ジュリアン・ヴェインと秘密の少女たち   作:女難の相

4 / 5
感想、お気に入り登録、評価よろしくお願いします。


紅蓮の刻印

 腕に抱えた新しい教科書と、エヴリンに教えてもらった物語の本のずっしりとした重みを感じながら、ジュリアンは母親と共に石畳の道を歩いていく。

目指すのは、皆で合流して最後に寄る約束になっている、杖の専門店『オリバンダーの店』の前だ。

だが、剥げかかった金の文字で『紀元前三百八十二年創業』と書かれた古びた店の前に到着しても、そこに待っているはずの二人の姿はなかった。

 

「あら……まだ戻ってきていないみたいね」

「そうみたい」

 

 母親が周囲を見渡しながら、小さく首を傾げる。

大釜や折りたたみ式の望遠鏡、様々な種類のガラス瓶など、買い込むべき雑貨のリストを握りしめて意気揚々と出掛けた父親と、それをきびきびと引率していたマクゴナガル先生。

あの二人のことだから、とっくに買い物を終えて店の前で直立不動で待っているものとばかり思っていた。

しかし、その二人の姿は影一つなかった。

 

「父さん、慣れない魔法界の買い物で、迷子にでもなっちゃったかな」

「ふふ、マクゴナガル先生が付いていてくださるもの、それはないと思うけれど……。ほら、あなたのお父さん、妙なところで凝り性でしょう? 大釜の材質とか、インクの品質とかを先生にしつこく質問して、呆れられているのかもしれないわね」

 

 母親は困ったように、けれど楽しそうに笑いながら、近くのベンチにそっと腰掛けた。

行き交う買い物客の波を眺めながら、ジュリアンは隣に並んで座り、先ほどまでの出会いを頭の中で反芻していた。

グリンゴッツ銀行の厳かなホールで出会った、嵐のように強引で、だけどどこかトゲのない中二病少女、モルウェナ。

そして、薄暗い書店の片隅で出会った、大人しくて本好き、なのに体の中にもう一人口の悪い男の子を宿している少女、エヴリン。

改めて考えてみても、濃い面子の友達が出来た。

あの二人と付き合っていく中で、自分はどれだけついていけるだろうかと、ジュリアンは頭悩ました。

 

 そんなことを考えながら、母親と並んで『オリバンダーの店』の前で父親たちの帰りを待っていた、その時だった。

ダイアゴン横丁の賑やかな本通りから外れた、薄暗い脇道の境界線に、ひとりの少女が佇んでいるのがジュリアンの目に留まった。

 

 漆黒の夜を溶かしたような、艶やかな黒髪。

吸い込まれそうなほど深い黒目の奥に、時折、街灯の光を反射して怪しくも、鮮烈な紅蓮の炎がゆらりと揺らめいている。

その陶器のように白い肌と圧倒的な美貌、そして全身から漂う気高きオーラは、一目で彼女がただ者ではないことを物語っていた。

 

 しかし、ジュリアンが目を留めたのは、彼女の美しさだけではない。

彼女が今まさに足を踏み入れようとしているのは、マクゴナガルから『決して近づいてはなりません』と厳重に注意されていた『ノクターン横丁』の入り口だったのだ。

少女の歩調は、まるで火に向かって飛び込んでいく蝶のように、危うく、そしてどこか魅入られたようだった。

 

(あぶない!)

 

 身体が先に動いていた。

ジュリアンは母親の呼ぶ声を背中に聞きながら石畳を蹴り、薄暗い路地の境界線へと飛び込んだ。

そして、少女の華奢な手首を後ろからガシッと掴んで引き留めた。

 

「ま、待って! ……そこから先は危ないよ!」

 

 息を切らせて声をかけると、少女は不快そうに、しかしひどく優雅な動作でゆっくりと振り返った。

掴まれた手首を冷ややかに見つめた後、その鋭い双眸がジュリアンの顔を正面から捉える。

 

「……離してくれない?ボクの手を掴むなんて、いい度胸だね」

 

 鈴を転がすような美しい、けれど凍りつくほど冷徹な声。

まだ少女だというのに、周囲を圧倒するような気配が、彼女の全身から魔力が陽炎のように立ち上っているのを、ジュリアンは肌で感じた。

 

