ジュリアン・ヴェインと秘密の少女たち   作:女難の相

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はじまりの金貨

 約束の一週間後。

ヴェイン一家の『入学を希望します』という返事を聞いたマクゴナガルは、厳格な顔に満足そうな笑みを浮かべた。

いくつかの書類手続きを済ませ、いよいよロンドンへ教材を買いに行くことになったのだが、ここで一つ問題が発生する。

『ロンドンまでの車を手配しましょうか?』という父親の提案を、マクゴナガルはにべもなく断ったのだ。

 

『車は必要ありません。我々はより便利な移動手段を持っています。魔法に慣れるためにも、今回はそれで行きましょう』

 

 この発言を聞いてジュリアンは、四人乗り用の箒、もしくは空飛ぶ絨毯でも揃えたのだろうかと思った。

だが、現実は年頃の少年の想像力を遥かに超えた、ぶっ飛んでいたものであった。

 

「……すみません、マクゴナガル先生。いま『暖炉』とおっしゃいましたか?」

 

 リビングの暖炉を見つめながら、父親が裏返った声で聞き返す。

 

「ええ。魔法省に申請し、今日だけ特別にこの家の暖炉と、目的地であるパブ『漏れ鍋(もれなべ)』の暖炉を繋げてもらいました」

「繋げた、とは……?」

「『煙突飛行粉(フルーパウダー)』を使った移動方法です。この粉を火にくべ、目的地をはっきりと発音して火に飛び込むのです。粉を吸い込んでモゴモゴと言い間違えれば、とんでもない場所に吐き出されますからご注意を」

 

 マクゴナガルに移動方法を聞いて、父親が慌て始める。

家の暖炉がいつの間にか、他のところに繋がっていて、移動手段になるなんて思いもしなかったのだ。

慌てるのも仕方がないことである。

母親とジュリアンは、『魔法使いだしそういう方法もあるよね』と早々に受け入れた。

 

「まずは、私がお手本をお見せしましょう。あちらへ移動してから一分後に戻ってきますので、暖炉近くにいないようお願いします」

「わかりました」

 

 とりあえず、一度お手本を見せて貰えるということで父親も落ち着きを取り戻す。

マクゴナガルが杖をひと振りすると、薪も入っていない暖炉にボッと火が灯った。

さらに彼女は懐から革袋を取り出すと、中からきらきらと光る緑色の粉を掴み取る。

 

『漏れ鍋!』

 

 その粉を暖炉の火にくべると、火の勢いが増し、エメラルドグリーンへと変化した。

そして、マクゴナガルは先ほど忠告した通りにはっきりと行き先を発音し、燃え盛る火の中に足を踏み入れる。

次の瞬間、彼女の姿はかき消えるように消滅した。

 

「消えちゃったね」

「……魔法界ってやつは、つくづく僕たちの常識が通じないらしいな」

 

 暖炉にはマクゴナガルの姿は一切なく、火の勢いも元に戻った。

元からそこには魔女のマクゴナガルという存在がいなかったかのように思えるほどである。

 

「あ……戻って来た」

 

 一分後、前触れもなく、暖炉の炎が再びエメラルドグリーンへと変化した。

激しく渦巻く炎のベールを割り、中からマクゴナガルが何事もなかったかのように一歩を踏み出してくる。

衣服には煤ひとつ、ついていない。

ジュリアンが壁に掛かった時計の針を見てみると、正確に一分を指していた。

 

「このような感じです。お分かりいただけましたか?」

「えぇ……理屈は」

「では、お父様からどうぞ」

「えっ、僕から!?」

「息子さんとご一緒に。さあ、怖がることはありませんよ。お母様は私が責任を持ってお連れしますから」

 

 こうして、ヴェイン家の男二人は、半ばやけくそ気味に魔法の炎へと飛び込むことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「げほっ……う、上手く行ったかな?」

「たぶん?ここが『漏れ鍋』だと思うけど……」

 

 

 緑の炎に包まれたかと思った次の瞬間、ジュリアンたちの目の前の光景は一変していた。

見慣れた我が家のリビングは消え去り、そこにあったのは暗くて煤けた、けれどどこか温かみのあるパブの店内だ。

薄暗い店内は、昼間だというのに不思議な活気で満ちていた。

それぞれが思い思いの場所で怪しげなお酒を楽しみ、突然暖炉から転がり出てきたにも関わらずジュリアン達に、数人の客が親しげに手を振ってくれる。

ジュリアンが目を丸くしてその光景を眺めていると、カウンターの奥から、おじいさんが手招きをしてきた。

 

