アンダー・ワールド・レコード 作:そこら辺のスタンド使い
俺の足は、俺の意思を無視して古い家へ向かっていた。
舗装された道路が薄く透け、その上へ二十数年前の廊下が重なっている。錆びたフェンスは木製の引き戸に変わり、空き地の雑草は古びた畳と床板に覆われていく。
背後では、母親が俺の名前を呼んでいた。
「透! どこへ行くの!」
声は聞こえている。
すぐ近くにいるはずなのに、ひどく遠い。
振り返ろうとしても、首が動かなかった。
俺の体は、誰かが昔歩いた道を正確になぞろうとしている。
右足を出す。
廊下の傷んだ床板を避ける。
柱の前で曲がり、縁側へ出る。
どれも俺の知らない動きだった。
『再演ガ、役割ヲ割リ当テテイル』
「俺は誰の役だ?」
『少年ヲ閉ジ込メタ側ノ、一人』
「最悪の配役だな!」
前を歩く子供たちが笑っている。
昨日まで普通に近所で遊んでいた子供たちだ。だが今は、古い服を着た別の子供たちの姿が重なって見える。
誰が現在の子供で、誰が過去の子供なのか分からない。
ただ一人。
集団から少し離れた場所に、あの少年が立っていた。
「次、お前が鬼な」
俺の口が勝手に動いた。
声まで俺のものではない。
やめろ。
そんなことを言うな。
そう思っているのに、口は過去の台詞をなぞり続ける。
「百まで数えろよ。途中で見るなよ」
少年が不安そうにこちらを見る。
「また僕が鬼なの?」
「嫌なら帰れば?」
再び、俺の口から言葉が出た。
胸の奥がむかついた。
過去の子供に対してか。
その台詞を喋らされている自分に対してか。
もう分からない。
「俺に喋らせるな……!」
必死に口を閉じようとする。
だが、頬も舌も俺の命令を聞かない。
少年が壁へ顔を伏せた。
「いーち、にーい、さーん……」
数え始めると、ほかの子供たちは笑いながら家の中へ散っていった。
俺の足も、その後を追う。
現実の俺たちは空き地の前にいるはずだ。
それなのに、目の前には古い家の廊下が続いている。壁へ触れれば、乾いた木の感触まで伝わってきた。
『注意シロ。再演ノ深度ガ増シテイル』
「深くなったらどうなる?」
『現在ト過去ノ区別ガ困難ニナル』
「それ以上、説明を省略するなよ」
『最悪ノ場合、お前ハ役割カラ戻レナイ』
「それを最初に言え!」
子供たちは隠れようとしていなかった。
廊下の角へ集まり、少年が数を数え終えるのを待っている。
「もういいかい」
少年の声がした。
子供たちは顔を見合わせ、笑いを堪えた。
「まあだだよ」
しばらくして、少年が廊下を歩いてくる。
子供たちはわざと大きな物音を立て、古い床下収納の近くへ少年を誘導した。
「こっちに誰かいるぞ」
「早く見つけろよ」
俺の喉からも笑い声が出ていた。
笑いたくなどない。
しかし体の奥から、別人の感情が流れ込んでくる。
少し困らせてやりたい。
いつも鈍くて、話が通じなくて、遊びの邪魔をするから。
大したことではない。
ただの悪ふざけだ。
みんなもやっている。
俺一人のせいではない。
「違う」
声に出して否定した。
一瞬だけ、俺自身の声が戻った。
だが、誰も聞いていない。
少年は廊下の床板を持ち上げた。
昨日見た記録と同じだ。
狭い床下収納を見つけ、得意そうに振り返る。
「ここなら見つからないよ」
「やってみろよ」
少年は床下へ降りていった。
自分で床板を閉める。
その瞬間、周囲の子供たちが隠れ場所から飛び出した。
「見つけた!」
「馬鹿。本当に入った!」
笑い声が響く。
子供の一人が、廊下の端に置かれていた大きな木箱へ手をかけた。
「これ、上に置こうぜ」
「開かなくなるよ」
「すぐ退かせばいいだろ」
二人、三人と木箱へ手を添える。
そして、俺の手も。
「やめろ」
止めようとした。
だが、腕が勝手に伸びた。
