方に向き直って真剣な眼差しで今回の暴走事件への対処に取り掛かるのだった。

 一方、大統領がISの暴走という厄介な案件への対処に頭を抱えていた頃、真っ先にオーバルオフィスから出て行った首席補佐官が少し不審な行動を取っていた。

 

「やはり、“あの一件”も向こうに報告すべきだな……」

 

 この時、首席補佐官は広いホワイトハウスの建物内でも特に人目に付き難い場所へわざわざ赴くと、過剰なまでに自身の周囲に誰も居ない事を確かめてから微かに聞こえるぐらいの大きさの声で静かに呟いた。当然、彼の周囲に人は居ないので単なる独り言である。

 そして、そこまで慎重になった上で彼はスーツの内ポケットから特別な相手に連絡をする時にしか使わない専用の携帯端末(ある組織が開発した独自のセキュリティプログラムが導入されており、長官クラスの政府高官が使用する物よりも遥かに高い秘匿性を誇る)を取り出し、それを慣れた手つきで操作して短い文章を素早く作成する。

 こうして必要な作業を手際よく実行していくと、最後に彼は送信相手のアドレスと作成した文章の内容を改めて確認してから“合衆国大統領とは異なる別の雇い主”に入手したばかりの最新情報を送信する。

 ちなみに、送信内容や送信相手といった履歴の類は送信完了後に自動的に消去される仕組みになっているので、指1本で画面を最初の状態に戻してスーツの内ポケットへと収めた彼は、まるで何事も無かったかのような態度と足取りで本来の目的地へと向かうのだった。

 

   ◆

 

 その頃、国際IS委員会の本部ではハワイ沖でISの暴走事故が発生したという報告が入った直後から幹部メンバーの全員に招集が掛かり、その対応についての緊急会合が非公式に行われていた。

 当然、ここでも新型ISに関する情報の流出を何よりも懼れたアメリカやイスラエルの意向を受けたメンバー数名は『今は一刻を争う事態なので、余計な混乱を避ける為にも引き続き当事者に対応を一任させたい』といった事を主張して他者の介入を拒み、そんな2カ国の弱みを1つでも多く握りたい他の国々の意向を受けたメンバーからは『不祥事を引き起こした者達は信用できない』との考えから多国籍の合同チームによる迅速な対応を声高に主張していた。

 その結果、会合は双方の主張が平行線を辿ったまま時間だけが浪費される形になりかけたが、演習空域からの逃走を図った『シルバリオ・ゴスペル』の予想針路の延長線上に日本政府と国際IS委員会が共同で管理するIS用演習空域が運良く存在し、それに目を付けた日本出身のメンバーから書類上は国連と同様の中立機関となっている『IS学園』に事態への対処を一任する案が提出される。

 もっとも、ISが日本人によって開発された経緯もあってIS関連の情報が日本に集中する傾向のある現状も各国では問題視されており、この案が満場一致で素直に採択されるような事は無かった。

 なので、そういった不満を抱える国々に配慮する形を取らざるを得ず、時間の無駄は承知で公平性を保つという名目の下に会議室に集まったメンバー全員の参加する多数決での投票が実施され、その果てにIS学園に対処を委ねる事を支持する者達が僅差で過半数を得て先程の案が採択される。

 こうして紆余曲折を経て国際IS委員会としての方針は何とか定まったのだが、その決定をIS学園理事会に報告した際に少し不可解な出来事が発生していた。

 

「私は国際IS委員会の者で大至急、そちらの理事長にお伝えしたい用件が――」

「ああ、先程、委員会より送られてきた委任状の件ですね。それでしたら、私どもの判断で既に行動を開始しております。こちらに人選も対応策も全て任せるとの事でしたので、こういった事態への対処に最適と思われる人物と直ぐに連絡を取りました。幸い、彼女が居る場所には必要な人員も揃っており、現場にも近かったので即座に行動を開始する事が出来ました」

 

 その出来事とは、応対に出た学園側の女性が委員会の連絡官からの言葉を途中で遮り、どこか事務的な口調で報告でもするみたいに用件を淡々と述べた事である。

 だが、国際IS委員会がIS学園理事会宛てに『シルバリオ・ゴスペル』の暴走事故への対処を一任する委任状を送ったなどという話は1度も聞いた事が無く、委員会の連絡官は相手の言った内容を理解するのに少し時間が掛かってしまった。

 しかし、そんな状況下でも直ぐに冷静さを取り戻した彼は胸中に抱く動揺を巧みに隠すと、彼女に対抗するみたいに事務的な口調で委任状のコピーを国際IS委員会の本部宛てに送信してくれるよう頼んだ。

