アンダー・ワールド・レコード   作:そこら辺のスタンド使い

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第八話 読んではいけないもの

 

五条悟に鞄を破壊された。

 

正確には、夜蛾正道の呪骸に破壊されたのだが、その場をセッティングしたのが五条悟なので、俺の中では五条悟に破壊されたことになっている。

 

面接から数日後、俺は新しい鞄を肩にかけて、再び東京高専へ向かっていた。前のものより少しだけ高い。少しだけ、というところに俺の人間としての慎ましさが表れている。なお、請求先は五条悟である。

 

「これ、本当に五条先生に請求していいんですよね」

 

高専の門の前で待っていた黒スーツの男性に尋ねると、彼は眼鏡の奥で困ったように瞬きをした。

 

「ええ、五条さんからそのように伺っています。領収書もお預かりします」

 

「経費で落ちるんですか」

 

「落ちません」

 

「落ちないんだ」

 

「五条さんの私費です」

 

「じゃあ、もっと高いやつにすればよかった」

 

「それはそれで私が困ります」

 

眼鏡の男性――伊地知潔高さんは、丁寧に頭を下げた。五条悟とは違う種類の大人だった。常識がありそうで、胃薬が似合いそうで、そして呪術界において常識がある人間ほど苦労するのだろうな、という雰囲気を全身から出している。

 

「本日は術式検査と基礎講習、それから補助監督業務の概要説明になります」

 

「普通の学校見学より項目が重いですね」

 

「普通の学校ではありませんので……」

 

正論だった。

 

最近、俺の周囲は正論で人を殴る大人が多い。いや、呪骸で物理的に殴ってくる大人よりはましかもしれない。

 

伊地知さんに案内され、高専の敷地へ入る。数日前と同じく、足の裏からじわりと記録が上がってくる。高専の地面は相変わらずうるさい。訓練の足跡。誰かが転んだ痛み。木刀が床を打った音。笑い声。怒鳴り声。古い呪力の残り香。

 

俺は無意識に歩幅を小さくした。

 

『記録ノ密度、高』

 

アンダー・ワールドが頭の奥で告げる。

 

「知ってる。今日は浅く。必要な時以外は読まない」

 

『了解シタ』

 

数日前の面接で、俺は夜蛾さんに合格をもらった。

 

正式な入学は春。それまでは週に何度か高専へ通い、術式制御と基礎体術、呪力の扱い、そして補助監督寄りの座学を受ける。

 

肉壁として最前線に放り込まれる未来は、ひとまず遠ざかった。

 

ただし、手放しで安心できるほど俺は楽観的ではない。

 

補助監督だって現場には行く。帳を張る。避難誘導をする。術師を運ぶ。判断を間違えれば普通に死ぬ。まして、俺はこれから原作の時間が動き出すことを知っている。激流が始まったら、前線も後方も、綺麗に分かれてくれる保証なんてどこにもない。

 

つまり、比較的ましな地獄に案内されただけである。

 

「まずは家入さんのところへ向かいます」

 

「医務室ですか」

 

「はい。術式使用時の負荷を確認したいとのことです」

 

家入硝子。

 

その名前に、俺は心の中で姿勢を正した。

 

高専関係者。反転術式の使い手。五条悟や夏油傑と同級生だった人。原作知識としてはもちろん知っている。だが、知っている顔を知っている反応で見てはいけない。五条の時に学んだ。俺の異常な怯え方や反応は、六眼持ちには普通に拾われる。

 

家入さんは六眼ではない。

 

だが、医者だ。

 

人間の異常を見つける側の人間である。

 

医務室に入ると、白衣の女性が椅子に座っていた。気だるげで、眠そうで、それでいて目だけは妙に冷静だった。机の上には書類と灰皿。医務室という清潔な空間の中で、本人だけが少し夜更かしの匂いをまとっている。

 

「君が記録に引っ張られる子?」

 

第一声がそれだった。

 

「言い方」

 

「事実確認」

 

「周囲が事実で殴ってくる」

 

家入さんは小さく笑ったような、笑っていないような顔をした。

 

「家入硝子。ここでは一応、医者みたいなことをしてる」

 

「三原透です。一応、患者みたいなことになりに来ました」

 

