理性の外側   作:茶葉坊主

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5.エアグルーヴ/大学生(自覚未満)

 

休日の街は、

どこか浮ついた空気をまとっていた。

 

その中を、エアグルーヴは歩いている。

隣には、今の恋人。

 

腕を引かれる。

 

「こっち、気になってたんだよ。」

 

視線の先。

路地に入った小さな店。

 

距離が近い。

動きに迷いがない。

 

「……少し近いな。」

「嫌か?」

「……いや、問題ない。」

 

(前とは違う)

 

先に、その認識が浮かぶ。

 

以前の関係は、静かで、一定だった。

整っていて、崩れない関係。

 

今は違う。

 

引かれる。

寄せられる。

判断が速い。

 

(……このほうが、自然なのかもしれないな)

 

意識の底で、比較が走る。

 

店の中は雑多だった。

だが、どこか温度がある。

 

恋人は迷わず奥へ進む。

 

エアグルーヴは、

半歩だけ遅れてついていく。

 

「これ、見てみろよ。」

 

小さなガラス細工。

 

「どうだ?」

「……整っているな。」

「いや、そうじゃなくて。好きかどうか。」

 

その問いに、

思考が一瞬止まる。

 

(好き、か)

 

「……悪くはない、と思う。」

 

恋人は少し笑う。

 

「そういう言い方、するよな。」

 

否定ではない。

ただ、受け取り方が違う。

 

エアグルーヴはそれ以上言わない。

 

 

店を出る。

 

再び、ひとの流れに戻ると、

自然と距離が詰まる。

 

「なあ。エアグルーヴってさ、考えるの速いよな。」

「……そう見えるか。」

「いい意味でな。」

 

軽く笑う。

 

「でも、たまに分かんねえときある。」

 

その言葉に、エアグルーヴは反応しない。

 

(分からない)

 

そのまま、言葉だけが残る。

 

「ま、いいか。」

 

相手は踏み込まない。

 

関係は、問題なく進んでいる。

少なくとも、表面上は。

 

 

**********

 

 

夜。

恋人の部屋。

 

ソファに座る距離は、

昼よりも近い。

 

腕を引かれる。

抵抗はしない。

 

そのまま、距離が詰まる。

 

視線が合う。

迷いはない。

 

エアグルーヴは逸らさない。

そのまま受け取る。

 

唇が触れる。

 

前よりも、深い。

 

それは明確に認識できる。

 

だが――

 

(……何かが違う)

 

思考が、一瞬だけ遅れる。

 

温度はある。

距離も近い。

接触も、十分だ。

 

それでも、

そのどれとも一致しない。

 

(……どこだ)

 

確かめようとする。

 

流れは途切れない。

関係としても成立している。

 

「よかったか?」

 

一拍遅れて、

言葉を受け取る。

 

「……ああ。」

 

嘘ではない。

不快でもない。

 

ただ――

 

(………足りていない気がする)

 

その認識だけが残る。

 

 

**********

 

 

帰宅後。

 

部屋は静かだった。

だが、思考は止まらない。

 

(……違う)

 

同じ言葉が、繰り返される。

 

前の関係。

今の関係。

 

比較はできる。

 

前は、静かだった。

今は、動きがある。

 

前は、一定だった。

今は、変化がある。

 

(改善されているとは言える)

 

そう判断できる。

 

それでも――

 

どこかで止まる。

 

会話の途中。

触れられた直後。

視線が合った瞬間。

 

必ず、一拍遅れる。

 

(……なぜだ)

 

原因が特定できない。

 

相手か。

 

(……違う)

 

誠実で、一貫している。

関係としても、

むしろ前より整っている。

 

「……足りない、のかもしれないな。」

 

小さく言葉にする。

 

断定はできない。

だが、否定もできない。

 

(何が)

 

そこだけが、形にならない。

 

「……問題はない…はずだ。」

 

関係は成立している。

継続も可能だ。

 

だが、その結論が、終わりにならない。

 

 

**********

 

 

ある日の講義の帰り道。

 

「このあと、時間ある?」

「ああ、ある。」

「じゃあ、少し寄るか。」

「…ああ。」

 

(前と……似ているな)

 

状況は違う。

相手も違う。

 

それなのに、内側の処理が同じ位置で止まる。

 