「ここが『漏れ鍋』であってるよ、お坊ちゃん。ほら、次が来るからすぐに暖炉から離れて」

「父さん、こっちだって!」

「う、うむ……っ、ゲホ、ゴホ……!」

 

 煙突飛行粉を少し吸い込んでしまい、盛大に咳き込む父親の腕を引っ張り、ジュリアンは急いで暖炉の前を離れた。

その直後のことである。

背後の暖炉が再びエメラルドグリーンに燃え上がり、中からマクゴナガル先生と母親が、何事もなかったかのように姿を現した。

もしあのバーテンの忠告がなければ、今頃四人で団子になって転がっていただろう。

 

「ええ……上手くいったようですね。トム、帰りもまた利用させてもらいますよ」

「分かっております、マクゴナガル先生。いつでもどうぞ」

「さて、ダイアゴン横丁に向かいましょう。今日は揃えるものがたくさんありますから、急ぎますよ」

「は、はい」

「帰りにまた来ます」

「お気を付けて」

 

 本当にスケジュールが詰まっているのか、マクゴナガルは最低限の挨拶を終えるときびきびと歩き出す。

その後ろを追いかける際、ジュリアンはカウンターの奥のバーテンへ向けて、ペコリと丁寧に頭を下げた。

さっき助けてくれたことへの、彼なりの感謝のしるしだ。

バーテンのトムは一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐに口元を優しく綻ばせ、ひらひらと手を振り返して見送ってくれた。

 

(魔法使いといっても普通の人と変わらない所もあるんだな)

 

 ジュリアンは、未知の世界への緊張が少しだけ解けるのを感じて、小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『漏れ鍋』にある小さな中庭へ出ると、マクゴナガルが壁のレンガを杖の先で三度、軽快に叩いた。

すると、レンガが生き物のようにぐにゃぐにゃと蠢き、真ん中からひとりでに開き始める。

目の前に現れたアーチ型の通路の向こう側――そこに広がっていた『ダイアゴン横丁』は、ジュリアンの想像を遥かに超えた、あまりにもファンタジーな世界だった。

太陽の光を浴びて鈍く光る大鍋が、お店の前にこれでもかと高く積み上げられ、まるでおもちゃのタワーのようにぐらぐらと揺れている。

そのすぐ隣の店先では、自転する真鍮の天球儀が涼しげな音を立て、ショーウィンドウの中では色鮮やかな羽根ペンが、誰も握っていないのに勝手に羊皮紙へ美しい飾り文字を走らせていた。

 

「さぁ、急ぎますよ。はぐれない様について来て下さい!」

 

 マクゴナガルはそういうと、またもやきびきびと歩きだした。

ジュリアンは、大鍋の置いてあるお店の上にある古びた看板を、通り過ぎる際に興味津々で読み上げてみた。

 

『鍋屋――大小いろいろあります 銅、真鍮、錫、銀』

 

(鍋の素材によって、やっぱり作る魔法薬の効果が変わったりするのかな?)

 

 ジュリアンがそんな疑問を頭に浮かべて足を止めかけた瞬間、ぎゅっと母親に手を引かれた。

 

「……ここに居る人達、皆が魔法使いですか?」

「えぇ、魔法に関わりを持っている人達です。小鬼の銀行グリンゴッツは、もう少し奥の白い建物です。ミスター・ヴェイン、いくら珍しそうに見つめたところで、先に両替をしないと何も買えませんよ」

 

 ジュリアンは歩調を緩めないマクゴナガル先生の背中に向けて、「あの、さっきの鍋の素材って――」と尋ねようとしたが、残念ながらその質問が届くことはなかった。

とにかく時間がないのか、マクゴナガルの歩く速度は一切落ちない。

結局ジュリアンは、母親としっかりと手を繋いだまま、おとぎ話のような街並みを右から左へと引き摺られるようにして連れて行かれた。

 

「ここがグリンゴッツです。イギリスの魔法界では唯一の銀行となります」

 

 しばらく歩くと目的地へと到着した。

小鬼が経営しているグリンゴッツ銀行はひときわ高い白色の建物であった。

綺麗に磨き上げられた扉の脇には、真紅と金色の制服を着た小鬼と思われる人達が立っている。

小鬼と呼ばれていた為に、ジュリアンは妖精のゴブリンを思い浮かべていたのだが、だいぶ違った。

人間よりも一回り小さく、尖った耳と長い指。

そして、何よりも見る者を射抜くような、鋭く賢知に満ちた瞳をしている。

 