「自覚があるのはいいことだね」

 

いいことなのか。

 

俺は言われるまま椅子に座り、簡単な問診を受けた。術式を使った時の感覚。記録に飲まれた時の症状。戻ったあとの頭痛や吐き気。睡眠への影響。記憶の混濁の有無。

 

家入さんは、俺の返答を聞きながら淡々とメモを取る。

 

「肉体は現在にあるのに、脳が過去の感覚を同時に処理してるわけか」

 

「たぶん、そうです」

 

「使い方を間違えると、自傷に近いね」

 

さらっと怖いことを言われた。

 

「怖いことを淡々と言わないでください」

 

「怖いことだから淡々と言ってる。大げさに言うと、君が聞かないでしょ」

 

否定できなかった。

 

「強い記録に引っ張られた時、自分の記憶と読んだ記録の区別が曖昧になったことは?」

 

「今のところ、戻ってからは大丈夫です。戻るまでは、たまに自分が誰なのか怪しくなりますけど」

 

「それが悪化すると危ない。読んだ他人の痛みや恐怖を、自分のものとして脳が保存する可能性がある」

 

「最悪すぎる」

 

「最悪だから訓練する。五条も夜蛾さんも、そこは分かってる」

 

家入さんはペンを置き、俺を見た。

 

「医者として言うけど、限界を試すな。『どこまで読めるか』より、『どこでやめるか』を先に覚えた方がいい」

 

その言葉は、今日の授業の前振りみたいだった。

 

医務室を出ると、伊地知さんが待っていた。次は術式検査らしい。案内された部屋には、五条先生と夜蛾さんがいた。夜蛾さんの姿を見た瞬間、俺の肩が少し強張る。

 

「また呪骸ですか」

 

「今日は違う」

 

夜蛾さんが言う。

 

よかった。

 

「必要なら使うが」

 

よくなかった。

 

五条先生は机にもたれ、いつもの軽い調子で手を振った。

 

「やあ。新品の鞄、似合ってるね」

 

「ありがとうございます。請求しました」

 

「高かった?」

 

「人として許される範囲には収めました」

 

「優しい」

 

「俺は常識人なので」

 

「呪術界では貴重だね」

 

嫌な納得のされ方だった。

 

机の上には、いくつかの物が並んでいた。新品の鉛筆、古い硬貨、菓子の包み、小さなコンクリート片、木の板。検査用の道具らしい。

 

「今日は君の術式の取り扱い説明書を作る」

 

五条先生が言った。

 

「家電ですか」

 

「便利だけど使い方を間違えると危ないところは似てるよね」

 

「自分で言うのもなんですけど、嫌な家電ですね」

 

まず、新品の鉛筆に触れた。

 

ほとんど何も読めない。工場、包装、店頭、購入。その程度の薄い記録が、乾いた紙みたいに指先をかすめるだけだった。

 

次に古い硬貨。

 

これは少し濃かった。誰かの財布。自動販売機。子供の手。賽銭箱の暗がり。知らない人間の指先が何度も重なり、雑音のように流れ込んでくる。

 

「浅くでいい」

 

夜蛾さんの声で、俺は手を離した。

 

次に、五条先生が持っていた菓子の包み。

 

これが妙だった。

 

店の棚、レジ、包装を開ける音、甘い匂い。だが、五条先生本人の接触だけがやはり薄い。物はそこにあるのに、世界との間に一枚透明な膜を挟んでいるみたいだった。

 

『接触記録、極薄』

 

アンダー・ワールドが言う。

 

「やっぱり読みにくいです。この人だけ接触の仕方がおかしい」

 

「この人呼ばわり」

 

五条先生は楽しそうだった。

 

術式名は言わない。

 

無下限という単語は、喉の奥で鍵をかけておく。

 

続いて、低級呪霊が通った現場から持ってきたというコンクリート片。

 

触れた瞬間、空気が変わった。

 

湿った臭い。低い唸り。何かが地面を這った跡。人間の恐怖とは違う、ねばついた呪力の残滓が指先に絡む。

 

「三秒」

 

夜蛾さんが言う。

 

「はい」

 

俺は三秒で手を離した。

 

胸が少し悪い。だが、飲まれてはいない。

 