(再現している)

 

違和感は偶然ではない。

条件を変えても、発生する。

 

(……なら)

 

外部ではない。

相手でも、状況でもない。

 

(……私側の可能性がある、か)

 

初めて、その位置に触れる。

しかし、まだ確定ではない。

 

隣で、恋人が話している。

エアグルーヴは応じる。

 

その奥で――

 

(……やはり、足りていない)

 

その感覚が消えない。

 

 

別れ際。

 

「またな。」

「ああ。」

 

軽く手を上げる。

同じように返す。

 

背を向けて、歩き出す。

数歩進んで――

 

(……このままでいいのか)

 

初めて、形を持った疑問になる。

 

これまでは違和感だった。

今は、問いに変わっている。

 

(……分からない)

 

それが正直な答え。

 

(分からないまま、続けるのか)

 

次の問いが出る。

 

即答はできない。

だが、放置もできない。

 

ここで、初めて理解する。

これは「問題がない」で終わらせられる種類ではない、と。

 

 

**********

 

 

部屋の空気は、静かに落ち着いている。

距離は近い。

 

「……なんかさ。こういうの、嫌じゃないんだろ?」

「……嫌ではない。」

「だよな。」

 

恋人は少し笑う。

 

「でもさ……、それだけって感じもする。」

「………それだけ、とは?」

「嫌じゃない、で止まってる感じ。

 良いとも、欲しいとも違う。

 ……うまく言えねえけど。」

 

曖昧な言葉。

否定はできない。

 

「……そう見えるか。」

「ああ。」

 

責める調子ではない。

 

「こっちは、もっと分かりやすく出てると思うんだよな。」

 

(温度)

(欲求)

 

理解はできる。

だが、同じ形では持っていない。

 

「……理解している、つもりだ。」

 

そう答えるしかない。

 

しばらくの沈黙。

 

「別に、それが悪いってわけじゃない。

 でも、……噛み合ってない感じはある。

 一緒にいるのに、どこかでひとりで終わってる感じ。」

 

その言葉で、内部の認識が繋がる。

 

(自分の中で、終わらせている)

 

整理して、完結させてしまう。

それは、以前から変わらない。

 

「……そうか。」

「自覚あるか?」

「ある程度は。」

「そっか……。

 …もう少し、引っ張れると思ってたんだけどな。」

 

(変化)

(揺れ)

 

それを求めている。

 

「……言っていることは理解できる。」

「だろ?」

「……ただ、すぐには変わらないな。」

 

男は小さく苦笑する。

 

「はっきり言うな。」

「……すまない。」

 

エアグルーヴは考える。

 

(このまま続けることは可能か)

 

可能だ。

成立もする。

 

けれど――

 

(それでいいのか)

 

止まらない。

 

(……足りていない)

 

その認識が、すでにある。

そして、それは相手にも共有されている。

 

誤差ではない。

偶発でもない。

 

「……ひとつ、確認したい。」

「ん?」

「このまま続ける場合、私に何を求める?」

「…変わること、かな?」

「変わる?」

「もっと分かりやすくなるとか。

 ……俺の方に寄るとか。」

 

(……それは、難しいな)

 

かなり確信に近い。

 

「……それは、すぐには難しい。」

「だろうな……。

 じゃあ、終わるか、続けるか、どっちがいいと思う?」

 

エアグルーヴは判断する。

 

「……終わらせる方が、適切だと思う。」

「理由は?」

「…このままでは、満たされない可能性が高い。

 改善の見込みも、現時点では低い。

 その状態で続けるのは、あまり誠実ではない。」

「……やっぱそうなるか。」

 

納得に近い声。

 

「嫌いになったわけじゃないよな?」

「……違う。」

「なら、まあ……仕方ないか。」

 

恋人は軽く笑う。

 

「俺も、なんとなく分かってた。

 どこまで行っても、同じ感じだなって。」

「……ああ。」

「でも、確認したかった。」

 

(確認)

 

「……そうか。」

「じゃあ、終わりにしようか。」

「……ああ。」

「悪くはなかったよ。」

「……ああ。」

 

ドアが閉まる。

音は小さい。

 

部屋に、静けさが戻る。

 

(終わった)

 

