アンダー・ワールド・レコード   作:そこら辺のスタンド使い

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第四話 最後のかくれんぼ

 

俺の足は、俺の意思を無視して古い家へ向かっていた。

 

舗装された道路が薄く透け、その上へ二十数年前の廊下が重なっている。錆びたフェンスは木製の引き戸に変わり、空き地の雑草は古びた畳と床板に覆われていく。

 

背後では、母親が俺の名前を呼んでいた。

 

「透! どこへ行くの!」

 

声は聞こえている。

 

すぐ近くにいるはずなのに、ひどく遠い。

 

振り返ろうとしても、首が動かなかった。

 

俺の体は、誰かが昔歩いた道を正確になぞろうとしている。

 

右足を出す。

 

廊下の傷んだ床板を避ける。

 

柱の前で曲がり、縁側へ出る。

 

どれも俺の知らない動きだった。

 

『再演ガ、役割ヲ割リ当テテイル』

 

「俺は誰の役だ?」

 

『少年ヲ閉ジ込メタ側ノ、一人』

 

「最悪の配役だな!」

 

前を歩く子供たちが笑っている。

 

昨日まで普通に近所で遊んでいた子供たちだ。だが今は、古い服を着た別の子供たちの姿が重なって見える。

 

誰が現在の子供で、誰が過去の子供なのか分からない。

 

ただ一人。

 

集団から少し離れた場所に、あの少年が立っていた。

 

「次、お前が鬼な」

 

俺の口が勝手に動いた。

 

声まで俺のものではない。

 

やめろ。

 

そんなことを言うな。

 

そう思っているのに、口は過去の台詞をなぞり続ける。

 

「百まで数えろよ。途中で見るなよ」

 

少年が不安そうにこちらを見る。

 

「また僕が鬼なの?」

 

「嫌なら帰れば?」

 

再び、俺の口から言葉が出た。

 

胸の奥がむかついた。

 

過去の子供に対してか。

 

その台詞を喋らされている自分に対してか。

 

もう分からない。

 

「俺に喋らせるな……!」

 

必死に口を閉じようとする。

 

だが、頬も舌も俺の命令を聞かない。

 

少年が壁へ顔を伏せた。

 

「いーち、にーい、さーん……」

 

数え始めると、ほかの子供たちは笑いながら家の中へ散っていった。

 

俺の足も、その後を追う。

 

現実の俺たちは空き地の前にいるはずだ。

 

それなのに、目の前には古い家の廊下が続いている。壁へ触れれば、乾いた木の感触まで伝わってきた。

 

『注意シロ。再演ノ深度ガ増シテイル』

 

「深くなったらどうなる?」

 

『現在ト過去ノ区別ガ困難ニナル』

 

「それ以上、説明を省略するなよ」

 

『最悪ノ場合、お前ハ役割カラ戻レナイ』

 

「それを最初に言え!」

 

子供たちは隠れようとしていなかった。

 

廊下の角へ集まり、少年が数を数え終えるのを待っている。

 

「もういいかい」

 

少年の声がした。

 

子供たちは顔を見合わせ、笑いを堪えた。

 

「まあだだよ」

 

しばらくして、少年が廊下を歩いてくる。

 

子供たちはわざと大きな物音を立て、古い床下収納の近くへ少年を誘導した。

 

「こっちに誰かいるぞ」

 

「早く見つけろよ」

 

俺の喉からも笑い声が出ていた。

 

笑いたくなどない。

 

しかし体の奥から、別人の感情が流れ込んでくる。

 

少し困らせてやりたい。

 

いつも鈍くて、話が通じなくて、遊びの邪魔をするから。

 

大したことではない。

 

ただの悪ふざけだ。

 

みんなもやっている。

 

俺一人のせいではない。

 

「違う」

 

声に出して否定した。

 

一瞬だけ、俺自身の声が戻った。

 

だが、誰も聞いていない。

 

