理性の外側   作:茶葉坊主

6 / 7
6.エアグルーヴ/大学生(揺らぎ)

 

その日の空気は、軽かった。

 

新しい関係。

新しい距離。

 

人の流れの中を、

エアグルーヴは歩いている。

 

(……条件は変えている)

 

今回は、分かっている。

前と同じにはしない。

 

距離は急がない。

言葉は抑える。

押しつけない。

踏み込みすぎない。

 

(……これなら)

 

思考の途中で、わずかに間が入る。

 

(違う可能性もある)

 

その前提を、切らない。

 

「エアグルーヴ。」

 

呼ばれて、振り返る。

恋人が、軽く手を上げている。

 

距離を詰めてこない。

歩幅も、合わせてくる。

 

「今、時間ある?」

「……ある。」

 

わずかに遅れる。

自分でもわかる程度の差。

 

それでも、問題はない。

 

並んで歩く。

 

沈黙は続くが、重くはない。

無理に埋める必要もない。

 

(……楽だな)

 

素直に、そう思う。

 

前よりも、余計な調整がいらない。

 

「どこか入る?」

「そうだな。」

 

自然に決まる。

 

 

**********

 

 

カフェに入る。

席につき、メニューを見る。

 

「何にする?」

「…これで。」

「じゃあ、俺もそれにする。」

 

同じものを選ぶ。

 

(……揃う)

 

そのことに、少しだけ安心する。

 

飲み物が来る。

 

相手は一口飲んで、やわらかく笑う。

 

「こういう時間、いいよな。」

 

エアグルーヴはカップを持つ。

わずかに考える。

 

「……ああ。」

 

今回は、選んでいる。

 

同意ではなく、“合わせる”という選択。

 

相手の表情が、すこし緩む。

 

(……悪くない)

 

ちゃんと、通っている。

やり取りは、嚙み合っている。

 

(これなら)

 

今度は、と思う。

 

「この前のレポート、どうだった?」

「問題はない。」

「さすがだな。」

 

軽い笑い。

自然に続く会話。

 

滞りはない。

 

(ちゃんと、進んでいる)

 

そう確認する。

 

――そのとき。

 

ふと、止まる。

 

理由はない。

流れも崩れていない。

 

それでも。

 

(……)

 

一拍、遅れる。

 

エアグルーヴはカップを置く。

小さな音。

 

相手は気づかない。

 

(……違う)

 

その言葉が、浮かびかける。

 

「どうした?」

「……いや。」

 

首を振る。

 

(……まだだ。もう少し見れば、変わるかもしれない)

 

自分に、そう言い聞かせる。

 

 

店を出て、再び並ぶ。

 

距離は適切。

歩幅も揃う。

 

接触はない。

無理もない。

 

(前とは違う)

 

それは事実だ。

 

だが――

 

(……同じか?)

 

疑問が、形を変えて戻ってくる。

 

(まだ早い)

 

否定はできない。

だが、確定もできない。

 

その状態のまま、時間は進んでいく。

 

 

**********

 

 

数日後。

図書館。

 

向かい合って座り、作業を進める。

 

紙をめくる音だけがある。

 

「ここ、どう思う?」

「構成はいい。たが、この部分は削った方がいい。冗長だ。」

「なるほど。」

 

素直に頷く。

修正する。

 

その流れが、

自然に続く。

 

(……いい状態だ)

 

作業も、会話も、距離も。

整っている。

 

「……ありがとう。」

 

顔を上げると、相手は柔らかく笑っている。

 

その表情。

その瞬間。

 

また、止まる。

 

(……あ)

 

今度は明確だった。

 

(同じだ)

 

エアグルーヴは視線を落とす。

 

「……問題はない。」

 

間違ってはいない。

 

だが、その言葉がどこか薄いことも分かる。

 

それ以上が、続かない。

 

相手は何も言わない。

わずかな間が空く。

 

その間に。

 

(……やはり)

 

そう、思ってしまう。

 

条件は変えた。

距離も変えた。

やり方も変えた。

 

それでも。

 

同じところで止まる。

 

(……なぜだ)

 

初めて、思考に熱が混じる。

 

(まだ足りないのか)

 

何を変える。

何を足す。

 

答えは出ない。

 

 

**********

 

 

帰り道、並んで歩く。

夕方の風が、少し冷たい。

 

相手が、口を開く。

 

「あの……さ。」

「なんだ?」

「……最近、ちょっと思うことがあって。」

 

エアグルーヴは何も言わずに待つ。

 

