2度目の人生を得た貴族令嬢の私、USSRスキル『赤い書庫』で追放先の辺境から理想の世界を作ります!~前世の職業で色々経験済みなので全く問題ありません~ 作:猫元帥
『人間は自らの手で歴史を創り出していくが、その自由意志によって歴史を創り出してはいない。自ら選択した状況下ではなく、現在目の前に存在し、与えられ、そして過去から受け継がれた状況の下でしかなし得ないのだ。』
――K.マルクス
***
《大陸暦692年
秋の夜長、と言うべきこの日。二つの月の光は、数時間前までしとどと小雨を降らせていた雲の切れ間から、時折顔を覗かせる程度だった。
王都ウル=ソールを扇状に取り囲む郊外の街道、森、農地、集落。いくつもの地点で、普段ならばあり得ない規模の人と馬の気配が、闇に紛れて蠢いていた。
ヴァロニア公爵アルベールをはじめとする貴族派の面々は、それぞれの所領から動員し得る限りの私兵を、この二月ほどの間に少しずつ、しかし決して大々的にはならぬよう、慎重に王都近郊へと分散して呼び寄せていた。
もっとも、その「慎重さ」の実態は、お世辞にも褒められたものではない。
名目は様々だった。
例えば、「所領の警備強化」、「国王生誕八十年の大祭を控えた治安維持」、「王都近郊の別邸の改修に伴う人足追加」「近隣諸国に対する防備増強のため通過中」――どれもこれも、突き詰めればさして精緻な偽装ではない。
おそらく、近代的な官僚機構がもっと発達していれば、いやそれ以前に絶対王政の確立後ならば芋づる式にバレて一網打尽にされるレベルの代物だ。
だが、幸いにも、王都及びその周辺地域の軍備を担う、すなわち王立軍を統括する軍務評議会そのものが、老王の病臥以来続く宮廷闘争の渦中で疲弊し、さらに情勢がアカデミーとの同盟により有利になったことを受けた油断もあって、日々の政争と予算の綱引きにかまけていた。
その隙間を縫うように、さらに貴族派による王都圏の駐留軍諸部隊への様々な工作も功を奏して、この不自然な人の流れは、明確な警戒の対象とはならなかったのである。
総勢、おおよそ四千から五千人。
国王が掌握するクリヴィア王国の常備軍の総数からすれば、決して圧倒的な数ではない。
だが、この夜、この瞬間に、王都及びその周辺に実際に展開している兵力でさらに王党派が掌握しているもの――王都駐屯の各軍兵営、そして王宮警備の近衛騎士団――と比較するならば、話は違ってくる。
前近代の常備軍とは、本来、国境の防備や地方の治安維持のために各地へ分散配置されるものだ。王都近辺に集中しているわけでは、決してない。
つまり、現在の王都というこの一点においてのみ、貴族派は数的優位に立っていた。
もっとも、それは綿密な計算の末に導き出された優位ではない。
むしろ、このクーデターの決行そのものが、ヴァロニア公爵ら貴族派の激情に近い決断――「行動あるのみ」という、ある種の賭けに等しい号令から始まったものだった。用意周到な策謀家の仕事というより、追い詰められた者たちの、最後の跳躍に近かった。
だが、皮肉なことに、その粗さこそが、王党派の虚を突く結果になろうとしていた。
こんな夜に、こんな形で事が起きるとは、何よりここまで貴族派が拙速に逸るとは、誰も予測していなかったのだから。
***
事前に王都最初の一報は、夜明け前、王都北方に置かれた軍営から発せられた。
いや、正確に言えば「一報」と呼べるほど整然としたものではなかったが、少なくとも事態が開始されたのだ。
「起きろ、交代だぞ。」
「ふあああ。眠い。」
