虚ろな目で立ち尽くす細川。
「店長!おはよっす!」
ちょうど夜勤をドタキャンした北嶋が出勤し、細川は、はっと我に帰った。
「え!…お、おはよう」
「昨晩はすんませんでした…て!え!この車椅子のボクちんは誰っすか!?」
若林くんを見て目を丸くする北嶋。
「あ…ああ。今日から配属になる新人だ」
「ええ!」
「おはようございます!若林勇人と申します!よろしくお願い申し上げます!」
若林くんは爆声で挨拶した。
「う、ぐ。北嶋す…」
北嶋は耳を塞いで顔をしかめて細川の顔を見た。
(そんな顔するなよ…北嶋…)
細川も泣きそうである。
本当ならここで北嶋と交代して帰宅する予定だったのである。
しかし若林くんを置いて帰るわけには行かない。
『今日は帰れなくなった』と妻にLINEを打つ。
既読はつくが返事がない。
とにかくこのままにもしておけないので、とりあえず車椅子を押して彼と共に店内に入った。
「うわあ!なんて綺麗な店なんだ!」
目をキラキラさせる若林くん。
細川は思案し、とにかく今日のところは店内を一通り案内してから、カウンター内に車椅子を置いて仕事の様子を見学してもらうことにした。
「へえ―!」
「なる程!」
「凄い!」
業務の様子にいちいち感心する若林くん。
感極まった若林君は女性客が入店した時思わず大きな声で挨拶をしてしまった。
「ようこそ!いらっしゃいませ!」
「ひい!すいません!」
女性客は飛び上がり、逃げるように出て行ってしまった。
「若林君!まだ挨拶はいいから!」
細川は慌てて制止する。
来客がいない時のバックヤードで、細川と北嶋が喫煙しながら重苦しい空気に包まれている。
「店長!あれどうするんすか?」
モニターに映っているカウンター内の若林くんを北嶋が忌々しそうに顎で指す。
細川は、ふーっと煙を吐きながら無言である。
北嶋はさらに口を尖らせる。
「何ができるんすか?あいつに!」
「いいんだ…分かっている」
「分かってる…って…」
「考えよう。彼ができることを…」
「ちょ!そもそも!何であんな奴を雇うんすよ!」
「…CEOのご友人の息子さんなんだ…」
「え!」
「だから無下にできないんだよ…」
「マジすか?」
「すまん北嶋…ここは何とか協力してくれ」
「いや…無理っす…」
「そんなことは言わんでくれ。頼む!」
細川も必死である。
バイトが協力してくれなければ全部自分が背負うことになるのだ。
渋る北嶋の後ろのモニターには屈託のない笑顔の若林くんが映し出されている。
しかしその笑顔が急に苦悶の表情に歪んだ。
「北嶋!若林君の様子が変だ!」
異変に気付いた細川は慌ててカウンターに走る。
「どうしたんだ!若林君」
「うんこが……出そうです……」
「ええ!」
「早く……トイレへ…」
「わ、分かった!」
細川は車椅子を押してトイレに急行する。
ちなみに若林くんは自分で車椅子を操作出来ないので、移動には全て他人に押してもらう必要が有る。
店の便所は面積の広い多目的トイレである。
三枚引戸を開けて中に入ると車椅子を洋式便器に横付けした。
「お-い!手伝ってくれ!」
細川は北嶋を呼び、二人がかりで若林くんの体を持ち上げて便器に移した。
若林くんは手足が無いのにも関わらず体重は80キロを超えているのだ。
北嶋は顔を赤くして息を切らしている。
そして若林くんの半ズボンを脱がした。
彼のパンツの股間部には可愛い熊の顔のプリントがなされている。
笑いを噛み殺す北嶋を無言でたしなめながら細川はパンツをはいだ。
しかし、その瞬間若林くんは顔を赤らめて二人に叫んだ。
「は、早く出ていって!」
「え!」
「セクハラで訴えますよ!」
「す、すまない!若林君……」
細川は謝ると、中指を立てる北嶋の肩を掴んでいそいそとトイレを出た。
そして排便が終わるのを待ってから再度中に入る。
便器の中には大山椒魚のような巨大な大便が横たわっていた。
細川は鼻の息を止めながら、若林君の尻拭きを始めた。
「ちゃんと綺麗に拭いてくださいね!」
若林くんはフンと鼻を鳴らす。
下着とズボンを元に戻したら、又二人で顔を赤くして若林君の巨体を車椅子に戻す。
こうしてようやく若林くんの排便を終わり、車椅子をカウンター内に戻した。
しかしその二時間後、今度は彼はおしっこがしたいと言い出した。
また同じ手順の繰り返しとなる。
今度は来客と重なった為、レジカウンターで待たされた男性客が騒ぎ出す。
細川は必死に謝罪しながらレジに向かった。
「客を待たせちゃ駄目でしょ!もっとテキパキやらなきゃ!」
若林くんはパンツを履かされながら口を尖らす。
(この野郎……)
北嶋はギリギリと歯を鳴らした。
この後も若林くんは大小便を繰り返した。
その介助だけでヘトヘトになる二人。
そうこうしているうちに夕方になり、若林くんのお迎えの車が店に到着した。
定時に迎えがあることは大膳から聞いていた。
レクサスの運転席よりチェーンの飾りのついた金縁メガネをかけた中年の女性が降り立つ。
若林くんの母親であった。
グレーのシャネルのスーツに真珠のネックレスで身を飾った彼女は鋭い目つきで細川を睨んだ。
「勇人さんは居るザマスか?」
「はい。カウンターの中におられます」
「御母様!」
若林くんは母親の姿を見て嬉しそうに声をあげる。
「勇人さん。今日はしっかりとお仕事ができたの?」
「はい!僕は出来ました!でも……」
「でも?どうなさったの?」
「お店の人が僕の介護が下手で……お客様を怒らしてしまったのです!」
細川はこれを聞いて顎が外れそうになった。
「まあ!店長さん!もっときちんとして頂かなくては困ります!」
「え!いや、その……」
「何をもごもごしてるの!とにかく勇人さんの足を引っ張るのだけは止めて下さいね!」
(く!そもそも足なんて無いだろ…)
細川は唇を噛み締めながら言葉を飲み込んだ。
そして夕日に照らされながら去っていくレクサスを見送る二人。
北嶋はボソッと呟いた。
「明日……あいつをビンタしてもいいすか?」
「待ってくれ北嶋……こらえてくれ」
「初日で限界MAXすよ……俺」
「考える。考えるから……頼む!」
言いながらも細川の目は虚空を彷徨っている。
トイレの紙巻器からペーパーの切れ端がだらしなく垂れ下がっていた。
次回 更なる危機