【悲報】ヒフミさん普通じゃなかったwww   作:車検のコダック

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プロローグの女

【先生視点】

 

 水中に沈んでいくような、あるいは無重力の宇宙空間を漂っているような。

 ひどく曖昧な感覚の中に先生はいた。

 

 視界は白く塗りつぶされ、何も映らない。

 

 しかしふと、そこに一つの歪みが生まれ、視界が急に開けていく。

 

 アンティーク調の白いテーブルと、上品なティーセット。

 そしてその席に静かに腰を下ろす、一人の少女の姿。

 

 豪奢な金糸の髪に、ピンと立った狐の耳。

 理知的な光を孕んだ金色の双眸は、ただ静かに先生を見つめていた。

 

「――やぁ、先生」

 

 ふいに、彼女が口を開く。

 

 目の前にいるというのに声は前だけでなく、左右や後ろからも聞こえてきて、その奇妙さがこの状況に対する現実味を奪っていく。

 

 君は、誰?

 

 そう名を問おうと口を動かしたが、本当に水中にでもいるのか、声が発せられることはない。

 

 だが不思議なことに、彼女と目を合わせたと同時、先生は彼女の名前を理解した。

 

 彼女の名は『百合園セイア』だ、と。

 

 セイアは先生が声を発せないことを理解しているらしく、少し微笑んで手に持ったカップをソーサーに置いた。

 

「奇妙な感覚だろう?無理もない。肉体という檻から一時的に解き放たれ、意識のみがこの事象の地平に漂っているのだから」

 

 そして彼女は、詩人のような言い回しで語り始めた。

 

「……君は、『明晰夢』というものを知っているかい?」

 

 まるで古い哲学書でも読み上げるような、ゆったりとした口調。

 

「人は往々にして、夢を見ている最中、それが夢であるという事実を自覚できない。不条理を不条理として認識できず、ただ流されるがままに幻を現実と錯覚する。

 ……だが稀に、自らが夢の中にいると明確に理解したまま世界を観測する者がいる」

 

 セイアは金色の瞳を細め、魂の奥底までを見透かすように見つめてくる。

 

「今の私と君の状況は、それに近い。

 ……いや、君の状況は意識はあるが肉体の操作はできないのだったか。となると、どちらかと言えば『胡蝶の夢』に近いかもしれないね」

 

 目を伏せ、一拍置いたのち、何かを決意したように口を開いた。

 

「……そう。ここは現実という盤上から少しだけ外れた観測者の夢。

 しかし、夢だとしても少しだけ耳を傾けてほしい。

 やがて目覚めれば、朝露のように消え去ってしまう言葉だとしても」

 

 セイアの口調が、どこか言い聞かせるような物言いに変わる。

 

「これから君は……トリニティが遺した、過去の禍根と向き合うことになる」

 

 セイアの声が、一段と低く、重みを増す。

 

「エデン条約。ゲヘナ学園とトリニティ総合学園という、長きにわたる対立を解消せんとする歴史的な不可侵条約。

 ……ナギサは平和を望み、どうにか締結に漕ぎつけようとしている。

 

 だが、そもそも『エデン』とは何だろうか?」

 

 セイアは自問するように、虚空を見つめた。

 

「……キヴォトスにおける7つの古則のうち、一つはそのエデンに関するものだった。

 

 曰く、『楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか』と。

 

 ……悪趣味なものだと思わないかい?

『エデン条約』という名前は連邦生徒会長が提案した名前であったが、この問答の答えを私はこう解釈した。

 

『エデンに到達したものは帰還するのか。帰還するならばそこはエデンではないのではないか』、とね。

 

 誰も、エデンの実在を証明することはできない。

 

 つまり、この条約は暗闇であるかもわからない物に手を伸ばしているようなものだとも取れる」

 

 その言葉には、ひどく濃い影が落ちているように感じられた。

 

「疑心暗鬼、猜疑心、憎悪、そして裏切り。平和という美辞麗句で覆われた条約の裏側で、すでに破滅の歯車は回り始めている」

 

 セイアは席を立ち、音もなく先生の目の前へと歩み寄る。

 彼女の小さな手が、幻影であるはずの先生の胸元に、そっと触れた。

 