小さな手が木箱を押す。
重い。
床板を擦る音が廊下へ響く。
ずる、ずる。
昨日、欠けた記録の向こうから聞こえた音だった。
『隠サレテイタ記録ガ、再演ニヨリ開示サレテイル』
「見るために、やらされなきゃいけないのかよ!」
『記録ニトッテ、観測ト再演ハ同一ダ』
「こっちにとっては大違いだ!」
木箱が床下収納の上へ載せられた。
下から床板を叩く音がした。
「開けてよ」
子供たちは顔を見合わせる。
誰かが笑った。
「まだ駄目」
「もういいかい、って聞けよ」
床下から、少年の声がした。
「もういいかい」
誰も答えない。
「もういいかい」
俺の口が動く。
「まあだだよ」
言いたくなかった。
それなのに、口から出た声は笑っていた。
その瞬間、廊下の奥から大きな音がした。
古い棚が傾いていた。
木箱を動かした際にぶつかったのか、腐っていた脚が折れている。
「危ない!」
棚が倒れた。
子供たちが悲鳴を上げる。
棚は廊下を塞ぎ、積まれていた荷物が木箱の周囲へ崩れ落ちた。
家全体が揺れる。
天井から埃が降ってきた。
床下を塞いでいた木箱は、倒れた棚と荷物に挟まれ、動かせなくなった。
「開けて!」
床下から少年が叫ぶ。
「ねえ! もう出るよ!」
子供たちが木箱を押す。
動かない。
何人で引いても、棚に阻まれてびくともしなかった。
「誰か呼んでくる!」
一人の子供が玄関へ向かう。
だが、別の子供がその腕を掴んだ。
「駄目だよ!」
「どうして!」
「大人に言ったら、俺たちがやったって分かるだろ!」
「でも、このままじゃ……」
「すぐ戻ってくればいい。道具を持ってくれば、俺たちだけでも動かせるよ」
「誰にも言うなよ」
「お前も押しただろ」
「みんなでやったんだからな」
言葉が重なる。
誰も少年を助けようとしていないわけではなかった。
怖いのだ。
叱られることが。
自分のせいにされることが。
仲間から裏切り者と呼ばれることが。
誰かが先に大人へ話してくれれば、自分も正直に言えたのかもしれない。
だが、全員がほかの誰かを待った。
そして、誰も動かなかった。
やがて一人が逃げ出した。
別の一人も、その後を追う。
「あとで戻ろう」
「大丈夫だよ」
「少しくらい平気だって」
自分へ言い聞かせるように繰り返しながら、子供たちは家を出ていく。
俺の足も出口へ向かった。
「待て」
止まらない。
「戻れよ」
床下から音がする。
小さな拳が、何度も床板を叩いている。
「ここだよ!」
それでも俺の足は遠ざかっていく。
当時の子供が抱いていた感情が、胸の中へ流れ込んできた。
俺一人が戻っても、どうにもならない。
もうほかの子供たちは逃げた。
今さら大人に言えば、全部自分のせいにされるかもしれない。
知らなかったことにすればいい。
家へ帰って、いつもどおりに過ごせばいい。
明日になれば、誰かが見つける。
俺のせいではない。
『感情ノ同調率ガ上昇シテイル』
「こいつの感情を俺の中に入れるな……!」
『拒絶シロ。呑マレレバ、役割ニ固定サレル』
「簡単に言うな!」
廊下の壁から、黒い影が滲み出した。
何人もの子供の影が溶け合い、一つの人型を作っている。
顔はない。
だが、無数の口だけが体中に浮かんでいた。
――お前のせいじゃない。
――みんなでやった。
――黙っていれば分からない。
――もう終わったことだ。
黒い影の言葉が、俺の思考へ混ざってくる。
甘い言葉だった。
このまま役割に従って家を出れば、少なくとも俺は助かる。
過去の少年は、もう死んでいる。
今さら何をしても変えられない。
俺が危険を冒す意味などない。
『少女ヲ助ケタ時トハ、状況ガ異ナル』
アンダー・ワールドが言った。
『コレハ既ニ終了シタ過去ダ。少年ヲ救出スルコトハデキナイ』
「分かってるよ」
過去は変えられない。