最後に、高専の古い訓練場の床板。

 

これは触る前から嫌だった。絶対に濃い。嫌な予感しかしない。だが検査なので逃げられない。

 

「浅く。表層だけ」

 

俺は自分に言い聞かせ、床板に触れた。

 

一瞬で、無数の足音が開く。

 

走る。踏み込む。転ぶ。立つ。殴られる。笑う。怒鳴る。悔しがる。泣きそうになる。誰かの失敗、誰かの成長、誰かの痛み。

 

奥に行くな。

 

これは俺の記憶じゃない。

 

「三原透、十五歳。ここは東京高専。これは俺の体」

 

唱えながら、手を離した。

 

額に汗が浮いていた。

 

家入さんに言われた通りだ。どこまで読めるかではない。どこでやめるか。俺に必要なのは、力を伸ばす前に、力を止める技術だった。

 

検査結果を、伊地知さんが書類にまとめていく。俺は横で説明を受けた。

 

「三原さんの術式は、残っている記録を読むものです。存在しない過去は読めませんし、作れません。記録が新しいほど読みやすいとは限らず、強い感情や呪力の残穢があれば古いものでも濃く残ります」

 

「はい」

 

「逆に、接触が薄い対象、記録が破壊されている対象、あるいは複数の記録が混線している対象は読みづらい」

 

「はい」

 

「そして重要なのは、読んだ内容を断定しすぎないことです」

 

伊地知さんは眼鏡を直した。

 

「見えたものを、そのまま事実として報告しないでください。記録の時刻、場所、対象、確度、術式使用時間、身体への負荷。可能な限り分けて記載します」

 

「鑑識みたいですね」

 

「近い部分はあります」

 

「霊媒師じゃなかったんだ、俺」

 

「霊媒師扱いされたいんですか」

 

「嫌です」

 

「では報告書を書けるようになりましょう」

 

補助監督寄りの道は、思ったより事務的だった。

 

だが、それが逆にありがたかった。見えた、怖い、嫌な感じがする。そんな曖昧なままでは、現場で誰かを動かせない。俺の術式が情報収集に向いているなら、その情報を他人に渡せる形にしなければ意味がない。

 

つまり、俺はこれから呪力と体術に加えて、報告書の書き方も学ぶらしい。

 

呪術師、思ったより会社員スキルがいる。

 

昼を挟んで、午後は訓練場へ向かった。

 

嫌な予感がする場所だった。なぜなら、床がとてもうるさい。朝触れた床板ほどではないが、それでも訓練の記録が地面の下に幾重にも重なっている。

 

五条先生は、訓練場の端で誰かに手を振った。

 

「恵ー」

 

その名前を聞いた瞬間、俺は心臓を手で押さえたくなった。

 

来た。

 

ついに来た。

 

黒髪の少年が、面倒くさそうな顔でこちらへ歩いてくる。制服姿。無愛想。真面目そうな目。年齢は俺と同じくらい。

 

伏黒恵。

 

十種影法術。

 

原作主人公より先に物語の入口へ立っている、もう一人の一年生。

 

いや、落ち着け。

 

名前を知っている反応をするな。術式を知っている反応をするな。俺は今日初めて会った。初対面。初対面である。自分に言い聞かせる。

 

伏黒は五条先生を見て、少し眉をひそめた。

 

「急に呼び出すのやめてください」

 

「紹介したい子がいてさ」

 

「また面倒ごとですか」

 

「ひどいなあ。半分くらい正解だけど」

 

「半分もあるんですか」

 

会話の温度が、すでに何度も振り回されてきた人間のそれだった。

 

五条先生は俺を指した。

 

「春から同級生になる予定の三原透くん。術式は記録読み。戦闘より調査向きだね」

 

雑な紹介。

 

俺はなるべく普通に頭を下げた。

 

「三原透です。よろしく」

 

伏黒はこちらを見る。警戒はあるが、敵意はない。

 

「伏黒恵」

 

「よろしく」

 

「……よろしく」

 

短い。

 

だが、失礼ではない。必要なことだけを言うタイプだ。俺の知っている伏黒恵の印象から、大きく外れていない。

 

五条先生が手を叩く。

 

「じゃ、軽く訓練しようか」

 

「聞いてません」

 

