わたしもいっしょに、いく 作:学マスオタク
翌朝。
プロデューサー科の報告会で、教師陣からの評価は概ね好意的だった。
「篠澤さんの成長は目覚ましい」
「決勝まで進めたこと自体、大きな実績です」
「十王さんとの差は確かにあったが、今後に期待できる内容でした」
「彼女の特性を考えれば、非常に優れたプロデュースだったと思います」
褒められるたびに、喉の奥が詰まる。
俺は頭を下げ、形式的な返答をした。
「ありがとうございます」
「本人にも伝えておきます」
「次回に向けて改善します」
「引き続きよろしくお願いいたします」
言葉だけは勝手に出てくる。
自分が何を言っているのか、途中からよくわからなくなっていた。
報告会の最後に、一人の教師が言う。
「ただ、あなたもH.I.F前に随分大きなことを言っていましたからね」
場の空気が、少しだけ変わった。
冗談めかした声で、責める意図はなかったのだと思う。
「プロデューサー生命を賭ける、でしたか」
誰かが苦笑する。
「まあ、結果としては準優勝ですから。十分胸を張っていいでしょう」
その言葉に俺も笑った。いや、笑えた。
社会人として、プロデューサーとして、その場にいる人間として、不自然ではない程度に。
「はい。ありがとうございます」
そう返した瞬間、自分の中で何かが静かに折れる音がした。
プロデューサー生命を賭ける。
もちろん、比喩だ。おそらく、誰も本気になどしていない。俺自身も、あれは覚悟を示すための言葉だったと思っている。
だが、言葉は残る。
吐いた本人が軽く扱ったとしても、消えない。何より、俺自身がその言葉を覚えていた。
生命を賭けた。そして、負けた。
それだけは変わらない事実だった。
報告会が終わった後、廊下を歩いていると、何人かの生徒がこちらを見ていた。
声を潜めているつもりなのだろうが、いくつかの言葉は耳に届いた。
「篠澤さん、惜しかったよね」
「でも星南会長は別格だった」
「決勝まで行けただけすごいよ」
「来年どうなるんだろう」
「プロデューサーさん、かなり賭けてたらしいよ」
足を止めそうになった。
けれど俺は足を止めなかった。止まれば、その言葉を聞いていたと認めることになる。
自分のデスクに戻り、椅子に座る。
メールが届いている。
チャットも溜まっている。
次の打ち合わせ予定も入っている。
篠澤さんの休養明けの予定も組まなければならない。
やるべきことは、昨日より増えていた。それなのに、俺の中ではすべてが終わっているように思えた。
篠澤広を一番星にする。
そのために積み上げてきた計画が、H.I.Fの決勝で終わった。終わった後も、当然のように次がある。来年があり、別のステージがあり、次のレッスンがある。
皆がそう思っている。俺も、そう思うべきだった。だが、思えなかった。
負けた瞬間に何かが断ち切られていた。
それまで篠澤さんの未来へ伸びていたはずの線が、急に手元で途切れている。
先が見えないのではない。先を見る資格が、自分にはもうないような気がした。
昼過ぎ、篠澤さんからメッセージが届いた。
『おはよう』
簡潔な報告だった。
続けて、もう一通。
『プロデューサー、ちゃんと眠れた?』
俺は携帯の画面を見つめた。
少しだけ思いを巡らせて、返事を打つ。
『少し寝ましたよ』
嘘だった。
送信してから数秒後、既読がついた。
『それなら、よかった』
それだけ返ってきて、そのまま追及はなかった。けれど、その返事が妙に重かった。
特にこれといった転換点があったわけではない。しかしその日から、少しずつ生活の輪郭が崩れていった。
食事の時間が後ろにずれた。食欲がなくなって、寮を出れば鍵を閉めたかどうか忘れてしまい、資料を作成しようとしても言葉が出てこなくなってきた。
眠る時間が、短くなった。眠っても、H.I.F決勝の夢を見た。
夢の中で、何度も星南さんの名前が呼ばれる。何度も拍手が鳴る。
何度も篠澤さんが、負ける。
毎日汗だくになって目が覚めた。時計を見ると、眠ってから一時間も経っていない。
仕方なく起きて、映像を見返す。
星南さんのステージ。
篠澤さんのステージ。
審査員のコメント。
観客の反応。
何度も見て、何度も止めた。何度も巻き戻した。しかし何度見ても、やはり結果は同じだった。
俺のプロデュースでは、届かなかった。
数日後、ミーティングルームで篠澤さんと振り返りを行った。
本人の体調を考えれば、もう少し休ませるべきだったかもしれない。
けれど、先延ばしにすることもできなかった。
負けた理由を整理しなければならない。次の一手を、考えなければならない。
資料を表示し、俺は淡々と説明した。
「歌唱面では、決勝直前の調整は概ね成功していました。ただ、二番以降の持久力に課題があります。特に終盤、呼吸の浅さが目立ちました」
「うん」
「ダンスは大きなミスこそありませんでしたが、星南さんと比較すると動きの説得力で差が出ています。可動域ではなく、身体の使い方の問題です」
「うん」
「表情については、改善傾向にあります。ただ、決勝のような大きい会場では、客席後方まで届くほどの変化にはなっていませんでした」
「うん」
篠澤さんは一つひとつ頷いた。俺の説明を遮らず、否定せず、ただ受け止めている。
いつも通りだったが、その平静さが、なぜか俺には責める言葉より堪えた。
「まとめると現時点では、星南さんに届かせるにはまだ総合的な実力が足りなかった、ということになります」
「わかった」
「次回に向けては、まず基礎体力の底上げを」
