2度目の人生を得た貴族令嬢の私、USSRスキル『赤い書庫』で追放先の辺境から理想の世界を作ります!~前世の職業で色々経験済みなので全く問題ありません~ 作:猫元帥
『具体的な政治目標は具体的な状況に基づいて設定されなければならない。全てのものは相対的であり、全てのものは揺れ動き、全てのものは変化するのだ。』
――V.I.レーニン
***
《大陸暦691年
長い冬が終わり、すっかり芽生えの季節が訪れた温かい日和のこの日。13歳の折り返しに至っていたソフィアは、久々に訪れた王都の屋敷で物思いに耽っていた。
――冬は陰謀の季節。
と言うにはやや根拠は乏しく、少し語弊がある言い草なのかもしれない。あるいはロシア特有の事情がもたらす特殊な文化なのかもしれない。
いずれにしろ、そもそも職業革命家にとっては“
同時にこれらの一切を棚上げしても、確かな事実が一つある。今回の冬は例年より遥かに厳しかった。
幸運にも寒波が収穫後訪れたために、農作物の不作を起こしたり、凍死者が続出したりといった、そういう災害の類では無かった。
だが、少なくとも「外出は遠慮したい」「家にいたい」と、上から下までこの国の誰もが思ったのだ。
つまり、王の病臥をきっかけとした宮廷の権力闘争が一年余り一進一退が続く中で、思わぬ原因により思わぬ小休止を喰らったのである。
そして、そんな冬に家籠りするクリヴィア人達を差し置いて、ソフィアにはあるアドバンテージがあった。
――それは何か?冬への強さだ。
第一の人生において、ソフィアは“バルト海の宝石”ことリガを擁するリヴォニア地方に生まれ育ち、ロシア革命運動と”
もちろん、ソフィアは前世でフランスを、クリヴィア王国によく似た気候をした国を訪れたことも、それどころか暮らしたことも何度もある。よってここの社会と人々にとって、今冬が「十年に一度レベルの厳冬」ということは十分理解している。
それでもなお、内心平気な顔ができる程、感覚は「普通の冬」なのだ。
だからこそ、今世の父ロベールを始め大国クリヴィアを動かす宮廷の陰謀家たちが寒さで動きが鈍る中、己の目的のために邁進できた。もちろんできることは微々たるものだし、目的も違うのだが。
前世の人生に紐づいた感覚と経験か、あるいはそれをこの世界が象りソフィアに与えた『気候耐性』スキルのおかげなのか、本人にも分かっていない。自覚もない。
しかしいずれにしても彼女は、社会的に不審にならない範囲ではあるが、他人より多く動けたのである。
そして今に至り春の暖かな日和の中、彼女はこれまでの積み上げとこれからの展望を整理していたのだ。
もちろん、客観的には貴族令嬢が嗜みに詩を書くように見えるよう、その振りをしてペンを動かしながら。
「さてと。」
少しだけ小声が出ていた。
(整理しましょう。絶対王政化の過程でよくある“揺り戻し”が起きているのが今のこの国。”冠を被ったご老人”が寝込んだせいで、”王党派”と”貴族派”が絶賛格闘中。)
(前者は我が父ロベール殿が重鎮としての責務を担っておられる派閥。もちろん歴史の進歩を踏まえても相対的にマシなのが彼らではある。私にとっても、今すぐ実家が潰れても困るし、肉体が大人になるまでは実家にいたい。当然、結婚はしたくないけどね。)
豊富な栄養、労働なき生活。貴族令嬢の身分の恩恵で肉体の成長は止まらない。
なのでいつ初潮が始まっても良いように、とソフィアは思ってはいるのだが、同時にそれは「シャルロッテが大人になった、今すぐ結婚だ」になりかねないので、警戒心は募り続けるのである。しかし同時に肉体のことなので、完全に制御できるでもないと割り切るしかなかった。
(……この冬で物理的に小休止しちゃったけど、どうせ春になったら宮廷に巣食う陰謀家と政略家たちは蠢くわ。どっちの陣営も、まるで土の中の生き物が動き出すように、ね。ここで一気に私は介入……と言っても父親越しだから間接的だけど、それをする。結婚の回避含め、今年は決戦の時よ。)
ペンを握る力が少しだけ強くなる。
(それに、父は目の前の政争に忙しいから、そろそろ大人の兄たちを一気に家の戦力にする必要がある。後継ぎたるアンリには結婚もさせないといけない。ここにも食い込む。……私のかつての経験と知識があれば、少なくともあの腕っ節バカのフィリップを助けることくらいはできるわ。)
下の弟妹が自分一人だけになったせいで、ここしばらくずっと剣術や力自慢を見せてくる今世の次兄。
彼に付き合わされた無駄な時間を思い出し、内心ひどい悪態をつくと、ソフィアはすぐにまた本題へと戻った。
(それに最終的な実家からの独立。まず脱出、そして自活に至る準備も進めないといけない。……18歳前後には、どう足掻こうと父が「先延ばし」をしなくなるだろう。もちろん大人の完全な肉体を得たいこっちの都合もあるけど。……いずれにしてもそのあたりが刻限。)