「ちゃんと向き合ってくれてるのは、分かる。

 でも……」

 

視線が落ちる。

 

「一緒にいても、なんていうか……。

 残らないんだ。」

 

エアグルーヴの視線が、わずかに動く。

 

「残らない?」

「うん。」

 

相手は、少しだけ考えてから言い直す。

 

「その場では問題ないんだ。

 会話も、時間も、全部ちゃんとしてる。

 でも、離れたあとに……残らない。」

 

静かな声。

 

「大事にされてないとかじゃない。

 むしろ逆で、ちゃんと分かるから、余計に変なんだ。

 うまく言えないけど……。

 触れてるのに、触れきってない感じがする。」

 

その言葉で。

 

エアグルーヴの中の認識が、揺れる。

 

(違う。そんなことはない)

 

反射的に否定する。

 

ちゃんと向き合っている。

手を抜いたことはない。

 

応答も、判断も、誠実に返している。

事実として、崩れていない。

 

だから――

 

「……そうは思わない。」

 

初めて、明確に否定する。

 

「……うん。

 そう思ってるのは分かる。

 でも、俺はそう感じてる。」

 

事実として、置かれる。

 

エアグルーヴは、言葉を失う。

 

(……なら)

 

どこが違う。

何が足りない。

 

思考が走る。

 

――そして重なる。

 

(残らない)

 

その感覚は、自分の中にもあった。

 

(……確かに)

 

残っていない。

否定できない。

 

エアグルーヴは息を吐く。

すぐには、認めない。

 

(違うはずだ)

 

だが、言葉が出ない。

否定する根拠が、ない。

 

「……すまない。

 私には……わからない。」

 

わずかに揺れる声。

 

相手は目を細める。

 

「……そっか。」

 

それ以上、踏み込まない。

 

エアグルーヴは、視線を落としたまま。

 

崩れてはいない。

だが、揺れている。

 

言葉を探す。

 

「……それでも、まだ、続けたい。」

 

終わらせる理由は、まだ足りない。

その中間。

 

相手は、少しだけ驚いた顔をしてから、

小さく笑う。

 

「……分かった。じゃあ、もう少しだけ。」

 

その言葉に、エアグルーヴはわずかにだけ頷いた。

 

 

関係は続いた。

 

終わらせる理由は、まだ不足している。

 

少なくとも、

エアグルーヴにとっては。

 

日常は繰り返される。

だが、二人ともに理解している。

 

(残らない)

 

その事実が消えない。

 

(問題はない。だが、足りない)

 

その認識も、消えない。

 

ふたつが並んだまま、進む。

 

 

**********

 

 

ある日。

公園のベンチに並んで座る。

 

特別な日ではない。

いつもと同じ時間。

 

恋人が言う。

 

「……やっぱり、変わらないな。」

 

静かな確認。

エアグルーヴも理解している。

 

(変わっていない)

 

試した。

変えた。

続けた。

 

それでも――

 

同じ結果になる。

 

「……そうだな。」

 

短く認める。

 

相手は頷き、息を吐く。

 

「うん。俺もさ、考えたんだよ。

 このままでも、続けられると思う。

 でも、それって……。

 “いい状態”じゃないよな。」

 

エアグルーヴは答えない。

 

(継続は可能だ)

 

それは、事実。

しかし、次の言葉が続かない。

 

答えは、すでにある。

ゆっくりと目を閉じ、開く。

 

「……まだ、可能性は、あると思っていた。」

 

初めて、

“思っていた”と過去形になる。

 

「うん。俺も、少しは思ってた。

 でもさ、もう十分試したと思う。」

 

その言葉で、線が引かれる。

 

エアグルーヴは、視線を落とす。

 

(……終わりか)

 

その言葉が、自然に浮かぶ。

だが、すぐに言葉が出ない。

 

何かが引っ掛かっている。

 

しかし、それが、

“未練”ではないことも分かっている。

 

(足りないままだ)

 

変わっていない。

これ以上続けても、同じだ。

 

「……そうだな。ここで終わらせるのが、適切だ。」

 

わずかに遅れて言葉が出る。

 

「やっぱり、そうなるよな。」

 

納得に近い声。

相手は続ける。

 

「悪かったな。」

「何がだ。」

「うまくいかなかったこと。」

「…違う。」

 

エアグルーヴは首を振り、はっきりと否定する。

 

「どちらかの問題ではない。……合わなかった。」

 

初めて、その言葉を使う。

 

「ああ、そうだな。」

 

それ以上、何も足さない。

 

