理性の外側   作:茶葉坊主

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※本作では、登場人物の学年設定を一部調整しています。



学園・大学生編
1.エアグルーヴ/トレセン学園(銀)


 

――――トレセン学園

 

トレーニングコースに、乾いた音が響く。

 

規則的に刻まれるはずのリズムの中で、

ひとつだけ異質な速度があった。

――速い。

 

それだけではない。

呼吸も、歩幅も、整える意志が見えない。

 

調整ではない。

消耗前提の加速。

ただ前へ出ることだけに意識を割いた走り。

 

エアグルーヴは腕を組み、コース外からそれを見ている。

視線の先、先頭を奪い取ったひとりのウマ娘。

名前は知らない。

 

だが、目に留まる。

――それで十分だ。

 

後方を一切振り返らず、

並走を許さないようにコースの中央を占有する。

周囲と呼吸を合わせる気配はない。

 

(連携を取る気がないな。)

 

集団走行の基本を無視している。

本来なら、位置取りや間隔は,

全体の流れの中で調整するものだ。

 

それを切り捨てている。

前に出るためだけに。

 

内側から差し上がろうとしたひとりが、

わずかに進路を失う。

 

接触はない。

だが、足は確実に鈍る。

 

先頭のウマ娘は気づいているはずだ。

しかし、それでも速度は落ちない。

 

(強引だな。)

 

勝つためなら手段を選ばない。

周囲への配慮よりも、結果を優先するタイプ。

 

やがて、先頭のウマ娘がゴールラインを抜ける。

減速が遅い。

余力の配分も考慮していないような止まり方。

荒い呼吸のまま、立ち止まる。

 

周囲の視線も、声も、受け取らない。

誰とも目を合わせず、そのままコースの外へ出ていく。

 

結論は簡単だった。

 

能力はある。

だが、それを制御する意志がない。

組織の中で扱うには、不適切な人材。

 

エアグルーヴは視線を外す。

 

(十分だ。)

 

そう判断して、踵を返す。

 

――その直前。

わずかに、引っかかる。

 

無秩序な加速。

だが、接触だけは避けていた軌道。

無駄を削る走り。

 

(あれは、本当に。)

 

そこまでで思考を止める。

 

名前も知らない相手に、

これ以上の分析は要らない。

 

規律を守らない走りは、いずれ破綻する。

 

それだけの話だ。

 

エアグルーヴは振り返らない。

背後では、まだざわめきが残っていた。

 

 

**********

 

 

放課後の資料室。

 

紙の擦れる音の中で、

断片的な会話が耳に入る。

 

「またやったらしいよ。」

「誰?」

「例の子。ほら――エクリプスセレナ。」

 

名前が出る。

一瞬だけ、思考がそこに触れる。

 

(ああ。)

 

昼間、コースで見た走り。

無理に前へ出る、統制のない加速。

周囲を無視した位置取り。

 

特徴だけが、淡く結びつく。

協調性がない。

扱いづらい。

 

「速いけどさ、やりづらいよね。」

「わかる。ああいうの、困るっていうか。」

 

エアグルーヴはページをめくる。

 

――例外的な個体。

管理の難しい存在。

 

エアグルーヴの思考は次に進んでいく。

 

 

**********

 

 

エアグルーヴが食堂で昼食を取っていると、

どこかの会話が耳に入ってきた。

 

「また勝ったって。」

「え、あのやり方で?」

「正直さ、納得いかなくない?」

「わかる。強引すぎるっていうか。」

 

エアグルーヴは資料に視線を落としたまま、箸を進める。

意識して聞いているわけではないが、遮断するには難しい距離。

 

「ああいうのってさ、ありなの?」

「ルール違反じゃないから何も言えないけど……。」

 

(ルールの範囲内で押し切るタイプか。)

 

規律を逸脱はしない。

だが、最大限に歪めて使う。

 

「でも結果出してるのがまた……。」

「そう、それ。勝ってるんだよね。」

「……だから余計にタチ悪いっていうか。」

 

勝っているから正しい、というわけではない。

過程が歪んでいれば、いずれ綻びる。

結果だけを理由に、方法を肯定するべきではない。

 

