「───遅い! 遅すぎるわよ、先生!」
キヴォトス中心街の、飲食店がひしめき合う大通りの一角。待ち合わせ場所に指定された電柱の陰から勢いよく飛び出してきたセリカは、開口一番、鋭い声を張り上げた。トレードマークのツインテールが、彼女の怒りに同期するようにピンと跳ね上がっている。
「一時間前に呼びつけといてなーに言ってんだよお前は。しかも今日は土曜日だぞ。俺ぁ惰眠してたとこだぞコノヤロー」
対する銀時は、いつもの白い着流しの懐に両手を突っ込み、文字通り死んだ魚のような目でセリカを見下ろした。寝癖のついた銀髪はいつも以上にボサボサで、顔全体から「眠い、帰りたい、動きたくない」というオーラがこれでもかと滲み出ている。
「そんなことだろうと思って呼んだんじゃない、どうせなら体を動かした方が夜はぐっすりできるんだから!」
セリカはふん、と鼻を鳴らし、腰に手を当てて胸を張った。
事の発端は、キヴォトスで広く流通しているメッセージアプリ『モモトーク』だった。
周囲の生徒たちから「連絡手段にはちょうどいいから」「緊急時に繋がらないと困る」という至極真っ当な理由で強制的にスマホに入れさせられて以来、銀時のプライベートな時間は目に見えて減少していた。通知音が鳴るたびに、ろくでもないトラブルか、あるいは突発的な呼び出しが確定するからだ。
そして今日も、つい一時間前に「バイト手伝って!」という、およそ連邦捜査組織の顧問に対するものとは思えないセリカからの短いメッセージが送りつけられ、銀時は重い腰を上げてこの喧騒の街へと引きずり出されていた。
「あのなー、銀さんは夜に寝てえとかじゃなくて今寝てえの。昼飯に糖分をこれでもかってくらい摂取したばかりに、血糖値がバーンってなって脳みそめっちゃふわふわしてんの。今なら雲の上でお釈迦様とハイタッチできるレベルなわけ。そんなデリケートな時間をだな──」
「いーから! これ!」
大きな欠伸を噛み殺しながらなおもゴネようとする銀時の口元へ、セリカは容赦なく紙の束を押し付けた。
手渡されたのは、ずっしりとした重量感のある大量のチラシの束。どうやら、この近くに新しくオープンする予定のカフェの告知チラシらしい。
「……チラシ配りね。なるほど、これが俺のノルマ分ってわけ? これを駅前で『よろしくお願いしまーす』って配り歩けばいいのか?」
「違うわよ。先生はこのままここで立ってて。私がこのチラシを配ったりポストに入れたりして、補充しに来たら次の束を渡して欲しいの。そこのバッグの中にまだまだあるから」
セリカは足元に置かれた大きなスポーツバッグを指差した。中を覗き込めば、ギチギチに詰め込まれたチラシの山が視界に入る。
「……これ、二人で手分けして配った方が早くねーか? その方が効率的だろ」
「急に呼びつけたのは私なんだし、手伝いに来てくれた先生にそんなことさせるわけないじゃない。ほら、さっさと始めるわよ! ちゃんと私が戻ってきたらサッと束を渡してよね!」
言い残すや否や、セリカは長いツインテールを綺麗に靡かせて、人混みの中へと一瞬で駆けていった。アビドスでの過酷な日常と日々のバイトで鍛え上げられたその身こなしは相変わらず無駄がなく素早い。
「ま、のんびり待つと───」
銀時はやれやれと首を振り、懐からスマホを取り出した。近場のパチンコ屋の最新台の設置状況や確率でも調べて時間を潰そうとした、まさにその刹那。
「はい次!!」
「……早くね?」
風を切る音と共に、セリカが目の前に立っていた。まだ一分も経っていない。銀時はスマホの画面をタップする暇さえ与えられないまま、慌ててバッグから次のチラシの束を引っ張り出して彼女に手渡した。
「このくらいのペースじゃないと今日中に終わらないの。行ってきます!」
再び弾丸のように飛び出していくセリカの背中を見送りながら、銀時は小さく呟いた。
「……大丈夫かねえ、アイツ。最初からそんな限界バトルモードで飛ばしてっと、後半絶対エンスト起こすぞ……」
「はい次ぃ!」
「だから早えって!!」
──────────
それから、同じようなやり取りを数周繰り返していると、銀時の不吉な予感は早くも的中することとなった。