 ちなみに、国際IS委員会とIS学園理事会との間には専用のホットラインが複数設置してあり、安全の確保された(盗聴やハッキング対策の施された)通話や電子メールのやり取り、電子署名といったものが自由に出来る態勢が整っている。

 

「そうでしたか。では、お手数ですが、こちらから送ったという委任状のコピーを今から言うアドレスに送信してもらえませんか?」

「ええ、構いませんよ」

「アドレスは――」

 

 すると、その会話が交わされてから僅か数秒で彼の眼前にあるデスクトップのディスプレイには委員会から送られた事になっている委任状のコピーが表示され、そこに記された委員会幹部の署名が動かぬ証拠となって件の委任状は間違いなく本物だと判断するしかなかった。

 なので、彼は挨拶をするみたいに短い礼の言葉を述べただけで電話を切る。もっとも、相手の方も大して気にはしていなかったのか、同じように抑揚の無い声で必要最低限の言葉を返す。

 

「お忙しい中、どうもありがとうございました」

「いえ、お気になさらず……」

 

 こうして必要最小限の短い通話を終えたところで委員会の連絡官は素早く手元のキーボードを叩き、今度は国際IS委員会側の送信記録を膨大なデータの中から引っ張り出して隅々まで調べ始めた。

 なぜなら、記録の上ではIS学園に送った事になっている委任状を発行できるのは委員会が管理する限られたコンピューターだけで、それ故に送信記録も含めた全ての情報は委員会の管理するサーバー内に証拠として保管されているからだ。

 そして、この一連の行動からも分かるように彼には、そういった内部の事情や記録の類を自分の判断で自由に調査・分析を出来る権限が上層部より与えられている。

 

「やはり、この委任状は本物で間違いないようだな……」

 

 彼は関わりのありそうなデータを徹底的に調べた末に怪訝そうな表情を浮かべて呟くが、その口から発せられた言葉は国際IS委員会が送った委任状は紛れも無い本物だと認めるものだった。

 ただし、いま問題となっている委任状が送信された時刻は幹部メンバーが揃って外部との接触を断ち、文字通り会議室に篭って議論を交わしている真っ最中だったので、ここに示されたデータが事実であれば結論が出る前に委任状が発行されてIS学園に送信された事になる。

 ところが、彼は本件に関する追加の詳細な調査を継続しなかったばかりか、上層部への報告や何らかの記録に残すといった事をしなかった。

 当然、そういった不正を黙認するような行為は委員会に所属する全ての職員が守るべき職務規定の中でも禁止事項として明記されているのだが、今回の調査対象である委任状を発行する権限については国際IS委員会の委員長しか持っておらず、そこには幾つかの特例条項(免責事項)が含まれていた為にあっさりと調査が終了したのだ。

 つまり、委員長が委任状を発行する際の様々な制約を軽減(無効化)する特例条項の中には非常事態下においてのみ有効となるものもあり、誰の目から見ても非常事態だと言える今回のケースでは特例条項の適用に何も問題が無かったからである。

 ちなみに、それ以外に適用が認められている特例条項としては、人道上の問題が発生した際に限って国際的な中立機関(現状では国連とIS学園理事会の2つだけ)に対して実力行使を含む半強制的な介入を一時的に許可する権限がある。

 なので、今回のケースが人道上の問題かどうかは微妙(一応、暴走したISが人口密集地に到達する前に阻止するという大義名分が辛うじて成立する)だったとしても、国際IS委員会によって正式な決定が発表される前に委任状が発行された件に関しては違法性は無い。

 よって後は、委員長が非常事態下における人道上の見地から特例条項を適用したのだと考え、その事さえ報告書に明記すれば送信時刻に関する矛盾も解決すると自身を納得させた。

 もっとも、その委任状を発行して送信までしたのが正式な権限を持つ委員長でないのは事実だったのだが、いつの間にか委員長が特例条項を適用して発行した事が公式記録として各部署への報告書やサーバー内に存在しており、それを見た人間の勝手な思い込みによる間違った解釈もあって真相は永遠に闇の中へと封印されてしまった。

 




今回は原作では事後報告みたいな形で軽くしか触れられていない『福音』の暴走事件を自分なりの解釈で再現してみたのですが、いかがだったでしょうか?
ただ、それ以外に各組織の暗躍や内部事情なども盛り込んだ結果、またしてもテンポが悪く長いエピソードになってしまいましたが……。ですが、これは原作を読んだ時から再現したかったエピソードの1つでもあったので、こうして実現できた事に悔いはありません。
そんな訳で次回は予想通り、原作にもあった『紅椿』が登場するエピソードになります。
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