少年は廊下の床板を持ち上げた。

 

昨日見た記録と同じだ。

 

狭い床下収納を見つけ、得意そうに振り返る。

 

「ここなら見つからないよ」

 

「やってみろよ」

 

少年は床下へ降りていった。

 

自分で床板を閉める。

 

その瞬間、周囲の子供たちが隠れ場所から飛び出した。

 

「見つけた!」

 

「馬鹿。本当に入った!」

 

笑い声が響く。

 

子供の一人が、廊下の端に置かれていた大きな木箱へ手をかけた。

 

「これ、上に置こうぜ」

 

「開かなくなるよ」

 

「すぐ退かせばいいだろ」

 

二人、三人と木箱へ手を添える。

 

そして、俺の手も。

 

「やめろ」

 

止めようとした。

 

だが、腕が勝手に伸びた。

 

小さな手が木箱を押す。

 

重い。

 

床板を擦る音が廊下へ響く。

 

ずる、ずる。

 

昨日、欠けた記録の向こうから聞こえた音だった。

 

『隠サレテイタ記録ガ、再演ニヨリ開示サレテイル』

 

「見るために、やらされなきゃいけないのかよ!」

 

『記録ニトッテ、観測ト再演ハ同一ダ』

 

「こっちにとっては大違いだ!」

 

木箱が床下収納の上へ載せられた。

 

下から床板を叩く音がした。

 

「開けてよ」

 

子供たちは顔を見合わせる。

 

誰かが笑った。

 

「まだ駄目」

 

「もういいかい、って聞けよ」

 

床下から、少年の声がした。

 

「もういいかい」

 

誰も答えない。

 

「もういいかい」

 

俺の口が動く。

 

「まあだだよ」

 

言いたくなかった。

 

それなのに、口から出た声は笑っていた。

 

その瞬間、廊下の奥から大きな音がした。

 

古い棚が傾いていた。

 

木箱を動かした際にぶつかったのか、腐っていた脚が折れている。

 

「危ない!」

 

棚が倒れた。

 

子供たちが悲鳴を上げる。

 

棚は廊下を塞ぎ、積まれていた荷物が木箱の周囲へ崩れ落ちた。

 

家全体が揺れる。

 

天井から埃が降ってきた。

 

床下を塞いでいた木箱は、倒れた棚と荷物に挟まれ、動かせなくなった。

 

「開けて!」

 

床下から少年が叫ぶ。

 

「ねえ! もう出るよ!」

 

子供たちが木箱を押す。

 

動かない。

 

何人で引いても、棚に阻まれてびくともしなかった。

 

「誰か呼んでくる!」

 

一人の子供が玄関へ向かう。

 

だが、別の子供がその腕を掴んだ。

 

「駄目だよ!」

 

「どうして!」

 

「大人に言ったら、俺たちがやったって分かるだろ!」

 

「でも、このままじゃ……」

 

「すぐ戻ってくればいい。道具を持ってくれば、俺たちだけでも動かせるよ」

 

「誰にも言うなよ」

 

「お前も押しただろ」

 

「みんなでやったんだからな」

 

言葉が重なる。

 

誰も少年を助けようとしていないわけではなかった。

 

怖いのだ。

 

叱られることが。

 

自分のせいにされることが。

 

仲間から裏切り者と呼ばれることが。

 

誰かが先に大人へ話してくれれば、自分も正直に言えたのかもしれない。

 

だが、全員がほかの誰かを待った。

 

そして、誰も動かなかった。

 

やがて一人が逃げ出した。

 

別の一人も、その後を追う。

 

「あとで戻ろう」

 

「大丈夫だよ」

 

「少しくらい平気だって」

 

自分へ言い聞かせるように繰り返しながら、子供たちは家を出ていく。

 

俺の足も出口へ向かった。

 

「待て」

 

止まらない。

 

「戻れよ」

 

床下から音がする。

 