最初こそ凄まじい神速で往復していたセリカだったが、やはり完全にペース配分を誤って飛ばしすぎたのだろう。街のポストや歩行者にチラシを配り終えて戻ってくる彼女の足取りは、回を追うごとに段々と目に見えて落ちてきていた。
「は、あ……はあ……つ、次……ちょう、だい……っ」
戻ってきたセリカは、膝に手を突いて激しく肩を上下させていた。額には大粒の汗が浮かび、自慢の耳も心なしか元気がなくペタリと伏せられている。
「……おいおい、息切れまくってんじゃねーか。だから言わんこっちゃねえ。やっぱり二人で手分けした方が──」
「い、い……いらない! 私の、バイトなんだから……っ。ふ、ぅ……よし、行ってきます……!」
セリカは銀時の言葉を遮るように首を振ると、差し出された次の束をひったくるように受け取り、深く息を吐いてから再び街へと駆けて行った。その背中には、意地でも先生を頼りきりにはしたくないという、彼女なりの頑固なプライドが透けて見えた。
しかし、残されたバッグの中を見れば、そこにはまだ幾つもの分厚いチラシの束が居座っている。
完全に落ちてしまった今の彼女のペースでは、この量をすべて配り終える頃には日が暮れるどころか、夜の帳が完全に下りてしまうのは明白だった。
「……ったく、意地っ張りな奴」
銀時は大きくため息をつくと、ボリボリと頭を掻きむしり、足元のスポーツバッグをひょいと片肩に担ぎ上げた。
──────────
「は、あ……はあ……つ、次……」
しばらくして、さらに速度の落ちた足取りで戻ってきたセリカは、いつものように銀時に向けて右手を差し出した。
しかし、銀時は何も渡そうとはせず、代わりに肩に担いでいたスポーツバッグを下ろし、そのチャックを全開にして空っぽになったカバンの中身を彼女の前に突き付けた。
「……あれ、もう終わり、だっけ? あと数周しないといけない量があった気が……」
「必死すぎて数え間違えたんじゃねーの? 取り敢えず終わりだよ、終わり。ラストの束、さっきので全部だ」
「……そっか。あー! やっと終わったぁ!! やったあ!」
セリカは信じられないといった様子で一瞬目を丸くしたが、すぐに満面の笑みを咲かせ、両手を高く突き上げてガッツポーズをしながら背伸びをした。随分と長い距離を走り回り、全身の筋肉が疲労で悲鳴を上げているからこその、痛快な達成感なのだろう。
「じゃ、俺は役割果たしたんで帰……」
「待ちなさいよ。まだバイト代を貰いに行ってないじゃない」
踵を返そうとした銀時の白い着流しの裾を、セリカがすかさずガシッと掴み取った。
「はあ? んなもんお前が一人で貰えばいーだろーが。俺はただお前のカバンの見張り番してただけで何もしてねえよ」
「私は先生に『バイトの手伝い』の依頼をしたの。だから半分こは正当な報酬。ほら、さっさと行くわよ!」
「お、おいおい……」
セリカは銀時の必死の抗議などどこ吹く風で、彼の着流しの裾をぐいぐいと引っ張るようにして、チラシの支給元であるバイト先へと力強く歩き出していった。
──────────
「……はい、これ先生の分ね」
すっかり日が暮れて、色とりどりのネオンが灯り始めた街並みの中。セリカは立ち止まり、先ほどバイト先から受け取ったばかりの報酬の半分を、銀時の目の前に差し出した。
「いーって、それはお前の……」
「いいから受け取って、はやく!」
銀時が引っ込めようとした手をセリカが強引に掴み、その手のひらに無理やり紙幣と硬貨を押し付ける。彼女のその頑ななまでの押しの強さに、銀時はやれやれとため息をつくと、観念して受け取った分を白い着流しの懐へと収めた。
「……ありがと、先生。無理に付き合わせたのに、文句言いながら最後までいてくれて」
セリカは少し照れくさそうにツインテールをいじりながら、歩調を緩めてポツリと言葉を漏らした。
「べっつに。……ところでよ、もらったバイト代、やっぱりアビドスの借金に充てるのか? お前いつも、そればっかりだもんな」