俺と伏黒の声が重なった。

 

五条先生は気にしない。

 

「大丈夫大丈夫。戦わないから。伏黒が訓練場を移動する。三原は地面の記録からそのルートを追う。それだけ」

 

「それだけ、で済むんですか」

 

「済ませるのが訓練」

 

言い方が信用ならない。

 

伏黒は少し考えてから、「分かりました」とだけ言った。こういうところが真面目だ。俺ならあと三回くらい文句を言っている。

 

訓練は単純だった。

 

伏黒が訓練場の中を歩く。走る。曲がる。止まる。俺は少し時間を置いてから、地面に残った記録を読む。

 

足跡を追うだけなら、なんとかなる。

 

伏黒の動きは静かだった。無駄が少ない。俺が歩くと地面に「俺が通りました」と生活感のある記録が残るのに、伏黒の足跡は細く、濃く、余計なものが少ない。

 

だが、三度目の追跡で、違うものが混じった。

 

足跡ではない。

 

地面に、薄く影が触れたような記録が残っている。

 

物理的な足の接触ではない。けれど、術式の痕跡として、たしかに地面に引っかかっていた。黒く、深く、静かな水面みたいな記録。

 

『足跡デハナイ接触記録ガアル』

 

アンダー・ワールドが言う。

 

『影ガ、地面ニ触レテイル』

 

そこで、声がわずかに遅れた。

 

『……否。触レテイルノデハナイ。沈ンデイル』

 

指先から冷たいものが上がってくる。

 

影の底を覗き込んだ気がした。

 

けれど、底がない。

 

黒い水面の向こうから、こちらを見返す何かがいるような感覚だけがあった。獣の気配にも似ている。穴にも似ている。何かが潜み、何かが繋がり、何かがこちら側へ出てくるための、静かな深淵。

 

『深度、不明。接続先、不明。読取継続ハ危険』

 

俺は即座に手を離した。

 

「そこは読むな」

 

自分でも少し強い声が出た。

 

伏黒がこちらを見た。

 

「今、何を読んだ」

 

俺は息を整える。

 

「足跡だけのつもりだった。でも、術式っぽい痕跡が混じった。すみません。そこは切ります」

 

伏黒の眉がわずかに動く。

 

「切れるのか」

 

「練習中。でも、切らなきゃまずいと思った」

 

沈黙。

 

俺の術式は便利だ。

 

だが、便利であることと、気持ち悪くないことは別だ。土地や物に残った記録を読めるということは、人の行動も、失敗も、隠したいものも、術式の癖も、場合によっては勝手に拾ってしまうということだ。

 

自分がされたら嫌だ。

 

だから、読まない線引きは必要だった。

 

五条先生が横から軽く言う。

 

「そうそう。三原の術式は便利だけど、プライバシー事故を起こしやすいからね」

 

「言い方」

 

「事実でしょ」

 

「最近みんな事実で殴ってくる」

 

伏黒は俺をしばらく見ていたが、やがて短く言った。

 

「次から気をつけろ」

 

「はい」

 

怒っている、というより確認している声だった。

 

訓練は続いた。

 

俺は伏黒の足跡だけを追う。影の記録には触れない。触れそうになったら切る。これが思ったより難しい。読めるものを読まないというのは、目の前に開いた本を、文字を見ずに閉じるようなものだった。

 

しかも、その本は勝手にページをめくってくる。

 

地面に手をついた瞬間、訓練場に残る別の記録が混じった。

 

誰かが転ぶ。

 

誰かが叫ぶ。

 

間に合わない。

 

腕を伸ばしても届かない。

 

地面に手を打ちつけた痛みが、俺の手首に重なる。

 

違う。

 

これは伏黒の足跡じゃない。

 

訓練場に残った、過去の誰かの失敗だ。

 

「三原透、十五歳。ここは東京高専。これは俺の体」

 

唱える。

 

だが、戻りが鈍い。

 

視界の端で、知らない誰かが倒れている。助けなければ。間に合わない。立て。立てない。痛い。悔しい。

 

俺の呼吸が乱れた。

 

『混線』

 

アンダー・ワールドの声が遠い。

 

『読取対象ヲ失ッテイル』

 

分かってる。

 