「関わりたくはないよね。」

「うん、できれば避けたい。」

 

周囲との軋轢。

孤立傾向。

組織内での運用は困難。

 

エアグルーヴは食事を終えると、

トレイを片付け、席を立つ。

 

背後では、まだ同じ話題が続いている。

 

ただひとつ。

 

「勝っている」という事実だけが、

わずかに残る。

 

それだけだ。

 

 

**********

 

 

エアグルーヴは記録用紙に視線を落としたまま、

ペンを走らせる。

 

器具の金属音と、断続的な会話。

 

「この前さ、完全に潰された。」

「ああ……あの走り?」

「最初から飛ばしてくるやつ。」

「ペースおかしいんだよ。

 あれ付き合ったら持たないって分かってるのにさ。」

「でも無視したら、そのまま先行かれるし。」

 

――ペースの強制。相手に選択を迫る走り。

 

「で、結局全員バラバラになるんだよね。」

「レースになってないっていうか……。」

 

統制を崩すことを前提にした戦法。

個の力でねじ伏せる形。

 

「しかもさ、ギリギリなんだよ。」

「わかる。あれ絶対分かってやってる。」

「接触はしない。でも、避けさせるライン取りするじゃん。」

「そうそう。あれ怖いんだよ。」

 

ルールの範囲内で、相手に回避を強いる。

 

「けど、審判に引っかかるラインは越えないんだよな。」

「そこがまた……。」

 

無秩序ではない。

制御された強引さ。

 

「正直さ、一緒に走りたくない。」

「わかる。あれは……。」

 

結論は出ているが、

言い切りたくはない、という空気。

 

ペースの強制。

ライン取りによる圧力。

接触回避の精度。

 

個人としては成果を出す。

だが、全体の質を落とす可能性が高い。

 

扱いには制限が必要なタイプ。

 

エアグルーヴは席を立ち、

トレーニングルームをあとにする。

 

 

**********

 

 

――昼下がりの廊下

 

ひとの流れが一度途切れた、わずかな静寂。

 

エアグルーヴの視界の端に、その姿が入る。

 

――エクリプスセレナ。

 

少し開けた中庭で、

ベンチに腰掛けるでもなく、

ただ立っている。

 

淡いベージュのショートカット。

光を受けても主張しすぎない色が、

周囲の景色に溶けている。

 

空を見ている。

 

何かを考えている様子もない。

かといって、無為でもない。

ただ、視線だけが上に向けられている。

 

(なにをしている……)

 

視線が引き寄せられる。

 

右耳。

銀のピアスが、光を拾った。

一瞬の反射。

それだけ。

 

意味はないはずの情報が、

妙に鮮明に残る。

 

その瞬間、

セレナが、視線を下ろす。

 

淡い灰色の瞳。

光を受けて、静かに銀を帯びる。

 

合う――数秒。

 

言葉はない。

表情も、ほとんど動かない。

 

「合わせる気はないのか?」

 

エアグルーヴの思考が、

そのまま言葉になる。

 

「必要ない。」

 

そこにある視線は、

評価でも、警戒でもない。

 

期待も、敵意もない。

ただ、見ている。

 

――役割を見ない目。

 

エアグルーヴを“副会長”として見るでもなく、

周囲が与えている評価ごと切り離して、

ただそこにいるひとりとして捉える視線。

 

一瞬だけ、思考が遅れる。

 

(…………っ。)

 

分類ができない。

どの枠にも当てはまらない。

 

それでも――関係のない相手だ。

 

エアグルーヴは視線を外し、

足を止めることもなく、

そのまま中庭を抜ける。

 

ただ、銀の光と、

あの視線だけが、

わずかに引っかかる。

 

意味はない。

 

だが、消えることもない。

 

 

**********

 

 

生徒会室の壁面のモニターに、

レース中継が映し出されている。

 

終盤、隊列は既に崩れていた。

 

「……また、あの走りか。」

 

ナリタブライアンが、腕を組み、

画面を睨むようにし、低く声を落とす。

 