小さな拳が、何度も床板を叩いている。

 

「ここだよ!」

 

それでも俺の足は遠ざかっていく。

 

当時の子供が抱いていた感情が、胸の中へ流れ込んできた。

 

俺一人が戻っても、どうにもならない。

 

もうほかの子供たちは逃げた。

 

今さら大人に言えば、全部自分のせいにされるかもしれない。

 

知らなかったことにすればいい。

 

家へ帰って、いつもどおりに過ごせばいい。

 

明日になれば、誰かが見つける。

 

俺のせいではない。

 

『感情ノ同調率ガ上昇シテイル』

 

「こいつの感情を俺の中に入れるな……!」

 

『拒絶シロ。呑マレレバ、役割ニ固定サレル』

 

「簡単に言うな!」

 

廊下の壁から、黒い影が滲み出した。

 

何人もの子供の影が溶け合い、一つの人型を作っている。

 

顔はない。

 

だが、無数の口だけが体中に浮かんでいた。

 

――お前のせいじゃない。

 

――みんなでやった。

 

――黙っていれば分からない。

 

――もう終わったことだ。

 

黒い影の言葉が、俺の思考へ混ざってくる。

 

甘い言葉だった。

 

このまま役割に従って家を出れば、少なくとも俺は助かる。

 

過去の少年は、もう死んでいる。

 

今さら何をしても変えられない。

 

俺が危険を冒す意味などない。

 

『少女ヲ助ケタ時トハ、状況ガ異ナル』

 

アンダー・ワールドが言った。

 

『コレハ既ニ終了シタ過去ダ。少年ヲ救出スルコトハデキナイ』

 

「分かってるよ」

 

過去は変えられない。

 

俺がここでどれほど頑張っても、二十数年前の少年は助からない。

 

そのとき、廊下の奥から別の声が聞こえた。

 

「誰か!」

 

少年の声ではない。

 

現在の子供の声だった。

 

振り返る。

 

木箱の隙間から伸びていた手が、別のものへ変わっている。

 

現代の服を着た、小さな腕。

 

再演へ取り込まれた近所の子供の一人が、過去の床下に閉じ込められている。

 

「助けて!」

 

現在でも、同じ出来事が繰り返されようとしていた。

 

過去の子供たちと重なった近所の子供たちは、出口へ向かって歩いている。

 

誰も振り返らない。

 

そして、俺の足も。

 

「アンダー・ワールド。止める方法は?」

 

『不明』

 

「この役から降りる方法!」

 

『過去ニ起キタ事実ハ、変更デキナイ』

 

「過去を変えたいんじゃない!」

 

俺は床へ爪を立てた。

 

足は前へ進み続ける。

 

爪が木目を引っかき、指先に痛みが走った。

 

それでも止まらない。

 

『再演ハ、同ジ結末ヲ要求スル』

 

「だったら、要求を断れ!」

 

『現在ノお前ニ、再演ヲ制御スル力ハナイ』

 

「制御できなくても、俺の体だろ!」

 

自分の右腕へ噛みついた。

 

痛みで視界が白くなる。

 

足が一瞬止まった。

 

だが、すぐにまた動き始める。

 

弱い。

 

今の俺では、過去に染みついた二十数年分の呪いへ対抗できない。

 

「透!」

 

遠くから、母親の声が聞こえた。

 

右手に温かい感触があった。

 

再演へ引き込まれる直前、母親が握った俺の手。

 

現実の俺たちは、まだつながっている。

 

黒い影が膨らみ、母親の声を覆い隠そうとする。

 

――逃げろ。

 

――関わるな。

 

――お前には関係ない。

 

「関係ないよ」

 

俺は息を吐いた。

 

その点だけは、黒い影に同意する。

 

「死んだ子供のことなんて知らない。名前も知らない。近所の子供たちだって、ほとんど話したことがない」

 

俺は主人公ではない。

 