手を握って開くのを繰り返す。
前世の同じ頃の年齢よりは筋肉のついた、隠れた訓練と自己規律の賜物である今世の肉体。そのの途中経過を確かめる。
(幸いにして、資金集めと家内の人間の
ソフィアはふと、前世の経験を思い出す。
革命から遡ること数年。”ボリシェヴィキ”となって数年。その時のことを。
しかしまだ公的には彼女は”貴族令嬢”だった。
幸いにして当時の彼女には、『党』がいた。あの時は、1912年には、側にいてくれた。師父レーニンが、党組織を側近たる彼女の完全失踪の支援に割いてくれたのだ。
そして、彼に派遣されたコーカサスの若き闘士が、「ローゼンブルク男爵令嬢シャルロッテ・ヘレーネ」が「ソフィア・レーベン」に完全に生まれ変わらせた時、ついに彼女は真の自由を得たのだ。
だが、この異世界のクリヴィア王国にはそんなものはない。彼女は、たった一人なのだ。
もちろん
ここで深呼吸をする。
(……“セルゴ”がいてくれたら良かったけど。……いいえ。彼はコーバを選んだのだから、未練がましいわよソフィア。)
ふと彼のことが、かつてプラハで初めて出会った一人の戦友、恩人たる同志のことが思い出されるが、すぐに振り払う。
もう、終わったことだ。彼女の第一の人生を含めて。
また当の”セルゴ”こと、グリゴリー・オルジョニキーゼ。彼もまた、かつての親友スターリンとの衝突と確執、そして絶望の末に自ら命を絶った。
1937年2月、つまりとっくの昔に逮捕されてルビャンカの底にいた時期なので、ソフィアは知らないのだが。
(とにかく、こんな反動の内輪もめには真面目に付き合わない。泥舟からは、結婚なんて破滅からは絶対に降りる。私は絶対に、家門のためなんてくだらない理由で、自分を二束三文で売り渡したりしない。)
「お嬢様ー!もうそろそろお戻りくださーい!」
「わかったわフィオラ!ありがとうね!」
思考が佳境に入った彼女を呼んだのは、たまたま、オルグ対象に目をつけていた若いメイドの一人だった。
年齢は20手前。この家で働いた長さも短い、まさにうってつけのターゲット。
金に困っており、教育のレベルが低く、少し手癖が悪く、一方で恋に恋しているような人間。
同時に“シャルロッテお嬢様”と接する時が、最もこの家で楽な仕事、楽な時間だと思っている。そんな人間だ。「楽に思わせている」のも事実だが。
もちろん、オルグすると言っても、党員にする訳ではない。シンパにする訳でもない。ただの、使い捨てのコマのひとつ。
現代的な例えを使うなら、切り離されるロケットの加速器。
それこそが、ソフィアの想定した彼女の”使い方”だったのだ。
とはいえ「Xデー」は遥か先。今は彼女の呼び出しに応じて家へ戻った。
その足で、彼女は今世の長兄アンリの部屋を訪れた。
20代前半に差し掛かった彼は、いよいよ跡取りとして、政争に忙しい父ロベールから当主としての通常の仕事を、後継育成も兼ねて色々任せられている。
ソフィアは近頃、しばしば彼ら兄弟に助言や手助けをしていた。無論、自分への依存を少しづつでも作り出しつつ、同時に父ロベールからの評価を、『淑女』ではない方向で上げるためだ。
「……あら、アンリお兄様。いらっしゃったのね。」
入室するなりやや大袈裟に驚く。
無論、嘘だ。在室は分かっている。
「どうかしたのかしら。なんだから疲れて見えますわ。……お仕事ですか?大変そう。」
「……ああ、シャルロッテか。すまん、愚痴みたいになるが、聞いてくれ。フラション分家からの納入額がな、去年より明らかに少ないんだ。」
「あら。」
「少ないこと自体はいいんだ。ただ、面倒なことに理由がはっきりしないんだよ。あそこ、二番目に大きい我々の分家だろう?そこがこうじゃ、色々と……な。」
「まあそれは大変。」
ソフィアは兄に近づくついでに、帳簿をちらりと見る。すぐに真相は分かった。
(……この消え方、どう考えても汚職ね。徴税人か、代官あたりかしら?これだから複式簿記すらない封建制社会は。)
(地方の
とはいえこんな真相を言えるわけもない。13歳の少女が10歳近く年上の兄に、ありのまま先述の内心を言っても不審がられるだけだ。
「はあ、どうしたものか。」
「しっかりなさって、お兄様。……もしかしたら、働き手が減っているのかしら。過重な取り立ては、逃散を招くもの。……史書にも、それが行き過ぎると反乱が起きる、というより乱の最初の前兆とあったわ。」
アンリは、少し驚いた顔をした。
「民の数ではなく、民の中の働き手の数、ということか。……それは考えなかったな。」
アンリは、父ロベールからすれば「まだまだ経験の浅いヒヨっ子」ではあるが、アンシャン・レジームの貴族の跡取りとして客観的に見れば、十二分に優秀なほうだ。
しかし、あくまで”ソフィアからすれば”だが、割と単純なことにも考えの及ばない様子であった。