「で、でも、先生がそっちの横丁は危ないって……それに、僕の住んでいる街にもこういった裏路地があるんだ。知り合いが迷い込んで酷い目にあったって……」

「……キミは、ここが危ないって言うんだ?」

「う、うん……その……君がここに特別な用事がないなら、離れるべきだと思う。それか、保護者とかと一緒に行くべきだ」

 

 ジュリアンは必死に言葉を紡いだ。

マグルの世界で育った彼にとって、薄暗く先の見えない路地は、犯罪や危険の温床でしかない。

目の前の少女が、そんな場所へ躊躇なく吸い込まれようとしているのが放っておけなかったのだ。

 

 そんなジュリアンを少女は、瞬き一つせずにジュリアンを見つめ返した。

その硝子玉のような黒目の奥で、またもや紅蓮の炎が怪しくゆれる。

彼女の顔には、怯えも、不快感も、あるいは忠告に対する感謝も、一切の感情が浮かんでいない。

ただ、自分の行く手を阻んだ奇妙な存在を、無機質に観察しているだけのようだった。

 

「えっと……考え直してくれた?」

 

 少女はジュリアンの顔をじっと見つめ続けた。

彼女の周囲に渦巻く強大な魔力の波動が、ジュリアンの言葉に触れて、ほんのわずかに揺らぐ。

 

「わかった。キミがそこまで言うなら、この道を歩くのはやめるよ」

「そう……よかった。それなら、早く表に戻ろう?そろそろ……やばいかも」

 

 ジュリアンはホッと胸をなでおろしながらも、背後に広がるダイアゴン横丁の通りを気にした。

そろそろ父親とマクゴナガル先生が戻ってきているかも知れない。

はぐれたと知られたら、父親とあの厳格な先生に大目玉を食らうのは目に見えている。

 

「いいよ。戻ろう。けど、その前に――君はなかなかに美味しそうだ。マグル育ちのようだけど……興味深いね」

 

 少女はそう言うと、音もなくジュリアンとの距離を詰めた。

あまりにも滑らかな、人間離れしたその動きに、ジュリアンは一歩後ろへ退がることすら忘れて立ち尽くす。

 

 彼女の氷のように冷たい指先が、ジュリアンの顎を強引に上向かせる。

驚きに目を見開く彼の視界を、夜の闇のような黒髪が覆い尽くし――次の瞬間、ジュリアンの思考は完全に停止した。

 

「ん……っ!?」

 

 唇に触れたのは、驚くほど冷ややかで、けれど信じられないほど柔らかい感触だった。

ダイアゴン横丁の賑やかな喧騒が、一瞬にして遠くへ遠ざかっていく。

重ねられた唇の隙間から、ひんやりとした熱と共に、彼女の濃厚な唾液がじわりと滑り込んできた。

それは、自分の存在そのものをジュリアンの身体の奥深くに染み込ませ、目に見えない所有の刻印を刻みつけるかのような、奇妙で、どこか不気味な口づけだった。

 

 しかし、少女の硝子玉のような瞳には、相変わらず情熱も、愛おしさも、一切の感情が浮かんでいない。

彼女にとってこれは、ただ自分の歩みを止めた珍しい観察対象への『味見』であり、気まぐれな挨拶代わりの行為に過ぎないようだった。

 

 ほんの数秒、ジュリアンの甘い唇を存分に味わった後、少女は名残惜しそうな素振りすら見せずに、すっと唇を離した。

あまりの事態に、口元を押さえたまま呆然自失となって立ち尽くすジュリアン。

そんな彼を見つめ、少女は初めて、その人形のような顔の口元をわずかに歪め、舌なめずりし不敵な笑みを浮かべた。

 

「ごちそうさま。お礼ついでにボクの『印』をあげるよ。ボクの名はソリナ・ドラクレスティ。……ホグワーツでまた会おうね」

 

 それだけを抑揚のない声で言い残すと、彼女は翻した黒い髪から、どこか甘く退廃的な香りを漂わせ、今度こそダイアゴン横丁の人込みへと、吸い込まれるように消え去っていった。

残されたジュリアンは、唇を押さえたまま、ただただ立ち尽くすしかなかった。

 

(な、なんなんだよ、一体……魔法界の女の子って、皆こうなのか……!?)