促された兵士の一人は大いにあくびした。
「おい、雨止んだんだから、ちゃんと行けよ。」
「はいはい、分かってるよ。」
このようなやり取りをしていた兵士たちの交代の間際。こっそりと用を足していた若い兵の一人が、闇の向こうに近づく多数の松明と馬蹄の音に気づいた時には、既に貴族派の私兵たちは営門の目前にまで迫っていた。
「お、おい!何だお前た……!」
誰何の声が上がりきるより早く、門は破られた。
数の有利と迅速な展開、何より完全な意表を突いたこと。
これらの原因から、簡単に武装解除されてしまい、抵抗らしい抵抗は、ほとんどなかった。
深夜という時間、小雨上がりの気候。
そして何より、まさかこの数十年の安定と平和を謳歌してきたこの大国クリヴィアの首都で、「武装勢力による王立軍への急襲」などという事態が現実に起こるとは、営内の誰一人として本気で想定していなかったから、ここまで上手くいってしまったのだろう。
もみ合いや小競り合いは起きたため、数名の負傷者が発生し、そして混乱の中逃亡を図ったりして命を落とした者がさらに二、三名。
決して大規模な戦闘などではないために数刻もせず終わったが、それでも王都北方の部隊は、この夜のうちに事実上の機能を喪失した。
「……子爵閣下、侵入は予定通り。公爵閣下率いる本隊は、現在郊外で待機中。南西及び東から侵入する各隊も、現在のところ展開は順調とのことです。」
この隊のリーダーである若い男は、副官の報告を受けしばし考え込む。
「分かった。……我ら北隊は急ぐぞ。ヴァロニア公の露払いをせねばならん。」
クーデターに前のめりであったその青年貴族は、部下を激励する目的もあって、声を抑えつつもこう叫んだ。
「聞け、お前達!今回の義挙は、天に座す神王エク=ヌルヴァルもご照覧ある!神々の祝福は、正義と伝統ある我らにあるのだ!」
ここまでは彼ら”高貴な人々”にとっての自己満足であって、傭兵・農民兵も混ざる兵士たちにとっては「どうでもいいこと」だったのだが、その続きこそが兵たちに響くことになる。
「奮い立て戦士たちよ!王党派の貴族を捕らえるか仕留めた者には、公爵閣下より直々に褒美を賜ることができるぞ!貴族家の当主、跡継ぎ、ついで大人の男、大人の女、子供の順だ!」
この言葉に一気に場がざわめき出す。
「ああ、そうだ。いいことを思いついた。有力な家の当主を生かして捕らえた男には、金の代わりに私から騎士に推薦する口利きをしてやろうではないか!」
「ほ、本当ですか旦那様!?」
いかにも貧相かつ農民上がりの若者が、恐る恐る声を上げる。
「ふん。貴様にできれば、の話だがな。私も手柄を立てたいのでな。では行くぞ!」
直裁的かつ下劣な、しかして欲望を的確に煽る扇動は、非常によく効いたようだ。
「「「うおおおお!」」」
歓声とともに彼らの目つきが、疲れた人間から、猛る獣へと変わった。
欲望に駆られた北隊ほど迅速ではなかったが、同様の制圧と無力化の光景は、程度の差こそあれ、王都周辺の他の営でも繰り返された。
ある軍営はそもそも調略によって寝返っていたので素通りさせたり、またある軍営は中立・傍観を保って短い交渉の末に通過を許したりなどした。
もちろん完全な奇襲ではなかった場合もある。さらに真面目に抵抗を試みた指揮官もいた。だが、いずれの場合も、共通していたのは「なぜ、こんなことが」という類の当惑と、統一された指揮系統の不在だった。
北隊が進撃を加速する中、ちょうど日付が18日になる時刻を過ぎた頃。