俺がここでどれほど頑張っても、二十数年前の少年は助からない。
そのとき、廊下の奥から別の声が聞こえた。
「誰か!」
少年の声ではない。
現在の子供の声だった。
振り返る。
木箱の隙間から伸びていた手が、別のものへ変わっている。
現代の服を着た、小さな腕。
再演へ取り込まれた近所の子供の一人が、過去の床下に閉じ込められている。
「助けて!」
現在でも、同じ出来事が繰り返されようとしていた。
過去の子供たちと重なった近所の子供たちは、出口へ向かって歩いている。
誰も振り返らない。
そして、俺の足も。
「アンダー・ワールド。止める方法は?」
『不明』
「この役から降りる方法!」
『過去ニ起キタ事実ハ、変更デキナイ』
「過去を変えたいんじゃない!」
俺は床へ爪を立てた。
足は前へ進み続ける。
爪が木目を引っかき、指先に痛みが走った。
それでも止まらない。
『再演ハ、同ジ結末ヲ要求スル』
「だったら、要求を断れ!」
『現在ノお前ニ、再演ヲ制御スル力ハナイ』
「制御できなくても、俺の体だろ!」
自分の右腕へ噛みついた。
痛みで視界が白くなる。
足が一瞬止まった。
だが、すぐにまた動き始める。
弱い。
今の俺では、過去に染みついた二十数年分の呪いへ対抗できない。
「透!」
遠くから、母親の声が聞こえた。
右手に温かい感触があった。
再演へ引き込まれる直前、母親が握った俺の手。
現実の俺たちは、まだつながっている。
黒い影が膨らみ、母親の声を覆い隠そうとする。
――逃げろ。
――関わるな。
――お前には関係ない。
「関係ないよ」
俺は息を吐いた。
その点だけは、黒い影に同意する。
「死んだ子供のことなんて知らない。名前も知らない。近所の子供たちだって、ほとんど話したことがない」
俺は主人公ではない。
正義の味方でもない。
できれば画面外で、平和に暮らしたいだけの人間だ。
「でも、見たんだよ」
床下で泣く少年を。
空き地へ引き込まれた女の子を。
そして今、同じ場所へ閉じ込められている子供を。
「見なかったことには、できないだろ……!」
俺は母親の手を握り返した。
「お母さん!」
現実と過去の境目へ向かって叫ぶ。
「俺の手を引いて!」
「透!」
母親が俺の腕を強く引いた。
体が後ろへ傾く。
過去の足取りは前へ進もうとする。
現在の母親は、俺を後ろへ引き戻そうとする。
二つの力が、俺の体の中でぶつかった。
足が止まった。
『役割カラノ逸脱ヲ確認』
「難しい言葉を使うな! 止まれたってことだろ!」
『一時的ニ』
「それで十分だ!」
俺は振り返った。
再演の中で、子供たちは驚いたように俺を見ている。
本来の記録にはなかった動き。
逃げるはずだった一人が、床下へ戻ろうとしている。
黒い影の全身に浮かんだ口が、一斉に開いた。
――戻るな。
――お前も閉じ込めた。
――今さら助けても遅い。
「今さらなのは、過去の話だ!」
廊下を走る。
黒い影が壁や床から腕を伸ばす。
現在には存在しない障害物だ。
だが、触れれば本物と同じように俺の体を捕まえる。
『左ノ壁ニ、古イ破損箇所ガアル』
「そこは通れるのか?」
『過去ニ、一人ノ子供ガ通過シテイル』
壁の一部が半透明に揺らいでいる。
俺はそこへ肩から突っ込んだ。
狭い隙間を、小さな体が通り抜ける。
俺自身の動きではない。
過去にここを逃げた子供の記録が、再び俺の体を利用したのだ。
だが今度は、向かう方向だけは俺が選んでいる。
「人の体を使うなら、せめて協力しろ!」
『記録ニ意思ハナイ』
「融通が利かない!」
廊下の先を、赤いボールが横切った。
昨日も入口の場所を教えた、過去のボール。
同じ軌道を転がり、床下収納の前で消える。
「そこだ!」
床下の上には、大きな木箱と倒れた棚が載っている。