二人の間にあったものは、壊れていない。

 

ただ、揃わなかった。

それだけだ。

 

 

別れたあと。

 

(……同じだ)

 

確認する。

 

条件を変えても、結果は同じ。

偶然ではない。

 

(……なら)

 

次に進むしかない。

まだ足りない。

 

何がかは、分からない。

 

だが、それだけは確かだった。

 

 

**********

 

 

大学の昼休み。

 

中庭のベンチで、数人で座っている。

その中に、エアグルーヴとスズカがいた。

 

「でさ、その教授マジでさ――」

 

他愛ない話が続く。

講義、課題、バイト、週末の予定。

 

その流れの中で、ふと話題が変わる。

 

「そういえばさ。」

 

ひとりが、思い出したように言う。

 

「エアグルーヴ、最近どうなの?」

「何がだ?」

「ほら、恋人。」

 

一瞬だけ、間が空く。

隠す理由はない。

 

「…いない。」

 

さらりと答える。

 

「え、マジで!?」

「別れたの?」

「ああ。」

 

驚きと、少しのざわめき。

 

「えー!もったいなー!」

「結構いい人じゃなかった?」

「めっちゃちゃんとしてたよね?」

 

重なる声。

 

「……ああ。」

 

短く返す。

否定はしない。

 

「じゃあなんで別れたの?」

 

軽い質問。

深掘りする意図はない。

 

エアグルーヴは、少しだけ考える。

 

(理由)

 

言葉にすれば説明はできる。

だが、そのまま出す必要もない。

 

「……合わなかった。」

「えー!それだけ!?」

「シンプルすぎない?」

 

笑いが起きる。

からかうように、言葉は続く。

 

「エアグルーヴってさ、理想高いんじゃない?」

「それな!」

「分かる気がするー。」

 

軽い調子。

 

エアグルーヴは肩をすくめる。

 

「……そうかもしれないな。」

 

否定しない。

深くも入らない。

それで十分だった。

 

「やっぱり!」

「基準厳しそうだもんなー。」

「いやでも、あれ以上求めるの無理じゃない?」

 

また笑いが広がる。

 

話題はそのまま流れていく。

誰かのバイトの愚痴。

 

エアグルーヴも、その輪の中にいる。

 

受け答えは変わらない。

空気も崩れない。

 

(……理想)

 

その言葉だけが、わずかに残る。

 

 

**********

 

 

しばらくして、ひとがばらける。

講義へ向かう者、別の場所へ移動する者。

 

気がつくと、ベンチには二人だけになる。

 

スズカと、エアグルーヴ。

 

スズカが、やわらかく聞く。

 

「……ああいうの、気にする?」

「何がだ?」

「さっきの。」

 

理想が高い、という話。

 

「気にはしていないな。」

 

即答に近い。

 

「そう。」

 

スズカは、それ以上は触れない。

 

少し間を置いてから。

 

わずかに目を細めて、問いかける。

 

「じゃあね、どんなひとがいいと思う?」

 

エアグルーヴは、一瞬だけ止まる。

 

(どんなひと…)

 

条件なら出せる。

 

性格。

思考。

行動。

 

だが、それらはすでに、何度か試している。

 

そして――

 

(同じだった)

 

スズカは急かさない。

 

「……分からない。」

 

正直に言う。

 

「…基準があるのは分かっている。

 だが、それが何なのか、つかめない。」

 

スズカは空を見上げる。

 

「そうなんだ。じゃあ、条件じゃないんだね。」

「条件ではない…はずだ。」

「感覚?」

「……おそらく。」

 

完全ではないが、近い。

 

「そっか。」

 

それ以上は、掘り下げない。

 

スズカは、エアグルーヴに視線を戻す。

 

「……もう、見たことあるかもしれないね?」

 

その言葉で、エアグルーヴの思考が一瞬止まる。

 

何も浮かばないはずなのに、何かが引っかかる。

 

「……どういう意味だ。」

 

「なんとなく、なんだけど。

 探してるっていうより、見つからない、って顔してる。」

 

(……見つからない)

 

その言葉がわずかに引っかかる。

 

「そろそろ、行こっか。」

「ああ。」

 

二人は立ち上がり、次の教室へ向かう。

 

エアグルーヴの内側に、ひとつの言葉が残る。

 

(……見たことがある)

 

まだ形にはならない。

 

だが、確かにどこかに触れている。

 

エアグルーヴは、そのまま前を見る。

答えは、まだ出ない。

 

それでも、

次に進むことだけは、止めない。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。