正義の味方でもない。

 

できれば画面外で、平和に暮らしたいだけの人間だ。

 

「でも、見たんだよ」

 

床下で泣く少年を。

 

空き地へ引き込まれた女の子を。

 

そして今、同じ場所へ閉じ込められている子供を。

 

「見なかったことには、できないだろ……!」

 

俺は母親の手を握り返した。

 

「お母さん!」

 

現実と過去の境目へ向かって叫ぶ。

 

「俺の手を引いて!」

 

「透!」

 

母親が俺の腕を強く引いた。

 

体が後ろへ傾く。

 

過去の足取りは前へ進もうとする。

 

現在の母親は、俺を後ろへ引き戻そうとする。

 

二つの力が、俺の体の中でぶつかった。

 

足が止まった。

 

『役割カラノ逸脱ヲ確認』

 

「難しい言葉を使うな! 止まれたってことだろ!」

 

『一時的ニ』

 

「それで十分だ!」

 

俺は振り返った。

 

再演の中で、子供たちは驚いたように俺を見ている。

 

本来の記録にはなかった動き。

 

逃げるはずだった一人が、床下へ戻ろうとしている。

 

黒い影の全身に浮かんだ口が、一斉に開いた。

 

――戻るな。

 

――お前も閉じ込めた。

 

――今さら助けても遅い。

 

「今さらなのは、過去の話だ!」

 

廊下を走る。

 

黒い影が壁や床から腕を伸ばす。

 

現在には存在しない障害物だ。

 

だが、触れれば本物と同じように俺の体を捕まえる。

 

『左ノ壁ニ、古イ破損箇所ガアル』

 

「そこは通れるのか?」

 

『過去ニ、一人ノ子供ガ通過シテイル』

 

壁の一部が半透明に揺らいでいる。

 

俺はそこへ肩から突っ込んだ。

 

狭い隙間を、小さな体が通り抜ける。

 

俺自身の動きではない。

 

過去にここを逃げた子供の記録が、再び俺の体を利用したのだ。

 

だが今度は、向かう方向だけは俺が選んでいる。

 

「人の体を使うなら、せめて協力しろ!」

 

『記録ニ意思ハナイ』

 

「融通が利かない!」

 

廊下の先を、赤いボールが横切った。

 

昨日も入口の場所を教えた、過去のボール。

 

同じ軌道を転がり、床下収納の前で消える。

 

「そこだ!」

 

床下の上には、大きな木箱と倒れた棚が載っている。

 

俺一人では動かせない。

 

黒い影が背後から迫る。

 

『現在ノお前ノ力デハ、排除不可能』

 

「見れば分かる!」

 

俺は木箱へ両手をついた。

 

押す。

 

動かない。

 

「お母さん! もっと引いて!」

 

現実で、母親が俺の腕を引く。

 

再演の中では、俺の体が木箱へ押しつけられる。

 

過去と現在で力の向きが違う。

 

そのずれによって、木箱の輪郭が揺らいだ。

 

『再演ト現在ノ位置ニ、誤差ガ発生シテイル』

 

「その誤差を広げろ!」

 

『方法ハ不明』

 

「本当に実況しかできないな!」

 

俺は母親に引かれる力へ逆らわず、体を横へ倒した。

 

現実の俺が移動する。

 

それに遅れて、再演の中の俺も位置を変える。

 

木箱は過去の位置へ留まろうとする。

 

俺の手だけが、その縁を掴んでいる。

 

現実と過去のずれが、木箱を少しずつ横へ引っ張った。

 

ぎいっ、と床板が軋む。

 

わずかな隙間ができた。

 

下から小さな手が伸びてくる。

 

「掴め!」

 

手を掴む。

 

現在の子供の手だった。

 

引き上げようとしても、何かが下から引っ張っている。

 

床下の暗闇に、少年がいる。

 

少年は現在の子供の足を掴んでいるのではない。

 