「うん、いつもならそうなんだけど……でもね、この前のカイザーの騒ぎの後から、みんな少しだけ心の余裕ができたのかな。ホシノ先輩もシロコ先輩も、私個人の臨時のバイト代は『セリカが自分で頑張った分だから、お小遣いにしなよ』って、受け取らないようになっちゃって」
「……」
「……私は学校のために何かしたくて。……それで、今回は先生と二人で山分け、ってことにしようと思ったの。それなら、私個人のバイトじゃないでしょ?」
「……ふうん」
銀時は懐に手を突っ込んだまま、なるほどな、と胸の内だけで納得した。
他のメンバーたちの気持ちもわからないでもない。カイザーグループの強欲な支配から脱し、ひとまずは切羽詰まった破滅的な返済義務がなくなった今。あの子たちにとって家族も同然であるセリカが、放課後や休日に一人で身を粉にして稼いだお金をそのまま受け取ることに、少しばかりの引け目や申し訳なさができたのだろう。みんな、セリカのことが大切だからこそだ。
けれど、そんな優しさのすれ違いに少しだけ戸惑い、それでも自分のルールを通そうとした結果、一番気安く頼れる彼を巻き込む形にしたというわけだ。
日の暮れた街を二人で並んで歩きながら、銀時はいつものように小指で自分の耳をほじる。
「じゃ、私あっちのルートだから。……ねえ、先生」
アビドスへと続く少し薄暗い道との分岐点に差し掛かり、セリカは足を止め、振り返って銀時を見上げた。
「また、私のバイトの手伝いに付き合ってくれる? 気が向いた時でいいからさ」
「……気が向いたらな」
「ふふ、ありがと。じゃ、先生。また今度!」
セリカは嬉しそうにネコ耳をピクピクと揺らすと、弾むような足取りで夜道へと駆け出していった。その長いツインテールが闇の中に消えていくのを、銀時はしばらく見送っていた。
静かになった大通り。銀時は着流しの懐から、先ほど彼女から手渡された今回の報酬を再び取り出した。
汗と、チラシの紙の匂いが少しだけ染みついた、決して多くはない、けれど一人の女子高生が意地を通して稼いだ重みのあるお金。
それを街灯の光に透かすようにして眺めては、銀時は首の後ろをガリガリと掻き、大きくため息をついた。
「……ったく。こんな一生懸命なガキから巻き上げた金で食うメシが美味いわけねーでしょーが」
ぶつぶつと文句を言いながら再び懐の奥深くへとしまい込み、銀時はシャーレのオフィスへと向かって歩き出すのだった。
──────────
それからと言うもの、ここのところセリカの「依頼」によるバイトの手伝いに付き合うことが多くなった。チラシ配りだけではなく店のホールスタッフ、深夜のビル警備、そして今日はカンカン照りの下での広大な敷地の草むしり。どうにかこうにかシャーレの私室へと帰る頃には、銀時の腰はギシギシ、と冗談抜きで痛みを叫んでいた。
「いててて……明日が休日でよかったわマジで……」
取り敢えず手近なソファへと骨が折れた人形のように腰をかけ、ふう……と深く長い息をつく。すると、白い着流しの懐のスマホが、小刻みに通知バイブを響かせた。
画面を開くと、案の定セリカからのメッセージだった。
『今日はありがと、先生。腰は大丈夫?』
『めっちゃ痛ぇ。やっぱ歳には勝てねえや。お前マジで今楽しんどけよ。30手前になったら急にくるからな。階段降りるだけで膝が笑い出すからな』
『なにそれ、私はまだまだ花の女子高生なのでー。おじさん先生と一緒にしないでよね。……て言っても、さすがに私も今日は肩が凝ったから今お風呂に入って温まってるところなんだけど』
『風呂にスマホ持ち込んでんじゃねーよ。落とすなよ、絶対に湯船に落とすなよ? 』
『先生、それフラ○々6々々〆××^』
そんなふざけたやりとりの最中、突然セリカのメッセージが意味をなさない文字列の羅列となった。
……あー、これ確実に文字を打ってる途中で滑らせて落としかけたな、と銀時が鼻で小さく笑っていると、数秒の空白の後、突然一枚の画像が送られてきた。
「……わーお」
画面を凝視した銀時が、思わず素の声で感嘆を漏らす。
液晶に映し出されていたのは、湯気で少し煙る空間の中、白く健康的な女の子の脚が浴槽の水面でパタパタとバタついている、実に見事なアングルの一枚だった。慌ててスマホをキャッチした拍子にシャッターを切ってしまったのだろう。