先鋒各隊の状況報告と歩調を合わせるようにして、王都の北門――『鷲の門』でも、静かな、しかし決定的な事態が進行していた。
重厚な石造りの城門と、それを挟む堡塁。本来であれば、夜間にみだりに開くことのない巨大な木製の跳ね橋と格子門である。
だが、内側から門を開いたのは、外からの攻撃ではなかった。
貴族派にあらかじめ買収されていた門衛隊長の手によって、交代の手順に乗じた「手引き」が行われたのだ。
不審を抱いた真面目な兵士が声を上げる間もなく、後ろから首を絞められ、あるいは口を塞がれて暗渠へと引きずり込まれた。――中には「説得」で済んだ場合もあったようだが。
軋んだ音を立てて格子門が押し上げられ、跳ね橋が降りる。
闇の中から滑り込んできたのは、ヴァロニア公爵家の紋章を隠した十数名の騎兵と、その後に続く無言の歩兵列だった。
つまり、本隊である。
彼らは一瞬のうちに城門の番所を完全占拠すると、すぐさま門を固め、外部への一切の報せを遮断した。王都はこれで、北側からの出入りを完全に封じられたことになる。
朝もやが街を包む頃には、同様の手口、あるいは偽の命令書によって、王都を囲む主要な四つの城門すべてが貴族派の管轄下に置かれていた。
こうして城塞都市の要である各門を押さえたことにより、貴族派の兵たちは何のお咎めもなく、王都市街地へと一目散に雪崩れ込ことが可能となったのである。本隊は分散して一路、軍務卿を始めとする王党派諸卿の邸宅へ、そして何より先鋒隊は、都市の中心部すなわち王宮を目指して、行軍を早めた。
***
夜が完全に明けた。
本来であれば、夜明けとともに城門が開かれ、近郊の農民や商人の馬車が市場へと行き交い、この都市が動き出す時間である。
しかし、この日の王都ウル=ソールは異様な静寂に包まれていた。
開かない城門。通りを無言で闊歩する見慣れぬ甲冑の私兵たち。
不穏な異変を察知した市民たちは一斉に店の戸を閉ざし、窓の鎧戸を固く閉ざして息を潜めた。
外部との連絡も情報も完全に遮断された閉塞感の中で、王都は外敵から守るための城塞ではなく、まるごと一つの巨大な鳥籠と化していたのである。
その巨大な鳥籠の中で、最初の標的となったのが王党派の首魁たる軍務卿である。
市街一等地に構えるブレッテンヌ侯爵エーゴンの邸宅が包囲されたのは、まだ空が白み始めたばかりの頃合いだった。
当の彼は、報せを受けて初めて事態を把握したという。
王都近郊での不穏な動きについて、彼のもとに正式な報告が上がっていなかったこと自体が、既に情報統制の綻びを物語っていた。
「槌を持ってこい! 門を叩き割れ!」
「「「せーの!」」」
朝もやを切り裂いて怒号が飛び、重々しい表門が甲高い打撃音とともに打ち砕かれた。なだれ込んだ貴族派の私兵たちの靴底が、雨上がりの泥を、邸内の洗練された敷石へと撒き散らしていく。
廊下に駆け出した護衛の士官や騎士、さらに侯爵の手勢たる僅かな私兵たちは、急報を受けて寝巻きの上に無理やり胸当てやらの防具をつけた、やや無様な姿だった。
対する先鋒隊の、「有力貴族の当主を生捕りにすれば、騎士になれる」という子爵の言葉に目をくらませた男たちは、まさに飢えた狼の如き執念を見せた。
「殺すな! 叩き伏せろ!生かして捕らえるんだ!」
「おいここ!宝石があるぞ!あっちには銀細工が!」
「押せ押せ、突っ込め!広がるな、邪魔だ!通れないなら回り込め!」
様々な怒号と、鋼のぶつかり合う音が、狭い廊下を通して各所に響き渡る。
護衛が必死に振るう剣を、私兵たちは恐れるどころか数人がかりで組みつき、泥まみれになりつつある身なりも構わず床へ力任せにねじ伏せていった。