ただ、同じ場所で膝を抱えている。

 

一人だけ取り残されたまま。

 

「お前も一緒に来い!」

 

俺は少年へ手を伸ばした。

 

『不可能ダ』

 

アンダー・ワールドが告げる。

 

『少年ハ、現在ニ存在シナイ』

 

指先が少年の体をすり抜ける。

 

触れられない。

 

過去の少年は助けられない。

 

分かっていた。

 

それでも、悔しかった。

 

少年が俺を見る。

 

「見つけた?」

 

昨日と同じ問いだった。

 

「ああ」

 

俺は現在の子供を引き上げながら答えた。

 

「見つけたよ」

 

「僕がここにいたことも?」

 

「見つけた」

 

「みんなが、何をしたかも?」

 

「見た」

 

少年は俯いた。

 

黒い影が、廊下全体を覆い尽くす。

 

――嘘だ。

 

――誰も知らない。

 

――証拠はない。

 

――子供の遊びだった。

 

「証拠ならある!」

 

俺は叫んだ。

 

「この家の床下から、子供の骨が見つかってる!」

 

再演の中だけではない。

 

現実にいる母親や、近所の子供たちにも聞こえるよう、声の限り叫ぶ。

 

「昔ここで、子供が閉じ込められたんだ! ほかの子供たちは知ってた! 怖くなって逃げて、誰にも言わなかった!」

 

黒い影が揺れた。

 

全身の口が、次々に閉じていく。

 

『“知ラレタクナイ”という感情ガ、再演ヲ維持デキナクナッテイル』

 

「隠し事は、誰かに話した時点で隠し事じゃないだろ!」

 

『単純ダガ、有効ダ』

 

「六歳児に高度な祓い方を求めるな!」

 

俺は閉じ込められていた子供を、床下から引っ張り出した。

 

その瞬間、古い家全体に亀裂が走った。

 

壁が崩れる。

 

廊下が剝がれ落ち、その下から現在の空き地が見える。

 

黒い影が俺へ腕を伸ばす。

 

だが、その体はもう形を保てていなかった。

 

何人もの子供の影へ分かれ、さらに細かな染みとなって地面へ落ちていく。

 

『呪イノ構造ガ崩壊スル』

 

「祓えたのか?」

 

『違ウ。形ヲ維持デキナクナッタダケダ』

 

「六歳児の初陣としては、それで十分だよ……!」

 

最後に残ったのは、床下にいた少年だけだった。

 

周囲の家が崩れても、少年は同じ場所に座っている。

 

「お前の名前は?」

 

尋ねてみた。

 

少年は答えなかった。

 

いや、答えられないのかもしれない。

 

名前にまつわる記録が残っていない。

 

写真にも、新聞にも、少年の名前はなかった。

 

「ごめん。名前までは見つけられなかった」

 

少年は首を横に振った。

 

それから、少しだけ笑った。

 

「もういいよ」

 

少年の体が、足元から光の粒へ変わっていく。

 

消えるのではない。

 

長い間地上へ浮かび続けていた記録が、ようやく本来の場所へ沈んでいく。

 

少年は最後まで俺を見ていた。

 

そして、古い家と一緒に姿を消した。

 

視界が反転する。

 

俺は空き地の前に立っていた。

 

母親が背後から両腕で俺を抱きしめている。

 

目の前には、床へ倒れた近所の子供がいた。

 

「大丈夫!?」

 

母親がその子へ駆け寄る。

 

子供はぼんやりと目を開けた。

 

「暗いところにいた……」

 

それだけ言って、泣き出した。

 

ほかの子供たちも次々に我に返った。何が起きたのかは覚えていないらしい。

 

空き地を見る。

 

古い家はない。

 

黒い影も、子供たちの手形も消えている。

 

錆びたフェンスと伸び放題の雑草だけが、夕暮れの中に残っていた。

 

「透」

 