それに対し、彼女は、前世でノーメンクラトゥーラのピラミッドの最高峰にいた”元”近代国家官僚は、能力と忠誠を併せ持ったソビエト権力の冷徹な執行者だった女は、少しどころではないくらい内心変な苛立ちが湧く。
おそらく同じ回答をロシア内戦あたりで部下がしていたら、彼女は躊躇いなくその人間を、
「許されざる知的怠惰!反革命よ!万死に値するわ!」
なんてブチ切れて即座に銃殺しただろうし、”
もちろん、彼女の現在の目的の都合上、本来はむしろ好都合なことだ。すぐに怒りを収める。
「もし人が減っているなら、税を上げても意味がないですわ。むしろ、定住させる方に力を尽くすのが、長い目で見れば得だと思いますの。これも史書に書いてあったことの受け売りですけど。……差し出がましかったかしら、アンリお兄様。」
ここですかさず少し殊勝な表情をする。
「いいや。さすがシャルロッテだ。……それに一理ある。調べてみるよ、ありがとう。」
(一つ、小さな信頼の種。これよこれ。)
内心いわゆるガッツポーズを取りたかったのを抑えて、ソフィアは退室した。
数日後、次兄フィリップは王都の兵舎で、装備の補充の遅れに頭を悩ませていた。
物語にあるような騎士を目指していたら、時代のせいで「軍に進む次男」は軍官僚まがいのことをさせられることになった。彼はそういう事情のある、今年18歳を迎えるやや哀れな青年だ。
向いてないのは気質上仕方がないのだが、それ自体はソフィアにはどうでもいい。利用するだけだ。
帰宅した彼が、分かりやすいくらい露骨にうんうん唸っていたので、ソフィアはそれに釣られた体で彼に話しかけた。
「フィリップお兄様、どうしましたの。……困っているように見えたから。」
「シャルロッテ?いや聞いてくれよ。……装備の補充が遅れていてな。予算の都合らしい。なんで俺がこんなことを……。いや、女のお前に言っても仕方ないけどな。」
「装備、ですか。それは騎士様の剣とかですか?」
例えわざとらしい言い方でも、会話の中で疑問を返されると食いついてしまう。いわゆる初歩的な心理誘導だ。
もちろん、そんなこと知る由もないフィリップは、見事に食いついてしまった。
「ああ、まあそうだよ。」
「わたしは戦いのことは分かりませんけど……要するに、今この時、お兄様の手元に必要なモノが足りていない、ということでしょう?じゃあ、我が家の分家から一時的にお借りするというのはどうでしょう?返す約束をしっかりすれば、あるいは書物にすれば、角も立たないと思うの。」
「……お前、そんなことまで頭回るのか。すごいな。」
素直すぎる関心の仕方に、ソフィアは若干呆れてしまう内心をぐっと抑え込む。
「まあ、ひどいですわねお兄様。困った時はお互い様、ですよ。それに私たち女も、お友達との間で似たようなことはするわ。」
「ふーん、なるほどなあ。」
「しかもお兄様は、国王陛下の軍隊にお勤めになっているのよ。国王陛下のために働くのは貴族の義務。しっかりお願いすれば、きっと大丈夫よ。」
「そっか、そうだな!」
このあとも巧みに美辞麗句で彼を持ち上げたりして、すっかり張り切らせたソフィアだったが、しかし思わぬ副作用が出てしまった。
張り切りすぎて、彼なりに職務や義務への誠意が目覚めたのだろうか。目の前の仕事に集中しだし、それだけなら兎も角、13歳の妹を平然とこき使ったのだ。数時間拘束するほど。
こうしてソフィアにとってのその日は、フィリップの手伝いで午後が過ぎた。
仕事内容は楽とはいえ、不審に思われないようにしつつ、なおかつお世辞にも向いてないフィリップのフォローをするという二重の負荷があったが。
このように、彼女が本格的に社会が春が来て動き出すのに乗じ、コツコツと確実に”積み上げ”をしながら時は過ぎていく。
夏の初め。
王都から一時帰宅したロベールは、やや疲れた足取りで邸内を歩いていた。彼の後ろには、副官の一人が付き従って話しかけている。
「閣下、財務卿の件、いかがなさいますか。軍務卿閣下も、あのお方お1人ではとても。国王評議会は……」
「……レンヌドック伯か。あの男への対応は、まだ判断できん。やつを首魁とする南部の地方派を完全に取り込めれば大きいが、あの男は損得勘定でしか動かん。金にうるさい貴族の恥だが、それ故にやつの損得勘定の仕方が読みにくいからな。最終的には、侯ご自身にご判断いただくしかない。」
苦虫を噛み潰したよう、という表現が相応しい表情をしつつも、ロベールは指示を飛ばす。
「はっ。では、ひとまずブレッテンヌ侯爵閣下にもう一度連絡いたします。……貴族派については?」
「ああ、ヴァロニア公か。とうとう姿はしっかり捉えたが、静かなものだな。……静かすぎて、逆に不気味ではあるが。だがヤツは何をしでかすか分からん。連絡ついでに、軍務卿閣下の防備を固めるよう提言しろ。」