「先生。どうか、背を向けず、目を逸らさないでほしい」

 

 その瞳には深い哀願と、かすかな絶望の色が宿っている。

 

「これから君が見る現実は、不条理で、残酷で、あまりにも救いがないかもしれない。それでも……君が彼らを見捨てず、真実から目を逸らさないこと。それが、この破滅の運命を打ち破る、唯一の道なのだから」

 

 先生の視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 それは夢の終わりを意味しているのだと、先生はなんとなく理解した。

 

 そうして空間が崩壊していく中、セイアは鋭く冷たい声を放つ。

 

「最後に一つ」

 

 彼女の姿が闇に溶けていく直前。

 

「――『悪魔』の扱いには気を付けることだ」

 

 それが何を意味する言葉なのか。

 思考することも許されず、先生の意識は途絶えた。

 

 

 

【桐藤ナギサ視点】

 

 トリニティ総合学園、ティーパーティーの執務室。

 美しく手入れされた中庭を一望できるテラス席にてナギサは一人、冷めきったダージリンティーを口に運んでいた。

 

 最高級の茶葉を使用しているはずのそれはひどく渋く感じ、ナギサは思わず顔を顰めてしまう。

 

「……いけませんね。心に余裕がないと、紅茶の味まで損なわれてしまいます」

 

 ナギサは小さくため息をつき、ティーカップをソーサーに置く。

 彼女の視線の先、純白のテーブルの上には優雅な茶会にはおよそ似つかわしくない『五名の調査報告書』が無造作に広げられていた。

 

 ――エデン条約。

 

 その締結はナギサにとっての悲願である。

 

 トリニティ総合学園とゲヘナ学園。

 水と油、あるいは光と闇とも例えられる二つの学園の確執は、キヴォトスの歴史の中でも相当に根深いものだ。

 

 だがその連鎖を自らの代で、この平和条約によって取り除く。

 それができればトリニティに、ひいてはキヴォトスに平和が訪れる。

 

 そう信じて、ナギサは身を粉にして各方面への根回しと政治工作に奔走してきた。

 

 しかし。

 条約の締結が近づくにつれ、ナギサの心にはある疑念が広がっていく。

 

 ――トリニティとゲヘナの仲の悪さは公然の事実である。

 なんせ、それはエデン条約を推進するナギサの分派である『フィリウス』ですら、ゲヘナに対していい感情は抱いていないのだ。

 特にゲヘナに対する嫌悪が強い『パテル』などは当然、不満を燻らせていることだろう。

 

 今でこそ、ナギサの働きによって沈静化している状況ではあるが……。

 

(必ず、不満を抱えた人間はいます。

 水面下で条約をご破算にする機会を窺っていると見た方が自然でしょう)

 

 疑心暗鬼。

 それこそがナギサの心に巣食った呪いであった。

 

 誰か裏切り者がいるのではないか。

 裏でゲヘナと繋がっているものがいるのではないか。

 パテルか、サンクトゥスか、それとも他の急進派か。

 

 フィリウスですら、例外では無いかもしれない。

 

 考えれば考えるほど、ナギサには全員が敵に見えてきていた。

 

 だが学園に在籍する数千、数万の生徒をすべて監視することなど不可能だ。

 

 だからこそ、ナギサは決断した。

 自らの権限を行使し、学園内に潜む『不審な人間』を一箇所に集め、隔離と監視を両立させるための特別な檻――『補習授業部』を設立することを。

 

 ナギサは、テーブルに広げたファイルに目を落とした。

 

『浦和ハナコ』

 

 一年生の頃は学園史に残るほどの天才として名を馳せていた生徒。

 しかし二年生に進級した途端、彼女は突如として周囲を困惑させるような奇行を繰り返し、成績も底辺まで落ちぶれてしまった。

 

(あまりにも不自然です。一時期は次期ティーパーティーとも噂されていた才媛である彼女が、突然にこうなるとは……。監視を逃れるためのカモフラージュ、それとも囮でしょうか?