 

 モルウェナ、エヴリン、そしてこのソリナ。

まだ入学すらしていないというのに、ジュリアンのホグワーツ生活への前途は、多難という言葉では生ぬるいほど、混沌を極めようとしていた。

 

 呆然と、まるで魂を抜かれたように立ち尽くしていたジュリアンだったが、背後から聞こえてきた賑やかな足音に、ハッと我に返る。

 

「ジュリアン、お待たせ! いやあ、魔法界の鍋やガラス瓶というのは実に興味深くてね、ついついマクゴナガル先生に質問攻めをしてしまったよ!」

「まったく、あなたの探究心には感服いたしますが、時間は有限です。……おや、ミスター・ヴェイン? 顔が少し赤いようですが、どうかしましたか?」

 

 大きな錫製の大釜をこれ以上ないほど誇らしげに抱えた父親と、その少し後ろを、いつもと変わらぬ凛とした足取りで歩いてくるマクゴナガル先生が戻ってきたのだ。

ベンチから立ち上がった母親も合流し、ジュリアンの様子を心配そうに覗き込んでくる。

 

「あー……特に問題はありません。少し歩き疲れただけです」

 

 まさか今、初対面の女の子にいきなり唇を奪われ、挙句の果てに「美味しそうだ」なんて言われたとは口が裂けても言えない。

ジュリアンは必死に顔の熱を誤魔化しながら、自分の胸元を隠すように、抱えていた本をぎゅっと抱きしめ直した。

マクゴナガル先生は、少しだけ怪訝そうにその鋭い瞳を細めたが、時間もないので話を進めた。

 

「では、全員揃ったところで、本日最後の、そして最も重要な買い物へと移りましょう。ミスター・ヴェイン……魔法使いにとっての命とも言える『杖』を選びに行きます」

 

 マクゴナガル先生が示したのは、ちょうどジュリアンたちが待ち合わせをしていた、その古びた店の扉だった。

剥げかかった金の文字で『オリバンダーの店――紀元前三百八十二年創業』と書かれた看板。

薄暗いショーウィンドウの紫色のクッションの上には、たった一本の杖がぽつんと飾られている。

誇り高く、どこか近寄りがたいその佇まいに、ジュリアンは先ほどのことを忘れ、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 チリン、と静かな鈴の音を響かせて扉を開けると、店の中はまるで図書館の書庫のようだった。

床から天井まで、細長い箱がぎっしりと、それこそ何千箱と積み上げられており、独特の静けさと不思議な魔力の気配が充満している。

 

「いらっしゃいませ」

 

 奥の暗がりから、音もなく一人の老人が姿を現した。

大きな、うすい色の瞳。

その目がジュリアンを捉えた瞬間、まるで彼の魂の奥底まで見透かされるような、奇妙な感覚がジュリアンの身体を駆け抜けた。

 

「おや、マクゴナガル先生。貴女が連れてこられたということは、今年の新入生ですね」

「ええ、オリバンダー。マグル育ちの、ジュリアン・ヴェインです。彼にぴったりの一本を見つけてやってください」

 

 オリバンダーは、ふむ、と小さく頷くと、巻尺をポケットから取り出してジュリアンに近づいてきた。

 

「ヴェインさん。杖腕はどちらかな?」

「杖腕とは何ですか?」

「失礼、利き手はどちらで?」

「……元は左で今は右です」

「ふーむ……確かに、どちらでも使えそうですな。しかし……今回は右腕にしましょうか」

 

 言われるがままに腕を上げると、巻尺はまるで生き物のように勝手に動き出し、ジュリアンの肩から指先、手首から肘、さらには頭の回りや鼻の穴の間隔まで、細かく測り始めた。

その間、オリバンダーは棚の間をせわしなく歩き回り、いくつかの細長い箱を引き抜いていく。

 

「杖が魔法使いを選ぶ。これは絶対の心理だ。さあ、まずはこれから試してみましょう」

 

 巻尺が床へパタリと落ちると同時に、オリバンダーが一冊の箱から一本の杖を取り出し、ジュリアンに手渡した。

 

「ブナの木と、芯の素材は竜の心臓の琴線。二十九センチ。かなり頑固な杖だ。さあ、振ってみて」

「え、あ、はい……っ」

 

 ジュリアンが恐る恐るその杖を軽く一振りした、その瞬間――。

凄まじい風が巻き起こり、カウンターの上に置かれていたインク瓶が破裂して、黒い液体が飛び散った。

 

「うわぁっ!?」

「ひゃあっ!」

 