「かしこまりました。」
副官の1人が去っていく。しばらくは歩き続けたロベールは、廊下の途中で足を止め、窓の外を眺めた。
気配。かと思ったが、メイドだったことに気づいてまた歩き出す。
「兵務長官と軍糧総監が、また予算の取り合いをしている。侯は"目先のことで争うな"と仰るが……人間、そう簡単には割り切れんものだ。」
「軍務評議会だけでなく、王党派内でも、一枚岩とは、なかなか。」
ロベールの後ろに従っていた別の音がボヤいた。
「言うな。分かっている。」
そう言うと、一行はしばらく黙ってしまい、歩幅を早めて歩き去っていった。
そしてその会話は、廊下の陰に身を潜めていた、”気配の正体”ソフィアの耳に、はっきりと届いていた。
(ふむふむ。財務卿、つまりレンヌドック伯爵オーギュストの懐柔は苦戦中。貴族派の首魁は、宮内卿ヴァロニア公爵アルベールで確定。多分どう考えても構図的には最初から丸わかりだったでしょうけど、あの言い草だと「確実な証拠を掴んだ」って感じね。)
(……よし、概ね予想通りね。そして、王党派の中枢たる軍は、身内での予算争いをまだ引きずっている。で、王党派の有力者の1人たるお父様、戦備総監ミルネージュ伯爵ロベールは、それを苦々しく思いながらも、まだ手を打てていない、ってとこかしら。)
ソフィアは整理を終えると、足音を立てぬよう、静かにその場を離れた。
数時間後、日没も近く。
ロベールが書斎で一人になったのを見計らってソフィアは扉を叩いた。
「お父様、少しよろしいかしら。」
「ああ、シャルロッテか。入っていいぞ。」
もうすっかり1人前の淑女に近い事のアピールも兼ねて、ソフィアは恭しく入室した。
ロベールはソフィアを座らせると、要件を尋ねた。
「……それで、どうかしたのか。」
「最近、お父様のお顔が、あまり優れないように見えたから。……わたし、少しだけ星を読めるようになったの。占って差し上げましょうか。」
ロベールは一瞬戸惑うも、末娘の『
「……そうか。頼もうか。」
こうしてソフィアは占いを始めた。
もちろん、そこに神秘の力などありはしない。
それもそのはず、『占星術師占い』なんて、所詮は『ステータス自動偽装』がこしらえた捏造データだ。無論ソフィアしか知らないが。
ただ、この口実さえあれば、二人きりで話す時間が作れるとソフィアは思い、それは上手くいったようだ。
彼女は窓辺に立ち、夜空を見上げる仕草をしながら、慎重に言葉を選んだ。
「……お父様。ご友人――いえ、この場合もっと広いのかしら。お父様に近しい、あるいはお味方の方々のことで、何かお困りではなくて?」
ロベールは、抑えたが少し驚きの表情を漏らしつつ、娘を見据えた。
「……何故、そう思う。」
「星が、そう教えてくれるの。お父様のお生まれの月と日、それから今日の星々……」
ダラダラと適当な理由を言う。もちろん、嘘だ。だが、廊下で盗み聞いた内容を、そのまま口にするわけにはいかない。
ロベールは、しばらく黙っていたが、やがてため息と共に、ぽつりとこぼした。
「……味方のはずの者たちが、まとまらんのだ。誰も彼も、目先の利のことばかり。」
(――やはり。)
ソフィアは獲物がかかったと確信しつつさらに繋げる。
「お父様。……前に読んだ本に、こんな話があったの。」
ソフィアは、努めて、子どもが何気なく思いついたような口調を作った。
「大昔のある国で、二つの勢力が争っていたのですって。片方は、お金も騎士もたくさんあったけれど、皆が自分の取り分ばかり気にしていた。もう片方は、貧しくて弱かったけれど、正しくて、しかも争いごとを後回しにして、まず外の敵にだけ集中したの。」
「……それで、どうなった。」
「豊かな方が、負けたのですって。仲間割れで、疲れ果ててしまって。」
ロシア内戦の概要を”当事者”目線でそれっぽく教訓にしている。
歴史的事実として、共産主義かそうでないかのイデオロギーの是非は兎も角、客観的に言っても白軍の内部分裂が赤軍への敗北の主因だったことは疑いない。
ロベールは、じっと娘を見つめた。
「……単純な話だな。」
「ええ、単純よ。でも、単純だからこそ、大人は忘れられがちなことなんじゃないかしら。……"誰が何を得るか"は、全部が終わってから決めても、遅くないんじゃないかしら。史書には、誰が何を取り合うかを戦いの最中でやってしまった国があったともあったわ。」
彼女は、少しだけ首を傾げてみせた。
「それに、お父様。相手も、きっと似たようなことで悩んでいらっしゃるはずよ。」
「……何故、そう言い切れる。」
「だって、人が集まれば、いつだって同じことが起きるもの。……お友達との間でも、そうだったわ。」
子どもらしい例えに、ロベールは思わず口元を緩めた。
「……お前の言う"お友達との間"と、国政を同じに語られてもな。」
(しまった!何か気取られた、間違えたか!?)
