朝。
デスクに資料が積まれている。
モニターには進行表。
修正履歴。
未処理の確認項目。
エアグルーヴは視線を流しながら、順に整理していく。
手は止まらない。
判断も早い。
「この数値、更新入ってます。」
後ろから声が飛ぶ。
エアグルーヴは画面を確認する。
「反映は?」
「今やってます。」
「終わったら共有しろ。」
「了解です。」
別部署から連絡が入る。
会議時間の変更。
先方資料の差し替え。
確認事項が二件追加。
エアグルーヴは内容を見て、
即座に優先順を組み替える。
「午前の会議、10分、後ろにずらせるか?」
「大丈夫ですか?」
「問題ない。先に数字を固める。」
返答は迷わない。
昼前。
会議室。
意見が割れる。
「このラインだとリスク高くないですか?」
「逆に絞りすぎると動けなくならない?」
エアグルーヴは資料へ目を落としたまま言う。
「切る位置を変える。ここまでは維持。
その代わり、後半の承認を簡略化する。」
「……それなら行けるか。」
「調整できます。」
空気が動く。
話が進み始める。
************
昼過ぎ。
デスクに戻る途中、若手社員が足早に近づいてくる。
「エアグルーヴさん、少しいいですか?」
「どうした。」
「判断が割れていて……。どちらを優先するべきか迷っています。」
資料を受け取る。
エアグルーヴは数ページめくる。
視線だけが動く。
「こっちだ。」
「理由を聞いても?」
「こっちは後で修正できる。だが、もう一方は今しか動かせない。」
若手社員は何度も頷く。
「わかりました。ありがとうございます!」
エアグルーヴは駆けていく背中を見送る。
迷いはなかった。
それが、いつもの自分だった。
午後。
廊下を歩く。
すれ違う社員が自然に道を空ける。
「エアグルーヴさん、さっきの件ありがとうございました。」
「結果が出てから言え。」
声音は硬くない。
相手が苦笑する。
「厳しいなぁ。」
そのまま空気が流れる。
デスクへ戻る。
画面へ視線を向ける。
動きは変わらない。
仕事は進む。
いつも通りに。
だが、ふと手が止まる。
ほんの一瞬。
すぐに画面へ戻る。
思考も戻る。
それでも、前と同じ形では、整理できなくなっていた。
************
夜。
仕事終わり。
落ち着いた店内。
テーブルには、軽く料理が並んでいる。
ルドルフがグラスを置く。
「珍しいね。君から時間を取るなんて。」
エアグルーヴは、息をゆるく落とす。
「たまには、こういうこともある。」
向かいで、ブライアンが淡々と食事を進めている。
スズカは柔らかく笑った。
「でも、少し久しぶりかも。」
「最近ずっと忙しかったからね。」
ルドルフが返す。
しばらくは他愛ない話が続く。
そこに、追加の料理が運ばれてくる。
「……肉ばかりだな。」
「構わないさ、文句はないよ。」
「ふふっ。相変わらず、よく食べるね。」
「腹は減る。」
ブライアンは、早速料理に手を付ける。
小さく笑いが広がる。
仕事のこと。
最近の案件。
学園時代の知人が独立した話。
ブライアンが、ふと顔を上げる。
「ジェンティル、また会社広げたらしいな。」
「うん。先月も新規を通していたよ。」
ルドルフが頷く。
スズカが小さく笑う。
「相変わらず速いね。」
「止まる気がないんだろう。」
エアグルーヴが短く返す。
空気は穏やかだった。
やがて、ルドルフがエアグルーヴに視線を向ける。
「少し、顔が変わったかな?」
「そうか?」
「以前より、考え込んでいるようにみえる。」
ブライアンが横から入る。
「……増えたかもな。」
スズカはエアグルーヴを見る。
「何かあった?」
エアグルーヴは、グラスへ視線を落とす。
「……ひとつ、整理しきれなくなった。」
ぽつりと落とす。
「今までは、曖昧にしなければ問題ないと思っていた。
誠実に向き合う。線を引く。必要以上を残さない。
それで十分だと考えていた。」
ルドルフは静かに聞いている。
ブライアンは何も挟まない。
スズカだけが、少し目を細める。
「だが、それだけでは足りない場合がある。」
呼吸がひとつ落ちる。
「相手が望んだことでも、自分が応じた以上、そこには責任が残る。」
静かな声だった。
感情的ではない。
だからこそ、重い。
静けさが落ちる。
やがて、ルドルフが静かに口を開く。
「君らしいな。」
エアグルーヴが視線を向ける。
ルドルフは続ける。
「曖昧にしないことを、ずっと大切にしてきた。
だからこそ、今回のことが残っているんだろう。」
ブライアンが低く告げる。
「間違ってたとは思わないがな。
少なくとも、逃げてはいないだろ。」
スズカが柔らかく笑う。
「ちゃんと向き合われると、安心しちゃうひともいるから。
きっとそのひとも、エアグルーヴといる時間が好きだったんだと思うよ。」
エアグルーヴは、顔を静かに伏せる。
「……待たせた。」
誰も意味を尋ねない。
尋ねなくても、それが後悔から零れた言葉だということだけは伝わっていた。
ブライアンが皿を押しやる。
「冷めるぞ。」
「……お前はいつもそれだな。」
「せっかくあるんだから食え。」
エアグルーヴの表情が緩む。
スズカが笑う。
ルドルフも口元を緩めた。
空気が少しだけほどける。
その時間の中で、エアグルーヴは思う。
答えはまだ出ていない。
だが、同じ場所には、もう戻れなかった。