俺一人では動かせない。
黒い影が背後から迫る。
『現在ノお前ノ力デハ、排除不可能』
「見れば分かる!」
俺は木箱へ両手をついた。
押す。
動かない。
「お母さん! もっと引いて!」
現実で、母親が俺の腕を引く。
再演の中では、俺の体が木箱へ押しつけられる。
過去と現在で力の向きが違う。
そのずれによって、木箱の輪郭が揺らいだ。
『再演ト現在ノ位置ニ、誤差ガ発生シテイル』
「その誤差を広げろ!」
『方法ハ不明』
「本当に実況しかできないな!」
俺は母親に引かれる力へ逆らわず、体を横へ倒した。
現実の俺が移動する。
それに遅れて、再演の中の俺も位置を変える。
木箱は過去の位置へ留まろうとする。
俺の手だけが、その縁を掴んでいる。
現実と過去のずれが、木箱を少しずつ横へ引っ張った。
ぎいっ、と床板が軋む。
わずかな隙間ができた。
下から小さな手が伸びてくる。
「掴め!」
手を掴む。
現在の子供の手だった。
引き上げようとしても、何かが下から引っ張っている。
床下の暗闇に、少年がいる。
少年は現在の子供の足を掴んでいるのではない。
ただ、同じ場所で膝を抱えている。
一人だけ取り残されたまま。
「お前も一緒に来い!」
俺は少年へ手を伸ばした。
『不可能ダ』
アンダー・ワールドが告げる。
『少年ハ、現在ニ存在シナイ』
指先が少年の体をすり抜ける。
触れられない。
過去の少年は助けられない。
分かっていた。
それでも、悔しかった。
少年が俺を見る。
「見つけた?」
昨日と同じ問いだった。
「ああ」
俺は現在の子供を引き上げながら答えた。
「見つけたよ」
「僕がここにいたことも?」
「見つけた」
「みんなが、何をしたかも?」
「見た」
少年は俯いた。
黒い影が、廊下全体を覆い尽くす。
――嘘だ。
――誰も知らない。
――証拠はない。
――子供の遊びだった。
「証拠ならある!」
俺は叫んだ。
「この家の床下から、子供の骨が見つかってる!」
再演の中だけではない。
現実にいる母親や、近所の子供たちにも聞こえるよう、声の限り叫ぶ。
「昔ここで、子供が閉じ込められたんだ! ほかの子供たちは知ってた! 怖くなって逃げて、誰にも言わなかった!」
黒い影が揺れた。
全身の口が、次々に閉じていく。
『“知ラレタクナイ”という感情ガ、再演ヲ維持デキナクナッテイル』
「隠し事は、誰かに話した時点で隠し事じゃないだろ!」
『単純ダガ、有効ダ』
「六歳児に高度な祓い方を求めるな!」
俺は閉じ込められていた子供を、床下から引っ張り出した。
その瞬間、古い家全体に亀裂が走った。
壁が崩れる。
廊下が剝がれ落ち、その下から現在の空き地が見える。
黒い影が俺へ腕を伸ばす。
だが、その体はもう形を保てていなかった。
何人もの子供の影へ分かれ、さらに細かな染みとなって地面へ落ちていく。
『呪イノ構造ガ崩壊スル』
「祓えたのか?」
『違ウ。形ヲ維持デキナクナッタダケダ』
「六歳児の初陣としては、それで十分だよ……!」
最後に残ったのは、床下にいた少年だけだった。
周囲の家が崩れても、少年は同じ場所に座っている。
「お前の名前は?」
尋ねてみた。
少年は答えなかった。
いや、答えられないのかもしれない。
名前にまつわる記録が残っていない。
写真にも、新聞にも、少年の名前はなかった。
「ごめん。名前までは見つけられなかった」
少年は首を横に振った。
それから、少しだけ笑った。
「もういいよ」
少年の体が、足元から光の粒へ変わっていく。
消えるのではない。
長い間地上へ浮かび続けていた記録が、ようやく本来の場所へ沈んでいく。
少年は最後まで俺を見ていた。
そして、古い家と一緒に姿を消した。
視界が反転する。
俺は空き地の前に立っていた。
母親が背後から両腕で俺を抱きしめている。