事実として処理される。

感情の波はない。

 

ただ――

 

(……やはり、足りていない)

 

その感覚だけは残る。

むしろ、前よりも明確に。

 

誤差ではない。

一時的なものでもない。

 

視線を落とす。

 

言葉にはできないまま、

理解だけが進む。

 

(……相手の問題ではない可能性が高い)

 

自然と、そう切り分けられる。

 

どこを変えても、

同じ位置で止まる。

 

結論は、ほぼ固まりかけている。

 

それでも。

 

「……なら。何が、足りていない。」

 

問いだけが残る。

 

今度は、逃がせない形で。

 

 

**********

 

 

講義棟から少し離れた空き教室。

 

ルドルフとブライアンは、

先に席についていた。

 

エアグルーヴは遅れて入る。

 

ドアを閉めて、

少しだけ間を置いてから向かいに座る。

 

ルドルフが静かに言う。

 

「終わったのかい?」

「……ああ。」

 

エアグルーヴの短い返答。

いつもよりわずかに間がある。

 

ブライアンが腕を組んだまま、

視線だけを向ける。

 

「二人目だな。」

「……そうなる。」

 

少しの沈黙。

 

ルドルフは急かさない。

ただ、次の言葉を待つ。

 

「……今回も、成立はしていた。

 関係としては、問題はなかった。

 相手にも、特に欠点はない。

 ……それでも、」

 

わずかに詰まる。

 

ブライアンの視線が細くなる。

 

「続かなかった。」

「……ああ。」

 

エアグルーヴは、息を吐く。

 

「……前よりは、踏み込んだつもりだった。

 距離も、取り方も変えた。

 相手のやり方に合わせることも、試した。」

 

言葉を続けるが、

どこか整いきらない。

 

「……だが、……同じところで、止まる。」

 

今度は、はっきりと言った。

 

ルドルフが静かに問う。

 

「“同じところ”とは?」

「……うまく言えない。」

 

エアグルーヴの視線が、わずかに揺れる。

 

それは珍しい返答だった。

 

「言ってみろ。」

 

ブライアンが言う。

 

強い言い方ではない。

しかし、逃がさない響き。

 

エアグルーヴは、少しだけ眉を寄せる。

 

小さく言葉が落ちる。

 

「……足りない。」

「何が?」

「……それが、分からない。」

 

ルドルフは、そのまま受け止める。

ブライアンは、少しだけ顎を引く。

 

エアグルーヴは続ける。

 

「嫌ではない。むしろ……悪くない、と思う。

 一緒にいること自体は、成立している。

 だが、その先が……続かない。

 そこで、止まる。」

 

ルドルフが静かに言う。

 

「繰り返している、という自覚はあるかい?」

「……ある。条件を変えても、結果が同じになる。」

 

ブライアンが言う。

 

「なら、原因は外じゃない。」

「……ああ。」

 

分かっている。

けれど、それで終わらない。

 

エアグルーヴは、視線を上げる。

 

「……分かっている。

 分かってはいる。だが――。

 ………どうすればいい。」

 

ぽつりと漏れる。

 

ルドルフは、静かに重ねる。

 

「君は、どうしたい?」

 

エアグルーヴは、そこで止まる。

考える。

 

今回は整理が追いつかない。

 

「……分からない。」

 

正直な言葉だった。

 

ブライアンが口を開く。

 

「それでも続けるのか?」

「……続けるつもりだ。やめる理由には、ならない。

 まだ、途中だ。」

 

エアグルーヴの言葉には、

わずかな意地が混じる。

 

ルドルフは否定しない。

 

「そうか…。

 しかし、同じやり方を繰り返しても、同じ結果になる。」

「……分かっている。」

 

ブライアンが言う。

 

「なら、変えろ。」

「どこを。」

「それを探せ。」

 

エアグルーヴは、黙る。

 

簡単ではない。

 

「……ああ。」

 

三人の間に、静かな空気が戻る。

 

結論は出ていない。

だが、止まってもいない。

 

エアグルーヴは、机の上に置いた手を握る。

 

(……同じところで止まる)

 

その感覚だけが、まだ残っている。

消えない。

 

だが、それでも。

 

「………試す。」

 

小さく、呟く。

 

それは確認ではなく、選択だった。

 

 

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