無理やり引き上げられたペース。

後続は食いつくか、切るかを強いられている。

選択の余地を奪う走り。

 

「結果は出ている。」

 

静かに事実を落とすのは、シンボリルドルフ。

 

ゴールが近づく。

先頭は揺れない。

他は、続かない。

 

そのまま――、

一着で、抜けた。

 

歓声が遅れて波のように広がる。

 

画面の中、

セレナは減速しきらない足で数歩先へ出る。

 

肩が上下している。

それでも、顔は上がる。

 

――空。

 

観客でも、結果でもなく、

ただ上を見ている。

 

表情は変わらない。

 

勝者の顔ではない。

誇示も、余韻もない。

 

ただ、見上げている。

 

右耳。

 

銀のピアスが、きらりと反射する。

 

エアグルーヴの思考が、

一瞬だけ止まる。

 

中庭の光景、あの時の光。

同じ位置。

同じ反射。

 

「……随分と、分かりやすい。

 勝つためなら、何でもやる。」

 

否定も、肯定もなく、ブライアンが言葉を落とす。

 

ルドルフが続ける。

 

「だが、ルールの範囲内で結果を出している以上、

 咎める理由はない。」

 

エアグルーヴは視線を外さない。

画面の中の姿。

 

空を見上げる、それだけの時間。

 

ふと、重なる

――役割を見ない目。

 

副会長としてでも、勝者としてでもない。

あの時と同じ。

何も乗せないままの視線。

 

(……違う。)

 

切る。

関連づける必要はない。

 

「戦術としては有効だ。だが、統制には向かない。」

 

エアグルーヴは、断定する。

 

ルドルフはわずかに頷く。

 

「そうだね。」

 

画面では、まだ歓声が続いている。

セレナは、ようやく視線を下ろす。

 

誰とも目を合わせない。

そのまま、歩き出す。

 

(……関係ない)

 

エアグルーヴはモニターから視線を外す。

 

ただ、ほんのわずかに残る、銀の“光”。

空を見上げる姿。

 

そして――分類できない、あの視線。

 

意味はない。

なにも、変わらない。

 

それでも、消えることはなかった。

 

 

**********

 

 

あのレースから数日後。

報告書は簡潔だった。

 

エクリプスセレナの自主退学。

理由――「走る理由がなくなった」。

 

それだけ。

 

ブライアンが紙を見下ろす。

 

「……随分と、あっさりしているな。

 結果を出しておいて、これか。」

 

評価とも呆れともつかない声音。

 

エアグルーヴは書面から目を離さない。

 

不備はない。

形式も整っている。

手続きとしては、問題ない。

 

「引き止めは?」

 

静かに問うのはルドルフ。

 

「本人の意思が明確であれば、強制はできない。」

 

答えるエアグルーヴ。

 

「……そうか。」

 

沈黙が落ちる。

 

紙の上の文字は、変わらない。

 

ブライアンが問う。

 

「どこに行った?」

「不明だ。」

 

エアグルーヴが、間を置かずに答える。

 

「……そうかよ。」

 

追跡の必要性もない。

既に学園の管理下にはない。

 

ブライアンは、

興味を失ったように椅子に背を預ける。

 

ルドルフは、報告書を閉じた。

 

「記録には残る。だが、それだけだ。」

 

肯定も否定もない。

ただの事実。

 

エアグルーヴは頷く。

それで十分だ。

 

書類を整える。

これで終わりだ。

 

そのはずだった。

 

ふと、映像が過る。

――空を見上げる姿。

 

歓声の中で、

ただ見ていた、その姿。

 

――役割を見ない目。

 

中庭。

数秒の視線。

分類できない感覚。

 

思考が一瞬だけ止まる。

 

だが――。

 

「以上で、本件は終了とする。」

 

事務的に区切る。

 

ルドルフが静かに頷く。

ブライアンは何も言わない。

 

それで終わる。

 

――終わったはずだった。

 

セレナの行き先は、誰も知らない。

 

記録には残る。

 

だが、それだけだ。

――残らない。

 

……はずだった。

 

ただ、理由のない空白だけが、

どこにも収まらないまま、残る。

 

 

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