母親が俺の肩を掴んだ。

 

顔が怖い。

 

怒っているというより、泣きそうだった。

 

「昔、ここで子供が亡くなったって、本当なの?」

 

「図書館の新聞に載ってた。家を壊したとき、床下から骨が見つかったって」

 

「どうして、ほかの子たちが知っていたなんて……」

 

「それは……」

 

説明できない。

 

過去が見える。

 

呪いに襲われた。

 

二十数年前のかくれんぼへ巻き込まれた。

 

どれも六歳児の口から出ていい言葉ではなかった。

 

「想像したんだ」

 

苦し紛れに答える。

 

「記事を読んで、昨日のことを思い出したら、そうだったのかもしれないって」

 

母親は明らかに納得していなかった。

 

だが、俺を強く抱きしめるだけで、それ以上は聞かなかった。

 

「もう、あそこには絶対に近づかないで」

 

「うん」

 

今度こそ心の底から同意した。

 

数日後、空き地には新しい柵が設置された。

 

近所の子供たちが集まっていたことや、過去に人骨が発見されていた事実が、ようやく問題になったらしい。

 

俺と母親は、小さな花束を持って空き地を訪れた。

 

フェンスの前に花を置く。

 

「誰への花なの?」

 

母親が尋ねた。

 

「昔、ここで見つけてもらえなかった子」

 

「そう」

 

母親はそれ以上聞かなかった。

 

空き地から、もう声はしない。

 

アンダー・ワールドも、古い記録の気配は弱くなったと言った。

 

その夜。

 

ベッドへ入った俺は、アンダー・ワールドに尋ねた。

 

「俺は再演を止めたのか?」

 

『違ウ。再演ハ最後マデ行ワレタ』

 

「でも、現在の子供は助かった」

 

『過去ノ少年ト、現在ノ子供ハ別ノ存在ダ』

 

「分かってるよ」

 

過去の結末は変わっていない。

 

少年はあの床下で亡くなった。

 

俺が救えたのは、同じ役へ押し込まれた現在の子供だけだ。

 

「過去は変えられない。でも、同じことを繰り返す必要はない」

 

『記録スル』

 

「待て。それ、記録する必要ある?」

 

『重要ナ認識ノ変化ダ』

 

「俺の恥ずかしい台詞として保存されるだろ」

 

『既ニ保存シタ』

 

「消してくれ」

 

『存在シタ過去ハ、消セナイ』

 

「この術式、持ち主への攻撃性能だけ妙に高くない?」

 

返事はなかった。

 

ただ、アンダー・ワールドはいつものように、俺の背後へ静かに立っていた。

 

今回の件で分かったことがある。

 

俺の術式は、過去を自由に再現する便利な能力ではない。

 

今の俺にできるのは、記録を読むことだけ。

 

強すぎる記録に触れれば、逆にこちらが過去へ取り込まれる。配役も展開も選べない。逃げることさえ許されない。

 

それでも、一度だけ役割へ逆らえた。

 

再演そのものは止められなかった。

 

過去も変えられなかった。

 

ただ、決められた結末から、ほんの少しだけ外へ足を踏み出した。

 

『ソレハ、記録シテオク価値ガアル』

 

「だから人の心を読むなって」

 

『私ニ向ケタ意識ダ』

 

「その言い訳も記録から消してくれ」

 

『存在シタ過去ハ――』

 

「もういい!」

 

俺は布団を頭までかぶった。

 

こうして俺の術式初体験は、一応の終わりを迎えた。

 

生き残るために欲しがった力によって、危険な空き地へ二度も引きずり込まれ、死んだ子供の恐怖を体験し、近所中を巻き込む呪いに目をつけられた。

 

冷静に考えると、生存率は上がるどころか下がっている。

 

やはり、転生特典なんて信用するものではない。

 

そして何より――『呪術廻戦』の世界は、六歳児に背負わせるものが重すぎる。

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