流血がなかったわけではない。
数名の護衛が命を落とし、私兵の側にもそれなりの数の手負いが出た。だが、文字通り桁が違う圧倒的なまでの数の差と「受爵」という欲望の前に、私設の警備など足止めにしかならなかった。
執務室の重厚な扉が叩き折られた時、軍務卿エーゴンは机の引き出しから取り出した細身の剣を構え、眼光鋭く刺客となった兵士たちを睨みつけていた。
「無礼者どもめ、ここをどこと心得るか! 万死に値するぞ!」
ブレッテンヌ侯爵の、老練な将として、王国有数の大貴族としての威圧感に、一瞬気圧された私兵たちだったが、数本の長槍がすぐに後方から押し寄せ、侯爵の剣を力任せに弾き飛ばそうとする。
部屋の広さに対し人数が多すぎるあまり、同士討ちが起きそうになったため、二、三撃の後にしばらく膠着したが、それは甲高い音とにも引き裂かれた。
白い光とともに、エーゴンの肩から鮮血が飛び散る。
業を煮やして現場へ入ってきたシェブール子爵その人が放った、まさに場の空気を切り裂く一撃であった。
「おっとっと。これが魔力酔いというやつか。……まったく、アカデミーの魔導師連中は、役に立たんものばかり作りおって。」
こうぼやきつつも、”雷の魔弾”を放つとされる魔導具、と言ってもほぼ使い切りの短銃でしかないそれを、大枚はたいて買った彼は懐にしまい込む。
「おいおい、結局旦那様が美味しいところを持っていくのかよ。」
「まあそういうもんだろう。はやくズラかって物盗りに行こうぜ。」
「だな。」
このような声も聞こえる中、侯爵は意に介さず自らを銃撃した男を睨みつける。
「き…貴様……!」
「これはこれは、侯爵閣下。失礼致しました。何分、”狩りの獲物”を見つけてしまいまして。」
「私を誰だと……!」
「存じておりますよ。”前軍務卿”殿。……我々の勝ちですな。ハハハハハ!」
哄笑して彼は去っていき、代わりに入ってきた将校の一人が指示を飛ばす。
「貴様ら、何を見ているか!縛り上げろ!」
指示されるなり、侯爵は数人がかりで床に押さえつけられ、肩を貫通した銃創からなる痛みで呻き声を上げたものの、最後まで屈服の言葉を口にすることはなかったという。
こうして重傷を負い、血と泥に汚れた王国軍務卿は、縛り上げられ、引きずり出されるまでに、さして時間はかからなかった。
軍務卿という王党派陣営の頭脳でもあり、国軍のトップを失った影響はまさに絶大だった。
そしてこれと並行して、王党派の重鎮でありアカデミーとの同盟を作り上げた戦備総監・ミルネージュ伯爵ロベールをはじめとする王党派の主要な廷臣たちも、それぞれの自邸や執務室において、同様の経過を経て次々と身柄を押さえられていった。
前近代の行政において、官僚組織とはすなわち、大臣や諸卿・諸官の私邸と彼らが管理する印章そのものである。
主要な高官が拘束され、印章や鍵が奪われたことで、王都駐留軍の指揮系統と兵站網は、まさに一日にして物理的に機能を停止し、完全掌握を許したのである。
軍務卿らの逮捕・拘束によって軍事機構を麻痺させた貴族派であったが、彼らは直ちに王宮へとなだれ込む挙には、流石にいかに彼らが拙速に逸ってクーデターを決行したとはいえ、出ることはなかった。
相手は幾重もの城壁に護られた王宮であり、何より病床にある老王の身に万一のことがあれば、それは「政変」ではなく暴挙たる「弑逆」となり、全国の地方勢力・中立派を敵に回しかねない恐れがあり、何より近隣諸国の侵攻のリスクすら孕んでいたからである。