 中に入ると更に多くの小鬼が働いていた。

大理石のホールに足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が嘘のように消え去り、冷たい空気が肌を刺した。

そのホールには、高いカウンターがずらりと並び、その上に腰掛けた小鬼達が、羽根ペンを走らせたり、天秤で宝石を量ったりしている。

 マクゴナガルに連れられて歩くジュリアンたちの足音が、大理石の床にコツコツと冷たく響き渡った。

そのたびに、数人のゴブリンが品定めをするような視線を向けてくるため、父親は思わずジュリアンの肩を抱き寄せ、身を硬くする。

そんな中でマクゴナガルが迷いのない足取りで、一番奥の空いているカウンターへと進み出た。

 

「イギリスの通貨から、魔法界の通貨への両替をお願いします。こちらへ」

 

 促されて前に出た父親は、恐る恐るポンド紙幣の入った財布を取り出した。

高座から見下ろすゴブリンは、長い指先で眼鏡をくいと上げると、紙幣をじろりと睨みつける。

 

「マグルのお金ですな。本物……よろしい、これがこちらの通貨となります」

「金貨ですか?」

「えぇ、一番上のガリオンはそうなります」

 

 ゴブリンが差し出してきたのは、ジュリアン達が見たこともない貴金属の山だった。

きらきらと金色に光る通貨もあり、それが金でできていることに父親と母親は驚いた。

ジュリアンの家は、貧しくはないが、お金持ちという訳でもない。

そんな環境で過ごしていたからか、見たこともない金の量に目を白黒させたのだ。

 

「一番大きい金貨が『ガリオン』。銀貨が『シックル』、一番小さな銅貨が『クヌート』です。一ガリオンは十七シックル、一シックルは二十九クヌート。間違えないようにお気を付けください」

 

 じゃらじゃらと音を立てて差し出された硬貨は、ずっしりと重く、本物の金特有の鈍い輝きを放っている。

ジュリアンがその中の一枚を手にとってみると、指先から冷たい魔法の気配が伝わってくるようだった。

 

「ついでですし、口座……金庫をお作りになられては?」

「その……時間はかかりますか?」

「そうですね。十分ほどで終わります」

 

 父親が重い革袋を抱えながら尋ねると、小鬼はそう答えた。

 

「ホグワーツに在籍する期間、そして今後のためにも、名義の金庫をここに開設しておくのが賢明でしょう。幸い、その時間はとってあります」

「それでは、新規の金庫開設をお願いします」

 

 マクゴナガルへと時間をとってもいいかと、視線を投げかけると彼女は厳格な顔のまま首を縦に振って応えた。

 

「分かりました。では、幾つかの質問と書いて頂きたい箇所がありますので、ご説明をさせて頂きます」

「僕、そこに座って待ってるね」

「分かった。遠くに行かない、ここから出ない、僕達の近くにいること」

「うん、そこに座って待ってるから大丈夫」

 

 そういってジュリアンは、ホールの一角にある背もたれが異常に高い古めかしい革張りの椅子を指差した。

魔法世界の銀行や経済に興味はあるが、まだ幼い為に分からないところが多く、その度に質問をしていれば時間が掛かり過ぎてしまうと判断したのだ。

そのうちゆっくりと調べればいいかと思い、先ほど一枚だけ手に取ったガリオン金貨をじっと観察する。

これにも何かしらの魔法がかかっているのだろうと、そう考えたのだ。

 

「……だれ?」

 

 金貨をじっと見ていたら、同じような色の何かがジュリアンの視界をうめる。

それは、良く見れば金貨のように鈍い輝きを放つ髪の毛であった。

その事に気付き、俯いていた顔を上げてみるといつの間にか、ジュリアンの目の前に一人の少女がいた。

その少女は長髪であったが、手入れがされていないのか、あるいはわざとなのか、前髪が完全に彼女の顔の上半分を覆い隠してしまっている奇妙な髪型をしている。

前髪の隙間から辛うじて鼻先と唇が見えるだけで、彼女がどんな目をしているのか、どこを見ているのかすら全く分からない。

更にいえば、長髪の先を一括りに縛ってあり、ボサボサ具合もあいまって『逆さにした箒』のようにも見えた。

 