『あっぶなあ……本当に落とすところだったじゃない!』
『別に俺のせいじゃねーだろ。っつーか、ご立派なサービスショットまで送りやがって。銀さんは今、大人の階段を一歩登った気分です』
『はあ? 何を言って──』
『あ』
『ちょ』
『見るな! 見るな!! 消して、はやく!! 今すぐ消しなさいよ!!』
『へいへい』
『明日、また手伝いに来てもらった時に直接スマホ確かめるからね! 消してなかったら本気で怒るから!』
……そんな怒涛のメッセージのやり取りの最中で、どうやら言葉の勢いに紛れて、明日も再びバイトの約束が自然と取り付けられてしまった。
はふ、とため息を漏らしつつ、銀時はさりげなく画面を上へとスワイプし、先程の画像のところまで画面を戻してみる。しかし、メッセージの送信取り消し機能によって、そこにはすでに「メッセージが削除されました」の冷たい文字だけが残されていた。仕事が早すぎる。
「……けっ」
ちぇ、と不満げに喉を鳴らすと、銀時はスマホをガラステーブルの上へと置いた。
取り敢えず、泥のように疲れた身体でシャワーを浴びる気力も起きない。お風呂は明日起きたらでいいや、と自分に言い訳をしつつ、ソファに横たわったまま静かに目を閉じた。
──────────
そんなバイトの手伝いの日々が続いていたある日。
今日は近所の公園の遊具を掃除する臨時のバイトがあるとのことで、銀時がいつものように待ち合わせの現地で立っていると、向こうからふら、ふら、と覚束ない足取りで歩いてくるセリカの姿が見えた。
ネコ耳は完全に力なく垂れ下がり、ツインテールもどこか重たげに揺れている。
「……おいおい、お前、足元フラフラじゃねえか。大丈夫かよ?」
「へ、平気……よ。ちょっと、ここのところ、いろんなバイトが重なって……少し疲れが溜まってるだけ……だから、わわっ!?」
強がりを言おうと見上げたセリカの視界が急激に歪んだ。ガクンと膝の力が抜け、前のめりに倒れかけた彼女の身体を、銀時は一歩踏み出してそっと抱き留める。
「おっと。危ねぇな」
「あ、ありがと……。でも、もう大丈夫だから……離して、ちょうだい……」
セリカは慌てて身体を離そうとする。しかし、彼女を支える銀時の太い腕は、ビクともせずにその小さな身体をしっかりとホールドしていた。
「大丈夫なわけねーだろ、このバカ。顔色悪すぎんぞ。目の下にクマ飼ってんじゃねーか。いつからちゃんと寝てねえんだよ」
「大丈夫、本当に……心配しすぎ……大丈夫、だから……」
銀時の胸元をぐい、ぐい、と押し返そうとするセリカの手。しかし、その小さな手のひらからは驚くほど力が抜けていき、言葉も次第に尻すぼみになっていく。
限界まで張り詰めていた緊張の糸が、銀時の懐の温もりに触れた瞬間、ぷつりと切れてしまったのだ。気付けば、セリカは銀時の腕の中に完全に体重を預け、安心しきったように気絶同然の深い眠りへと落ちていた。
「……はあ……」
銀時は静かになった公園の中に、長くて、どこかやり切れないため息を一つ落とした。
学校を守るため、みんなの足を引っ張らないため、そうやって一人でどれだけの重荷を背負い込んで走り続けていたのだろう。
銀時は彼女が地面に落とした掃除用具の袋を片手で拾い上げると、腕の中のセリカの身体を、起こさないように細心の注意を払って横抱きに抱え直した。花の女子高生にしては驚くほど軽いその身体を抱え、銀時はひとまず直射日光を遮る木陰にある、公園の隅のベンチへとゆっくりと向かった。
──────────
「ぅ、ううん……ん……?」
セリカがゆっくりと目を覚ます。視界に飛び込んできたのは、木漏れ日を優しく遮る緑の葉と、どこか見覚えのある、波打つ白と薄青の布地。
最初はポヤポヤとした、お風呂上がりのような温かい思考のなかにいたが、身体に伝わる適度な弾力と、すぐ近くから香る、聞き覚えのあるイチゴ牛乳の甘い匂いに、彼女の頭の中が急激に熱を帯び始める。
(あれ……私、確かバイトの待ち合わせに遅れそうになって走ってて、それで……え? ここ、どこ?)