 少なくとも、怪しい存在であるのは間違いありませんね)

 

 ナギサはそう分析し、ハナコのファイルを脇へ避けた。

 次いで、二つ目のファイル。

 

『下江コハル』

 

 この少女については、疑心暗鬼に陥っているナギサから見ても、裏切り者としての嫌疑は限りなくゼロに近かった。

 

 正義実現委員会の末端メンバーであり、聞き取り調査では優しく単純で、裏表のない性格という総評だ。

 

 だが。

 いかんせん彼女の試験の成績は、トリニティの歴史に残るレベルで悲惨であった。

 

 というか、そもそも一年生であるはずの彼女がなぜ、二年生の試験に紛れ込んで、しかも赤点を取っているのだろうか。

 

 ナギサとしても、彼女に対しては怪しさよりも困惑が強い。

 

(……コハルさんには申し訳ないですが、補習授業部という名目を成立させるためにも彼女を入れないわけにはいきません。怪しい人物だけを集めてしまえば、これが監視するための檻であることがバレてしまいますからね)

 

 ハナコのファイルの上に重ね、次は三枚目。

 

『白洲アズサ』

 

 ナギサの目が、スッと鋭く細められる。

 

(彼女こそが現状、裏切り者の最有力候補ですが……)

 

 エデン条約の調印式が迫るこの時期に、突如としてトリニティに編入してきた出処不明の少女。

 

 しかし、アズサをトリニティに転入させたのはナギサの親友であり、ティーパーティーのメンバーでもある聖園ミカであった。

 

 ナギサとて、ミカのことは個人的にも信頼している。

 彼女の明るさと優しさに救われたことは何度もあった。

 

 とはいえ、ミカは政治的な駆け引きにおいては致命的と言っていい。

 

 ミカが嵌められている可能性は高いだろう。

 

 このアズサという生徒は過去の経歴をいくら調べても追うことができず、無から生まれたと形容してもいいほど不気味な存在であった。

 

(もはや怪しすぎて違うのではないか、というのが正直なところですね……)

 

 裏切り者であると仮定して、せめてカバーストーリーでもあるべきではないのか、と思わなくもない。

 出身校の記録すらないのはどういうことなのだろうか。

 

 だが、下手に刺激できないのもまた事実。

 ティーパーティーはその性質上、三派閥によって成り立っている。

 

 その関係で、別派閥のリーダーであるミカが転入させたアズサを、別派閥の人間であるナギサが強引に退学させるのはよろしくない。

 それをしてしまえば最悪、今すぐ『パテル』が敵に回ってもおかしくないのだ。

 

 今内部分裂が始まってしまうのは避けたい。

 

(実際に、パテルの方が転入させるようミカさんに頼んだ可能性はありますし……)

 

 ミカが優しいから、利用されているだけ。

 ミカ自身が裏切っている可能性からは目を背けつつ、ナギサはそう思案する。

 

(……彼女の成績が低いのは、不幸中の幸いと言うべきでしょう。

 ミカさんには悪いですが、少しでも不審な動きがあれば試験結果を改竄してでも退学させればいいのです。これならパテルの方々からも文句は出ないでしょう)

 

 それでもミカを疑っている状況に少し胸を痛めながら、ナギサは次のファイルを手に取った。

 

「……っ!」

 

『阿慈谷ヒフミ』

 

 その写真の、ぎこちなさを見せつつも柔らかい微笑みを見せる少女を見た瞬間。

 ナギサの胸の奥が、ギリッと締め付けられた。

 

「……ヒフミさん」

 

 ぽつりとこぼれた声には、深い憂いと悲しみが滲んでいた。

 

 ナギサは、ヒフミのことが大好きだった。

 

 政治的な思惑も派閥のしがらみも関係なく、誰に対しても等しく優しい彼女の存在は、権力闘争に疲れ果てたナギサにとって唯一のオアシスのようなものだったのだ。

 

 だが、念のためにつけておいた監視から上がってきた報告は、とてつもない衝撃をナギサに与えた。

 

 少し前、部下から報告を聞いた時のことを思い出す。

 

『――なっ!ヒフミさんが、ブラックマーケットに頻繁に出入りしているなんて、そんなわけが……!』

 

『しかし、証拠の写真も上がってきておりまして……』

 

 最初その報告を聞いた時、ナギサは激しく混乱し、思わず部下を怒鳴りつけそうになったことを覚えている。

 

 ――あの優しくて純粋なヒフミさんが、そんな危険な場所に自ら好んで行くはずがない。

 

(き、きっと、限定のペロペロ様……?グッズか何かを探しているうちに、うっかり迷い込んでしまったのです!それか、悪辣な輩に弱みを握られているとか……!)