目の前には、床へ倒れた近所の子供がいた。
「大丈夫!?」
母親がその子へ駆け寄る。
子供はぼんやりと目を開けた。
「暗いところにいた……」
それだけ言って、泣き出した。
ほかの子供たちも次々に我に返った。何が起きたのかは覚えていないらしい。
空き地を見る。
古い家はない。
黒い影も、子供たちの手形も消えている。
錆びたフェンスと伸び放題の雑草だけが、夕暮れの中に残っていた。
「透」
母親が俺の肩を掴んだ。
顔が怖い。
怒っているというより、泣きそうだった。
「昔、ここで子供が亡くなったって、本当なの?」
「図書館の新聞に載ってた。家を壊したとき、床下から骨が見つかったって」
「どうして、ほかの子たちが知っていたなんて……」
「それは……」
説明できない。
過去が見える。
呪いに襲われた。
二十数年前のかくれんぼへ巻き込まれた。
どれも六歳児の口から出ていい言葉ではなかった。
「想像したんだ」
苦し紛れに答える。
「記事を読んで、昨日のことを思い出したら、そうだったのかもしれないって」
母親は明らかに納得していなかった。
だが、俺を強く抱きしめるだけで、それ以上は聞かなかった。
「もう、あそこには絶対に近づかないで」
「うん」
今度こそ心の底から同意した。
数日後、空き地には新しい柵が設置された。
近所の子供たちが集まっていたことや、過去に人骨が発見されていた事実が、ようやく問題になったらしい。
俺と母親は、小さな花束を持って空き地を訪れた。
フェンスの前に花を置く。
「誰への花なの?」
母親が尋ねた。
「昔、ここで見つけてもらえなかった子」
「そう」
母親はそれ以上聞かなかった。
空き地から、もう声はしない。
アンダー・ワールドも、古い記録の気配は弱くなったと言った。
その夜。
ベッドへ入った俺は、アンダー・ワールドに尋ねた。
「俺は再演を止めたのか?」
『違ウ。再演ハ最後マデ行ワレタ』
「でも、現在の子供は助かった」
『過去ノ少年ト、現在ノ子供ハ別ノ存在ダ』
「分かってるよ」
過去の結末は変わっていない。
少年はあの床下で亡くなった。
俺が救えたのは、同じ役へ押し込まれた現在の子供だけだ。
「過去は変えられない。でも、同じことを繰り返す必要はない」
『記録スル』
「待て。それ、記録する必要ある?」
『重要ナ認識ノ変化ダ』
「俺の恥ずかしい台詞として保存されるだろ」
『既ニ保存シタ』
「消してくれ」
『存在シタ過去ハ、消セナイ』
「この術式、持ち主への攻撃性能だけ妙に高くない?」
返事はなかった。
ただ、アンダー・ワールドはいつものように、俺の背後へ静かに立っていた。
今回の件で分かったことがある。
俺の術式は、過去を自由に再現する便利な能力ではない。
今の俺にできるのは、記録を読むことだけ。
強すぎる記録に触れれば、逆にこちらが過去へ取り込まれる。配役も展開も選べない。逃げることさえ許されない。
それでも、一度だけ役割へ逆らえた。
再演そのものは止められなかった。
過去も変えられなかった。
ただ、決められた結末から、ほんの少しだけ外へ足を踏み出した。
『ソレハ、記録シテオク価値ガアル』
「だから人の心を読むなって」
『私ニ向ケタ意識ダ』
「その言い訳も記録から消してくれ」
『存在シタ過去ハ――』
「もういい!」
俺は布団を頭までかぶった。
こうして俺の術式初体験は、一応の終わりを迎えた。
生き残るために欲しがった力によって、危険な空き地へ二度も引きずり込まれ、死んだ子供の恐怖を体験し、近所中を巻き込む呪いに目をつけられた。
冷静に考えると、生存率は上がるどころか下がっている。
やはり、転生特典なんて信用するものではない。
そして何より――『呪術廻戦』の世界は、六歳児に背負わせるものが重すぎる。