段々と状況を理解し、自分の頭が「誰かの太腿の上」にあることに気付いた瞬間、セリカは顔を青ざめさせた。
「わ、わわっ!? 先生は!?」
「おはよーさん、よく眠ってたじゃねーか。おかげさまで俺の右太腿はもう、三時間くらい正座させられた後のしびれ具合を通り越して、完全に感覚がログアウトしてんだけど」
気付けば、ひどく耳慣れた気怠げな声がセリカの真上から響いていた。
彼はどうやらセリカに膝枕をして寝かせていた様子で、動くたびに彼の白い着流しの生地がすれて、セリカの頬をくすぐる。
「な、何してるのよ、あんたは!?」
セリカは真っ赤になった顔を隠すように両手で自分の頬を押さえながら起き上がるとベンチの端っこまでずざざっと這いつくばるようにして距離を取った。ネコ耳はピンと垂直に立ち、ツインテールも逆立たんばかりに震えている。
「そりゃあこっちのセリフだ。お前さんどんだけスケジュール帳をブラック企業のシフト表みたいにギチギチに詰めてんだよ。仕事熱心なのは結構なことだがよ、体の具合悪くしてぶっ倒れてたら元も子もねーでしょ」
銀時はしびれきった右太腿を拳でトントンと叩きながら、深いため息をついた。
「うぐぐ……」
正論を突きつけられ、セリカは返す言葉もなく小さく唸った。
ここ数日、対策委員会のみんなに内緒で早朝の新聞配達から夜間の警備、果ては空き時間の単発バイトまで、限界を超えて詰め込んでいたのは事実だった。早くみんなを楽にさせたい、学校の役に立ちたいという焦りが、彼女の体調管理を完全に狂わせていたのだ。
「本当に仕事できる奴ってのはガス抜きの仕方もうめーの。ガス抜きもせずに働き詰めてたら、どんなカラクリもオイルどろどろになって、そのうち煙吐いてぶっ壊れるっての」
銀時はそう言ってよっこらしょと立ち上がると、まだ顔を赤くしたままベンチの端に縮こまっているセリカに向けて、大きな手のひらを差し出した。
「バイト先にゃ話つけてある。今日は急だがオフってことで、お前さんの身体のメンテナンスに予定変更だ。行くぞ」
「……行くって、どこによ。バイト代も出ないのに……」
セリカは差し出された手と銀時の顔を交互に見つめながら、まだ少し本調子ではない掠れた声で呟く。そんな頑固な彼女へと銀時はニヤリとだらしなく不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「デート」
「……はあ!?」
その単語が耳に飛び込んできた瞬間、セリカの思考は完全にフリーズした。
ネコ耳が今度こそ限界まで直立し、顔の赤みは瞬時に耳の先まで一気に跳ね上がる。
「デ、デ、デートって……何言ってんのよ!? 私、私はそんな暇──」
「おーおー、元気元気。それだけ大声出せるなら歩けるな。ほら、さっさと行くぞー」
「ちょっと、引っ張らないでよ! だからどこに行くのよ! 私はまだ花の女子高生なんだからねっ!?」
パニックになりながらも、セリカは銀時に掴まれた手を決して振り払おうとはしなかった。ぶつぶつと怒鳴り散らしながらも、その歩調はしっかりと銀時の歩幅に合わせていく。
夕暮れ時の公園の木漏れ日の中、だらしない大人と、彼に手を引かれるツインテールの少女の影が、少しだけゆっくりとしたリズムで街へと伸びていった。
──────────
「──── ここ、って……」
銀時に連れられて辿り着いた場所を見上げ、セリカは呆然と声を漏らした。
そこは、数日前、彼女が初めて銀時を巻き込んでバイトをした際に、死ぬ気で街頭配りをしていたあの新オープンのカフェだった。オープンして間もないというのに、店内は満席。店先には何人もの客が列を作っている。彼女のあの懸命な頑張りが、しっかりと実を結んでいる証拠だった。
「すんませーん、予約してる坂田なんですけどー」
銀時は列をスルーして入り口の店員に声をかける。
「ああ、坂田さんですね。お時間通りにありがとうございます! お席の方はバッチリ取ってありますので、どうぞこちらへ!」
店員は銀時の顔を見るなり、これ以上ないほどの満面の笑みで二人を店内の奥へと案内した。
「よ、予約って……あんた、いつの間に……。っていうか、こんなに混んでるのに、よく席なんて取れたわね」
