アンダー・ワールド・レコード   作:そこら辺のスタンド使い

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短め……


第十一話 杉沢第三高校

 

高専に入学してから、少しだけ生活のリズムができてきた。

 

朝起きる。飯を食べる。授業を受ける。走る。転ぶ。真希さんに短棒でしごかれる。伏黒と情報伝達訓練をする。伊地知さんに報告書を赤入れされる。家入さんに「顔色悪いね」と淡々と言われる。五条先生に雑な無茶振りをされる。

 

普通の高校生活ではない。

 

それでも、人間はだいたいの環境に慣れるらしい。

 

俺はパンダ先輩が廊下を歩いていても驚かなくなった。狗巻先輩の「しゃけ」と「おかか」の雰囲気も、少しだけ分かるようになってきた。伏黒が無言で水を渡してくる時は、だいたい俺の顔色が悪い。真希さんが「今日は軽めにする」と言った日は、普通に重い。

 

その日の午前、俺は伊地知さんに呼び出された。

 

場所は資料室の一角。机の上には薄いファイルが置かれている。伏黒もいた。五条先生は窓際で、菓子の袋を開けている。

 

関係ない顔をしているが、関係ない人間がいる場所ではない。

 

「三原さん、本日は次の研修について説明します」

 

伊地知さんはいつも通り丁寧だった。

 

ただ、声が少し硬い。

 

俺はその時点で嫌な予感がした。

 

「……研修、ですか」

 

「はい。今回は、特級呪物の回収補助です」

 

心臓が、嫌な跳ね方をした。

 

特級呪物。

 

その単語だけで、喉が乾いた。

 

五条先生が軽い声で言う。

 

「大丈夫。封印されてるやつだから」

 

封印。

 

その言葉が、やけに薄く聞こえた。

 

「封印が無事なら、ですよね」

 

「三原くん、悲観的だなあ」

 

「生存戦略です」

 

そう答えた声が、自分でも少し硬かった。

 

伊地知さんがファイルを開く。

 

「回収対象は、長期にわたり保管されていた特級呪物です。所在確認の結果、宮城県内の高校に保管されている可能性が高いと判明しました。伏黒さんが主担当として回収に向かいます。三原さんには、保管場所周辺の記録確認、移動経路の補助をお願いします」

 

俺は机の上の資料を見た。

 

地名。

 

学校名。

 

宮城県仙台市。

 

杉沢第三高校。

 

指先が冷えた。

 

胃の底が、ひっくり返るように重くなる。

 

杉沢第三高校。

 

文字を見ただけで、喉が塞がった。

 

頭の中で、知っているはずの場面が勝手にめくれる。百葉箱。封印の札。夜の校舎。呪いの気配。オカルト研究会。呪いを食う少年。

 

まずい。

 

ここから先は、俺が知っている物語だ。

 

そして、知っているからといって止められるとは限らない。

 

「三原?」

 

伏黒の声がした。

 

遠かった。

 

俺は息を吸おうとして、うまく吸えなかった。胸の奥で心臓が暴れている。資料の文字が、妙にくっきり見える。杉沢第三高校。その七文字が、紙の上ではなく、俺の額の内側に貼りついたみたいだった。

 

落ち着け。

 

固有名詞を漏らすな。

 

言っていい情報と、言ってはいけない情報を分けろ。

 

数秒遅れて、ようやく伊地知さんに教わった整理が頭の中で動き始める。

 

事実。

 

資料に杉沢第三高校と書かれている。

 

推測。

 

原作開始地点である可能性が極めて高い。

 

不明。

 

俺が介入しても同じことが起きるのか。

 

危険。

 

虎杖悠仁が、宿儺の指を食う。

 

俺は膝の上で拳を握った。

 

「……嫌な予感がする場所です」

 

五条先生がこちらを見る。

 

目元は布で覆われている。なのに、視線が来たのが分かった。

 

「知ってる場所?」

 

「いえ」

 

これは嘘だ。

 

だが、俺は続けた。

 

「資料を見た瞬間、変な感じがしました。まだ読んでません。だから根拠はありません。でも、嫌な予感がします」

 

嘘ではない部分だけを前に出す。

 

五条先生は少しだけ笑った。

 

「ふうん」

 

その一音が怖い。

 

聞き流された感じがまったくしない。

 

伏黒が資料を手に取る。

 

「俺が回収すればいいんですよね」

 

「そう。封印状態なら難しい任務じゃないよ」

 

五条先生が言う。

 

俺は思わず口を挟んだ。

 

「五条先生は行かないんですか」

 

「僕は別件」

 

「特級呪物ですよね」

 

「封印されてるからね」

 

「だから、その封印が」

 

「三原くん」

 

五条先生の声は軽かった。

 

だが、少しだけ制止の色があった。

 

「嫌な予感がするなら、恵にちゃんと言っときな」

 

それ以上は言うな。

 

そう言われた気がした。

 

俺は口を閉じた。

 

五条先生は、俺が何かを知っていることに気づいている。だが、今ここで無理に吐かせるつもりはないらしい。ありがたいのか、怖いのか分からない。

 

説明が終わったあと、俺は伏黒を廊下に呼び止めた。

 

「伏黒」

 

「何だ」

 

