理性の外側   作:茶葉坊主

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16.エアグルーヴ/足りなかったもの

 

朝。

 

デスクに資料が積まれている。

 

モニターには進行表。

修正履歴。

未処理の確認項目。

 

エアグルーヴは視線を流しながら、順に整理していく。

 

手は止まらない。

判断も早い。

 

「この数値、更新入ってます。」

 

後ろから声が飛ぶ。

エアグルーヴは画面を確認する。

 

「反映は?」

「今やってます。」

「終わったら共有しろ。」

「了解です。」

 

 

別部署から連絡が入る。

 

会議時間の変更。

先方資料の差し替え。

確認事項が二件追加。

 

エアグルーヴは内容を見て、

即座に優先順を組み替える。

 

「午前の会議、10分、後ろにずらせるか?」

「大丈夫ですか?」

「問題ない。先に数字を固める。」

 

返答は迷わない。

 

 

昼前。

会議室。

 

意見が割れる。

 

「このラインだとリスク高くないですか?」

「逆に絞りすぎると動けなくならない?」

 

エアグルーヴは資料へ目を落としたまま言う。

 

「切る位置を変える。ここまでは維持。

その代わり、後半の承認を簡略化する。」

「……それなら行けるか。」

「調整できます。」

 

空気が動く。

話が進み始める。

 

 

************

 

 

昼過ぎ。

 

デスクに戻る途中、若手社員が足早に近づいてくる。

 

「エアグルーヴさん、少しいいですか?」

「どうした。」

「判断が割れていて……。どちらを優先するべきか迷っています。」

 

資料を受け取る。

エアグルーヴは数ページめくる。

視線だけが動く。

 

「こっちだ。」

「理由を聞いても?」

「こっちは後で修正できる。だが、もう一方は今しか動かせない。」

 

若手社員は何度も頷く。

 

「わかりました。ありがとうございます!」

 

エアグルーヴは駆けていく背中を見送る。

 

迷いはなかった。

それが、いつもの自分だった。

 

 

午後。

 

廊下を歩く。

すれ違う社員が自然に道を空ける。

 

「エアグルーヴさん、さっきの件ありがとうございました。」

「結果が出てから言え。」

 

声音は硬くない。

相手が苦笑する。

 

「厳しいなぁ。」

 

そのまま空気が流れる。

 

 

デスクへ戻る。

画面へ視線を向ける。

動きは変わらない。

 

仕事は進む。

いつも通りに。

 

だが、ふと手が止まる。

ほんの一瞬。

 

すぐに画面へ戻る。

思考も戻る。

 

それでも、前と同じ形では、整理できなくなっていた。

 

 

************

 

 

夜。

 

仕事終わり。

落ち着いた店内。

 

テーブルには、軽く料理が並んでいる。

 

ルドルフがグラスを置く。

 

「珍しいね。君から時間を取るなんて。」

 

エアグルーヴは、息をゆるく落とす。

 

「たまには、こういうこともある。」

 

向かいで、ブライアンが淡々と食事を進めている。

 

スズカは柔らかく笑った。

 

「でも、少し久しぶりかも。」

「最近ずっと忙しかったからね。」

 

ルドルフが返す。

 

しばらくは他愛ない話が続く。

 

そこに、追加の料理が運ばれてくる。

 

「……肉ばかりだな。」

「構わないさ、文句はないよ。」

「ふふっ。相変わらず、よく食べるね。」

「腹は減る。」

 

ブライアンは、早速料理に手を付ける。

 

小さく笑いが広がる。

 

仕事のこと。

最近の案件。

学園時代の知人が独立した話。

 

ブライアンが、ふと顔を上げる。

 

「ジェンティル、また会社広げたらしいな。」

「うん。先月も新規を通していたよ。」

 

ルドルフが頷く。

スズカが小さく笑う。

 

「相変わらず速いね。」

「止まる気がないんだろう。」

 

エアグルーヴが短く返す。

 

空気は穏やかだった。

 

やがて、ルドルフがエアグルーヴに視線を向ける。

 

「少し、顔が変わったかな?」

「そうか?」

「以前より、考え込んでいるようにみえる。」

 

ブライアンが横から入る。

 

「……増えたかもな。」

 

スズカはエアグルーヴを見る。

 

「何かあった?」

 

エアグルーヴは、グラスへ視線を落とす。

 

「……ひとつ、整理しきれなくなった。」

 

ぽつりと落とす。

 

「今までは、曖昧にしなければ問題ないと思っていた。

 誠実に向き合う。線を引く。必要以上を残さない。

 それで十分だと考えていた。」

 

ルドルフは静かに聞いている。

ブライアンは何も挟まない。

スズカだけが、少し目を細める。

 

「だが、それだけでは足りない場合がある。」

 

呼吸がひとつ落ちる。

 

「相手が望んだことでも、自分が応じた以上、そこには責任が残る。」

 

静かな声だった。

感情的ではない。

 

だからこそ、重い。

 

静けさが落ちる。

 

やがて、ルドルフが静かに口を開く。

 

「君らしいな。」

 

エアグルーヴが視線を向ける。

ルドルフは続ける。

 

「曖昧にしないことを、ずっと大切にしてきた。

 だからこそ、今回のことが残っているんだろう。」

 

ブライアンが低く告げる。

 

「間違ってたとは思わないがな。

 少なくとも、逃げてはいないだろ。」

 

スズカが柔らかく笑う。

 

「ちゃんと向き合われると、安心しちゃうひともいるから。

 きっとそのひとも、エアグルーヴといる時間が好きだったんだと思うよ。」

 

エアグルーヴは、顔を静かに伏せる。

 

「……待たせた。」

 

誰も意味を尋ねない。

尋ねなくても、それが後悔から零れた言葉だということだけは伝わっていた。

 

ブライアンが皿を押しやる。

 

「冷めるぞ。」

「……お前はいつもそれだな。」

「せっかくあるんだから食え。」

 

エアグルーヴの表情が緩む。

スズカが笑う。

ルドルフも口元を緩めた。

 

空気が少しだけほどける。

 

その時間の中で、エアグルーヴは思う。

 

答えはまだ出ていない。

 

だが、同じ場所には、もう戻れなかった。

 

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