「誰かさんが自分の身体に鞭打って、死に物狂いで宣伝してくれたおかげで大繁盛してるみてえだからな。その功労者を特等席でもてなせって、あらかじめねじ込んどいたんだよ。ほら、行くぞ」
「あ、……うん」
通されたのは、外の喧騒が少しだけ遮られた落ち着いたボックス席だった。向かい合わせに座ると、銀時は卓上のメニューを開いてセリカの前へと滑らせる。
「取り敢えず好きなもん頼みな。パフェでもケーキでも、一番高けーやついっちゃっていいぞ。今日は俺らの奢りだ」
「でも、悪いし……。急に連れてこられて、バイト先にも迷惑かけちゃったのに、こんなご馳走までしてもらう理由なんて……って、あれ? 今、俺らって言った?」
セリカが不思議そうに首を傾げると、銀時はお冷のグラスを弄びながら深いため息をついた。
「……お前、その調子だと自分が何の日か、マジで綺麗さっぱり忘れてんな?」
「え……? 何の日って……」
「たんじょーび」
「……え、ええ!? 私の、誕生日……!? ──あ、嘘、今日だっけ!?」
カレンダーすらまともに見る余裕がなかった自分に気付き、セリカが目を丸くした、まさにその瞬間だった。
「そーだよー、セリカちゃん。自分の誕生日忘れてまでバイト熱心なんて、おじさん感心しちゃうけど、心配もさせられちゃうねえ」
「ん、セリカらしいけど、頑張りすぎは良くない」
「ふふ、サプラーイズ☆ ですっ! 大成功ですね、先生!」
「先生からセリカちゃんが公園で倒れた、って連絡を聞いた時は本当に心臓が止まるかと思いましたけど……無事で本当によかったあ……!」
ボックス席の隣のカーテンがシャッと開き、そこから次々と現れたのは、見慣れたアビドス対策委員会のメンバーたちだった。ホシノ、シロコ、ノノミ、アヤネまでが、満面の笑みやホッとした表情を浮かべてセリカを囲む。
「え、ええ!? ホシノ先輩にシロコ先輩、ノノミ先輩、アヤネちゃんまで!? なんで、どうしてここにいるのよ!?」
パニックになるセリカの隣にホシノとノノミが滑り込み、対面の銀時の隣にはシロコとアヤネが陣取る。
「なあに、元々はこいつらから『セリカの誕生日だからサプライズを手伝ってくれ』って頭下げられてさ。せっかくだしお前が宣伝してた店でって用意してたんだよ。お前が途中で倒れた時は、流石に時間をズラさねえとマズいかなあと思ったが……まぁ、結果オーライだろ。無事に連れて来れて良かったわ」
銀時が頭の後ろで手を組みながらそう言い終わる頃、タイミングを見計らっていた店員が、綺麗に六人分に切り分けられた特製のバースデーケーキをテーブルへと運んできた。瑞々しいイチゴと、主役の名前が刻まれたチョコレートプレートが、ろうそくの柔らかな光に照らされて美しく輝いている。
「……さあて、今日の主役はアンタってことで。……はっぴばーすでー、ってヤツだ」
銀時がそうぶっきらぼうに言うと、それを合図に待ちきれなかったとばかりに四人の少女たちの声が重なった。
「「「「ハッピーバースデー、セリカ(ちゃん)!!」」」」
パンッ、パンッ、とクラッカーの小気味よい音が響き、色鮮やかな紙吹雪がボックス席を彩る。
目の前に広がる、世界で一番温かい光景。自分のために集まってくれた大好きな仲間たちと、文句を言いながらもずっと隣にいてくれた大人の姿。
「み、んな……」
視界が急激に熱くなって、目の前のろうそくの炎がにじむ。
一人で頑張らなきゃいけない、みんなを助けなきゃいけないと、頑ななまでに自分を追い込んでいた胸の奥の塊が、みんなの笑顔に溶かされていくようだった。
セリカは溢れそうになる涙をぐ、と堪え、鼻を少し赤くしながらも、今日一番の、これ以上ないほどの満面の笑みを咲かせた。
「……ありがとうっ!」
その言葉と共に弾けた彼女の笑顔を見て、ホシノは優しく目を細め、シロコは満足げに頷き、ノノミとアヤネは嬉しそうに顔を見合わせる。
そして銀時は運ばれてきたケーキを誰よりも早く口へと運び、「んー、糖分が染みるわ」と呟いて、アビドスの賑やかな夜の幕を開けるのだった。
今日はセリカの誕生日、てことで。
実際30手前になると体中さまざまな場所にガタがきます。昔は二郎系食えてたのになあ。