 

 ナギサは必死にヒフミの無実を信じようとした。

 いや、今でもヒフミがエデン条約を妨害する『裏切り者』だなどとは微塵も考えていない。

 

 しかし、例のカイザーグループによる『ファウストを騙るトリニティ生』の事件。

 あれはゲーテがカイザーを潰すために仕組んだマッチポンプである可能性が高かったが、そこでダシに使われた『トリニティ生』というのは、おそらくヒフミだったのだ。

 

 あの噂が流れ始めた数日前に、「ヒフミがブラックマーケットに入った」という報告を受けていたからである。

 

 嘘に真実を混ぜ、信憑性を持たせる……。

 いい手腕だと言わざるを得ない。

 

 ナギサ個人としても、ヒフミが巻き込まれているとなれば調べざるを得なかったのである。

 

 結果として、後日ゲーテからティーパーティー宛てに『勘違いだった。申し訳ない』という旨の、いっそ恐ろしい謝罪の言葉が届く。

 

 物品を受け取って賄賂だなんだと騒がれても困るので、最終的に『貸し一つ』ということでナギサは了承した。

 

 まぁそれもあって、あれがゲーテの策だったことはナギサの中で確定したわけだ。

 

 ――ナギサにとってあの出来事はまさに青天の霹靂ではあったが、一つだけよかったことがある。

 

 それは、少しばかりナギサに余裕が生まれたことだ。

 

 ある時聞かされた、友人であり本来のティーパーティーのホストであるセイアの死。

 あの日から段々と、ナギサの余裕は失われていった。

 

 しかし他に目を向ける機会を得たことで少しばかり視野が広がり、多少冷静になったのである。

 それに、大っぴらには使えないだろうが、最悪の場合『ゲーテ』という裏社会の切り札が使えるようになったことも大きいだろう。

 

(ゲーテともなれば、一派閥を抑え込むことは容易のはずです)

 

 だが、問題が無くなったわけではない。

 

(ただ、ヒフミさんが何らかの形で裏社会に目をつけられている可能性は、依然として残っています。彼女を危険な外部から隔離し、安全を確保するためにも、補習授業部に居てもらいましょう。

 ……イベント?とやらで試験を欠席していましたし、ちょうどいいですね)

 

 さらに、ナギサはヒフミの裏表のない純粋さを誰よりも信じている。

 だからこそ彼女に一つの重要な役割を託すことにした。

 

「ヒフミさん……申し訳ありませんが、どうか私の『目』となってください」

 

 補習授業部という疑惑の檻の中で、アズサやハナコといった『真の裏切り者候補』の動向を内部から探る、スパイとしての役割。

 

 優しい彼女にそのような真似をさせるのは心苦しかったが、トリニティを守るためにはこれしかなかった。

 

(ヒフミさんならきっと、私の期待に応えてくれるはずです)

 

 そしてこの曰く付きの部活をまとめ上げるための『盤上の駒』が、もう一つ必要だった。

 

 ナギサは手元の書類から、とある人物のファイルを抜き出す。

 

『シャーレの先生』

 

 連邦生徒会直轄の、超法規的権限を持つ大人。

 

 彼ならば、どの派閥にも属さない中立の立場から問題児たちをまとめ上げ、裏切り者の正体を炙り出してくれるだろう。

 それに、ヒフミを裏社会の影から守る防波堤にもなってくれるはずだ。

 

「……ミカさんから先生の名が出てくるのは少し想定外でしたが……。

 ……先生。あなたにも期待していますよ」

 

 以前彼と顔を合わせた時のことを思い出しながら、ナギサは再び紅茶に口を付ける。

 

 やはりまだ、紅茶は渋いままであった。

 

 




むず過ぎ。
セイアさん、まだ出番の予定あるってマジかよ。
なんか地の文までポエム浸食されてて怖いよ……。

しゃべり方これでほんとにええんか?
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