「オレか?」

「うん」

「ククク……恐れおののけ、凡俗なる人間(マグル)よ。オレは――否、我が真名はモルウェナ・ディープウッド(深森の魔女モルウェナ)。現世の理を視通す、深淵の『魔眼』を宿せし者だ……!!」

 

 逆さ箒の少女は、片手で顔を覆い、もう片方の手を大きく突き出すという大袈裟なポーズを決めて、偉そうに名乗った。

 

「……そう、僕はジュリアン・ヴェイン」

「なんだよー。もっと、こう……なんか反応あるだろー?」

 

 ジュリアンが冷たく突き放せば、さっきまでの、おどろおどろしい雰囲気はどこへやら。

少女――モルウェナは、がっくりと肩を落とすと、不満げに唇を尖らせた。

そのあまりの豹変ぶりは、ジュリアンが眉をひそめるほどだ。

 

「反応って言われても……。初対面の人に、急にそんなこと言われても困るというか」

「ちぇー、マグル育ちはノリが悪いなー。オレ、この名乗り口上を入学が決まってからずっと鏡の前で練習してたんだぞ? 普通は『ひぇっ、魔女だ!』とか『その魔眼で見つめないでくれ!』とか言うもんだろ?お約束だぜ、お約束!」

 

 彼女は前髪の上から、自分の両目を隠すように大袈裟に手を当ててのけぞってみせた。

どうやら、ただの目立ちたがり屋というか、少し……いや、かなり変わった感性(中二病)の持ち主のようだ。

ジュリアンは心の中で『あ、この子、関わると面倒くさいタイプだ』と瞬時に察した。

 

「ねえ、さっきから言ってる『マグル』ってなに?」

「あー……非魔法使いのことをオレ達、魔法使いは『マグル』って呼んでるんだよ」

「そうなのか」

「ついでに言えば、お前の両親は二人ともマグルか?」

「そうだね。一週間前に魔法の存在を知ったばかりだよ」

「ならスリザリンには絶対入るなよ。あそこは純血主義の塊だからな、マグル生まれが行ったら地獄だぞ」

「スリザリン……寮の名前だっけか。マクゴナガル先生が言ってたな」

 

 モルウェナという少女は、大雑把と言うか異性の『いの字』も気にしない人物であったらしい。

なんの躊躇もなくジュリアンの隣にどさと座り込むと、驚く彼をよそに、その肩へガシッと腕を回して親しげに顔を覗き込んできたのだ。

 

「そういえば、何で僕がマグルって分かったの?」

「普通の魔法使いの子供はな、ガリオン金貨を珍しそうに興味津々で見ねーよ。普通は『ハニーデュークス』でどのお菓子を買おうかなとか考えて、ニヤつくはずだ」

「なるほどね、よく見てるね」

「まーな! という訳で……今の有益な情報代として、それくれ」

 

 モルウェナは、口元をにやっと上げて笑い、ずいっと顔をジュリアンに寄せる。

そして手のひらをジュリアンに見せた。

 

「んー……個人的には、あげてもいいけど……これは父さんのだから駄目」

「えー……良い子ちゃんかよ」

「その代わりに今度会った時、僕のお金でお菓子をご馳走するよ」

「前言撤回、いい奴だな。子分にしてやる」

「それはいいことなのか?」

「いいことだろ」

 

 ふふ、と喉の奥で喉を鳴らすようにモルウェナは笑う。

 

「光栄に思え。我が眷属になるということは、終末の刻に魂の救済を約束されたも同然だからな!」

「……それはどうも」

 

 また始まった、とジュリアンは小さく息を吐いた。

呆れ半分ではあったが、不思議と嫌な気はしなかった。

異性の『いの字』も気にしていないような距離の詰め方をしてくるモルウェナだったが、その図々しさには不思議とトゲがない。

むしろ、知らないことだらけの魔法界において、こうして遠慮なく話しかけてくれる存在は、ジュリアンにとってどこか救いでもあった。

 

「モルウェナ!」

 

 そんな会話を続けていると、重厚な大理石のホールの入口の方から、低く響く男の声が聞こえてきた。

 

「おっと、口うるさい親父殿が戻ってきたようだ。名残惜しいが、我が眷属よ。ホグワーツでまた会おう!」

「はいはい、またね。モルウェナ」

 

 その声に彼女は、忘れていたと慌てて立ち上がり、芝居かかった動きでお辞儀をした後、走り去って行った。

初対面も唐突であれば、去り際も唐突である。

魔法界で作った初めての友達は、少し変わり者のそんな子であった。

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