「現場で、一般人が特級呪物に触ってる可能性を想定して動いてほしい」

 

伏黒の眉が少し動いた。

 

「普通は触れない」

 

「普通じゃないから俺たちが行くんだろ」

 

「……何か読んだのか」

 

「まだ読んでない」

 

「なら、何でそこまで言う」

 

俺は言葉を選んだ。

 

全部は言えない。

 

俺は虎杖悠仁を知っている。宿儺の指を知っている。これから何が起きるか、ある程度知っている。だが、それを説明する方法がない。説明すれば、俺自身の秘密に踏み込むことになる。

 

それに、知っているからといって、本当に止められるのかも分からない。

 

だから、必要な警戒だけを渡す。

 

「俺の嫌な予感は、外れてほしい時ほど当たる」

 

伏黒は俺を見ていた。

 

俺は続ける。

 

「一般人優先で見てほしい。あと、呪物は絶対に放置しない。封印が無事かどうか、見た目だけで判断しない。もしなくなってたら、すぐ共有して。単独で深追いしない」

 

「お前も単独行動するなよ」

 

「俺?」

 

「人のこと言えるほど落ち着いてないだろ」

 

正論だった。

 

「じゃあ、お互い単独行動禁止で」

 

「足手まといになるなら置いていく」

 

「分かってる。でも、俺がいれば足跡は追える。逃げ道も読める。一般人がどこへ行ったかも分かるかもしれない」

 

伏黒は数秒考えた。

 

「なら置いていかない」

 

短い言葉だった。

 

だが、それで十分だった。

 

「ありがとう」

 

「まだ何もしてない」

 

「先払い」

 

伏黒は少しだけ眉をひそめたが、それ以上は言わなかった。

 

午後、出発前に資料の確認をした。

 

宿儺の指そのものに触れるのは論外だった。そもそも現物はまだ現地にあるはずだ。俺の前にあるのは、保管記録の写しと古い封印札の写真だけ。

 

それでも嫌だった。

 

紙越しの写真越しなのに、指先を近づけただけで空気が変わる。

 

『警告』

 

アンダー・ワールドの声が、いつもより早かった。

 

『記録、極メテ古イ』

『呪力残穢、濃度異常』

『対象、指。王ノ断片』

『読取継続ハ危険』

 

触れていない。

 

まだ触れていないのに、頭の奥で乾いた笑い声のような残響がした。

 

血の匂い。

 

古い木。

 

腐った封印。

 

四本の腕の影。

 

切断された視界。

 

俺は即座に手を引いた。

 

「読まない。これは読まない」

 

伏黒がこちらを見る。

 

「顔色悪いぞ」

 

「特級呪物って、資料越しでも最悪なんだな」

 

「だから行くんだろ」

 

「行きたくない」

 

「だろうな」

 

否定しない伏黒の優しさが、最近少し分かってきた。

 

出発前、訓練場の近くで二年生たちに会った。

 

真希さんは俺の持っている短棒を見て、顎で示した。

 

「持ってけ」

 

「これですか」

 

「使わずに済むならそれでいい」

 

俺は短棒を鞄に差し込んだ。

 

パンダ先輩が大きな手を振る。

 

「怖がり一年、初遠征か」

 

「できれば最後の遠征にしたいです」

 

「生還を土産にしろよ」

 

「それなら持ち帰れるよう努力します」

 

狗巻先輩が短く言った。

 

「しゃけ」

 

俺は一拍置いて、頷く。

 

「……無事に帰れ、ですか」

 

パンダ先輩が少し笑った。

 

「半分正解。無事に帰ってこい、あと無茶するな、くらいだな」

 

「ニュアンスが増えた」

 

「棘語は文脈が大事だからな」

 

狗巻先輩が親指を立てた。

 

「ツナマヨ」

 

「それは……たぶん、頑張れ寄り」

 

「まあ正解」

 

少しだけ、肩の力が抜けた。

 

本当に少しだけだ。

 

だが、その少しがありがたかった。

 

夕方、俺たちは駅のホームにいた。

 

伊地知さんが切符を確認し、伏黒が資料を鞄にしまう。行き先表示には、仙台の文字。

 

俺はホームに滑り込んでくる新幹線を見ていた。

 

ついに来た。

 

物語の第一話。

 

俺が知っている中で、最初の大きな分岐点。

 

この先で、少年が呪いを飲み込む。

 

俺はそれを止めたいのか。

 

止めていいのか。

 

止められるのか。

 

何一つ分からない。

 

『生存戦略ヲ確認スルカ』

 

アンダー・ワールドが言った。

 

俺は短く答える。

 

「確認しろ」

 

『一、伏黒恵ト離レナイ』

『二、一般人ノ避難ヲ優先』

『三、特級呪物ニ直接触レナイ』

『四、五条悟ヲ早期ニ呼ブ』

『五、危険時ハ逃走』

 

「最後だけはいつも通りだな」

 

『最重要項目ダ』

 

「知ってる」

 

新幹線の扉が開く。

 

伏黒が先に乗り込み、こちらを振り返った。

 

「行くぞ」

 

「うん」

 

俺は鞄の中の短棒の重みを確認した。

 

〇.五パーセント。

 

誤差みたいな数字。

 

それでも、ゼロではない。

 

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