続く18日昼から19日にかけた丸二日間、貴族派が注力したのは、王宮の完全な孤立化と政治的裏工作――すなわち外堀を埋めることであった。
王宮の外郭は貴族派の兵によって隙間なく包囲され、水や食料、何より外部情報の搬入が完全に遮断された。
同時に、ヴァロニア公爵らは、中立派の重臣である国務卿・ファルエット公爵や大法官・カルナダル侯爵の私邸を威圧し、「王都の混乱を収めるためのやむを得ぬ処置」と称する誓約書に、無理やり判を押させていった。
さらに、宮内卿でもあるヴァロニア公の手先が、包囲された王宮内部の近衛騎士団幹部へと極秘裏に接触を重ねた。
「軍務卿はすでに倒れた」「他の諸卿も同意している」「無駄な抵抗を捨て門を開ければ、身分と給与は保障する」――孤立無援の静寂の中で放たれた流言と懐柔は、近衛たちの戦意を内側から確実に削ぎ落としていったのである。
そして、王権の抱える最強の暴力装置、王立魔法アカデミーに対しても同様に包囲を試みた。
途中で魔導師たちと正面衝突が起き、教授陣ら上級魔導師の攻撃で数十名の死者が貴族派に出る一幕もあったが、彼らの場合はそもそも王党派を切り捨てに動いたようで、少なくとも不干渉についてやがて『賢者会議』は合意した。
こうして盤石の布陣を整えた貴族派が、満を持して動き出したのが、20日朝であった。
午前8時頃、王宮の正門たる『太陽門』の奥から、乾いた金属音が響き渡った。
宮内卿ヴァロニア公の手引きによって内側から重い
外で待機していた貴族派の将兵たちは、一滴の血を流すこともなく、静まり返る王宮の回廊へと雪崩れ込んでいった。
勇猛かつ精強な近衛騎士たちであったが、剣を抜く正当性も戦意も完全に奪われ、ただ武器を手にしたまま、土足で通り過ぎていく私兵たちの陣列を蒼白な顔で見送るほかなかった。
その日の夜、貴族派の首魁たるヴァロニア公爵アルベールは、数名の側近のみを従え、王宮の最深部――つまりクリヴィア王国現国王・ジルベール二世の寝所へと足を踏み入れた。
重厚な天蓋付きのベッドに横たわる老王は、病魔によって痩せ細っていたものの、落ち窪んだ眼窩の奥にはかつて絶対王政を推進した名君たる鋭い光が残っていた。
ヴァロニア公は王の枕元で慇懃無礼に深々と頭を下げ、一枚の羊皮紙を差し出した。
「国王陛下。不徳なる臣下が軍を惑わし、静穏なるべきウル=ソールは混乱の極みにございます。臣、畏れながら王国の安寧を取り戻すため、かつて廃された『大宰相』職の復活を、それに加えて全権の委任を、すなわち王国摂政を拝命いたしたく存じます。」
もちろんこれは「お願い」などではなく、完全なチェックメイトを告げる冷ややかな宣告であった。
外との連絡は絶たれ、軍務卿は囚われ、戦備総監など信頼する側近も奪われた。
近衛すらも己を護らぬ事実を悟った老王は、刺すような視線でヴァロニア公を睨みつけたまま、長い沈黙を守った。
だが、もはや王権を支える脚は一本として残っていなかったのである。
数時間後、震える手で国王の印章が捺され、これ以上の混乱と流血を望まないという名目のもと、大宰相職の復活とヴァロニア公への全権委任を認める勅令書が完成した。
***
王都を完全に制圧し、老王からの大義名分を得た貴族派は、クーデター決行に至る暴走ぶりが嘘のように、手早く「後始末」に着手した。
王都内に残されていた王党派の残存勢力は、最早組織立てて抵抗する術を失っていた。
逃亡を試みて街の裏路地で捕らえられる者、辛くも夜陰に紛れて落ち延びる者もいた。
