わたしもいっしょに、いく 作:学マスオタク
その日から、俺の身辺整理が始まった。
終活。熟語に当てはめてみると現実味がない。しかしどんなに後ろ向きだろうと、向かう先が明確に見えた俺は逆にどこか高揚感すら覚えていた。
担当アイドルを持つと専用個室として利用できるミーティングルーム。そこから、俺の私物や仕事道具を少しずつ片付けていった。
誰にも気づかれないように、毎日一つずつ、一つずつ。俺という存在の痕跡が残らないよう意識して物を消すたび、俺の心に重しが増えていくようだった。
身辺整理はスムーズに進んでいた。
パソコンの予備充電。コーヒー用に愛用していたマグカップ。他アイドルの参考資料。
比較的目立たないものから、息を引き取っていく。
しかし細心の注意を払って、篠澤さんに関するものだけは丁寧に残した。たとえどれだけ俺の痕跡が残るものでも、それだけは処分しなかった。
俺が消えても、篠澤さんの明日が止まらないように。
それだけが、最後に俺が彼女へ返せるものだと思った。
「プロデューサー、おはよう」
ミーティングルームの扉が開いて、篠澤さんが入室する。
もうそんな時間か、と腕元の時計に視線を落とした。時刻は午後の四時をさしている。
「おはようございます」
篠澤さんはいつもと変わらない足取りで、室内の椅子に腰を下ろす。
少なくとも俺から見える限りで、篠澤広に変化はなかった。数日前の敗戦は、悔しさとして処理できているらしい。
「ね。この部屋、広くなった?」
「そうですか?」
篠澤さんの言葉に平然と答える。心臓が早鐘を打ち始めた。
「プロデューサーのものが、減ってる」
そう言うと、篠澤さんはきょろきょろと周りを見渡し始めた。
部屋のレイアウトで気づかれないよう工夫していたつもりだったのに。彼女にはお見通しだった。
「少し荷物を整理したんです」
「整理?」
「はい。不要なものが増えてきたので」
予め用意しておいた答えである。
「わたしの資料は増えてる、よ」
「必要なものですからね」
「プロデューサーのものは不要、なの?」
言葉に詰まった。用意していた答えがあるのに、口が動かない。
「プロデューサー、辞めるの?」
「正式には、何も」
「じゃあ、気持ちは決まってるんだ、ね」
声色は変わらず平坦だが、篠澤さんの目尻が少し垂れ下がったように感じた。
「篠澤さんには、もっと適任がいるはずですから」
「わたしの質問に、答えて」
平坦なままの声に追い詰められる。
煙に巻くことはできそうにない。でも、嘘をつくことも憚られた。
「はい。あなたのプロデューサーを、辞めるつもりです」
「……そう、なんだ」
篠澤さんは目線を下げた。追求も否定もない。
「すみません」
「謝らないで。まだ、考えてるから」
何を考えているのか。当然それは俺にわかるものでもないし、どうやら彼女もそれを言う気はないようで、そのまま黙りこくってしまう。
気まずい沈黙がその場を包んだ。あるいは、俺が勝手に気まずく思っているだけかもしれない。
「……わたしの、せい?」
篠澤さんがこぼすように漏らしたその言葉を、反射的に否定する。
「そんなわけがない!」
一度言葉が出ると、もう止まらなかった。
感情の奔流が、言葉に乗って溢れ出る。
「俺は、あなたのH.I.Fにプロデューサー生命を賭けて臨みました。でも、勝てなかったんです」
篠澤さんは、言葉を発さない。
「言った言葉には責任を持たなければならない。そうでなければ、俺があなたの隣に立つ資格はありません」
そこまで心境を吐露したところで、ようやく篠澤さんが顔を上げた。
「……わたしの担当を辞めた後、は? 他のアイドルを担当するの?」
「しません」
「じゃあ、プロデューサー科には残る?」
「……残りません」
「初星学園。辞める、の?」
「そのつもりです」
「辞めた後、は?」
「決めていません。ただ少し、遠くへ行こうとは思っています」
「……それは嘘だよ、ね」
篠澤さんの言葉に、俺は崖まで追い詰められたような錯覚を覚えた。
「死ぬつもり?」
篠澤さんが首を傾げる。
死ぬつもり?
言葉の持つイメージとは正反対に、機械的な印象すら覚えるほど、その言葉はまっすぐに感じた。
「そんなことは」
否定しようとして、できなかった。続く言葉を俺は持たなかったのだと気づいた。
篠澤さんには嘘が通じないのではない。俺が篠澤さんに嘘をつけないのだと、初めてそこで気がついた。
「わかった」
篠澤さんは、得心を得たように頷く。
何がわかったのだろうか。会話の流れからして、俺が死のうとしていることに気づいた。納得がいった。そうとしか思えないが、続く言葉は否定ではなかった。
「わたしもいっしょに、いく」
一緒に行く。どこへ?
「あなた一人ではいかせない、よ」
「……篠澤、さん?」
「それで、いつにする?」
そこで気がついた。
篠澤さんは俺と一緒に遠くへ行こうとしているのではない。
一緒に、逝く。そう言っているのだ。
「駄目です」
「どうして?」
「篠澤さんは、関係ありません」
「ある、よ」
「ありません!」
「ある。あなたは、わたしのプロデューサーだから」
「だからこそ、俺は!」
「だからこそ、わたしも」
話にならなかった。いつになく論理的ではない。禅問答の答えは見つからなかった。
「いついくの?」
篠澤さんは、もう一度そう聞いた。
その口調があまりにもいつも通りだったことに気づいて、俺はようやく理解した。
彼女は俺を止めようとしているのではない。
本気で、ついて来るつもりなのだ。
「……早ければ、週明けには」
「わかった」
大きく頷くと、篠澤さんはゆっくりと立ち上がって、ミーティングルームを出て行った。
その足取りがいつになくはっきりしていて、ステージ上の頼りない彼女とは真逆の印象を抱かせた。
週明けまでの数日間、篠澤さんは何も変わらなかった。いつも通りにレッスンをして、いつも通りに俺へ報告をする。
ただ一度だけ、『忘れないでね』とメッセージを送ってきた。