分かっているが、地面から手が離れない。

 

「おい」

 

低い声がした。

 

次の瞬間、腕を掴まれた。強い力で引かれ、俺の手が地面から離れる。

 

視界が戻った。

 

目の前に伏黒がいた。無愛想な顔のまま、俺の腕を掴んでいる。足元の影が、一瞬だけ揺れたように見えた。

 

「地面を見るな。俺を見ろ」

 

「……命令が強い」

 

「戻れるなら文句言うな」

 

正論だった。

 

俺は数秒かけて呼吸を整えた。

 

三原透、十五歳。

 

ここは東京高専。

 

これは俺の体。

 

今、俺の腕を掴んでいるのは伏黒恵。

 

原作の登場人物ではなく、目の前にいる同年代の少年。

 

「……戻った。ありがとう」

 

「ならいい」

 

伏黒は手を離した。

 

必要なことだけして、必要以上に踏み込まない。その距離感がありがたかった。

 

五条先生が近づいてくる。

 

「今日はここまでかな」

 

「俺としては開始前からここまででよかったです」

 

「それは訓練にならないでしょ」

 

「健康にはいいです」

 

「健康になりに来たわけじゃないからねえ」

 

健康になりに来たかった。

 

切実に。

 

訓練後、伊地知さんが今日のまとめをしてくれた。内容は、思ったより多かった。

 

読む範囲を絞ること。

 

他人の術式痕跡や私的な記録を勝手に読まないこと。

 

読んだ内容は報告書に落とすこと。

 

再演に巻き込まれた時、周囲に分かる合図を決めること。

 

現場では単独行動をしないこと。

 

そして何より、読まない訓練をすること。

 

俺の術式は、「読める」ことより「読まない」ことの方が難しい。

 

それを今日、嫌というほど理解した。

 

俺は伊地知さんに言われたことを思い出しながら、頭の中で今日の記録を分けた。

 

伏黒の足跡。これは訓練対象。

 

訓練場に残った過去の負傷記録。これは混線。

 

伏黒の影に沈んでいた底のない何か。これは、確度不明のノイズ。報告からは除外。少なくとも、本人の許可なく掘るものではない。

 

読まないための線引きは、書類の書き方から始まっていた。

 

帰り際、訓練場の外で伏黒と並ぶ形になった。五条先生は少し離れたところで伊地知さんに何か言っている。伊地知さんの背中がすでに疲れて見える。頑張ってほしい。

 

俺は伏黒に向き直った。

 

「さっきは悪かった。術式の痕跡まで読むつもりはなかった」

 

「別に。止めたならいい」

 

「怒ってない?」

 

「気分はよくない」

 

「正直」

 

「でも、勝手に深く読もうとしたわけじゃないんだろ」

 

「うん」

 

「なら次から気をつけろ」

 

それだけだった。

 

許すとも、許さないとも言わない。ただ、次の行動を見る。そういう線引きだった。

 

「ありがとう。腕掴んでくれたのも助かった」

 

「地面に手ぇついたまま固まってたら、誰でも止める」

 

「そうかな」

 

「そうだろ」

 

伏黒は短く言った。

 

俺は少し笑いそうになって、やめた。

 

無愛想だ。

 

でも、助ける判断が早い。

 

この世界で生き残る人間の反応だった。

 

遠くから五条先生が声を飛ばした。

 

「青春だねえ」

 

俺と伏黒は、ほぼ同時にそちらを見た。

 

そして、ほぼ同時に無視した。

 

高専の門を出る前に、俺は一度だけ振り返った。

 

今日、俺は初めて原作キャラと「登場人物」としてではなく、「同級生予定」として会話した。

 

伏黒恵。

 

知っている名前。

 

知っている術式。

 

知っている未来。

 

けれど、今ここにいる彼は、まだ何も知らない一人の少年だった。

 

『彼ノ影ニハ、古イ記録ガ沈ンデイル』

 

アンダー・ワールドが言った。

 

俺は即答した。

 

「読むな」

 

『了解シタ』

 

「俺は、知ってるからって、何でも読んでいいわけじゃない」

 

知っていることと、覗いていいことは違う。

 

俺がこの学校で最初に学んだのは、記録の読み方ではなく、読まないための線引きだった。

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