だが、大多数は「国王陛下の正式な勅令」という現実の前に絶望し、ただ沈黙して貴族派へと恭順の意を示すほかなかった。中央統治機構は電撃的に貴族派の手へと挿し合わされたのである。
そして翌21日から22日にかけて、王都から王国全土の地方長官や、一定以上の官位の諸卿・諸官さらには将軍たち、そして爵位を持つ全ての王国貴族へ向けて、早馬と伝書鳩が一斉に放たれた。
齎された報せは、「病床の国王陛下が国家の混乱を鎮めるため、ヴァロニア公爵を大宰相に任じ、全権を委ねられた」という公式な勅令の写しであった。
大方が日和見、あるいは漠然と貴族派の勝利を願っていた地方の領主たちにとって、これはまさに青天の霹靂であった。
中にはこれまでの形勢の逆転のために王党派に与していた者もいたが、王都が貴族派の私兵によって完全に掌握されている以上、遠方の地方勢力が単独で抗う術など存在するはずもなかった。
結局「王命」という形を取られている以上、反旗を翻せばそれこそが「叛逆」となってしまう。
困惑と猜疑心が王国全土を覆ったものの、地方の諸侯や都市は次々と目の前の現実を受け入れ、新政権への恭順を誓う誓約書を王都へ送り返すことを余儀なくされたのである。
ヴァロニア公爵アルベールが、百年近く空席であった『大宰相』の座に正式に任命され、摂政を宣言したのは、それから三日後の23日のことだった。
国家行政の最高責任者。国王を除き、最も権威ある官職。
その座は、絶対王政化の進展の中で長らく置かれることのなかった、いわば旧時代の遺物にも近い地位だった。
それをあえて復活させ、そこに貴族派の首魁・今回のクーデターの主犯たるヴァロニア公自らが座るということ――それこそが、この宮廷革命の意味するところを、何よりも雄弁に物語っていた。
先代の王に端を発した、王権による中央集権化そして絶対王政への流れは、ここに、公式に押し戻されたのである。
――以上が、後にクリヴィア王国史において『ブルマスト18日のクーデター』あるいは『ヴァロニア公の乱』と呼ばれることになる政変の、おおよその経過であった。
この政変そのものについて、当事者たちがどれほどの理念や大義を掲げていたにせよ、その実態は、老いた王という一つの重石が失われたことに乗じた、支配階級内部の、極めて古典的な権力の付け替えに過ぎなかった。
だが、歴史とは往々にして、そうした些細な、しかし決定的な一点から動き出すものである。
後に《大波濤時代》と呼ばれる時代は、まさにこのクーデターによって始まったのだから。
そしてこの政変は、この物語の主人公ソフィア・レーベンの運命もまた、確実に、そして静かに変えていくことになるのだった。
***
《
王都からの報せが、ミルネージュ伯爵邸に届いたのは、政変からさして間を置かぬ頃だった。
もっともその報せは、王党派の重鎮たる当主ロベールや軍務評議会制圧に伴って捕縛された次男フィリップと違い、領地に留まっていた長男アンリを捕縛しに来た軍勢という形だったが。
邸内は、瞬く間に混乱の坩堝と化した。抵抗を試みた者は皆殺害され、アンリは逃亡に失敗し拘束され、王都へ連行された。
ミルネージュ伯爵夫人アリスは完全に意気消沈し寝込み、家令や使用人たちは右往左往し、誰もが確かな事実を知らぬまま、ただ不安だけを募らせていく。
その渦中で、ソフィア――シャルロッテは、家中で健在な者として努めて表面上の平静を装いながら、しかし内心では、猛烈な速さで思考を回転させていた。
(……やられた!クソッ!まさかこんなことになるなんて……!)