「あら、そうでしたの。お国のことだなんて……差し出がましかったかしら。」
ソフィアは「国政」という言葉が出てきて焦った内心を誤魔化すために、わざと拗ねたように唇を尖らせた。
ロベールは、しばらく沈黙していたが、やがて静かに立ち上がり、娘の頭に手を置いた。
――幸い、杞憂だったようだ。
「……占いにしては、随分と実のある話だったよ。それに歴史のことも。本当に、よく学んでいるのだな。少し、勉強しすぎじゃないか、ハハハ。」
「……王様がお倒れになったのですもの。貴族たる者、王と共に国を守るべしと、マダムも先生も仰られてましたし……。それに、お母様がずっとお父様を心配していらして。だから、お父様のお役に立ちたくて……。お兄様方みたいに。あっ、私は女の子だけど。それでも、お父様の娘ですもの!」
最後には気合を入れて、親子の情に訴えかける泣き落としにかかった。
ちなみに本人的には会心の出来で、ソフィアは、目を潤わせるのが上手くいったのに対し、その日の夜はベッドの中で、ドヤ顔をひとり浮かべていた。
実際、落とせたようだ。
「ああ、役に立ったさ。流石私たちのシャルロッテだ。」
「ホント!?嬉しいわ。」
娘を下がらせた彼は、こうしていつもより少しだけ穏やかな顔で、書斎を後にした。
退室したソフィアは演技を終え、冷ややかな光を浮かべた視線に戻る。
静かに窓の外を見つめると、珍しくこの日の月は”青い月”、ソフィアはラテン語でテラ・ノヴァの衛星「ルナ・カエルラ」と名付けたそれだけが、美しく輝いていた。
(種は蒔いた。あとは、父上がどう使うか。)
("配分は後回しにして、まず結束を"――言うのは簡単だけれど、実行するのは、きっと骨が折れるでしょうね。)
(それでも。……人間というのは、時に、子どもの他愛ない言葉の方が、素直に届くものなのよ。特に、疲れている時は。)
***
さらに時は過ぎ秋。収穫月の下旬。ミルネージュ伯爵邸では、ささやかな誕生祝いが開かれていた。
「シャルロッテ、14歳おめでとう。」
母アリスの言葉に、ソフィアは微笑んだ。
「ありがとう、お母様。」
その夜、寝室で一人になったソフィアは、天井を見つめながら思考を巡らせていた。
(14歳。……いよいよ、適齢期の入り口ね。初潮も来たし、覚悟を決めないと。)
(マルグリット姉様は15歳、イザベル姉様は14歳で結婚が決まっていた。つまり、今この瞬間から、婚姻話が来てもおかしくない。)
眠る準備をするために、『赤い書庫』のスキル画面を閉じつつ、さらに考えにふける。
(でも、父上の様子を見る限り、今すぐという気配はなさそうね。……夏に蒔いた種が、どこまで育っているのかは分からないけれど。)
(焦らず、しかし油断せず。次の一手も、打っておくべきね。)
彼女は静かに、次の計画を思い描いていた。
その週の、魔導師・ディルカル師による定期講義の後。
「先生、先生の他にも、王都の魔法アカデミーには色んな先生がいらっしゃるんですよね。皆さん、どんなことをなさっているの?」
ソフィアは、努めて子どもらしい好奇心を装った。
(アカデミーへの興味、魔導師への憧れ。……"学問好きの娘"という私の評判に、もう一つ厚みを持たせておきましょう。婚姻や縁談の話が来た時、"この娘は学者気質があって嫁入りに適してない"と思わせられれば、それだけ時間が稼げる。)
ディルカル師は、その熱心さに気を良くしたように頬を緩めた。
「様々ですよ。研究一筋の方もいれば、私のように貴族家への出向が多い者もいる。……あるいは、学院長のように、国政に関わられる方も。」
「学院長様は、王様のもとでどんなお仕事を?」
「国王評議会に席を持たれる”大魔導師”としてのお役目も兼ねており、王のご相談に乗ったり諸卿と議論したり、様々です。テネースカート盟約以来続くお役目で、まあ分かりやすく言えば騎士道物語の宮廷魔導師のようなものでもあります。もっとも、私のような下っ端には、雲の上の話ですが。」
(要は内閣に、なんでそんなもの入れているんだか。これだから伝統というヤツは!)
「先生も、いつかそうなりたいと思います?」
ソフィアはクリヴィア王国に愛着を抱くはずもなく、”現王朝開闢の経緯”であるその300年ほど前の契約に罵倒をする内心を抑えて、少し揺さぶりのために意地悪な質問をしてみる。
ディルカル師は、少し困ったように笑った。
「……正直に申せば、やはりなりたいです。ただ、賢者会議に座される方々の考えていることは、私にもよく分かりません。何を問うても、のらりくらりと躱される。まあ、それが真の賢者というものなのかもしれませんが。修行が足りませんね、やはり。」
その笑みと言葉には、ほんの僅かに野心と苛立ち、そしてその糊塗が滲んでいた。
ソフィアには理解できた。かつてのロシアで山程見てきた、くすぶった”
(……なるほど。上と下の間に、隔たりがあるのね。正教会だってあんな感じだったわね。)
「先生は、もっとはっきり物を言う方が、お好き?」
「ふふ、鋭いですな、シャルロッテ様は。……まあ、私のような若輩者が言えることでもありませんが。」
ソフィアは、控えめに微笑んだ。
(今日のところは、これで十分。……アカデミーという場所も、一枚岩ではない、と。覚えておきましょう。)
***
その日、講義を終えたディルカル師が邸を辞す頃、ちょうど王都から戻ったロベールと、玄関先で行き会った。
「これはミルネージュ伯爵閣下。娘御の教育、順調に進んでおります。」
「それは何より。……ディルカル殿、少し、お時間よろしいか。」
ロベールは、彼を応接の間へ誘った。
「アカデミーの方は、いかがかな。娘が世話になっているし、貴殿の師であるカグニティ師と同僚である手前、気にかけておるのだが。」
「はあ……お恥ずかしながら、あまり芳しくは。」
「ほう?」