そこまで言って、言葉が止まった。
次回。
自分で言ったその言葉が、ひどく空虚に響いた。
篠澤さんの視線が、俺を捉えている。
「どうしたの?」
「……すみません。続けます」
資料に視線を戻す。文字が滲んで見えた。
疲労か、睡眠不足か。そう思うことにして、心に蓋をする。
「基礎体力の底上げと、ステージ後半での表現維持。それから」
「プロデューサー」
篠澤さんが俺の名前を呼んだ。
いや、名前ではない。肩書きだ。
それでも、俺は反射的に顔を上げた。
「顔色が悪い、よ」
「問題ありません」
「あると思う」
「大丈夫です」
「寝てないの?」
「寝ています」
「本当、に?」
あまりの即答に、俺は返事に詰まった。
篠澤さんは、机の上に置かれた資料を見る。
それから、俺の手元を見る。
空になったコーヒーの缶。書き込みだらけのノート。赤くなった目。
たぶん、彼女にはそれだけで十分だったのだろう。
「プロデューサー。いつから、寝てないの?」
「……大したことではありません」
「質問に、答えて」
静かな声だった。
強くはない。けれど、逃げることを許さない声だった。
「昨日は、あまり」
「その前は?」
「……」
「その前も?」
沈黙が答えになった。
篠澤さんは少しだけ目を伏せた。
「わたしの、せい?」
「違います」
それだけは即答できた。
「絶対に違います」
「でも、H.I.Fで負けたから?」
「それは」
「わたしが、勝てなかったから?」
「違います。勝たせられなかったのは俺です」
言った瞬間、語気が荒くなったことに気づいた。
篠澤さんが瞬きをする。俺はすぐに視線を落とした。
「すみません」
「怒ってる?」
「いえ」
「じゃあ、どうしたの?」
答えられなかった。
怒っているわけではないし、篠澤さんを責めているわけでもない。星南さんを恨んでいるわけでもない。
ただただ俺は、自分が許せなかった。
あれだけ準備して、あれだけ偉そうなことを言って。
あれだけ篠澤さんの人生に踏み込んでおきながら、結果として俺は、彼女を勝たせられなかった。
その事実がずっと喉の奥に詰まって取り切れず、刺さった小骨のように俺をむしばみ続けている。
「プロデューサー」
篠澤さんの声が、少しだけ近く聞こえた。
「わたしは、負けたけど」
「はい」
「プロデューサーを責めてない、よ」
「……すみません」
「責めてほしい?」
息が止まった。
篠澤さんは、淡々と俺を見る。
「責められた方が、楽?」
「そんなことは」
「ありそうだ、ね」
「ありません」
「本当に?」
今度は、答えられなかった。
彼女は頭がいい。
だから、俺が隠そうとしていることを、時々あまりにも簡単に見つけてしまう。
俺は責められたかったのかもしれない。篠澤さんや教師たち。他の誰かに。
お前のせいだと言われれば、罰を受ける理由ができる。責任の取り方を決められる。
なのに誰も言わない。誰もが、よくやったと言う。その優しさが、俺を少しずつ追い詰めていた。
「振り返りは、今日はここまでにしましょう」
俺は資料を閉じた。
「プロデューサー?」
「篠澤さんは休んでください。次回以降の計画は、こちらでもう一度整理します」
「プロデューサーは?」
「やることが終わったら、俺も休みますよ」
「本当に?」
「……」
「また嘘をついた、の?」
篠澤さんの声に、ほんの少しだけ棘が混じった。
「プロデューサーは嘘つきだ、ね」
小さな声。責めるというより、確認するような響きだった。
それでも、その言葉は深く刺さった。
「すみません」
「謝らないで」
「すみません」
「やめて」
篠澤さんは困ったように眉を寄せた。その表情を見て、俺はようやく気づいた。
俺は今、彼女に気を遣わせている。
敗北したのは篠澤さんだ。
悔しいのは彼女のはず。休むべきなのも、立て直すべきなのも、本来は彼女のはずだった。
それなのに、彼女は俺を見ている。
俺の顔色を気にしている。俺の嘘を見抜いている。
プロデューサーである俺が、担当アイドルに心配されている。
その事実が、最後の一押しになった。
もう駄目だと思った。
もう、彼女の隣に立つ自分の姿が想像できなかった。
その日の夜、俺は一人で退任届の文面を作った。ただ、自分の中にある責任の輪郭を、文字にして確かめたかった。
冬季H.I.F決勝における敗北の責任を取り、篠澤広担当プロデューサーを辞任いたします。
そこまで打って、指が止まった。
辞任。
それで足りるのか。
担当を外れて、学園を去る。プロデューサーを辞める。
それは責任だろうか。それとも逃走だろうか。どちらでも良いが、少なくとも今の俺が篠澤さんの隣に立ち続けるよりは正しい気がした。
画面の白い光が目に痛い。
俺は椅子にもたれ、天井を見上げた。頭の中で、またあの声が響く。
一番星は十王星南。
歓声と拍手。眩しい照明。星南さんの隣で、静かに立っていた篠澤広。
俺は、あの瞬間に終わっていたのかもしれない。ただ、周囲がそれを許してくれなかっただけで。
スマートフォンを開くと、篠澤さんとのメッセージ画面が残っていた。
最後のやり取りは、夕方のものだった。
『今日はちゃんと眠ってね』
篠澤さんからの短いメッセージ。
俺は返事を返していなかった。返信欄に指を置く。何かを書こうとして、何も書けないままでいた。
不意に、普段なら考えるはずのない言葉が脳裏に浮かぶ。
プロデューサー生命を賭けると、かつての俺は言った。
生命を、賭ける。そして、負ける。
賭け金は、支払わなければならない。