エカチェリーナ二世の即位やデカブリストの乱を始めとして、彼女の前世の故郷たるロシア帝国には山ほど宮廷クーデターの事例がある。
それにソフィア自身も、ペトログラード軍事革命委員会の委員として、同市労働者兵士代表ソビエト議長レフ・トロツキーの部下として、十月革命というある種のクーデターの当事者になったこともある。
だがいくらなんでも、彼女の見積もり――それは客観的事実に極めて近かったが、それに基づけば王党派と貴族派がせいぜい6:4と言うべき度合いになっていた程度の有利でしか無かったのに、貴族派があそこまで急激に暴発するなど、全く予想外の範疇だったのである。
それに少なくとも十月革命の場合は、臨時政府が完全に支持を失い抵抗力すらない状況かつ、第2回全ロシア・ソビエト大会の前日という、いわばお膳立てを入念に整えたのだ。
彼女は自らの内に、判断のつかない揺らぎがあることも自覚していた。
つまり『消耗戦術』の他にもう一つ想定していた戦術、「実家から」が本来の対象であった『脱出』についてである。
(決行するべきかしら。……いいえ、まだ早い。実家が本当に潰れると決まったわけじゃないもの。当主のみ処分、爵位降格、領地減封ぐらいの線も、まだ捨てきれない。)
しかし、その楽観を、彼女は自分自身の理性ですぐに打ち消す。
(――いいえ。父上は、王党派の中枢近くにいた。それも、実務の要として。もし王党派が本当に敗れたのなら、うちが無傷で済む可能性は、限りなく低いわ。そもそも伯爵家の跡継ぎたるアンリに対してあんな乱暴な連行をするのだもの、どう考えても罪人扱いだわ。)
オルグしていたメイドたち、蓄えていた情報網、そして密かに準備してきた僅かな資金と物資。全てを今すぐ動かし、この混乱に乗じて姿を消すべきか。
それとも、まだその時ではないと見極め、実家に留まり続けるべきか。
(脱出したところで、行く当てなどありはしない。それにまだ私は15歳。……この国の、この身分から完全に切り離されて、一人で生き延びられる保証など、まだどこにもない。前世のように、党という組織があるわけでもないのに。)
(でも、留まったところで、もし本当に改易となれば。……最悪、私も含めて、一家全員がどうなるか分かったものじゃないわ。――クソっ!クソっ!ちくしょう!)
警備と称してそれなりの人数が配置され、実質封鎖状態となったミルネージュ伯爵邸。
その中で、答えの出ない自問自答を、彼女は何度も何度も繰り返した。
それは、これまで幾度となく培ってきた冷徹な計算とはまた違う、答えのない宙ぶらりんな時間だった。
結局、彼女はどちらの決断も下せぬまま、ただ情報を集め続けることに徹した。今この瞬間に動くことは、あまりにも危険が大きすぎる――そう自分に言い聞かせながら。
報せは、日を追うごとに、月が変わるごとに、より具体的な、そしてより厳しい内容へと変わっていった。
まず、伯爵家の改易が決定された。
所領・財産・爵位その他は全て没収となり、王都での別邸だけは、当主夫人アリスと三女シャルロッテの当面の軟禁場所としてそれを免れたが、「当面」が終わり次第これもその対象となる。
最終的に本家の成人男子には、極めて重い処分が下された。
当主ロベール、弟ルイ、そしてロベールの二人の男児たち、すなわちアンリとフィリップに対する極刑の報せは、屋敷全体を絶望の底に叩き落とした。
前世で実家族を捨て、それどころか革命で彼らローゼンブルク男爵家を“歴史の屑籠”に叩き落としたソフィアだけは、死を悼む気持ちには内心全くなれなかったのだが、それでも大いに悲しむ演技を強いられることになる。
家の女子への処置もまた、決して軽いものではなかった。
姉二人は嫁ぎ先から離縁され、それぞれ修道院へと送られた。
母アリスは体調もあって、回復まではこの屋敷に滞在できることになったが、それでも王都での幽閉が決定された。
さらに言えば、王党派の重鎮であり、難敵ロベールを擁していたミルネージュ伯爵家は念入りに潰される対象となったので、分家への処分も苛烈を極めた。
四つある伯爵家の分家のうちまず大きい順に二つの家の改易が決定され、一掃された。
このようにしてクーデター後の時間は経過していったが、ここで問題が2つほど発生することになる。