「上の方々が、いつも"検討中"の一点張りでして。……我々のような下の者が、何を申し上げても、なかなか。」
ディルカル師は、思わず愚痴を漏らしてから、慌てて言葉を継いだ。
「……失礼、閣下の前で、詰まらぬ話を。」
「なに、構わんよ。私も、似たような苦労がある身だ。」
ロベールは、軽く笑ってみせた。
「私のいる軍務評議会でも、年配の方々は、慎重が過ぎることがあってね。属員の若い者が良い考えを出しても、"前例がない"の一言で、握り潰されることも少なくない。」
「……閣下も、そのようなご苦労が。」
「ああ。だが、それも仕方のないことだ。歳を重ねれば、変化を恐れるようになる。……無理もない。若い頃に築いたものを、失いたくないのだからな。」
ディルカル師は、深く頷いた。
「……仰る通りかもしれません。私の師も、よく"今のままで良い"と申されます。」
「今のまま、か。……して、ディルカル殿は、本当に、それで良いとお思いか。」
「……っ。それは……」
ディルカル師は、言葉に詰まった。
ロベールは、急かさず、静かに続けた。
「私は、貴殿のような、若く実直な方の意見こそ、大事だと思っておる。……ところで、少し話は変わるが。貴殿は、アカデミーの成り立ちについて、お詳しいそうだな。」
「はあ、多少は。」
「昔、先王の御代に魔導師ギルドから再編されたと聞く。あれは、確か……。」
「王家の後ろ盾があってこそ、成し得たことです。それ以前は、賢者たちも、ヴィクトル1世の御世においてギルドとなって以来、クリヴィアの魔導師は一つとなりましたが、象牙の塔に籠もっているだけでしたから。」
この世界、少なくともヴィリヤース大陸において、地球の欧州史で表現するならばいわゆる”中世盛期”を終わらせた《大戦乱時代》のこと。
当時、在野の賢者であった魔導師たちは、戦乱の世と人類の未来を憂いた。悩み抜いた。
その果てに、世俗への介入を選び、ここクリヴィア王国においては現王朝の開祖と同盟し、その見返りを与えられた。
それこそがかつては魔導師ギルド、今は王立魔法アカデミー。国家によって自治を認められた魔導師たちの組織である。
だが現代において、彼は今なお激しく衰退しつつある魔導と神秘を追い求め、必死に守ろうとする人々。
かつて救世のために立ち上がった崇高な理念は、制度的特権と既得権益と世代交代によって、すっかり押し流されてしまった。まさしく、もはや歴史の遺物のような哀れな、そして過去の存在である。
ここ百年の彼らは、魔導師は、歴史的経緯による様々な配慮と「個人としてみるならそれなりに強い」の二本立ちで餌を貪っていたようなものだ。
しかも歴史的経緯によって散々配慮してもらったくせに、現王ジルベール2世の病臥で王権が弱体化を始めると、少なくともアカデミーの最高意思決定機関『賢者会議』は、こう宣ったのだ。
「我らは、王にのみ仕える。」
王に仕える、つまり”今ベッドでほぼ寝たきりの、79歳の老人”の命でしか動かない、と言ったのだ。
ソフィアが使いそうな表現をすれば、「救い難いくらい官僚的な、典型的日和見主義!」ということになるだろう。
こんな風見鶏で梯子を外された経緯が王党派にはあるので、
(ふん。今も変わらんではないか。我らがどれほど貴様らをそこから叩き出すのに苦労していると思っているのだ。)
と皮肉の一つでも言いたいのを抑えつつ、ロベールは論を進めていく。
「なるほど。……つまり、アカデミーという大きな器も、貴殿らの存在も、王家の力あってこそ、というわけだな。」
「……そう、なりましょうか。」
「では、逆に問おう。もし、王家の力が弱まれば、いや、盟約以来の責務を果たさねば。アカデミーは、魔導師はどうなると思う。」
ディルカル師は、一瞬、答えに窮した。
「それは……昔のように、また小さく分かれてしまうかもしれません。」
「昔、というのは?」
もちろんロベールは知らないわけではないではないが、あえて言わせていく。
「《大戦乱時代》の前、いやもっと前ですね。1000年前に”帝国”が滅びて以来、我ら魔導師は野に細々と生きていましたから。」
「その通りだ。今の恵まれた立場も、後ろ盾があってこそ。……だが、今、王は病に伏せっている。」
その一言に、ディルカル師の顔が、僅かに強張った。
「……閣下は、何を仰りたいのですか。」
「なに、単純なことだ。……上の方々が、様子見を続けている間に、もし何かが決まってしまえば、アカデミーは、何も言えぬまま、その結果を受け入れるしかなくなる。」
「……伯。」
「だが、もし、下の方々が、はっきりと声を上げれば――例えば、貴殿のような、実直な講師陣が、一つにまとまって、上に意見を伝えたなら――上の方々も、それを無視はできまい。」
ディルカル師は、じっと考え込んでいた。
「……閣下は、我々に、何かをせよと?」
「いや、私が何かを命じる立場にはない。……ただ、貴殿のような方が、ご自分の考えを、同僚たちと、少し話し合ってみるのも良いのではないか、と思っただけだ。」
ロベールは、穏やかにそう言うと、静かに立ち上がった。
「今日は、良い話ができた。……そうだ、近々、我が家で、ちょっとした集まりを設けようと思っている。学問に理解のある、何人かの方々をお招きしてな。貴殿のような方にも、ぜひ、お顔を出していただきたい。」
「……私などが、よろしいのですか。」
「もちろんだ。同じように感じている方が、他にもおられるかもしれん。……そういう方々と、気軽に言葉を交わせる場があっても良かろう。」
その言葉の裏にある意味を、ディルカル師は、はっきりと理解したわけではなかった。だが、何か、自分の中の小さな不満が、初めて誰かに聞き届けられたような、そんな感覚があった。
「……ぜひ、参加させていただきます。」
「うむ。楽しみにしている。」