 父親と母親が悲鳴を上げて飛び退く。

ジュリアンは自分が起こした惨状に、真っ青になって『すみません!』と謝り杖を引っ込めたが、オリバンダーは怒るどころか、むしろ嬉しそうに目を輝かせた。

 

「いやいや、謝ることはない。違うな、これではないな! 次はこれだ、エニシダの木に不死鳥の羽根、二十七センチ。柔軟だ。さあ!」

 

 手渡された二本目を振ると、今度は棚の上の箱が、バラバラと雪崩のように崩れ落ちた。

 

「これでもない! では、これはどうだ?トネリコに一角獣のたてがみ……いや、待てよ……」

 

 オリバンダーは途中で手を止め、うすい色の瞳を細めてジュリアンをじっと見つめた。

その視線は、ジュリアンの群青色の瞳、そして、つい先ほど彼に刻まれたばかりの、目に見えない何かを、観察しているようだ。

 

「ふむ……マグル育ちでありながら、これほど純粋で、かつ強力な魔力の波長。それだけでなく、……非常に気高い『何か』に引き寄せられるような、不思議な運命の糸を感じる」

 

 オリバンダーは独り言を呟きながら、店の最も奥、普段は滅多に手をつけないような埃をかぶった棚から、一本の細長い箱を恭しく取り出してきた。

 

「おそろしく繊細で、しかしひとたび主と認めれば、絶対的な忠誠と、凄まじい攻撃魔法の威力を発揮する……。さあ、ヴェインさん。これを試してごらん」

 

 箱から現れたのは、美しく妖艶な漆黒の光沢を放つ、見事な杖だった。

 

黒檀(エボニー)の木。芯は『吸血鬼の牙の粉末』。三十一センチ。……さあ」

 

 ジュリアンがその黒檀の杖をそっと手に取った、その瞬間だった。

じわり、と指先から温かい、けれどどこか冷ややかな熱が身体の中に流れ込んでくる。

それは、さっき路地の暗がりでソリナと唇を重ねた時に感じた、あの『ひんやりとした熱』と、驚くほどそっくりな感覚だった。

ジュリアンが吸い込まれるように杖を頭上へ掲げ、流れるように一振りする。

 

 今度は破裂音も、破壊も起きなかった。

代わりに、杖の先から、夜空にきらめく星々のような、美しい銀色と微かな『紅蓮』の光の粒子線が溢れ出し、薄暗い店内を優しく、幻想的に照らし出したのだ。

 

「おお……!」

「わぁ……!」

 

 父親と母親が感嘆の声を漏らし、マクゴナガル先生も満足そうに深く頷いた。

 

「素晴らしい、実に見事だ!」

 

 オリバンダーが歓声を上げて手を叩く。

 

黒檀(エボニー)の杖は、自分を曲げない強い信念を持つ者を好む。そして芯の素材……これは非常に珍しい一本だ。まさか、マグル生まれの君が、この杖にこれほど完璧に選ばれるとは……魔法界の運命というのは、本当に予測がつかない。だからこそ……面白い!」

 

 ジュリアンは、手の中に吸い付くように馴染む漆黒の杖を見つめながら、不思議な高揚感と、同時に、言い知れぬ運命の歯車が回り出したような予感を覚えていた。

 

(黒檀の木に、吸血鬼の……。なんだか、さっきの女の子を思い出させるような杖だな)

 

 もちろん、それがただの偶然なのか、それともあのソリナという少女との出会いが引き寄せた必然なのか、今のジュリアンには知る由もない。

 

「これで、必要なものはすべて揃いましたね」

 

 マクゴナガル先生が誇らしげに微笑み、ジュリアンの肩にそっと手を置いた。

 

「おめでとう、ミスター・ヴェイン。これで貴方は、名実ともに魔法使いの一員です。九月一日のキングズ・クロス駅、九と四分の三番線に乗り遅れない様に……貴方の素晴らしい学校生活が始まるのを楽しみにしていますよ」

「はい、マクゴナガル先生! ありがとうございます!」

 

 手に入れた自分だけの杖を大切に抱きしめ、ジュリアンは両親と共にオリバンダーの店を後にした。

ダイアゴン横丁の賑やかな光の中へと再び踏み出したジュリアンの胸には、三人の風変わりな少女たちの面影と、これから始まる未知の魔法世界への期待が、大きく膨らんでいくのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。