まず、一つ。当主の末娘シャルロッテは、この歳15歳とまだ未成年であり、また未婚でもあったことから処分にやや困ったこと。
修道院に放り込めばいい、とはいかなかった。
まず大人ではないことに加え、何よりこれまでのミルネージュ家への苛烈な処分が、あからさまにスケープゴートであったせいで少なくない不興を国王や中立派の貴族から買っていたことから容易ではなく、結局それなりの時間をかけて検討した末に見送られた。
とはいえ、ではどうするのか?が出た訳でもなかった。
さらにもう一つ。ミルネージュ家のある領地が宙ぶらりんになったことである。
まず経緯を遡ろう。
クーデターの翌月。
勝者がハイエナのようにミルネージュ伯爵家から没収したものを分配する中。
同家の最も小さな分家たるアクタール分家、王国の辺境・テルベルク地方にある小領主の家系が、本家からとんでもない割合の財政援助を受けていたことが発覚した。
先程「改易された」と述べたのは、ミルネージュ本家と大きな二つの分家だけであったが、残り二つの分家は当初は現当主の隠居と忠誠誓約の送付程度で済むはずであった。
だがこの問題の発覚に伴い、もしかしたら何らかの隠れ蓑ではないか?という疑惑が立ち上がり、徹底した調査が加えられた。
残念ながら結論はシンプルかつ“期待外れ”であった。
流石に貴族派の大抵の人間ですら呆れてものも言えなかったのだが、要するに彼らの経営があまりに杜撰かつ、支出過多で本家にタカっていただけであった。
まさにスネをかじっていた、と言うべきである。
こんな体たらくの財政状況であり、既に本家は潰れていることから、もう破綻は決まりきった未来なのは誰にとっても理解できた。
どうせそれで混乱が起きるならば、先んじて処分してしまえ――と不幸にもアクタール分家は『ついで』程度で改易の対象となってしまったのである。
しかしこの、王国で辺境と名高いテルベルク地方の、人口一万にも満たない小領地を、ただでさえ独立傾向の高い同地方の貴族たちとの火種を抱えてまで懐に頂こうとする者はついぞ出てこなかった。
こうして本来別の問題であるはずの、「処分に困る当主の一粒種」と「処分に困る小領地」が結びついたのは、クーデターから2ヶ月ほど経った、692年の年の暮れのことであった。
――あの辺境にロベールの小娘を放り込んでしまえ、そうしたらどうせ年端もいかない女子供だから野垂れ死ぬし、我らも手を汚さず当主の最後の子供という厄介者を消せる
このような筋書きのもと提示されたアイデアは、上へ上へと辿っていき、ついに国王の目前へ渡ってしまった。
だが、ここで気まぐれか、あるいは偶然か、それとも憐憫なのか、国王は単なる流刑や追放処分ではなく、『一代領主』として追放するようにと意向を発したのだ。
驚いた者も多かった。
だが、老い先短い老人のワガママを聞いてくれ、とまで腰を低く言われては、流石に本当に老い先短い彼を刺激する訳にもいかず、意向を素通りさせるしかなかった。
こうして年明け、王都の別邸に滞在していたシャルロッテらの元に使者が訪れることになる。
彼は高らかにこう告げた。
「元ミルネージュ伯爵令嬢シャルロッテ、国王陛下の寛大なる御慈悲によって、大逆の血族たる罪一等を減じ、テルベルク地方アクタール領に追放処分とする!なお、臣節を尽くす限りのもと、一代に限り同領地の領主たる権限を賜るものとし……」
「……は?」
当のシャルロッテ、いやソフィアは、予想外の処分内容に開いた口が塞がらなかった。
異世界で、ボリシェヴィキが、封建領主となったのである。
おかげさまで、本話の更新をもちまして10話目になりさらに本作の総文字数が【10万文字】に到達いたしました!
いつもお付き合いいただいている皆様に心より感謝申し上げます。
次回更新分て、いよいよ「序章:革命家、異世界に転生する」が完結いたします。
ソフィアは辺境テルベルク地方へ送られ、あらすじに書いたようにまさかの発想の転換を起こし、クリヴィア革命への道を駆け抜け始めます。
もし「面白い」「今後の展開が楽しみ」と思っていただけましたら、ぜひお気に入りや高評価をいただけますと、次回執筆への大きな活力となります!
感想も大歓迎です!
どうぞよろしくお願いいたします!