彼を見送った後、ロベールは、一人静かに笑んだ。
(急かさずとも良い。……場さえ整えば、あとは、彼ら自身が、動き出す。)
そう。
まともに貴族を束ねてもその土俵で貴族派に勝てないと悟ったロベールは、王権と賢者階級の同盟を王党派と魔導師の野合の形成に方向転換させたのだ。
シャルロッテ、つまりソフィアの助言がどこまで効いていたのかは不明でも、”束ねる”の主語を変えたのである。
その日の夕食の後、ソフィアは自室に戻り、窓辺に佇んでいた。
(父と、ディルカル師の様子……。)
あの日、玄関先での二人の会話は、彼女の耳には届かなかった。
だが、普段より長い立ち話。父の、いつになく穏やかな表情。
そして、後日届いた「近く、家で小さな集まりを開く」という話。
(ふふ。……分かりやすいこと。)
ソフィアは、別のオルグ中のメイドがその情報を漏らしたのを思い出しつつ、小さく笑みを浮かべた。
(父上は、ディルカル師を引き込む、いや彼を釣り針にアカデミーを王党派に引き込むおつもりね。アカデミーの若手を束ねて、上を突き上げさせる。あるいは、クーデターを支援して、若手を上に据えるで、アカデミーと王党派は正式に宮廷闘争において貴族派に対抗する同盟を結ぶ。ふむ……悪くない手だわ。むしろ、随分と手慣れていらっしゃる。)
ロシア正教会の解体で似たようなことをやった当事者の彼女は、昔を思い出しつつ静かに帳面を開いた。
(あの夏、私が"束ねる"という言葉を口にしたのは、ただの内部分裂対策の気休めのつもりだった。でも――父上は、それを、実際の一手に変えてしまったという訳ね。)
ペンを持つ手が、一瞬止まった。
(私の何気ない一言が、こんな形で、王国の権力構造に直に揺るがすことになるなんて。正直、少し、驚きだわ。父の王党派内部における政治的影響力を、若干過小評価してたかしら。)
彼女はまた、ふと、前世の記憶を思い返す。
(一つの言葉、一つの行動が、時に、思いもよらぬ大きな流れを作ることがある。……歴史とは、いつだって、そういうものだった。)
(でも、今はまだ、始まりに過ぎない。父上の企みが実るかどうかも、分からないもの。)
息をゆっくり吐き出すと彼女は帳面を閉じ、静かに窓の外を見上げた。
(それでも――)
(この国の均衡が、少しずつ動き始めている。それだけは、確かなようね。)
二つの月が、その夜も、静かに輝き、また一日が終わった。
ソフィアの予想通り、ロベールの狙い通り、王党派とアカデミーの野合いや同盟は、反貴族派の軸となって、宮廷闘争をこれからどんどん逆転の方向へ回していくのである。
文字通り腐ってても、魔導師たちは、ロマンダール朝クリヴィア王国の社会において権威と権力と暴力を持った知識人階級だ。
中央と地方。神殿とアカデミー。国内と外国。血の流れない様々な政治の戦場で、こうして王党派は貴族派への白星を増やしていく。
秋が終わり、大陸暦691年の冬は、皮肉にも前年が嘘のような暖冬であった。
つまり前年と違って「物理的な小休止」は発生せず宮廷闘争は展開され、春の芽吹きが訪れる頃には、王党派有利へと情勢が展開していった。
***
この日も中堅魔導師たちとの会合を終えた夜。
書斎に戻ったロベールは、しばらく一人、思案に沈んでいた。
14歳も半ばを過ぎたシャルロッテのことである。
(シャルロッテも今年15か。そろそろ縁談を……いや待て。アンリの縁談が、まだ片付いておらん。跡取りの方を先に、ということになろうか。)
軍務評議会での日々を、つまり激化する宮廷闘争という喫緊の課題を思えば、それだけでも頭を悩ませるには十分だった。
なにしろ長男である。
また、既に娘のうち上二人は婚姻を済ませており、さらに男児にも恵まれた。
正直に言えば、何が何でも今すぐ、というほど切羽詰まってもいない。
(それに、せっかく今この時期に、不用意な縁組を結んで要らぬ足枷を抱え込むわけにもいくまい。)
同時に、最近の彼女の働きが思い返される。
(あの子は、家にいる方が、何かと役に立つ。アカデミーの件は……あの子の一言が、案外道を開いた。アンリもフィリップも色々助けてもらっていると聞く。)
その思いは、静かに、彼の中で定まっていった。
(……無理に急ぐ話でもあるまい。今はまあ、よかろう。)
こうして、端的に言えば彼は、棚上げした。今は、だが。
もっとも、彼自身はそう自覚してはいなかったが――その判断の裏には、こうした実務的な理由だけでは、恐らく説明のつかないものもあったはずだ。
かつて、王すらも目を細めた、あの底抜けに元気なお転婆娘。
今はもう随分と様変わりして風変わりな大人びた賢い娘になってしまったが、それでも末に生まれた娘への情というものは、そう容易く消えるものではない。
まして、老いていく身にとって、失われていく時間ほど、惜しいものはないのだろう。
もちろんソフィアと我々だけが、シャルロッテの様変わりを、成長などではなく「ソフィア・レーベン」という異物による”汚染”のせいだと知っているのだが。
半月ほど後、夏の訪れが見えた頃、ソフィアが書斎の前を通りかかると、扉の隙間から、父と家令の声が漏れ聞こえてきた。
「――閣下、シャルロッテお嬢様への縁談のお話が、一件届いておりますが。ナヴール伯爵からの。ご長男のお相手に、とのこと。」
「ふん、田舎の風見鶏め。早速取り入ってきたか。……断っておけ。それに今は、シャルロッテは家に置いておくつもりだ。」
そう告げるロベールの声に続いて、家令が何やら小さく相槌を打つ声が聞こえた。
低く、途切れ途切れの言葉の中に、"アンリ"だとか、"当面は"だとか、聞き覚えのある単語が混じっている。
すぐにこれらを、ソフィアは理由だと察した。
ソフィアは、それ以上聞き耳を立てることはせず、静かにその場を離れた。
(――やった。やったわ!)
廊下を歩きながら、内心で、静かな喜びが込み上げてくる。いや、心のなかでは静かではないのだろう。
(14歳での縁談、確実に回避したわ。これで当分はしのげる!く~っ、万歳!)
同時に、彼女の口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
インターナショナルを、この世界では誰も知らない歌を、機嫌よく鼻歌で歌いながら、ソフィアは遅れて考えをまとめていった。
断片的に漏れ聞いた言葉と、この数ヶ月の父の様子、そして自分が積み重ねてきた兄たちへの助言の数々。それらが、綺麗に一本の線として繋がっていく。
(種を蒔いたら、ちゃんと芽が出た、いやもう、蕾まで見えてるというところかしら。)
自分の何気ない振る舞いの一つ一つが、確かに父の判断を後押ししていた。その手応えは、悪くないものだった。
窓の外には、夜の帳が降り始めていた。
同時に、夜の帷に覆われた別の場所で、蠢く者もいた。
ある夏の日。
絶賛不利になりつつあった貴族派の首魁、宮内卿・ヴァロニア公爵アルベールの大きな邸宅では、緊迫した会合が開かれていた。
「公、このままでは……我々は、後手に回るばかりです。ナヴール伯爵がミルネージュ伯爵に接触したとの報も。」
「分かっている!」
ヴァロニア公は、テーブルを強く叩いた。卓上のものが少し浮かぶ。
もしかしたら物理的な筋力以外にも、魔力が無意識に籠もっていたのかもしれない。
「王党派は、いよいよ財務卿にまで手を伸ばしている。ヤツめ、アカデミーの利権が手に入ると知ったら、手のひらを返すぞ。」
その大きな音が静まるなり、どこからそんな声が聞こえる。同時にざわめき出す。
しかしその声をかき消すように若い貴族が叫んだ。
「ですが公、まだ軍事力の差は歴然としております!」
「真正面から挑む必要などない!王が病臥している今この瞬間こそが、好機だ。」
「好機と仰いますが、具体的な策がおありなのですか?軍は相変わらず動きは鈍いとはいえ、近衛騎士団もおりますし、その点では王は盤石。ミルネージュ伯や魔導師連中は、雲のように掴みにくいですぞ。」
公爵は、一瞬言葉に詰まったが、別の一人が声を上げた。
「……いや、閣下の仰ることも一理ある。このまま座していれば、我々の立場はますます弱くなる一方だ。ここはいっそ、一気呵成に事をなすべきだ!」
「そうだ、そうだ!」
場の熱が、じわじわと高まっていく。
「公!……策の詳細を、お聞かせ願えますか。」
やや年老いた痩せぎすの男が尋ねるが、すぐにかき消された。
「いや、今回選ぶべきは策を弄することではない!ただ今は、行動あるのみ!」
「そもそも我ら誇りある名門、剣によって立つべし!」
「よかろう!」
公爵は、そう高らかに叫ぶと、部下に地図を勢いよく広げさせた。
「まずは、各々の兵力と、動員できる家臣の数を、正確に把握することから始める。よいか!決行は……秋!次に二度、青き月が満ちた時、
「「「「うおおっ!!!」」」」
場は、いつしか完全に、公爵の主導する熱気に包まれていた。
つまり彼らは2ヶ月後、宮廷クーデターを、ロシアでかつて山程行われ、成功も失敗もあったそれを、彼らは行おうとしているのだ。
血気と拙速に逸っているが、それでも貴族派の意志は決した。
――賽は、振られたのだ。
***
ところで読者の皆様、もしかしたらお忘れになっていないであろうか。
この物語は、「ソフィアが辺境へ追放され、革命を始める物語」なのだ。
――そう、彼女の実家は、”歴史の屑籠”に叩きつけられるのである。
「本題忘れそうなのは長々やってるお前のせいだろ」と言われたら返す言葉がないのですが、それでも「皆様のご好評のおかげですっかり安心してしまい、調子に乗って長くなった」とも言えるので大丈夫、多分きっとメイビー。
そんな作品がこの『異世界ボリシェヴィキ』でございます、高評価ブクマ感想etc…首を長くしてお待ちしておりまーす!